『小公子』の部屋 〜 第九回本文
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『小公子』初出本文のHTML化について

○方針
1)原姿をとどめるように配慮した。このため、底本の誤字・誤植などもそのままとした。 一方で、傍線・傍点などの類は復元できなかった。
2)原則として新字旧仮名とした。また、新旧の対立のない字でも適宜現在通用のものに 直したものがある(例、歿→没 附→付)。ただし、この基準は今後変更する可能性があ る。
3)底本では原則として段落分けのための改行・字下げはない。が、ブラウザでの読み取 り速度を上げるため、一文ごとに改行をいれた。
4)当分のあいだ、ルビを付さない本文のみを掲げることとし、準備が整い次第、ルビつ き本文を提供して行きたい。

○作業の流れ
1)荒い入力を佐藤が行い、プリントアウトした。
2)それに、古市久美子(96年3月卒業)が初出本文と校訂を行った。
3)佐藤と古市でHTML化した。

小公子。   若松しづ子
    第 九 回(甲)

日を経るに随がつて、ドリンコート城主は、彼渋そうな笑ひ顔をなさる折が幾度も有升た。
そして、孫息子と追々親まれる程、其笑顔をなさるのが度々になるので、遂には、其渋そうなのが殆んど失た時も有升た。
フォントルロイ殿が現はれ出る前には、老侯は己の淋しさと、酒風症と、七十才といふ齢とにいとゞ惓みはてヽ居られたことは疑ふ可くも有ませんかつた。
一生、歓楽と放逸を尽したるものが、壮麗を極めた坐敷の中に、片足を足台に支へながら、一人坐つて居て、癇癪を起し、ヲヂ\/して居る給事どもに怒鳴りつけるより外心遣りがないといふのでは、余り面白くは有ませんかつたでせう。
老侯は流石、愚かでない丈に、僕婢どもが自分を見ることさへ厭がるほど嫌つて居といふことを、能く知つて居られました。
又人によつては、物好に老侯の誰にも(甚+斗)酌のない刺衝的な、鋭どい物言を面白がる者も有升たが、大概、来客といへば、自分を愛して来るのでないといふことをも承知して居られ升た。
壮健で有つた間だは真の楽みは得られぬながら、人には遊興と見せて、此処、彼処と見物して歩かれ升たが、体に病を覚へ始めてからは、何事も懶くなつて、持病と、新聞紙と、書物とを合手に、ドリンコート城へ閉ぢ篭られる様になり升た。
併し読物するにも際限があり、段々物事がうるさく、厭になつて来升た。
昼夜のいかにも長々敷のに厭み果て我慢はます\/募り、癇癪はいよ\/烈敷なる斗りでした。
こふいふ処へ、フォントルロイが来たので、侯爵は一眼見る、直と気に入ました。
一体、高慢気のある老人に、かく非常に気に入たと云のは、此息子の為に何よりの幸福でした。
若しセドリツクの容色が醜かつた者ならば、他の事には其まヽで有ても、一途に嫌つてしまつて、其美質などは、一向心にお留にならなかつたかも計られません。
併し、老侯は、セドリツクを見るに付け、容姿の美しく精神の奇抜な所が、ドリンコートの血統と格式とにとつて殊更面目と思はれ、至極満足されたのでした。
それから又、子供の話す処を聞くと、自分の新たに得た格式の弁別などは一切ない様でも、心に持た品は又格別で、其あどけなさが却つて、可愛いく、これまで懶うく計り見へた世の中が、どふやら面白くも思われて来升た。
ヒツギンスの難を救ふことにさへ、態と子供に其権を与へたのは又一つの興味でした。
御前はヒツギンスの貧困な有り様に対して、惻隠の心をお発しなされたのではさら\/なく、こふいふことで孫息子が小民どもに評判され、子供の中から小作人どもの人望を得るで有うということが、一寸其お気に叶つたのでした。
それに又、セドリツクと同車で、礼拝堂へ行れた時分に、待設けた人々の騒と心入れを見て、一層満足に思われ升た。
老侯は群集の人々が、定めて、子供の容色のことから身体の倔強なこと、厳然とした風采のこと、目鼻立の尋常なこと、頭髪の美事なことなどに付て評し合であらふと想ふて居られましたが、果してある女が小声で「ほんとうに、頭から足の先まで、どつからどこまで、華族さまだ」と言ふのを小耳に挿まれました。
此ドリンコート城主は全体、傲慢な老人で、門閥や、格式が容易ならぬ誇の種でしたから、弥よドリンコート家に其尊厳なる爵位にふさわしい世継が出来たのを、世に公にするのが非常に愈快なのでした。
新らしい小馬を試した朝などは、老侯は殆ど持病の煩悶を忘れるほど悦こばれ升た。
馬丁が其美事な駿馬を旭の映す庭先へ引出し升たが馬は、艶々した栗色の頚を弓形にし、美しい頭を擡て居升た、老侯は書斎の窓の開た処へ坐て、フォントルロイが始ての馬術の稽古を、御覧じて入しやい升た。
子供が始て馬乗の稽古をする時分には、こわがるのが常でしたから、フォントルロイも卑怯な気質を見せるかと危んで居れ升た。
然るにフォントルロイは、大悦て、是に跨り抑も馬に乗つたは是が始めてゞしたから、大層熾な威勢でした。
馬丁のウヰルキンスは、馬の轡を採て書斎の窓の前を、幾度となく徃帰し升た。
稽古も終つて、厩に帰り升た時、ウィルキンスが、ニコ\/しながら、人にこふいつて話し升た、

中々威勢の好い奴よ、
ムー、子供だつて、あんなのヲ、乗せるなあ、わきやないわ、
成人だつて始めてなヽあ、鞍付なんかあんなもんよ、
奴がこふ云ふんだ、
ナアおれに、「ウィルキンスや、僕、これで真直ぐかへ、アノ、馬駆じや、みんな真直ぐに、シヤンと乗つてるからネ」つて云ふのよ、
それから、おれが、「若様、真直ですよ、矢の様に真直ぐに乗つて入つしやる」つていつて遣つたら、えらく、嬉しがつてナ、笑ひながら、「そうかい若し真直ぐでなかつたら、そういつておくれよ、ウィルキンス」ていふのよ。

併し、鞍の上で真直ぐだといふことと、手綱を採られて、あちらこちらと歩かせられる許りでは、もはや満足の出来ない様になつて、窓から眺めてゐるお祖父さんにこふ云ひ升た、

お祖父さんこんど一人で乗つちや、いけませんか?
そうして、モ少し早く歩かせても好ですか?、
 アノ五丁目の児は、トツ\/\/\/つと楽乗をしたり、それから、又ほんとうに駈させたりし升たもの。

貴様、モウさう出来ると思ふのか?。

僕、やつて見度んです。

御前は、ウィルキンスに、手真似で、何かお云ひ付なさると、ウィルキンスは心得て、自分の馬を引出し、是に乗つて、フオントルロイの小馬の手綱を持ち升た、
老侯は、

サア、楽乗を一ツ遣つて見い!。

これから、暫らくの間は、此小さい馬乗も一処懸命でした。
楽乗をするのは、たゞ静かに歩かせるとは違つて、中\/容易くは有ませんかつた。
そして、馬の足が早くなれば、早くなるほど、段々と六敷なつて来升た。
息を切\/ウィルキンスに、

ず‥‥‥ずい分‥‥‥ゆ‥‥‥ゆれることネイ、
そ‥‥‥そうじやないかへ?
お‥‥‥おまへはゆ‥‥‥ゆれやしないかへ?、

といひ升と、ウィルキンスが、

若様、ナニ直つき慣れつちまい升よ、
鐙へ足をシツカリ掛けて、チヤントしてゐて御覧なさい。

僕始、‥‥‥始終、そ‥‥‥そうやつてるんだよ。

フオントルロイは、ゆすぶられたり、上られたり、落されたりしながら余り、心地好さそうでもなく、もまれてゐ升た。
息は切れ、顔は赤くなり升たが、一処懸命に携まつて、なる丈、シヤンとする様にして居升た。
老侯は、遥か向ふから、其様子を実見して居られ升たが、両人の馬乗りが暫時、木隠れに見えなくなつて、そして又、声の達しる程間近へ帰つて来升た時、フォントルロイの帽子は無くなつて居て、頬は罌栗の花の様に真赤で、唇をキツト結んで居升たが、まだ元気よく、楽乗をつゞけて居升た。
お祖父さんは、

一寸、待て、貴様は帽子をどふした?

ウィルキンスは、自分の帽子に手をつけて、礼を表し、面白そうに、

先程落ましたが、手前が拾ひ挙げる暇もない程で、御座り升た、

老侯は冷淡に、

余りこわがる方ではない様だな、どふだ?。

御前、どふいたし升て、そんなこたあちつとも御存じない様です、
手前も、これまで随分若様方に馬乗のお稽古を申したことが有升が、此若様みた様にきつくつて、一処懸命なあ始めてです、

侯爵は、フォントルロイに向ひ、

どうだ、くたびれたか?、
モウ降り度か?。

若様は快濶に、有のまヽを、

アノ、中々思つたよりか、ゆすぶれるんです、
そうして、ちつとはくたびれるけど、まだ降り度くはないの、
僕、早くおぼへ度んですもの、
僕、息の切れるのが直ると、あの帽子を拾ひに行つて来升よ。

たとひ世に如才ないといふ如才ない人が、フォントルロイの挙動に抜目なく眼をつけて居られた老侯の気に入る様にと、フォントルロイに入智慧をした処が、迚もこふ甘く成効する策を授ることは出来なかつたでせう。
小馬が、再び早足に並木の方へ曲つて行升た時、猛しい老侯のお顔は、薄すら、赤なり、フツソリした眉の下の両眼は、世を味気なく観じた御前が復も心に覚やうとも思さなかつた愈快の為に、さえ\゛/として居升た。
扨、今か\/と待々れた蹄の音が、再び聞て、両人の顔が現れ升た時には、馬は前よりか余程足を早めて居升た。
フォントルロイは帽子を脱で居て、ウィルキンスが之を手に持て居升た。
其双の頬は、前よりも紅に、其頭髪は耳の辺に飛散て居升たが、馬を勢よく走らせて来升た。
手綱を扣へて、馬を下やうといふ時、フオントルロイはまだ、息を切つて、

ソラー僕とう\/駆させて来たでせう、
僕、アノ五丁目の児の様に、甘くはないけど、駆させたことはかけさせて、そうして、僕、おつこちやしなかつたもの。

(以上、『女学雑誌』第二八一号)


小公子    若松しつ子
   第 九 回(乙)
此後、フォントルロイは、ウィルキンスと極く仲が好くなり升て、大道や青葉の繁る小道を二人して、乗廻るのを、田舎の人が見ない日は一日もない位でした。
田舎屋の子供たちは、凛然若殿が、立派な小馬に、居住ひ正しく乗て入つしやる処を見よふとして、外面へかけ出せば、其若殿が、帽子を脱で振りながら、「イヤー、お早うー」と一々挨拶をなさる処は、殿様らしくはなくとも、優いお心は充分現はれて居升た。
時としては、馬を止て、子供たちと話を成い升たが、或日、ウィルキンスが、お城へ帰つての話に、フォントルロイ殿が、跛で、疲れて居た児を自分の馬に乗せて、家へ帰らせるとて、止めるのを聞かずに或る村内の学校の辺で、馬を下りたそうでした。
ウィルキンス、が厩で、其話しをしてこふいひ升た、

マア、なんちつたつて聞ねへのよ、
「ジヤア、わたくしが下りませう」つていつたら、「大きな馬じや、あの児が乗心が悪るいだろう」だとさ、
それから仕方がねへもんだから、其児が乗ちまうとナ、若どの、両方の手をポツケツトへ入れて、帽子を後ろの方へ滑らかして、平気でロ笛を吹たり、其児に話しかけたりして、傍を歩て行くじやないか、
それから、とふ\/其児の家まで来たア、
スルト、お袋が何がおつぱじまつたかと思つて、出て来る、
処で、どうだろう、若どの、帽子を脱いでナ、「おばさん、おばさんの子が足が痛いつて云つたから、連れて帰つて来升たよ、あの棒斗りじや、歩き悪いだろうから、僕のお祖父さまに頼んで、寄り掛りの付いた両杖を拵へさせて上よう」だとよ、
其調子ダモノ、其お袋だつて肝を消つちまわうじやないか、
尤もだあナ、ダガ、おらア、モウちつとで、吹出しつちまう処よ。

侯爵は此話しを聞かれて、ウィルキンスが気遣つたとは違つて、少しも怒られず、却つて、大笑に笑はれて、フォントルロイを態々呼んで、自分の口から一分始終を話させて置いて又お笑ひなさい升た、これから現に数日たつてから、ドリンコート城のお馬車が、此跛の児の住居のある小道に止り升た。
スルト、フォントルロイが中から飛び出して、丈夫で軽そうな新しい両杖を、鉄砲を担ぐ様に肩へ掛けて、戸の処まで行き、お袋に渡しながら。

お祖父さまが宜しくつて仰つて、そして、これをあの児に遣つて下さいつて、どふぞよくなれば好いつて、お祖父様も僕も思つてるんですよ、

馬車へ帰つてから、侯爵に向つて、

アノ、お祖父さん、そうおつしやらなかつたけど、お忘れなさつたんだと思つて、宜しくつてそういひ升たよ、
それで好いですか、エ?
好いでせう?

侯爵は又お笑ひなさつて、それは悪かつたとは仰られませんかつた。
実際、此祖孫の間は、一日増に親密になり行き、フォントルロイが御前の慈善と美徳とを信任することもいよ\/深くなり升た。
フォントルロイはお祖父様が最も気立の優しい、慈悲の深い老紳士だといふことは露ほども疑ひませんかつた。
中にも自分の望などは殆ど口へ出か、出ないに、モウ叶へられ升た、そうして上が上に与られた賜ものや備置れた、楽しみが余り夥しいので、時としては自分の所有品ながら、眼移りがする位でした。
凡よそ欲しひと思ふものは何でも調へられぬ物とてはなく、して見たいといふことにしてならぬことはない様でしたが、固より年の行かぬ子供を躾るに、こふいふ法方では決して好結果の有ろう筈が有ません。
たゞフオントルロイ丈は、不思議にも其の弊害を免かれ升た。
尤も、此子供の率直な性質も、左様な取扱ひでは、或は変じて、多少、我侭な風になつたかも知れませんが、コート、ロツヂに住へる、用心深く、優しい母、則はち、フオントルロイの最も仲の好い友が、始終側から注意しましたので、終に其害を蒙りませんかつた。
此の二人は逢ふ毎にいつも、山々の話しをいたし升て、母に暇を告て、別れる毎に、何かしら、心得になる様な分り易い、教訓の言葉を耳にとめて城へ帰らぬことは有りませんかつた。
一つ子供心に甚だ思ひ迷ふたことが有ました。
其不審を幾度か心の中に繰返し\/てゐた事は、誰も推量せぬ程でした。
母さへもそれほどまでに、思ひ沈む程になつてゐるのを知りませんかつたから、況して、老侯などハ久しい間、一向左様なことが有らうとも気付かれませんかつた。
然るに敏捷な此子供には、母と祖父が一度も対面したことのないのが、不思議に思はれてたまりませんかつた。
どうも顔を合せたことはない様子‥‥‥イヤ実際、一度の対面も無いに相違有ませんかつた。
ドリンコート城の馬車が、コート、ロツヂへ行升た時も、老侯は決して馬車をお下りなさつたことがなく、又時たま、老侯が礼拝堂へ御出席の時も、フオントルロイ一人丈残されて、母と戸口で、もの云ふか、さもなければ、家まで送ることをゆるされ升た。
そうかと思へば、毎日お城から、コート、ロツヂへお遣ひが立つて、室から珍らしい菓物や花などを送られ升た。
併し、遂に、セドリツクが理想の頂天へ祖父様を推し挙げたことは、始めての日曜にエロル夫人が、付添もなく歩いて家へ帰られた直あとで有つたことでした。
此日セドリツクが母を訪ひに行ふとした時、戸口へ来てゐたのは、いつもの二頭引の大馬車ではなく、美事な栗毛の馬の付た、奇麗な小馬車でした。
侯爵は唐突に、

それは、貴様からお袋へ行く進物だ、
田舎廻りは迚も歩いては出来まい、
馬車は是非無ければなるまい、
そして御者になつて居る奴が世話をすることにして置いた、
ヨシカ、貴様からお袋へ遣る進物なのだぞ。

フオントルロイは、中\/悦びを述べ尽すことも出来ませんかつた。
母の住居へ来るまでヂツトして居ることが六敷位でしたが、母は折しも、庭で薔薇の花を摘んで居升た。
見ると、突然、小馬車を下りて、母の側へとんで行き、

かあさん!、 ほんとですよ、嘘だと思つちや厭、
これはネかあさんのですよ、
僕からかあさんに上るんだつて、かあさんのだから、どこへでも、乗つて歩るけるんですよ!

フオントルロイハ、余りの嬉しさに、自分が何を云つてるか、夢中なほどでした。
母は自分を讎敵の様に思ふて居る人から来た物でも、受納めることを拒んで、子供の折角の大悦びを打消すに忍びず、拠なくも、薔薇花を手に持つたまヽ、其馬車へ乗り升てあちらこちらと引廻されるに任せ升た。
母と一処に乗つてゐるフオントルロイハ、お祖父様の慈善の事と優しい事などの話しをして母に聞せ升たが、其話といふは余りあどげないので、時には少し可笑なつて思はず、笑ふ様でした。
併し全体身方の少ない老人の賞可き処許り見ることが出来るのを嬉しく思つて、我子を抱いて、ズツト側へ引付け頬の辺へキツスを致し升た。
其翌日はフオントルロイ早速、ホツブス氏へ手紙を認め升た。
其書面は殊の外長文で、一旦草稿したのをお祖父様の処へ持て来て、添削を請ひ升た、

ダツテ、綴字があんまりいけなそうですもの、
お祖父さんが見て、間違つてる処、言つて下されば、僕モ一度書直し升う。

といひ升たが、書た文面は句頭もなく、のべつゞけで、綴字や用字などの過失は、ヒツギンス一件の手紙に類して居て、其趣意は、一寸こんな塩梅でした。

一筆啓上僕祖父さまのことお話し申し度候侯爵でもあんな侯爵はないと存じ候侯爵は圧制家だと申すも間ちがひに候祖父さまは少も圧制家でなく候おぢさまおつきあひなされば仲よくなると存候キツトそうだと存候お祖父さまの足にはしゆふうせうといふものありて大変いたいものに御ざ候併し大層辛棒づよい故僕毎日だん\/好になり候勿論だれで世の中の人に深切な侯爵ならば好きにならずに居られないと存候おぢさんあつて話しヽて御覧なされば好にと存候何でも僕聞こと知つて居る様で御座候併しまだべース、ボールは見たことないそふで御座候お祖父さまは僕に小馬も車も下され母さまには奇麗な馬車下され候僕は部屋三ツとおぢさんが驚くほどたくさんおもちやあり候お城も樹園もをぢさんが好そうだと存候お城は大変大きい故をぢさんなぞでもまい子になりそうで御座候ウィルキンスが申候ウィルキンスは僕の馬丁で御座候城の縁の下に牢があると申候樹園の中は何でも奇麗故をぢさん驚くだろうと存候大きな木や鹿や兎や野鶏なぞ沢山居り候お祖父さまは大層金もちで御座候併しをぢさんが侯爵といふものはどれでも高慢で威張つて居ると仰やつたけれどお祖父さまは少しもそうでなく候僕はお祖父さまと一処に歩くのが大好で御座候人々はみんなお祖父さまに叮嚀で親切で御座候みんな帽子をとつて礼をいたし候女の人はおぢぎをして時々祝して「神様のお恵を若様の為に祈り升」と申候僕今はモウ馬に乗ること上手になり候併し始め楽乗した時ゆすぶれ候貧究の人家賃を払ふこと出来ない時にお祖父さま逐出さずに置てやりなされ候そうしてメロンさんが病気の子供にぶどう酒や色\/の物持つて行つてやりなされ候僕はおぢさんに逢度と思候そうして母様もお城に一処に居られヽば好いと思候併大変こひしい時でなければいつも幸で御座候僕はお祖父さまが好で御座候だれでもそうで御座候をぢさん手紙を下され度存候
                  旧友
   ……月‥‥‥日     エロル、セドリツク拝
愛するホッツブス様
二白牢の中には誰も居らず候お祖父さまは牢の中へ人を入れて困しめたことないそうで御座候大層好い侯爵さまでをぢさんに似て居ると思候お祖父様は大変人望が御座候

侯爵は是を読み果てヽ、

貴様は大層お袋が恋しいか?

エー、僕、いつでも恋しいんです、

と答へて、フォントルロイは侯爵に近寄つて、顔を見ながら、お膝の上へ手を載せ升た。
そして、

お祖父さんは恋しくはないんですネ

といひ升と、老侯は少し面倒なといふ調子で、

おれは知らないのだ、

僕、そうなの、知てるんですよ、
ダカラ、僕、不思議でしようがないんですよ、
かあさん、僕に何にか聞だてするんじやないつていつたから‥‥‥ダカラ聞きやしないけれど、僕、時々考へずに居られないんですよ、
ネイ、ソレデ不思議で\/仕方がなくなるんです、
ダカラ、僕、恋しくつてしようがない時は、毎晩僕につて、かあさんが灯火を点て置て呉れる処を窓から見てるんです、
大変向ふの方だけれど、かあさんが暗くなると、直ぐ窓んとこへ置いといて呉れるから、木の間から遠くの方でピカ\/\/\/してるのが見えると、アノ灯火がこふいふんだナと思つてるんです。

御前は、

それが何んと云つてるんだ?

アノネ、「セデーヤ、お休みよ、神様が今夜も、一晩中守つて居て下さるよ」つて一処に居た時、仰しやつたとおんなじことです、
夜になれば、毎晩そういつて、朝になれば、「今日も一日中神さまがお守り下さるよ」つて仰しやつたから、僕はいつでも、始終大丈夫なんですよ、ネイ、ぬ

御前は冷淡に、

ウヽン、大丈夫に違ひなかろう、

と仰つて、彼の秀でた眉をズツト下へさげ、稍久しく、ヂツト、フォントルロイを見詰めて居られ升たから、子供心に何を考へて入つしやるのかと思ひ升た。
(以上、『女学雑誌』第二八二号)


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