『小公子』第十六回本文
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『小公子』初出本文のHTML化について

○方針
1)原姿をとどめるように配慮した。このため、底本の誤字・誤植などもそのままとした。 一方で、傍線・傍点などの類は復元できなかった。
2)原則として新字旧仮名とした。また、新旧の対立のない字でも適宜現在通用のものに 直したものがある(例、歿→没 附→付)。ただし、この基準は今後変更する可能性があ る。
3)底本では原則として段落分けのための改行・字下げはない。が、ブラウザでの読み取 り速度を上げるため、一文ごとに改行をいれた。
4)当分のあいだ、ルビを付さない本文のみを掲げることとし、準備が整い次第、ルビつ き本文を提供して行きたい。

○作業の流れ
1)荒い入力を佐藤が行い、プリントアウトした。
2)それに、古市久美子(96年3月卒業)が初出本文と校訂を行った。
3)佐藤と古市でHTML化した。


小公子        若松しづ子

第十六回(甲)

それでべンは早速子供を引連れて、カリフオルニヤ州なる牧場へ帰り升たが、此度の事件の為に却て好運が向いて来升た。
出立前にハ氏が当人に面会して、ドリンコート城主が既でのことにフオントルロイ殿となるので有つたべンの実子の為に何かして遣り度と特別の思召が有るに付ては、御自身が牧畜の株を購はれて、ベンに其監督をさせ、当人の報酬も充分有り、且つ子供の未来の用意にもなる様にするが上策と決定された趣を伝へ升た。
それ故、ベンがカリフオルニヤ州へ立帰り升た時には、到底自分の所有の様なり、又追つては現に己がものになる可き牧場の主任者となつて行つたのでした。
此牧場は数年間に正しくべンの物になり升た、そしてトムは成長して立派な壮年になり升た。
此児は非常に父を慕ひ升て、父子とも\/誠に睦しい月日を送り升たから、過去の困難は一切トム一人の為にとり返しがついたとべンが言\/し升した。
さて此度の事件のなり行を見ようとして、態々出て参つたホ氏もヂツクも、之と異て暫らく帰国を見合せて居り升た。
侯爵がヂツクの世話をなされて、相応な教育を受けるまで資金を遣はされたといふことは最処から諦められたことでした。
そして、ホ氏の方は店を実直な手代に任かせて来たに付ては、フオントルロイの八才の誕生を記念する時に催される宴会を見てから帰らふと決定して居升た。
当日は領内の小民を悉く招き集め、樹園の中で会食、歌舞遊戯等を催し夜に入つては、花火、仕掛花火など打挙げるといふことでした。
此話しの時にフオントルロイがかふいひ升た。

丁度、七月四日の祝日の様にするんですよ。
僕の誕生日が七月四日だとネイ、好かつたけれど、さうすれば、両方一処に守れたつけもの。

最初はホ氏と侯爵との間の交際は極て懇ろいふ程で有ませんかつたが、これは英国の華族一同にとつて、或は不利で有つたかも分りません。
実際、侯爵は万屋の主人といふ様な人と知已が少なく、ホ氏も侯爵に懇意が多く有ませんかつた。
それ故、稀に面会される時も、談話の途切れることが多いのでした。
其外、フオントルロイが務めて見せて呉れた立派な物事に、流石のホ氏も余程気を抜かれて居升た。
第一、入口の門と石の獅子、並木道などが大にホ氏を歓する程になり升たが、現に城郭、花苑、花卉室、物見台、孔雀、城内の牢獄、武具、大階、厩、制服の僕婢どもを面り見升た時は余程気後れがし升た。
併し最感佩に堪へなかつた一事は先祖代々の画像の連らねて有つた広間でした。
ホ氏がこの美事な広間へ這入るとフオントルロイに。

これは博物館といふ様なものかナ?

と問ひ升た。
フオントルロイは少しく胡乱さうに、

イヽーへ、博物館じやないでせう。
僕のお祖父さまはみんな僕の祖先の画像だつて仰るんです。

スルト、ホ氏が、

なんだ、祖先とは何のこつた?

といつて、非常に不審がり升たが、フオントルロイは漸くの事で自分の先見ある丈訳を説き聞かせ升た。
それで、メロン夫人を呼び寄せて誰が其の画像をいつ\/書いたといふこと、又た画に書いた其の人物が、何れも爵位のある人たちで、其方に付てはどふいふ珍らしい履歴が付いてゐたといふことを一々話させました。
ホ氏は漸くの事で、祖先の意儀を解し、其人々に関して世にも面白い話しを聞く中に、何事も結構尽しと思われて来、特に画像陳列処が気に入つた様でした。
そして市の宿やから毎日の様にお城へ出掛て来ては、半時間も、もつとも此広間を逍遥して、画姿の殿や奥方を眺め、眺められて、頻りに頭を振つて居升た。

これらアみんな侯爵とかなんとかいふ様なもんださうだ。
あれもいつかかふいふのになつて、みんな自分の物にすたるんださうだ。

内々は侯爵や、其生活向の事に付て曽て思ふた程厭でなくなり、城郭のこと、祖先其他の事を段々委しく聞くに随つて、兼ての共和主義も厳然元の通りで有つたか、どふかといふ点に於ては少しく疑しひことです。
兎も角或日非常に、思ひ掛けぬ感じを口に出して申したことが有升た。

おれなんども侯爵になつたつて、たんとわるくなかつた。

といひ升たが、これは実に此人にしては非常な寛大な申分でした。
フォントルロイ殿の誕辰を祝ふ当日は亦豪義なことでした。
そして若君は殊に大嬉びでした。
樹園に群がる人々はけふを晴れと着飾り、城の屋根や張幔から飜めくフラホの賑々しく、美事でしたこと。
けふこヽに来る都合の出来る限り一人も来会せぬ人は有ませんかつた。
なぜといふに小フォントルロイ殿が依然元のフォントルロイ殿で追つて、万事を総轄なさるといふことを悦ばぬ者は有ませんかつた。
誰もかれもフォントルロイ殿と非常に人望の出来たお袋さまにお眼通りがし度く思ひ升た、それ巳ならず、若君が左ほど侯爵を信じ、懐いて居られるといふことと、母君とも近来親まれ、丁寧に扱かはれるといふので、侯爵様に対しての感情も自然和ぎ、多少好く思ふ様にさへなつて来ました。
それ巳ならず、侯爵はお袋さまをもお気に入つて来た様にかあいられ、若君とお袋さまとのお蔭計りで、侯爵さまも追々善に化せられるに付ては一同の繁盛と仕合せになるかも知れぬといふ評判が専らでした。
(以上、『女学雑誌』第二九八号)


小公子        若松しづ子

   第十六回(乙)回

さて当日となつて木の下や天幕の中、又柴生の上などに群集した人の数々は夥しいことでした。
これらは皆百姓どもと、晴着を着たおかみさんたち、若いものや、娘たち、戯れて互に逐ひ廻はす子供たち、好い折と噂話を楽しむ老婆どもでしたが、お城の中には、亦賑はしさを見たり侯爵に祝を述たり、エロル夫人を見やうとして来た紳士貴婦人が別に一群を為して居り升た。
其中にはロリデール夫婦、サア、タマス、アツシ氏と令嬢たち、ハヴイシヤム氏などは勿論、ヴィヴィアン、ヘルベルト嬢といふ、かの美人が美事に際立衣裳姿にレースの日傘をして居られ升たが、相変らず紳士たちが側に付き纏とふて居升た。
併し此婦人は亦紳士たちより誰よりフオントルロイが一番に好な様でした。
そして、フオントルロイが嬢を見て側へかけよつて、其頚に抱きつくと、嬢は自分の秘蔵の弟にでもしさうに、接吻して、そして、

フオントルロイの可愛いヽお子!
此度は結構なことでしたこと私は大層嬉しう御座い升よ、

そして此あとで、一処に庭を廻歩て、フオントルロイが何くれと指して見せるに任せ升た。
それでホ氏とヂツクとが居る処へ行升た時、フオントルロイが二人に紹介して

ミス、ヘルベルト、これはネ、僕の旧い\/朋友のホブスさんです。
それからこれがモ一人の旧い友だちで、ヂツクといふんです。
僕があなたが大変奇麗な人だから誕生日に来れば、見られるつて、いつて置いたんですよ。

嬢は二人に一々握手し立止つて例のしとやかな調子に言葉をかけ、米国のこと、船旅のこと、英国へ来てからのことなどを尋ね升た。
其間フオントルロイは側に立つて居て、ホ氏にもヂツクにも嬢が気に入た様だと思ひ、讃嘆の眼を離さず守つて居て頬は嬉さに真赤になつて居升た。
ヂツクがあとで極まぢめで

ありや、よつぽど奇麗な人だナア、花の様だナア、丸で‥‥‥マア花だ、ちげいねいんだ。

誰れもかも、此嬢君の通る跡を見、又フオントルロイのあとを見升た。
そして天気は晴朗に、フラホは飜り人々は遊び戯れ、悦び跳りなぞして一同歓楽を尽しまして、祝日も終までには、若君も実に嬉しさが心一杯になつた様でした。
全世界が此小供には美しく見えました。
まだ其外にも悦んだ者が有ました、それは生涯、富と貴とを我がものにして居ても、無邪気に物ことを楽しめなかつた一人の老人でしたが心が幾分か楽しくなつたといふのは、幾分か心が善良なつたからのことでせうと思はれ升。
固よりフォントルロイが想像した通りに善くなられた訳では有ませんが、兎に角、ひとつ愛する者が出来升て、幼子の無邪気深切な心に思ひ起てお勧め申た慈善的なことをする中に一種の楽を覚へたことが屡あつてそれが先づ一心の変る始めなのでした。
それに又一つ増に嫁が気に入る様になり升た。から人々がエロル夫人さへ御寵愛なさる様になつたといふも空言では有ませんかつた。
其可愛いヽ声を聞き、其可愛いヽ顔を見て、どうやら好になり、御自分は安楽椅子に坐りながら母が子に物を言ふ様子振りを窺ひ、其声色に耳を澄して居られ升た。
そして自分には極く耳新しい慈愛を篭めた優しい言葉を聞くに付て、始めて悟られたことは、ニユーヨーク都会の片外れに住ひをして、万屋と知己で、靴磨と親敷したといふ者が、なに故この通り品よく、雄々しくつて、運の廻り合せで、英国に城郭を構へた侯爵の尊位を相続す可きものとなつても、誰の外聞にもならぬ其理由でした。
必竟、甚だ分り易い事柄でした。
斯いふ心の親切の優なお人の側に成長して、いつも人のことを親切に考へ、己れをあとにする様に躾け、教へられたからでした。
これ丈のことは誠に瑣細なことでも有ませうが、何よりも立派なことです。
此小息子は侯爵がどの位格のあるものお城が如何なるものといふことは一向弁へず、武張つたことも、華\/敷ものも夢中でした。
併し自分が質朴で、人を愛することを知つて居升たから、いつでも人に愛せられ升た。
人間と生れて、これ丈のことさへあれば、王の家に生れたも同然です。
ドリンコート侯爵が此日フオントルロイの群集の中をあちらこちらと歩み、見知の者に言葉をかけたり、人に拶挨されれば、手早く辞儀をしたり、ヂツクやホ氏を饗応したり、母やへルベルト嬢の側に立つて、其話しを聞いて居る処を御覧じて、至極孫息子に付て満足を感しられ升た。
そして、フォントルロイと同伴で、ドリンコーと領内の小民どもの中でも先上席につく可き人々が会食の饗応を受けてゐた一番に大きな天幕へ行升た時ほど満足に感じたことは有ませんかつた。
此人々は侯爵の御齢を寿きて杯を挙げて居り升たが、これまで御名を唱へて祝詞を申した時とは余程異つて、言葉も一層誠実、熱心を篭めて有た様でした。
第二はフォントルロイに対する御祝詞を述べ升た。
そして若君の人望如何に付て万一疑を容る者が有つたとし升れば此時にこそ全く氷解てしまわぬことはよも有ますまい。
喝采の声は杯を当てる音と同時にドツト挙て八釜しい程で、人々の情愛の深いこと、若君を思ふことが非常な処から御奥の方様が臨席になつて居るのも一向憚からぬ様子でした。
一時にワツトどよめいた声がなくなり升と、一二の優しさうな女がお袋様と侯爵様との間に立つて居られた若君を望んで、眼に涙を湛へ、互に

お可愛らしい若様に天慶を祈りませう。

といひ升た。
小フォントルロイはます\/興に入り升た。
ニコ\/ながら立つて居て、嬉しさに髪の根本まで真赤になり、頻りに人々に会釈して居り升た、そうして母に、

かあさん、みんなが僕好だからですかネ?
さう、かあさん?
僕嬉しくつて。

といひ升た。
スルト侯爵が子供の肩へ手を載せて、

フォントルロイ、貴様は一同の親切に対して礼をいつたら好からう。

フォントルロイは先お祖父さまのお顔を見、それからお袋の顔を見升た。
それで、少しく臆せる気味に、

かあさん、しなくつちや、いけませんかネ、

といい升と、母は只ニツコリして、側のへルベルト嬢も同じ様にニツコリし升た。
それで二人が点頭くのを見て、一足前へ進め升と、一同が眼を注いで見て居り升た。
そこへ出た処いかにも美事に、無邪気な小息子で、其容貌といへばいかにも雄々しく、又愛らしくも有つて、天下に敵なしといふ気配が有りました。
さて一段声を高め幼な声清朗に申したことは、

僕、みんなに有がたしツていひ度んです。
僕は今日の誕生日が大変面白かつたから、みんなも面白かツたと好いと思ふんです。
それから……僕、侯爵になるの嬉しいんです。
僕始めは侯爵になるの嬉しいなんて思はなかつたけど、モウ嬉しくなつたんです。
僕はこヽも大好です、どふも奇麗だと思つてますの‥‥‥夫から‥‥‥僕侯爵に成たら、一生懸命で、僕のお祖父さんの様に好い人になる積りです。

   8  8  8  8  8  8  8  8  8  8  8  8

さうして一同の拍手喝采が鳴り止まぬ中に、先づ役済みといふ調子で一寸溜息をつきながら又一足退がり、侯爵の手につかまり、ニコ\/しながら、近く寄り添つて居升た。
こヽで此説話も終りになる処ですが、其前に一寸一言不思議なことをお知らせ申して置ねばなりません。
といふは、ホ氏が非常に貴族的の生活に深酔し且、旧友と袂を別つが厭さに、とふ\/ニユーヨークの角店を売つて、エールスボロの市へ落着き、小店を開いたといふ一條です。
此小店はお城の贔負を受ける処から大繁盛になり升て、そしてホ氏と侯爵とは別段懇意にはなりませんでしたが、一珍事といふは、ホ氏は侯爵より誰より貴族的になり、毎朝官報を読むまでになつて貴族院の様子なども委しく知つて居たといふ事です。
そして十年程過ぎてヂツクが卒業をして、カリフオニア洲なる兄の許に尋ねよふといふ時、万屋さんに米国へ帰り度ないかと問い升と、まぢめになつて頭を振り、どふして\/、あつちへ落つくことなんどはまつぴらだ。
わしはこれでもあれの側に居て、一寸後ろ見をして居る積なんだ、若い、働きのあるものには結構な国だらうが、矢つ張り、得失処もあるな。
全体、祖先なんといふことさへないし、侯爵といふものはなほのことだといひ升た。
(以上、『女学雑誌』第二九九号)


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