『小公子』第十一回本文
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『小公子』初出本文のHTML化について

○方針
1)原姿をとどめるように配慮した。このため、底本の誤字・誤植などもそのままとした。 一方で、傍線・傍点などの類は復元できなかった。
2)原則として新字旧仮名とした。また、新旧の対立のない字でも適宜現在通用のものに 直したものがある(例、歿→没 附→付)。ただし、この基準は今後変更する可能性があ る。
3)底本では原則として段落分けのための改行・字下げはない。が、ブラウザでの読み取 り速度を上げるため、一文ごとに改行をいれた。
4)当分のあいだ、ルビを付さない本文のみを掲げることとし、準備が整い次第、ルビつ き本文を提供して行きたい。

○作業の流れ
1)荒い入力を佐藤が行い、プリントアウトした。
2)それに、古市久美子(96年3月卒業)が初出本文と校訂を行った。
3)佐藤がHTML化した。


小公子     若松しづ子

   第十二回(甲)
ホツブス氏は子供ながら朋友と思つた人が、袂を分つて、ドリンコート城へ乗り込み、フォントルロイの称号を取り、さほど親しき交りをした人と己れとの間をば、大西洋が隔てヽ居ると判然了解する暇がある時分には、よく\/淋しく感じ始め升た。
実はホ氏といふは才識のある人でも、怜悧な人でもありませんで、一口に申せば、先づ遅鈍な質故、知己とても多くはなく、殊に自分の慰みを趣向する丈の技倆も有ませんでしたから、先づ新聞を読とか、勘定をして見とかして、精一杯の楽にして居升た。
勘定調さへも、此の人にとつては容易ならぬことで、チヤント合せるまでは余程暇どるので石盤と指との兼用で、かなり加法位出来て来た、フォントルロイの居つた時分には、一寸ホ氏の手伝にもなつたことが有升た。
それで全体、人の言葉に身を入れて聞くたちのフォントルロイ故、新聞紙上の事柄を大層面白がり、革命とか、英人とか、撰挙とか、共和党とかいへば両人の談話がいつも長くなるのでしたから、その去つたあとは万屋の店が物足なくなつたのは尤もなことです。
ホ氏はセドリツクが遠方へ出立した心持には中々なれず、どふしても又帰るだらふと思つて居升た。
そして、新聞紙を読んでゐると、フト向ふに例の白い服に赤の靴下を穿き、麦藁帽子を頭の後ろへ滑らかして、戸口へ来て立つてゐる処を見ることがいつかあるだらう、そして、気軽な調子で、「イヤアー、をぢさん、けふはよつぽど暑いネ、」といふであらうと思ふ様な心地がして居り升た。
然るに、段々と月日がたち、かふいふことは一向ないので、ホ氏も余程ボンヤリして、つまらなく感じて来升た。
古しの様には新聞紙さへ楽しまぬ様になり、一枚読んでしまふと、膝の上へ置き、自分の側の彼の丈高き倚子をヂツト眺めてゐることも度々有り升た。
其倚子の足に見覚へのある瑕[足艮]を見ては、鬱憂に堪られなかつたのでしたが。これこそ、取も直さず、未来にはドリンコート侯爵たる可き人が其倚子に坐つて、話しながら両足をブラつかせた時分の紀念でした。
侯爵にならふとする人でも、腰かけてゐる倚子の足を蹴る僻のあるもので、たとひ、血統は尊く、門閥は立派でも、かふいふことなどには異がないと見升た。
此瑕を暫らく見てから、例の金の時計を取り出し、蓋を開けて、「ホツブス様へ、旧友フォントルロイより、是れを見て僕を記臆し玉へ、」と書いてあるのを見、又暫らく詠めてから、パチンと音をさせて、蓋を閉ぢ、大嘆息をして、それから、席にも堪へぬかの様に、立て戸口の林檎の箱と馬鈴薯の樽の間にたヽずんで、通りを当途もなく見て居りました。
夜に入つて店を閉ぢれば、吸付煙管を啣へ、敷石のしてある通りを気のなさヽうな歩るき方をして、旧来セドリツクが住まつて居た家の前へ来て、相変らず「かし家」と張札のある側へつヽ立つて、よく\/之を詠め、頭を振り、煙管をスパ\/と吸まくり、暫らくするとは又不勝\゛/に家路をさして帰りました。
セドリツクの出立後二三週間もこの通りにして居て、何も新しい考へは起りませんでした。
元来遅鈍な質故、新しい考へを出すまでには中々長くかヽつたのでした。
そして一体新らしいことは嫌ひで、旧いことの方を取る風でした。
併し二三週間もたつ中に、段々淋しさも弥増して、為すことに身が這入らなくなる時分、ソロ\/新たな工風を致しましたが、これが又此人にとつては、容易ならぬ思付で有つたのでした。
その事は別段でもない只ヂツクに逢ひに行かふといふことでした。
此決着に至るまで吸売を驚ろくほどいくつも拵らへ、そして漸に、それと決着が出来たのでした。
「さうだ\/、ヂツクに逢に行かふ、セドリツクの話しに委しく聞いてゐるヂツクに、」と考へて、其目的はと問へば、古しを咄し合ふたら、ヂツクに逢ふも結句、心遣りにならうといふことでした。
そこで、ある日のこと、ヂツクが花客の靴を精出して磨いて居り升た時、顔はドンヨリ、頭はピカ\/、丈の低い、ヅングリした人が敷石の上に佇んで、ヂツクの看板を二三分間もシケ\/見て居り升た。
余り長く佇んで居るので、ヂツクの方も大方客であらう、ウツカリ出来ぬと見て、ある花客の靴を磨終るや否、

旦那、一ツやりませうか、

といひ升と、其ヅングリした人がポク\/近よつて来て、足台へ片足載せました。

アヽ遣つておくれ、

といつて、ヂツクがすかさず仕事を始めると、其ヅングリが、ヂツクを見ては看板を見、看板を見ては、ヂツクを見升て、軈て、

おめへあれはどふしたんだ

あれですか、あれはネ、ともだちに貰つたんです、
小さい息子に、みんな揃へて貰つたんです、
あんな子なんてあるもんか、
今イギリスに居んです、
華族になりに行たんでサア。

此時ホツブス氏は例のドンヨリした調子で、

何か、ソレ、アノ‥‥フォ‥‥‥ムー‥‥‥フォ‥‥フォントルロイ殿つて言つて、あとで、ドリンコート侯になるのじやねへかナ?

ヂツクはかふ聞いて、刷毛を落しそくないました。

なんでい、旦那も知つてるんか?

ホ氏は暑くなつて来て、額を撫でながら、

おれなんかあれが生るときから知つてるんだ。
終生の朋友なんだ、あれとおれは。

この話しをするにどふやら、心がどきつく様でしたが、ホ氏はポツケツトから彼の立派な金時計を出し、之を開いて、ヂツクにかぶせ蓋の中を見せました。

ナア、ソラ、これを見て、僕を記臆し玉へとあるだらう」
それがあれからおれへ呉れた置形見なんだ。
「僕を忘れちや厭ですよ、」なんていつたつけが、なに、おれは何ひとつ呉ねへつて、あとは影も形も見ることがねへつて忘れるどこじやねへんだ
「といつて頭を振り」誰だつてあんな奴忘れられねへワ。

スルト、ヂツクが、

旦那、わたしもあんな好い奴見たことがねいんです。
せいから、よつぽど豪気のある奴でス、おらア、あんな、少ちゑい子にあんなに豪骨のあるの見たことがねへんです。
わたしも大変と好で、両方から中が好かつたんです。
あの少せいのとおらと、始めつからだつたんです。
一度ネ、馬車の下から鞠を取つて遣つたんです。
それをいつまでか、忘れねへでネ、お袋ろだの、守だのと、こけい来ちや、どなるんだ、「イヤー、ヂツクかへ」つて、丸で成人の様にさ、膝からいくらもなくつて、女の着るもん着てゐた時分さ、
ていげい威勢の好い奴で、何かゞ甘くいかねへ時分にや、何か言葉でもかけられると、気色が直る様でネ。

それよ。
それに違ひねへんだ。
あんなの、侯爵にするなんて、勿体ねへ話しよ。
万屋か、干物屋でもさせて見ねへ、どんなに立派なもんになつたか知れねへワ。
とんでもねへ立派な者によ、

といひながら、遺憾千万といふ調子で又頭を振り升た。
(以上、『女学雑誌』第二九〇号)


小公子      若松しづ子
  第十二回(乙)
両人が話し合つて見れば見るほど、話しが尽ない様で、迚も一度には六ケ敷処から、イツソ明日の晩、ヂツクがホ氏の店へ出掛けるといふことになり升た。
ヂツクは大悦びでした。
此児生れ落ると直から、あちらこちらと流浪して歩るき升ても、悪るいことはしたことがなく、モ少し上等な生活がして見度と心の中に始終願つて居升た。
自分が独立の職業に就てから、野宿丈は止めて屋根の下に雨露を凌ぐ丈になり升たが、モ一層生活の度を進め度と思ひ始めて居た処でした。
それ故、角店の主人で、其上に馬と荷車を置た一廉の商人に招待さるといへば容易ならぬ名誉の様に思ひ升た。
ホ氏が此時、

おめへは、侯爵だの、城だのといふこと何か知てるか?、
おれはモツト委しいことが知りたいと思ふんだ。

ナニ「一銭小説」ツていふ新聞に、そんな話しが出て来て、わしらの仲間で買つて読んでる人があり升ゼ、中々おもしろいでさア。

フン、さうか、おめへ来る時、持つて来ネイ、おれが代を払ふから、
侯爵のことが書いてあるんなら、どれでもみんな持つて来るが好ゼ。
侯爵のが無けりやア、伯でも、子でも好や。
ダガ、あれは伯だの子だのツていつたことはねへ様だつけよ。
いつかふたりで冠の話をしたつけが、あひ悪く、又おれが一度も見たことがねへもんだから。
こけいらにやア丸でねいもんの様だナ。

大店なんかにアありさうなものんですがネ、ダガ、わたしらア、見たつて知れねいだらうと思ふネ。

ホ氏は自身にもどふも見てそれと見分がつくまいとは明言しませんかつたが、たゞ様子有げに又も頭を振り升た。

たんと、人が買ねいんだらう、

といつて、其話しはそれ切りになり升た。
これが縁となつて、此二人は続懇の朋友となり升た。
ヂツクが彼の店へ来升時は、ホ氏はいつも、歓んで迎へ升て、林檎樽のある辺の戸の傍に寄せかけてある椅子へ、招じ、ヂツクが腰をかけた時分に、煙管を持た手で仲の林檎へ指しをして

おめへ、勝手に食ふが好いよ。

と愛想し升た。
それから例の小説新聞を読み、あとは英国の華族の話しをするのに、ホ氏は頻りに煙草を吹かし、頭を振り升た。
格別、深い因縁の瑕を足に持つた高い椅子を指す時などには、最もひどく振り升た。
そこで、言葉に力瘤を入れて

ソレ、あそこにあるのが、あれの蹴た跡だワ、
まがひもねいあれの靴の跡なんだ。
わしはボンヤリいつまでも詠て居ることがあるんだ。
なる程、世の中の浮沈といふが、そこへ坐つて、箱の中から菓子パンを出て食ひ、又樽の中から林檎を出して食て、心を外へ投た者が、今となれば、華族で、お城住ひだなんてナ、シテミルト、あれも華族様の足の跡だゼ。
追つては侯爵さまの蹴跡になるんだ。
色\/独り考へてナ、「たまげはつたこつたつて」言つてるのよ。

この通り繰り返し\/昔しを語つゞけて居て、ヂツクが尋ねて来るのが何よりの慰らしいのでした。
ヂツクを宿へ帰す前に、後ろの少さな室で共に食事をするに付て、店から菓子バンや鑵詰物を運び升て、ヂツクにも馳走をし升た。
終りにホ氏は生姜の沸騰水を二瓶持つて来て、忝しくこれを開らき、コツプ二ツへあけ升て、

サア、これであれを祝はふ。
それでどうかしてあれが行つた為に、侯だの伯だのといふ奴たちをすつかり、改良すれば好いナア。

其夜は先づそれ切で袂を分ち升たが其後も、両人はしば\/出逢ひ升て、ホ氏も淋しさを減じて、慰めを得ました。
二人して一銭小説や、外に面白い物を読み、貴人、華族たちの風俗を知る様になり升た。
併し其風俗といふものは、この通り軽蔑された人々が若し聞知れば驚ろく程法外な話しでした。
ある日ホ氏は書物を買うとて、わざ\/下町の本屋へと出かけ升た。
さて帳場へ坐つて居る番頭に向ひ、

もし侯爵のことの書いてある本が欲しいんだ、

といふと番頭が不審さうに

なんです?

ナニ、侯爵のことが書いてある本が欲しいんだ。

番頭は妙な顔をして、

お気のどくさまですが、さういふ物はおあい悪くです。

スルト、ホ氏が、心配さうに、

さうか、そんなら伯でも、子でも好いワ。

どうも、さういふ本は存じませんナ、

ホ氏はこヽに至つて、余程心痛いたし升た。
先下を見、又上を見て、

それじや、女の侯爵のこつても好いが、それもないのか?

番頭は可笑さをこらへて、

どふもおあいにくですナ。

おいらアたまげつちまつた。

と此時ホ氏が言つて、ドシ\/店を出ようとした時、番頭が一寸と呼びとめて、華族が重立つた人物になつてる小説で間に合ふかと尋ねました。
ホ氏は推つ通し侯爵のことが書いてあるのが無いとならば、それでも間に合せるといひ升たに付て、エーンスウオスといふ人の書いた「ロンドン府の物見」といふ小説を一冊売り升て、ホ氏は先づこれを持ち帰り升た。
そこで、ヂツクが来升た時、それを読始め升た。
これは珍らしく極く面白い本で、血塗れメレと仇名された英国の女王の名高き治世中の話しでした。
そして、ホ氏がメレ王が槙を割ほど無雑作に人の首を刎ね、或は人を強問に掛け、又は生き乍ら焼いたことなどの所業を聞ては、非常に心配し始め升た。
先づ絶へず口にあつた煙管を出してヂツクの顔を呆気にとられて見詰めて居り升た。
それから顔から流れる汗を拭ふとて赤いハンケチをポツケツトから出し升た。

それじや、あれも危ねへじやねいか。
剣呑\/、女なんどが位に坐つても、そんな指図をするんじや、今どんなことになつてるか知れやしないゼ。
大丈夫どこじやねへワ。
そこに書いてある女の様なのが怒り出した日にやア、誰れだつて、危なくねへ者はねいゾ。

ヂツクも多少心配らしい顔をしながら、

ダガネ、今切り廻をしてるナア、この女じやないんですゼ。
ホレ、今のはヴィクトレとかいふんで、此本にある奴ア、メレちい升たらうが。

ホ氏はまた額を頻りに擦りながら、

さうだつけナ、さう\/。
強問だの、焼殺だのつていふことは新聞にもねい様だナ‥‥‥それでも、そんな、へんてこれんな奴らと一所になつてれば、なんだか、あれも剣呑の様だナ。
ナント聞ねい、七月四日祭せい守らねい様な奴らださうだゼ。

此後ち、数日間、ホ氏は心中誠に安からぬ思をして居り升た。
そして、フォントルロイから来た手紙を幾度か自分にも読み、又ヂツクにも読み聞かせ、同時にヂツクに来たのを読むまでは、容易に心が落着ませんかつた。
(以上、『女学雑誌』第二九一号)


小公子    若松しづ子
   第十二回(丙)
併し両人とも貰つた手紙を、何より珍重し、二人して繰返し\/是を読み、一字\/が楽しみの様でした。
そして自分たちの送る返事も幾日もかヽつて書まして、貰つた手紙ほど幾度も読み直し升た。
ヂツクが返事を書のは中\/容易なことでは有ませんかつた。
自分が読み書を覚へたのは、自分の兄と同居してゐて、夜学に通つた数月間に習ふた丈でしたが、英敏い子でしたから、其暫時に得た智識を利用して、新聞紙を拾ひ読みしたり、敷石や塀や、垣根へ白墨の切れで手習ひをし升た。
それでヂツクは自分の履歴話しをホ氏に委細話したことが有升たが自分のまだ少さい中に母が没して、其後は兄が随分深切に保護してくれたのでした。
尤も父は其先になくなつてしまつたのでした。
兄の名はべンといひ升て、ヂツクが稍成長して、新聞売りになるまで相応な世話をして居り升たが、追々成人になつて、役に立つ様になる中に、ベンも可なりな生計を営むやうになり、一寸した店に奉公住みする程までに立身致し升た。
この話しをして来て、こヽになると、ヂツクが愛相の尽きたといふ顔付をして、

それから、旦那、することに事を代へて、嫁なんか貰うじや有ませんか
なんだか、女にのろけて、馬鹿見た様になつてネ、それで、とう\/嫁に貰つちまつて、裏屋で世帯を持つちまつたんです。
其女つていふのはまたしよふがない奴で、丸で暴れ猫みた様なんでネ、機嫌の悪るい時なんぞにや、何でもビリ\/引つさいてネ、そうして、いつだつて、おこつて居ない時はねいんでさア。
丁度又自分の通りな赤んぼうが有升たつたつけよ‥‥‥夜昼鵝鳴つ通してネ、それで、わたしに守をさせてネ、鵝鳴るたア、わしに何んでもとつて放りつけるんでさア。
一度なんか皿アぶつヽけると、丁度赤んぼうに当つちまつて‥‥‥腮へ瑕拵らへちまつたんです、医者がなんでも死ぬまで癒るまいつて言ひ升たつけゼ、イヤア、とんだお袋だつたんでさア。
家兄とわしと其小坊主と三人して、イヤ大騒ぎをやらかしましたつけよ。
全体、其女は家兄が早く金を拵れいねいつて、怒るんだ。
それだもんだから、牧畜をやるだつて、合手を拵らへて、西国の方へ出てつちまつたんです。
スルト一週間もたヽねいに、ある晩、わしが新聞売つて帰つて来る、見ると戸に錠が降ろして有つて、中は空つぽになつてる、隣のおばあがおミナは行つちまつたつていふんです。
逃亡したんです。
誰だつけか、子供のある奥様に付いて、海を渡つて遠国へ行つちまつたんだつて言ひましたつけ。
それからつていふものは音信不通さ、家兄にだつて、一向音沙汰なしなんでサア。
わしなら、心配なんかしてやりもしねいが流石家兄もたんとしねい様だつたんです。
ダガ、始は丸で首つ丈で丸で、夢中になつてたつけ。
ダガ、着物でも着けいて、怒つて居ねい時なんかは、余つぽど奇麗な女でしたつけ。
眼つてば、真黒で、でつかくつて、頭髪つてば、矢つ張り、真つ黒で、膝んとこまでもあるんだ、なんでも、編めば男の腕ぐれい太くなつてネ、それを頭中グル\/捲いんたつけ、眼なんてはなんかの珠玉の様にテカ\/してたつけ。
なんでも、半分はイタリヤ種だなんて、いふ人が有ましたつけ……お袋とか爺とかがあつちの方から来んで。
それで妙な所が有るんだなんてネ。
どふも、そんなもんか知れないと今じや思つてるんです。

時々此女と自分の兄のことの話しをホ氏にし升たが、兄が西国へ行つてからも一二度は手紙も来た様に言ひ升た。
べンも中々好い運に有つかず、此所、彼所と徘徊廻り升た。
併しヂツクがホ氏と知己になつた当時には、カリフオルニア州の牧畜場へ這入つて働いて居升た。

家兄もあの女にすつかり、骨を抜かれつちまつた様なもんで、時々わたしも可愛さうになつて来たんです。

此時二人は、相変らず、戸口に坐つて居て、ホ氏は煙管に煙草をつめて居升た。
それで、マツチ箱を取るとて、立ちながら重\/しい調子で、

全体、嫁なんぞ貰はなければ好んだい。
女なんぞ。
わしなんぞは、あんなものはどこが好いんだかさつぱり分らねいナ。

さて箱を開けて、マチ一本出さうとするはづみに、足を止めて、帳場を見ると。

ヤア、手紙が来てゐるの、ちつとも、知らないでゐた、
わしが気がつかん時に配達が置てつたらうか、
それとも、新聞が今まで載つかつて居たんだらう。

さて手にとつて篤とこれを見、ビツクリ声に、

イヤ、あれから来たんだ、ちげひねへんだ。

そこで、スツカリ煙管のことは忘れて、イキセキしながら、元の倚子に帰り、懐中ナイフを取り出して、封簡を開き、

こんだは何の便りだかナ?

といつて、開らいて読んだ手紙は此の通りでした、

大急ぎで一筆したヽめ候
それは大変珍らしひことができてをぢさん聞なされば驚ろきなさると思ふからに候
先からのことはみんなまちがひで僕華族ではなく侯爵にならずとも好いのに候
僕の伯父さまでビーヴィスといふ人の嫁になつた婦人が小ども一人持つて居り候
そして其児がフォントルロイで御座候
英国では侯爵のそうりやうのむすこがいつでも侯爵になるので御座候
みんな死ねばで御座候とうさまやぢひさまが死ねばで御座候
僕のおぢいさまは死なヽいけれどをぢさまは死んだので御座候
それ故をぢさまの児がフォントルロイで僕はさうでなく候
それは僕のとうさまは末のむすこであつたからで候
僕の名はニユーヨークに居た時と同じでエロル、セドリツクと申のにて候
そしてなんでもみんな其児の物になるのに候
始めは僕の車や小馬もやらなければならないのかと思ひ候
併しおぢいさまは遣らずとも好いと仰しやり候
僕のおぢいさまは大変こまつてお出なさり候
そして其婦人が好でない様だと思ひ侯
併し僕が侯爵になられないから僕と僕のかあさんが厭だろうと思つて入つしやるのかも知れす候
僕は始め思つたよりか今侯爵になりたく候
此のお城は大変奇麗で僕みんなが大変好だからで候
そして大層金があれば色々のことができるからで候
併し僕はモウ金持ではなく候
なぜといへばとうさまが末の息子ならば誰でも金持ではなく候
僕母さまを世話できる様に働らく積りで御座候
僕ウィルキンスに馬丁の仕事のこと尋ね候
僕馬丁か御者になるかも知れす候

あの婦人は子供をつれてお城へ参りおぢいさまとハヴィシヤムさまとが逢て話しなさり候
あの婦人は怒つたのだらうと存じ候
大きな声で話しをいたし候
僕のおぢいさんも怒りなされ候
僕おぢいさまの怒つたの始めて見たのに御座候
みんながあんなに怒なければ好いと存じ候
僕はをぢさまとヂツクに直ぐ話さうと思ひ候
其訳はあなた達が聞度だらうと思つたからに候
この手紙はこれ切りでやめ申候
          旧友
           エロル、セドリツク、
            (フォントルロイではなし)
  愛する
   ホツブス様

ホツブス氏は椅子へドツカと[馮+几]れ、其手紙は膝の上へ落ち、懐中ナイフは床の上へ滑り、封筒も同じく下へ落ちました。

フーン、おらあ呆れけいつた!

と鉄炮を放す様に言ひ升た。
余り動じ様がひどいので、歎息の声まで平常とは違つて居升た。
ヂツクは側から、

そんなら総破烈なんですネ、

イヤ、大破裂だ、
ダガ、わしはあの子が米国人だといふので、権理を奪ふつていふんで、何んでも英国の貴族めらが仕組んだこつたらうと思ふんだ。
あの革明以来わしらの国へ対して怨みがあつてたまらん処だから、今あの子に意趣がへしをするんだらうゼ。
わしがなんでもあれが剣呑だつていつたが、そら見さつせい。
ヒヨツトしたら、政府がみんなかヽつて、法律の上であの子のと締つた物を取らふといふのかも知れねいゼ。

ホ氏は大層心痛の体でした。
最初にはセドリツクの境遇の変わるのがふ賛成でしたが、近来は追々思ひ直す処も出来、殊にセドリツクの手紙が来てからは、自分の旧友と思ふ者の出世を内々自慢に思ふ位になつたのでした。
全体侯爵といふ者は相変らず、嫌ひでしたらうが、米国にても金といふものはかなり調法なものでしたから、財産や段々聞伝へた豪勢なことが爵位に伴つて行くものならば、其の爵位のなくなるのは多少の迷惑だらうと思つたのでした。

なんでも、あの子につくものをうばわふとしてゐるにちがいねへ、
金のある人がチツト世話やいてくれヽば好にナア。

そして、其夜はヂツクを遅くなるまで引とめて置き、帰る時には角まで送つて行升た。
そして帰る途には例の空家の前へ立ちどまり、非常に心配しい\/煙草をふかして「かし家」の札を稍暫らく眺めて居升た。
(以上、『女学雑誌』第二九二号)


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