ということになる。
前述したように、私は@の部分の「家族」の関係性を津島佑子の文学の基底 部分とみなしているため、まずこの部分の解析から始めることとしよう。
もしかしたら驚くべきことなのかもしれないが、作品内で子である<私>が< 母>から微笑みをもって受け入れられる場面は存在しない。<私>が<母>から 回想するのは<私>に向けられた「苦々しい、困惑しきった表情」であり、肯定 され包み込まれ受け入れられるという体験をもたなかったという<私>の思いは 作品中の回想にすべて共通している。<母>と<姉>は「小学校での成績や、 行儀や言葉遣いでいつも自分を叱りつけていた」存在であり、<私>はその二人の気持ちを理解できないまま 「恨みがましい眼つき」でそれを見つめ、その時の 自分を「その後、三十年経った今でも裏切ったことはない」ということがアイデ ンティティーとなった存在である。つまり、自分という存在が<母>によってけ っして受け入れられなかったことの悔しさや恨み、屈辱感や悲哀感は融解せぬま まにひりつくような痛みとなって現在時まで生き続けるような生のあり方が、こ こにはあるのだ。
近代母性神話の支配領域内にいるもの−子であることによっ て母親に母性を無条件に要求する子どもという存在はもちろんこの中にいる−に とって、おそらく母親に自分が受け入れられることがかぎりない快感だとすれば 、う らはらに母親からの拒絶は鋭い悲しみと痛みを生む。本来子を愛すべき母親 によって愛されない自分、という存在は、子にとってはありえない存在だ。「愛 されない」理由を、継母−あるいは悪い母親−といった外部的なものに求めるこ とは、たいていの場合子にはできず、その割り切れない感情は受け入れられない 理由を自分のなかに求め、屈折する。いわばルナールの「にんじん」の感情が、 ここでの<私>をとらえている。
それに対し「精薄児」の<兄>は<私>を無 媒介でかぎりなく受け入れる存在としてある。
<私>にとって<兄>は「どん なに汚なくったって、なんにもできなくったって」「わたしがおばあちゃんに怒 られて泣いていたりすると、あれほど人のことを心配できるものかと、わたしの 方がびっくりするほど、本当に心配してくれて、慰めてくれようとしてくれた」 のであり、逃げ出しようのないピアノの練習を嫌って子どもの<私>が「ピアノ なんか大嫌いだ、めちゃくちゃにこわれちゃえばいいんだっ」といったとたん「 ものすごい勢いでピアノを引き倒そうと」してくれた人であった。想像妊娠を知 った高子が回想する<母><姉><兄>との風景はたとえばこのような遠景であ る。
<兄>と一緒にあることで、<私>の痛みはやわらぎ、それは風景を にじませる淡い哀感へと溶解している。子どもの<私>にとって、<兄>との世 界の貴重さは、その世界そのもののもつ抱擁力の暖かさによるのと同時に、<母 >ともうひとり、基本的に<母>の複製である<姉>による拒絶の痛みによって 裏打ちされていたとみるべきだろう。
これに対し <姉>は、基本的に<母>の領域に立って<私>を非難する存在であり、<母> の価値観を受け継ぎ、そして<私>の得られなかった<母>の愛を受ける者であ り、しかも<母>が「精薄児」の<兄>の養育に手をかけ彼を溺愛していたのに 対し、彼を「恥」として排除するいわば欠損を許容しない世間の感性を選択する 存在として、<兄>の世界に同化した<私>からは二重に隔てられている。その ような感性の帰結として<姉>は弁護士を夫に持ち、<私>からみれば経済的に 恵まれた「なにごとも起こらない、平和できれいな自分達の世界」という名の洗 練されたスノビズムの中に自らを閉じ込めて暮らしている。だとすれば、高子の 妊娠をはじめとする実生活上の反抗は、唯一みずからを受け入れた<兄>という オプセッションの追跡なのだ。
このような図式をひとつの基準モデルとして設定した上で、しばらくさまざま の作品に<母>をはじめとする家族のイメージの変遷をたどってみよう。
興味 深いことに『童子の影』(昭47.3)に収められた「揺籃」「狐を孕む」には< 私>を拒絶する<母>のイメージは空位になっており、<兄>(ここでは弟に変 換されている)と<私>の交情が前面に押し出されている。語り手はたぶんダウ ン症児として設定されているノボルの奇声・うなり声・歩き方・よだれでただれ た唇・鼻汁のにおいといった部分や、その性的な関心の萌芽も見逃さない。
多分、津島佑子のこれらの初期作品がこうした<兄>のイメージとその<私>にお ける価値を全的にとらえきっていながら、あるいはそれゆえに一種の観念的なゴ シック趣味として扱われたのは、<母>の部分の欠落により、ノボルとのきわめ て身体的な親和感に満ちた交情の必然性がうけいれられにくかったのではないだろう か(これは読者の側の偏見に多く由来する側面が強いわけだが)。逆に<私 ><母><兄>の図式が確立した段階以降、<兄>は「狐を孕む」でもっていた きわめて感覚的な生々しいイメージを捨象し、一種聖化された存在として淡彩で 描かれるようになっている。
<母>の像が明確に作品の中心として押し出され るのは「葎の母」(昭49.8)からだろう。 ここには過去のはなしとして、死 んだ<父>とその3年後に死んだ<兄>、仮借ない厳しさで<私>を拒否しつつ 、しかも強烈な意志で<私>をその管理下におこうとし続けた<母>と<私>と の構図が語られる。
<母>は、「痛む箇所にはより強い痛みを与える。いたわ りは痛みが広がるのを許すばかりだ」というかたくなな信条と、傷ついた眼から 血を流し<マテエ、マテエ>と呼びかけながら旅人をどこまでも追いかける山姥 の姿によってイメージされている。<私>はその家−<母>−から逃走して、同 棲した雪夫とのあいだに今、子供を産もうとしている。だが和解のために生家を 訪れた<私>は、自分が、草ぼうぼう−葎−の中の家にじっと座り込んで娘をみ ずからのもとに招き寄せ取り込んでゆこうとする<母>の呪縛に再び搦みとられているのを感じる。
ここには、<母>に対する強い嫌悪と反発という意識的な部分と、それとはう らはらにその<母>に引き寄せられてゆこうとする無意識の願 望−「にんじん」の願望−という両義的なものが象徴されているといえるだろう 。
葎に象徴される、夫と息子の死以前の時間に閉じこもった<母>と、そこか ら逃走しようとする<私>の関係性は、「林間学校」(昭51.4、『氷原』所収 )に拡大したかたちで現れる。
ここでは<兄>の死によって同年輩の子どもと 街を遊び歩く喜びを知った子どもの<私>の安らぎと<母>の意識とのギャップ がつけ加えられ、十五年後<母>のもとに戻った<私>は、彼女にうながされる ままに<兄>を取り戻すために「林間学校」に迎えに行く(この段階で物語はつ なぎめなしに現実から夢魔の領域に入っている)。目的地の林の中で<私>は二 犬の野犬に遭遇し、この二匹を息子と夫の名で呼びかけ四つん這いになって鼻を鳴らす<母>をしりめに
と、<母>の閉じ込も った世界から逃走しようとする<私>の意識を最後に、物語は途切れるのだ。
「草叢」(昭51.10、『歓びの島』所収)になると、<私>を受け入れぬ<母> のイメージと無意識にその<母>を求める<私>との関係性が、より先鋭に現わ れる。
ここでもまた<母>の庭は、生い茂る雑草−葎−によって象徴され、私生児を 妊娠して戻ってきた娘は<母>と<姉>と並んで炎天下にその草を刈っている。 二人に遅れた娘の耳に<姉>と<母>の声を落とした会話が聞こえてくる。
延々と続く会話は娘を非難し続け、 読者の方もほとんど頭がくらくらしてくるような眼まいを覚える。娘は涙を拭い ながら、幼かった日の思い出の中の機嫌のよい<母>を思い浮かべ、美しく常に 成績も一番だった<姉>に好かれたいといつも願っていたことを思い出す。<母 >が娘の子宮を鎌で取り出し舌打ちをしてそれを戻す場面で読者はこれがやはり 夢魔ともいうべき世界であることに気づくが、このデフォルメされた世界の中に あるのは、ひりつくような<私>の痛みである。
この後にくる「寵児」以後、 なじられ続け認められることのなかった<私>というモチーフは確立し、さまざ まの作品の中に出現することになるが、一例を挙げれば長編作品の『燃える風』 (昭55.1)は子どもを主人公とすることでこの「にんじん」の思いを、いわば 客観小説の枠組みの中で形象しようと企図された作品として位置づけることがで きよう。
また多くの作品での夢の中で<私>を非難する何者とも知れぬ声が何 重ものエコーとなって反響するが、
といった声調は、「草叢」での会話が増幅し匿名性を帯びて 蔓延していくような、恐怖感とみじめさを<私>に与える。『光の領分』にあっ ては同質の難詰が、現実の世界の声(娘が物を投げ落としていた階下の老夫婦) として描かれるが、エスカレートしていくその声調は<私>にとっても読者にと ってもデジャ・ヴュにほかならず、頭を下げて詫び続けていた<私>は、ついに 老夫婦に対し激情を爆発させる。
「寵児」の部分で述べたが、「にんじん」の 思いは生涯それを持ち続けることが<私>のアイデンティティーになっていると ともに、<母>や<姉>が象徴している、<兄>の世界を排除するような部分− 良識やスノビズム−に対し<私>が意志的に背を向けて行くための原動力となっ ている。
そして、この<母>や<姉>への背馳は時としてすさまじい憤怒として突出す る。津島佑子の作品は、どのようにかけ離れてみえるシチュエーションもその底 にはこのような関係性を秘めているとみることができよう。
このような確立さ れた図式は「水府」(昭57.8)で完璧に表現されるものの、この作品について は図式性があまりにもフォーカスが合いすぎていて、ヴァリエーション操作によ る独特の朦朧性は薄いといえる(7) 。
子どもであった<私>の頬を張り飛 ばし、物差しで肩や尻を撲る<母>のイメージと、やさしい祖母となって過去の 甘い追憶にふける<母>に激しい感情の昂りを爆発させる現在の<私>のエネル ギーはちょうど拮抗しているのだ。
このような基本図式自体は、「真昼へ」( 昭63.1)に至っても継続するものの、次第に<私>の<母>に対する認識には 、新たな要素がつけ加わってくる。
すでに「林間学校」には、<父>と<兄> の喪失が<母>に与えたダメージが暗示されていたが、「あの家」(昭56.6) では、<母>自体が子として属した家族の明るく満ちたり たイメージ−前述のB のグループに属する<母>の家系のモチーフ−が<母>の主宰する家庭の欠損的 なイメージと対置され、<母>への相対化の萌芽がみとめられるのだ。
「厨子王」(昭59.3、『逢魔物語』所収)では、<母>の<私>に対する怒りに<私 >の中に死んだ夫−<父>−の欠点を見ていた<母>の眼を導入し、また「悲しみについて」(昭62.11、『夢の記録』所収)では、長いことこだわっていた< 姉>の結婚までに至る<母>の「過剰な思いやり(8)が、実は<兄>の死に起 因していたことに思い至る<私>が描かれる。
<姉>への偏愛とみえたものも <私>へのいらだちもすべて、「親の義務、親の責任、と心中吠えるようにしな がら」忙しさの中に自らを追い込むことで、子ども−<兄>−の死の悲しみに直 面することから逃れようとする<母>の自己防衛的な硬化だった(9) 、とす る<私>の認識は自身が<息子>を失ったことによってはじめて得られたもので ある。
しかしこの認識は、後述するように<私>の裡の「にんじん」の思いを 完全に昇華し融解しつくすとまではいえない。だが<母>を相対化し得た−ある いは少なくともその契機をつかんだ−ことによって、確かに<母>の新たなイメ ージが作品中に出現しているのを、私たちは見ることができる。
死んだ<私>の子どもを甦生させ、二人を伴って旅立つ威厳に満ち た<母>の像は夢の一部として書かれるが、夢という領域だからこそ存在し得た現実ともいえるかもしれない。
だが作品の中で、それは必ずかつての「にんじ ん」の日の、突き刺されるような強烈な情動をも伴わずには語られないのだ。た とえば同じ「真昼へ」では、幼い日、子のない伯母から「あんたならうちにくれ てもいいって、この人(<母>)が言ってるからねえ」と笑いながら言われたと いう、いわば<母>によって棄てられたショック、「日頃、母からのろまだ、 なまけものだ、誇りもなければ向上心もない気持ちの低い人間だ、と叱りつけられ ることが多く」 という<母>像がふたたび描き出される。
だが、このような< 母>への<私>の両義的な感情のはざまで、気の弱りのあまり<母>の「死」と いう避けられない未来が、固定観念となって<私>を恐怖させることもまた、語 られるのだ。
結局のところ、<母>からの逃走に始まった<私>のなかの「に んじん」の思い−<母>の愛を求める続ける傷ついた心と、<母>を強く憎む心 と、なんとかして母への愛憎から解放されたいと願う心の混合物−は、作品外の 時間が浸透してくる過程でその基本形の強さを一貫して保ちながらも、微妙に< 母>の相対化への方向をひきよせつつある、とみることができるのではないだろ うか。現実の時間が浸透した結果としての<母>のモチーフの微妙な変容は、「 にんじん」のモチーフに共鳴する読者にある深い情動を呼び起こす。
ある評者はこの部分を「偏狭なモラリストの目からは幼児虐待ともとられかねないし、ふしだらとも無責任とも呼ばれかねない。ここには十二分に自堕落な母がいて、女がいる」(10) と評した。この評自体は、こういったマイ ナスイメージを「文学的」な価値評価に逆転させていく常套的なものだが(11)が、はたして『光の領分』の世界は、現実のモラルに背を向けたまま、抽象化 された「文学」という異界に囲い込まれたものでしかないのだろうか。
むしろ ここにあるのは、「母性愛」という現在まで自明とされてきた近代的なモラルへ の無意識の叛逆であり、それ自体きわめて倫理性を含みもった意識なのだ。ここ では、これまでの節で追跡してきた<私>をめぐる<家族>の論理をバックにす えながら、この問題を考えてみよう。
ところで、私たちのもっている母性愛のイメージとしては、母親による子への 無媒介の愛、または具体的な愛撫や微笑みといったものがまずあがってくる。
これはより正確には母と子の間の閉鎖的排他的な関係性というべきだろう。子で あることによって無条件で母親から愛され受け入れられることとは、いいかえれ ばたくさんの任意の子どもたちの中から母の産んだ子どもである自分だけが選ば れて母の微笑みを独占することであり、このような独占的な排他性は<美しい母 >のイメージを得たときにきわめて官能的な快感を含みうることは、泉鏡花や谷 崎潤一郎の例を引くまでもなく明らかだ。これをひとつの極北として、子の側か らも親の側からも惑溺的な愛が、母性愛のひとつの定型としてある。
もう一方 には、子どもの健康と衛生を第一義とする責任ある母親像がある。ここでは「子 のためにはどのような労苦もいとわぬのが母の本能であり喜びである」という、 ほとんど一般常識と化した命題が腰を据えている。
このふたつのタイプのうち ここで問題にしたいのは、第一のタイプと見分けがたく癒着しながらも、多分常識的に母性愛の基層的な部分とみなされている第二のタイプである。いうまでも なくここには、近代母性神話の影がちらついている。
先述した命題がみごとに覆い隠しているのは、育児−少なくとも3歳児までの−が母親の時間(自由)を 拘束する、単純だがきわめて手のかかる骨折り仕事であるという点だろう。バダ ンテールは十七世紀のフランスの例をあげ、近代母性神話が成立する以前のパリ の母親たちが特に貧しい層を中心にほとんどすべての階層で乳幼児を里子に出し ていたことを述べている(12) 。
中流層以下にあっては、家業の主たる担 い手たる主婦がこどもの世話に一日中拘束されることは商売の左前・一家の飢死 にを意味していたため、彼らは安い賃金で子どもを預かる乳母のもとに乳児を里 子に出した。農村部の乳母は、より安い賃金で子どもを預かる女に自分の子ども を預け、自分の乳を都市部の女たちからあずかった赤ん坊に与えた。その方が金 になるからである。当然、劣悪な条件での子どもたちの死亡率は高かったが、人 々は子どもを自分の手で育てるという「手間のかかる贅沢」よりは子を里子に出 す方を選んだのである。一方、子を育てるだけの余裕のあったはずの上層階級の 母親たちは、単に手間のかかる拘束仕事を嫌って自由時間を確保するために子を 里子に出した。 母性神話は、みずからの手で子どもを育てることを甘美な喜び ・一家の主婦の権利・絶対的な献身の美しさ・家庭の幸福の保証として称揚する 一方で、そこから外れようとする女性たちを「本能」から外れる者への神の懲罰 −病気(肺結核・子宮ガン・心臓マヒ)、そして不道徳という罪名−によって威 嚇することにより、子どもたちの死亡率の増加を食い止め、子どもたちが主役の 時代を招来する。
おおざっぱな要約だが要点は、近代母性神話を取り去って見 れば、特に核家族家庭−これは自分以外の「手」がまったくないことを意味する −の主婦にとって、特に慣れない第一子の子育て−子どもの健康と衛生を死守す る任務−は神経を使う非常な重荷であり、それが母親の稼ぎだけに依存する単親 家庭であった場合、その労苦は多分言語に絶するだろうという単純な事実である 。
これこそが『光の領分』の世界の前提なのだ。
ひとつには、極限までの疲 労のなかで母性愛神話が快適に機能しうる閾値をこえてしまったことから、そし てもうひとつには、かつての<母>が、まさに近代母性神話が要求する以上の「 義務としての母性」を硬化したスノビズムによって果たしながら、<兄>のよう には<私>を受け入れようとはしなかったことへの無意識の反抗として、結果的 に<私>は母性神話の枠から逸脱してしまっているのだ。
<私>が自己のアイ デンティティーをかけて守り抜こうとする母性とは、多分<母>と<兄>との関 係から獲得した、どんなことがあってもけっして子どもを自分の手もとから離す まいという固定観念−当然これは中絶の拒否も含みうる−だけである。
新たな 、そして多分倫理的な問題は、子である<娘>がこれをどう受け止めるかという 点である。結論からいえば、自己の健康と衛生が脅かされた子どもと、疲労が母 性愛の機能する閾値をこえてしまった母親との間には、それぞれの利害をかけた 闘争が起こるしかない。
「射的」(昭50.10、『歓びの島』所収)もまたこの テーマをとりあげている。「起きろ、ばばあ、蹴飛ばすぞ」「お母ちゃん、はら 、へったよ、寒くって、こんなところ、いやだよお」という泣きわめく二人の男 の子のセリフの強烈さは、母親との闘争を意味するにほかならず、近代母性神話 から逸脱していった母親は二人を連れてあてどなく季節外れの海岸をさまようし かないのだ。
母親を海に向かわせた動機は、自己の救済であるとともに子への 執着−愛−の証明だったはずだが、シーズンオフのリゾート地にはこの三人を癒 す「青い海」など存在しない。このような状態は、評者が母性神話から離脱しさ えすれば、「自堕落な母親」の「幼児虐待」という悪があるのではなく、ただ時 間がたって状態が好転する−子どもが成長し手がかからなくなる−こと以外にさ しあたって解決の目当てのないという意味でのきわめて不幸な状態であるという ことが理解できるだろう。「射的」での青年は、母親の深い疲労感をほんの少し 肩代りしてくれる男の手の象徴にほかならないのだ。
<娘>は以上のような意 味で<私>にとっての他者であり、「寵児」の夏野子のように、<私>の「愛」 をよそに<私>の拒否する<姉>の世界へと吸い寄せられていく可能性をもった 存在としてある。
ここでふたたび『光の領分』にもどろう。いうまでもないが 、ここで私が用いた理論そのものは、『光の領分』が声高に主張するイデオロギ ーではなく、あくまでも作品理解のための補助線にすぎない。
『光の領分』は、このような、不幸な状態と呼ぶしかないような地点に立ち、現代の母性神話の矛盾の吹きだまりともいうべき保育所に多くのスペースをさきなが ら、その状態を理論化するのではなく(13)むしろ保育所の「父母の連帯」 からすらこぼれ落ちていくような母と子たちへと焦点を合わせていくのだ。
「木の日曜日」では、保育園の保護者会で見かけた女が公園のベンチで子どもをお いたまま寝入っているのを見かけ、「幼い子どもを伴いながら、林の中の木のベ ンチで本当に寝入ってしまうことのできる女ののどかさに、私は無性に心を惹か れ」る。彼女は、<私>と同じく子どもと二人きりの家庭らしかった。言葉もか けずに別れた彼女が、その後、子どもの火遊びからアパートの部屋で火事を出し てしまい、子どもとともにいつのまにか姿を消していったことを<私>は知る。 その秋、<私>は別居している夫との離婚を決意する。
また、都営アパートの 十階から転落死した、知恵遅れの男の子の噂を<私>は耳にする。ここにみられ る「落下してゆく子ども」のイメージは、深い眩惑感をともなった津島佑子に特 有のモチーフだが、日頃の言動から<娘>の落下をそこに重ねあわせて慄然とす る<私>は、読者に、単なる文学的な趣向にはとどまらない実体的な不安感をか きたてずにはおかない。破滅していった母子のイメージは、<私>にとってはド ッペルゲンガーの恐怖なのだ。
このような地点にいる<私>にとって、突然現 れては母性神話の側から<私>を難詰する<夫>の像は、通常のリアリティーを 結ぶはずはない。<私>のいる地平では、<私>にとってもっとも切実なものし か像を結ばないのだ。蓮實重彦の評した「なめらかに適温を維持し」「そこにた ちこめている前言語的な地熱の高揚や低下にいささかも汚染することがない」(14)津島佑子の文体は、<私>の立っているこのような地平によっているとい うべきだろう。
津島佑子の作品において、<息子>は、やや異なったニュアン スを帯びている。
それは「ハッピーボーイ」(「真昼へ」)であり、ほとんど <兄>の再来ともいうべき肉体的親和感にあふれ、二歳前なのに下痢の苦痛を黙 って耐え「わたしやお姉ちゃんと眼が合うと、そんな状態でもにっこり笑ってい た」(同)子のイメージで現われる。
現実的にみればこれは、第二子であるた めの母親の側の余裕・成長した第一子の「手」の存在・そしてその子どもに固有 の体質と気質などによるわけだが、まさに文字どおり時が解決することで不幸な状態から脱出し得た<私>と子どもたちは、一種の安らぎに満ちた母子共生の世 界に到達したといえよう。もちろん、母親としての<私>にとって、疲労感は軽 減されたとはいえ消え去ったわけではなく、それが時として暖かい男の「手」− これははるかに<兄>に通底する−のイメージを呼び起こす。『黙市』『逢魔物 語』の世界とはこのような地点だといえよう。
<私>と<娘>と<息子>の三 人は元日の遊園地で終日遊び回る(「春夜」昭62.8、『真昼へ』所収)。ここ で<私>は子どもの時の時間を、それがあるべきだったかたちでもう一度生き直 している。時がたって不幸から脱却したあとの<私>にとっては、子どもたちと の日々の些事が、みずからの子ども時代のあるべき再生である。『夜の光に追わ れて』(昭61.10)以降の世界は、現実の中で吹き消された命が<私>にとって どのような意味をもっていたかをたどり直す、文学的営為にほかならない。