フェミニズムと文学研究 |
フェミニズムとインターネット 研究スタンス ・書評・関連リンク集 2000.12.7 リンク追加 講義 1998.10.9更新 研究業績・研究活動 2002.8.23リンク追加 |
フェミニズムとインターネット
|
研究スタンス および 関連リンク集 フェミニズムに関心を持つきっかけとなった文献
現在関心のあるテーマ
|
本書『性差の科学』は、従来の女性論がほとんど人文・社会系側からのアプローチに終始していることにものたりなさを抱いていた坂東昌子氏らが、愛知大学での総合科目で「女性」というテーマをとりあげた際、「性差を生物学の基礎をふまえて論じる」、「性差を客観的データの分析を通じて論じる」という原則をたてて全体をコーディネートしていったその成果に発している。そして本書は単にその報告にとどまらず、第一部では功刀由紀子・長谷川真理子・坂東昌子の諸氏と赤松良子氏との、各専門分野の成果を織り交ぜながらの自由な談論風発のコミュニケーションに結実し、そしてもともとの総合科目の各講義はここで出されたさまざまな問題提起への補足資料・データとして用いることができるように第二部に採録されている。 私自身はフェミニズムに関心をもつ日本近代文学研究者として、また小学校四年時の乾電池の直列・並列の段階でつまづいて以来の「理科ぎらい」として本書に接したわけだが、自分にとっても意外なことに、本書でもっとも示唆的だったのは胎生期の脳の性分化をとりあげた功刀由紀子氏「脳の性差―男の脳と女の脳―」だった。 一般に脳の基本形はメス型でこれが男性ホルモンを浴びることでオス型化するとされる(これ自体たとえばキリスト教での、まず男が作られその劣位のものとして男の肋骨から女が作られた、とする男女創造神話に類するイデオロギーをくつがえすに足る知見だ)が、正確には脳のオス型への変換は、性巣から脳に到達したアンドロゲン(男性ホルモン)がそこで芳香族化酵素によりエストロゲン(女性ホルモン)に変換され、これが脳のエストロゲン受容体と結合することによって引き起こされるという。要するに脳のオス化(男性化)は女性ホルモンによって引き起こされるのである(P132〜133)。 このような知見は、男/女をめぐる私たちの〈常識〉を攪乱させるに十分だ。つまり科学的データはここで私たちに、男女の性におけるある種の連続性のイメージをなげかけるのである。そしてこのイメージは逆に実践の場のフェミニズムは、無意識のうちに素朴な男女二元論に陥っていはしないかという考えに私をつきあたらせてしまう。 坂東昌子氏による「性の分化はなぜ起こったか」も同様に、人間が雌雄二型による進化戦略を採った種であり、つまり雌雄一対で人間という種をなすのであって、そこには本来両性間の価値の序列など存在しないという大前提を私たちにすっきりと理解されてくれる(この場合の啓蒙的な筆致は「理科ぎらい」の人間にとっては非常にありがたい)。 くりかえせば全体に本書を貫くのは、対象から文化的・社会的な価値序列であるところのジェンダー的な部分を厳密に排除し、客観的・科学的な検証が可能な生物学的な性差のみに限定して認識してゆこうとする強烈な志向性である。客観的・科学的志向性はさきの功刀氏の論でも、ラットによる検証をヒトの脳の性分化のメカニズムにあてはめられるかについての注意深い留保によく示されており、同様に統計処理の方法についてもそのサンプリングにおける偏向の問題をめぐってかわされる議論は、科学研究における隠喩構造に着目することで性差の内分泌学影響やジェンダーの差異に関する進化論的説明におけるジェンダー的偏向性を指摘した科学のフェミニズム研究の成果とも共通する、本書の最良の部分といえよう。 その意味でいくつかの箇所で、データの示すもの以上の解釈に検証なしに踏み込んだ例が散見されるのは少々残念だった。たとえば討論の場での男性の「攻撃性」についての言及のしかた、またヒトの家族観にあって「父親」というコトバが家父長的な家族観イメージを出ていない点(たとえば「父親」という概念の希薄な母系制的家族のサンプルはほとんど考慮されない)など、特に前者は広がりを持ったテーマだけに、今一度のとらえなおしが必要と思われる。 最終的な問題は「科学的・客観的」立場が可能であるか、という点だろう。これについてはここでは結論的なことは述べないが、人文科学の分野ではフェミニズムの立場から性差の問題を論じたバダンテールの『XY』が、本書と同様の生物学的知見から出発しながら、男と女を対立的にとらえる西欧社会のすさまじいまでの二元論の契機を徹底して文化的な面から探っていることを紹介しておこう。生物学的性差をはるかにこえて増幅する男性観の形成過程をみごとにとらえてゆくバダンテール的な知見を一方に見、そしてまったく対極の志向性をもつこの『性差の科学』を一方にもつこと。この両者をともに射程に置きうる複眼的な視野を獲得しようと努力することで、私たちは自身が生物としての性差とジェンダーとしての性差を同時に生きる存在であることをたしかに把握することが可能なのではないだろうか。 *「日本の科学者」(日本科学者会議)vol.33 1998.3に所載 なおWeb上への転載にあたっては、読みやすさに配慮し各段落ごとに改行してあります * * * * * *
|
ランダム・リンク科学のカルチュラル・スタディーズ(広島大学科学史研究室 成定薫さんのホームページ)
母は強し(ATSUYO'S HOMEPAGE) 1998.3.6追加
Eugenics and Gender(明治学院大 加藤秀一さん) *年表 1999.2.5
日本 女性の動き年表−あの時からいままで、女性はどのように歩んできたのか......−(よしの祐子さん) 1999.4.16
キャンパス・セクハラ関連リンク集(暫定版) 2000.6.29 追加 |
講義−ジャンル別科目「フェミニズム文学論」(岐阜大学 1998年度前期)
参考リンク集 1997.5.27up
* * * * *
講義概要(受講者用) 1998.7.13 |
研究業績・研究活動
* * * * * *
|