『小公子』第十四回本文
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『小公子』初出本文のHTML化について

○方針
1)原姿をとどめるように配慮した。このため、底本の誤字・誤植などもそのままとした。 一方で、傍線・傍点などの類は復元できなかった。
2)原則として新字旧仮名とした。また、新旧の対立のない字でも適宜現在通用のものに 直したものがある(例、歿→没 附→付)。ただし、この基準は今後変更する可能性があ る。
3)底本では原則として段落分けのための改行・字下げはない。が、ブラウザでの読み取 り速度を上げるため、一文ごとに改行をいれた。
4)当分のあいだ、ルビを付さない本文のみを掲げることとし、準備が整い次第、ルビつ き本文を提供して行きたい。

○作業の流れ
1)荒い入力を佐藤が行い、プリントアウトした。
2)それに、古市久美子(96年3月卒業)が初出本文と校訂を行った。
3)佐藤と古市でHTML化した。


小公子        若松しづ子

第十四回(甲)

フォントルロイ殿一條で、ドリンコート城に騒動が起ると共に英国新聞は探訪の届く丈詳細に書き立て、間もなく米国新聞にも伝説致ました。
此一件は中々軽く看過す可からざる程面白味のある新聞種でしたから、世評がとり\/に騒がしいことでした。
それ耳か、諸新聞に出た雑報が区\/に異つて居て、一々買ひ集めて伝説の比較をしたら、余程の興味有うと思われる様でした。
ホ氏などは、気が煩乱するまであらゆる雑報を読み尽し升た。
一ッの新聞には、セドリツクを乳呑子の如くに申し、モ一ッは、オツクスフォルド大学に於て、才学の聞え高く、ギリキ語の詩作で、名の現われた壮年の如くに書き立て、外の一ッは「さる、華族の令嬢と結婚の約束が宛かも調ふた折から」などヽ訛伝し、又モ一ツは、最早結婚の式を挙られたと述べ升た。
併し、チゞレ頭で、体格の屈強な、七才と八才の間の小息子といふ実際をいふものは一ツも有りませんかつた。
それ耳か、一ツの新聞には、先にフォントルロイと名乗り出たものは、ドリンコート侯には一向因縁のないもので、米国まで儲嗣を尋ねに送られた代言人をば其お袋が瞞着し遂せたまでは、ニユーヨークの市中をごろついた不懶漢だと申伝へ升た。
それから又新らしいフォントルロイと其母との伝説になり升た。
一説は其お袋をヂツプセと言つて、隊を組み人の物を掠などして、覚束ぬ日を送る舶来乞食の中間とし、又一説には女俳優とあり、又た一説には美貌あるイスパニヤ婦人と有り升た。
併し、ドリンコート侯が之を敵視して、力の有らん限り、攻撃し、構へて其息子を儲嗣と認められぬといふ一事丈に於ては、諸新聞が同説の様でした。
それで、其婦人が所持した証拠物書類に聊か不審の廉が有つて、此度法廷へ持ち出されるに付ては、裁判は余程長引で有らふ、又これまでにない面白い事件で有らふといふ評判でした。
ホ氏は頭悩に取止のなくなるまで新聞を読みつゞけ、日が暮れヽば、ヂツクと其話をスツカリし直しました。
さうする中には、ドリンコート侯といへば、どの位の格のあるもの、財産はどの位有つて、所有地は幾ケ所、現在住居される、城郭がどれ程壮麗といふことなどを追々と知り始め升た。
そして、詳細が分れば分るほど、両人が気を操み出しました。
そこで、ホ氏が

ナア、さうじやねへか、おいらみた様に侯爵でねいツテ、そんな大した物をムザ\/人にせしめられてたまる者かナア。

併し実際何と言も、自分たちが助立のし様もなさに、たゞ二人して音信を通じて、友誼の変らぬことと、同感の情とを申送り升た。
彼の報を得るや否や、早速其手紙を認て、互に見せ合ひ升た。
ヂツクの手紙をホ氏の読んだのは、左の通りでした。

ホツブス旦那のとこへもわしところへもおめへの手紙がとゞひた。
おめへも運のまあり合せがわりくなつて気の毒だ。
なんでもしつかりふんばつてゐねい。
人にいヽかげんのことされちやいけねい。
よつぽどふんどしい堅く〆てゐねいと、どろぼう根性のものにいヽようにされるぞ。
かふいふのもおめへがこつちに居るじぶん恩になつたことを忘れねいからだ。
だから外にしかたがなけりやこつちへ来てわしといつしよにやるがいヽ。
この頃は大分繁昌してる、それでおれがおめへの世話して困らねいやうにしてやるワ。
どんなやろうが来たつてわしが居れば大丈夫だ。
こんどはこれ丈にして置かふ。        ヂツクより

ホ氏の手紙で、ヂツクが読んだのはかふいふのでした。

御書状拝見容易ならぬ一條で御座候と奉存候
何でも拵へごとで仕組んだ奴は其侭にしては置けないと奉存候
二ケ條の申進じ奉候
私もキツト此事一ツ調べ申し奉候事貴殿内々にして置て被下候
其内私代言人と相談いたし候て尽力いたし奉り候
そこで甘く行かず侯爵のやつらにまけ候はゞ貴殿成長被成候上万やの株半分差上奉る可く候
私貴殿を引取り世話奉り申す可く候也     再拝頓首
                サイラス、ホツブス拝

それでホ氏が

あれが侯爵にならねいつて、かふして置きや、二人で差支のねい様に世話が出来るワナ。

スルト、ヂツクが、

さうとも。
わしはどこまでも加勢する気なんです。
あんな好いた様な子はなかつたから。

其翌朝ヂツクの花主の一人が驚いたことが有升た。
此花主といふは、開業した計りの若代言人で、若代言人の例として、極く金はないのでしたが、怜悧、活溌な若者で、鋭敏で、気質も優しい方でした。
丁度ヂツクの店を出す側に見すぼらしい事務所を持つて居て、ヂツクが毎朝、其靴を磨き升た。
其靴といふのも折ふし水の通らない限でも有ませんかつたが、ヂツクにいつも深切に言をかけるか、冗談を云かして行き升た。
其朝台の上へ足を載せる時に、手に一枚の新聞紙を持つてゐ升た。
其新聞紙といふは、近頃大景気のあるので、人物や、物品の挿画もあり升た。
今丁度それを読み通したと見へ、両方の靴も軈て磨き終るのを待てヂツクに是を渡し、

ソレ、新聞を遣ろう。
おまへ朝飯を食ひに行く時分見るが好いぜ。
英国の城の図も、侯爵華族の嫁様の画像もあるぞ。
これ一人で、中々ゑらい騒動を起したんだが、頭髪なんどの沢山ある立派な女だワ。
おまへも貴族華族もいくらか知つて居ないといけないよ。
先づ畏くも、ドリンニート侯爵さまとフオントルロイ令夫人にお近づきするが好(と言つてヂツクの様子振りに気がつき)イヤー、これはしたりどふしたんだ?。

(以上、『女学雑誌』第二九五号)


小公子        若松しづ子

     第十四回(乙)

其若人の話しの画といふは、新聞の表に有り升て、それをヂツト、眺めて居たヂツクの眼と口は、大きく開いて、其驚ろいた顔は青くなつて居升た。
そこで、不審に思ふた其人が又、

これはしたり、ヂツク、どふしたのだ?、
なんでそんなに胆を潰してるんだ?

ヂツクは容易ならぬ一大事が出来したといふ顔つきをして居升た。
さうして、主張者の母、フォントルロイ夫人と下に記るした画を指し升たが、その画といふは黒々とした頭髪を太く編んだのが、グル\/と頭に捲いてある、眼の大きい一寸立派な女でした。

この女なら、おらあ、旦那知つてるより、好く知つてるんだ。

彼の紳士は笑ひ出し升た。

ヂツク、おまへどこで出逢つたんだ?
ヱーニユーポートへ避暑に出かけた時か、それとも、パリへ見物に行つた時でも有つたか?

さふいわれても、ヂツクは笑ふことさへ忘れた様でした。
それで一寸もさし置けぬ大事が起つて、当分家業も打捨てるのかと思われる様子で、刷毛其外の物を片づけ始め升た。

マア、どふでも好いが、知つてることは知つてるんだ。
今朝は、仕事も何もおしまいだ。

と捨言葉をしてそして五分も経ぬ中に、彼のホ氏の角店指して一走りに行升た。
帳場の向ふに坐つて居つたホ氏も相変らず手には新聞紙を持つて駈込むヂツクを見てビツクリし升した。
余り急いで走つた故、ヂツクは息をきつて居升た。
それで新聞を帳場の机の上へ投げました切り、暫らく、ロもきけぬ程でした。
ホ氏は、

ヤアー、何を持つて来たんだ?

マア、見ねい、此の画の女を見ねい、これが華族なんかでたまるもんかヨウ(とさも見下げたといふ声で)華族のかみさんなんかであるもんか、これがおミナでなけりやあ、おらあ旦那に食われつちまたつて介ねい。
おミナよ、おミナに締つてらア。
どこに居たつて、知れらア、べン兄だつて過ぐ分らア、嘘なら聞いて見ねい。

ホ氏は、腰を抜かした様でした。

ダカラ、わしが言ねいこつちやねい、仕組んだ狂言に違ねいツテだ。
あれがアメリカ生れだつていふんではめたにちげいねいんだ。

ヂツクは、呆れ声で

ナニテツキリ此女さ、此女が拵らへた狂言とおらあ思ふんだ。
ダツテ、いつでも悪戯斗りして居やがつたもの、デネ、此画を見ると直ぐと心に浮んだことがあるんだ、ソラネ、こないだ読だ新聞に、其女の連れて来た子のことネ、ソウ、顋んとこに傷の跡があるつて書いて有つたらう、ナア、それとこれと一処にして見ねい、其傷ツテいふナア、こいつの拵らへたのよ。
ダカラ、そいつの連れて来た児つていふナア、華族処か、あれが華族ならおれも華族だ。
そりや、ベン兄の児よ、ソラおれに玉ア投げつけた時あてた児よ。

ヂツクは全体鋭敏児で、大い都でもまれ\/して尚一層鋭敏になつたのでした。
いつでも目端を利かせ、いつも頓智を廻して居升たが、此時発見した一大事に付て、気を[火焦]て騒ぐのは結句面白半分の様でした。
其朝、若しフォントルロイが其店を覗うことが出来たならば、たとひ自分には関係なく他の児の運定めになる相談や、計画であつたにしろ、余ほど興あることに思つたでせう。
ホ氏は此一條につけて新たに起つた自分の大責任に圧倒されて殆んど夢中の体でした。
そして、ヂツクの威勢もイザ討ち出さうといふ塩梅でした。
先づべンへ向けて手紙を書き始め、彼の画を切り抜いて封入し升た。
ホ氏も亦、セドリツクへ一通、侯爵へ一通手紙を認め升た。
両人が手紙を認める真最中に、ヂツクが急に思ひ出したものが有り升た。

ネイ、あの新聞をわしに呉れた人ネイ、あれは代言人だがこヽでどふしたもんか、一つ尋て見よふじやねいか、
代言人なんかなら、知つてるに諦つてるだらう。

かふ聞いて、ホ氏はヂツクの思ひつき、ヂツクの如才ないことに大感服に感服し升た。

さうよ、さうだつけ。
かふいふことにや、なんでも代言人が入用んだ。

そこで、店を手代りに頼んで、外套も大急ぎに引つ掛け、ヂツクと下町へ出かけ、彼のハリソンといふ代言人に小説めいた話を持つて行き升た処が、彼の紳士も一方ならず驚き升た。
此若紳士は余程名を起さうといふ心掛が有つて、充分手を開いて居つたから好し、さもなければ、此二人の申立を容易に取り上げなかつたかも知れません。
なぜといふに、其話といふは、いかにも、とつて着けた様に奇妙不思議に聞こえ升た。
併し差し当り、仕事はなく、ヂツクの人となりを略察し、又運よくヂツクの話し様も閑略で、尤もらしく聞こえ升た。
そしてホ氏の言葉に、

おまへさん、一時間いくらといふのでもかまわねいから、よく調べて貰いていんだ。
わしが一切呑み込んでるから。
ブランク町の角の万屋ホツブスといふんだ、宜しふがすか。

スルト、ハリソン氏が、

左様さ、これが思ひ通りにいけば、大したことになります。
フォントルロイ殿は固より、僕にとつても非常な運定めになり升。
それで兎に角事実の探索にとり掛つて、差支は有りません。
新聞で見ると引連て来た児のことに少し曖昧が有つた様子です、其女が其年齢の話しになつて、前後揃わぬことを言つたとかで既に疑惑を起してるんです。
そこで、第一ヂツクの児と、ドリンコート家の抱の代言士に手紙を出ませう。

そこで、其日の晩方までに二通の大事な書面が投函になり升た。
一通はニユーヨークの港から便船で、英国へと走り、モ一通は、客や手紙を載せて、カリフオルニアに通ずる汽車を飛ばせて行き升た。
一通は「ハヴイシヤム殿」、も一通はべンジヤミン、チプトンと表面に書いて有り升た。
其夜は店を閉めると、ホ氏ヂツクの両人は奥に夜半まで話しつゞけて居升た。
(以上、『女学雑誌』第二九六号)


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