「岐阜大学教育学部研究報告」43-1(1994.8)所収

    
<母>へのアンビヴァレンス−津島佑子論−

根 岸 泰 子




  1  はじめに  


 津島佑子的なるもの、とは何だろうか。 
 八〇年代の後半に三人の批評者は、期せずしてそれを、「欝屈というかかたくなな感受性が、どこか縮こまるよ う な立場なんだけれども、そういったものを 自分のアイデンティティーとして絶対棄てないというところ」 (坂上弘)(1)、「その闇は、子どもの死が明りを消したために底無しに深くなったとみて取れ ますが、もともとこの作者が抱えていて、それがあるからこそこの作者を信ずる ことができる、と思わせる性質のもの」(青野聡)(2) 、「語り手の『私』 が抱え込んでいるある異様な生の理由のかたち」(竹田青嗣)(3) 、というほぼ同質のイメージでとらえている。
 これらに共通するのは、「闇」−これは必然的に生きにくさをともなう−を 、自らに固有のものとしてけっして放棄しようとはしない津島佑子への、読者の 側からのある痛ましさの感情を帯びた信頼感だろう。ここには、あたかも中心か ら疎外された周縁部にあって自らの心をのぞき込みながら独白する魔女を遠巻き に眺めるような違和のニュアンスをかすかに漂わせながらも、津島佑子−現実に 生きている津島里子という人間ではなくテキストの総体としての津島佑子−的な るもののありようを深く感受するという思いがある。このようにみたときに津島 佑子の文学は、いわゆる女流文学を囲いこんでいる(男性)読者の違和感をもす りぬけてゆくようなある情動性をもっているといえるだろう。
 ところで、これまで津島佑子的モチーフ群として研究者たちによって指摘さ れてきた「出産」もしくは「孕む」こと「産む」こと、「白痴」の兄(または弟 )の存在、世界との違和感・欠損感覚あるいは世界への敵意、土俗性というモチ ーフは、津島佑子的なるもののもつこのような深い情動性を十二分に説明するに 足るものだったのだろうか。
 むしろ個々の作品から抽象されたテーマ性の強いこれらのモチーフは、たと えば初期作品のそれが評者によって「ややもすれば異形の者や死や血、近親相姦 や同性愛といった」「素人っぽいゴシック趣味と観念的な実験性(4) 」とい ったくくられかたをされることからもうかがわれるように、作品を「女流」的ま たは「女性」的な領域、あるいは津島佑子の実生活体験の投影したあまりにも特 殊な見地と見なすこと、つまり(男性)読者と作品の関係性を共感ではなく違和感の方向へと追いやっていく結果に終わっていたのではないだろうか。
 結論か ら言ってしまうと私は、津島佑子的なるものの本質は、<私>が子として属した 「家族」の固有の関係性のなかで生じた<私>のトラウマともいうべき強い情動 にその基盤を置いていると考えている(5) 。より具体的には、作品内での< 母><兄><姉><私>、そして空位の<父>とのおのおのの関連性の中で<私 >のトラウマが浮かび上がってくるというのが私の描く図式である。言い換えれ ば彼女の作品の中で従来指摘されてきたどの観念も、多分彼女固有の「家族」の 枠組みに置いたときにもっともその理解が容易であり、「家族」の関係図式から 切り離されたときには、その観念のすくなくとも理論的な部分の理解は困難とな り、むしろその異形性が強調される結果に終わりかねないのだ。
  まず、作品世界から<私>の家族の関係性の図式を抽出すること。そしてそ の関係性の中で<私>のかずかずの情念をとらえ、そこに内在する理論を明確に すること。この作業によって津島佑子的なるものの、より普遍的な意味あいとそ のリアリズムの特性を分析することがこの稿の目的である。

  まず最初に断わっておくべきだろうが、ここで抽出しようとする「家族」の 関係性は、固定したかたちで作品内に見いだされるわけではない。ここでいう津 島文学のモチーフとは、津島佑子のすべての作品の中にあるいは単独、あるいは 複数の組合せで、複数回認められ、作品のなかでコンビネーションの変化と強弱 の変化、あるいはたとえば<兄>−弟、<姉>−妹(6) といった関係性の部 分的な転換を行いながらくりかえしたち現れることで、読者の裡に津島佑子の固 有のモチーフ群として印象づけられるものを指している。
 このモチーフ群は微妙に変容しながら、短編・長編・連作といった形式の違 いを問わずにあくことなく出現することで、読者はやがて既視感にも似た目まい を覚えることになる。しかもこのモチーフ群は後述するように現在の時間と何重 かの過去の時間の上におのおのが所属しているため、それらのモチーフの変幻す る出現によって作品内の時間はときにせき止められたり、逆流したり、突然現在 の中に過去が噴出してきたりする。
  このよう な構造自体、津島佑子の文学主題がビルドゥングス・ロマンとは対極にあることを暗示している といえるだろう。成長小説にあっては過去は現在の礎石であり、現在の時間を足元で支える不動の存在である。それに対して、津島佑子の作品の中では、過去は現在との間の境界をしばしば不鮮明なものとするほ どなまなましい現実感と情動性をもって現在の時間に侵入する。これは具体的に は頻繁に描かれる<私>の夢や回想、そして突然の激情として現われるが、このよう な過去と現在、夢と現実の境が溶解したようなとらえどころのなさそのものが津島佑子のリアリズム技法の本質的部分であり、これが、津島作品が作家の現実の時間を取り込んでいながら、徹底していわゆる私小説的イメージが希薄であ る理由といえる。
 このようなたち現われかたをするモチーフ群を「家族」のそれを中心として 時間的な順序に沿ってグループ分けしてみると、



ということになる。
 前述したように、私は@の部分の「家族」の関係性を津島佑子の文学の基底 部分とみなしているため、まずこの部分の解析から始めることとしよう。

 

2  <母>のモチーフ

    

 <私>の原家族のなかで、最近の作品に至るまで一貫してその情動性の強さ を保ちながら出現するモチーフは、<母>のモチーフである。この<母>を中核 とする<姉><兄><私><(空位の)父>の関係性の図式が、もっとも整った かたちで出現するのは「寵児」(昭53.6)である。


口紅などつけていない唇を引き結んでいたのは、高子自身の母親だった。姉の 承子と違い高子は、夫を失い、気丈に子どもたちを守り、実際の年齢より十歳以 上も老けこんでいた母親しか知らない。気をゆるめる時がない母親を、高子は子 どもの頃、恐れ、憎んでいた。

 子どもの頃から、姉や母と同じような言い争いを続けてきたような気がする 。母が高子のためによかれと思ってしたことが、高子には不快でならず、高子が 母を喜ばせようとすると、母を怒らせることにしかならなかった。つむじ曲がり の頑固者。未だに高子の役どころは変わっていない。しかし、どうしてそういう ことになるのか、今でもよく分からない。自分としては、いつでも平凡な、家庭的な光景を求め、そのようなところにしか安定した喜びもない、と信じているつ もりなのに、いざ、それを口に出して言ってみると、相手から苦々しい、困惑し きった表情しか返ってこない。これも、兄に溺れこんでいた一時期があったため なのだろうか。精薄児である兄から、生と死の意味を教わったからなのだろうか 。


 もしかしたら驚くべきことなのかもしれないが、作品内で子である<私>が< 母>から微笑みをもって受け入れられる場面は存在しない。<私>が<母>から 回想するのは<私>に向けられた「苦々しい、困惑しきった表情」であり、肯定 され包み込まれ受け入れられるという体験をもたなかったという<私>の思いは 作品中の回想にすべて共通している。<母>と<姉>は「小学校での成績や、 行儀や言葉遣いでいつも自分を叱りつけていた」存在であり、<私>はその二人の気持ちを理解できないまま 「恨みがましい眼つき」でそれを見つめ、その時の 自分を「その後、三十年経った今でも裏切ったことはない」ということがアイデ ンティティーとなった存在である。つまり、自分という存在が<母>によってけ っして受け入れられなかったことの悔しさや恨み、屈辱感や悲哀感は融解せぬま まにひりつくような痛みとなって現在時まで生き続けるような生のあり方が、こ こにはあるのだ。
 近代母性神話の支配領域内にいるもの−子であることによっ て母親に母性を無条件に要求する子どもという存在はもちろんこの中にいる−に とって、おそらく母親に自分が受け入れられることがかぎりない快感だとすれば 、う らはらに母親からの拒絶は鋭い悲しみと痛みを生む。本来子を愛すべき母親 によって愛されない自分、という存在は、子にとってはありえない存在だ。「愛 されない」理由を、継母−あるいは悪い母親−といった外部的なものに求めるこ とは、たいていの場合子にはできず、その割り切れない感情は受け入れられない 理由を自分のなかに求め、屈折する。いわばルナールの「にんじん」の感情が、 ここでの<私>をとらえている。
 それに対し「精薄児」の<兄>は<私>を無 媒介でかぎりなく受け入れる存在としてある。
 <私>にとって<兄>は「どん なに汚なくったって、なんにもできなくったって」「わたしがおばあちゃんに怒 られて泣いていたりすると、あれほど人のことを心配できるものかと、わたしの 方がびっくりするほど、本当に心配してくれて、慰めてくれようとしてくれた」 のであり、逃げ出しようのないピアノの練習を嫌って子どもの<私>が「ピアノ なんか大嫌いだ、めちゃくちゃにこわれちゃえばいいんだっ」といったとたん「 ものすごい勢いでピアノを引き倒そうと」してくれた人であった。想像妊娠を知 った高子が回想する<母><姉><兄>との風景はたとえばこのような遠景であ る。



 <兄>と一緒にあることで、<私>の痛みはやわらぎ、それは風景を にじませる淡い哀感へと溶解している。子どもの<私>にとって、<兄>との世 界の貴重さは、その世界そのもののもつ抱擁力の暖かさによるのと同時に、<母 >ともうひとり、基本的に<母>の複製である<姉>による拒絶の痛みによって 裏打ちされていたとみるべきだろう。



 これに対し <姉>は、基本的に<母>の領域に立って<私>を非難する存在であり、<母> の価値観を受け継ぎ、そして<私>の得られなかった<母>の愛を受ける者であ り、しかも<母>が「精薄児」の<兄>の養育に手をかけ彼を溺愛していたのに 対し、彼を「恥」として排除するいわば欠損を許容しない世間の感性を選択する 存在として、<兄>の世界に同化した<私>からは二重に隔てられている。その ような感性の帰結として<姉>は弁護士を夫に持ち、<私>からみれば経済的に 恵まれた「なにごとも起こらない、平和できれいな自分達の世界」という名の洗 練されたスノビズムの中に自らを閉じ込めて暮らしている。だとすれば、高子の 妊娠をはじめとする実生活上の反抗は、唯一みずからを受け入れた<兄>という オプセッションの追跡なのだ。
 このような図式をひとつの基準モデルとして設定した上で、しばらくさまざま の作品に<母>をはじめとする家族のイメージの変遷をたどってみよう。
 興味 深いことに『童子の影』(昭47.3)に収められた「揺籃」「狐を孕む」には< 私>を拒絶する<母>のイメージは空位になっており、<兄>(ここでは弟に変 換されている)と<私>の交情が前面に押し出されている。語り手はたぶんダウ ン症児として設定されているノボルの奇声・うなり声・歩き方・よだれでただれ た唇・鼻汁のにおいといった部分や、その性的な関心の萌芽も見逃さない。
 多分、津島佑子のこれらの初期作品がこうした<兄>のイメージとその<私>にお ける価値を全的にとらえきっていながら、あるいはそれゆえに一種の観念的なゴ シック趣味として扱われたのは、<母>の部分の欠落により、ノボルとのきわめ て身体的な親和感に満ちた交情の必然性がうけいれられにくかったのではないだろう か(これは読者の側の偏見に多く由来する側面が強いわけだが)。逆に<私 ><母><兄>の図式が確立した段階以降、<兄>は「狐を孕む」でもっていた きわめて感覚的な生々しいイメージを捨象し、一種聖化された存在として淡彩で 描かれるようになっている。
 <母>の像が明確に作品の中心として押し出され るのは「葎の母」(昭49.8)からだろう。 ここには過去のはなしとして、死 んだ<父>とその3年後に死んだ<兄>、仮借ない厳しさで<私>を拒否しつつ 、しかも強烈な意志で<私>をその管理下におこうとし続けた<母>と<私>と の構図が語られる。
 <母>は、「痛む箇所にはより強い痛みを与える。いたわ りは痛みが広がるのを許すばかりだ」というかたくなな信条と、傷ついた眼から 血を流し<マテエ、マテエ>と呼びかけながら旅人をどこまでも追いかける山姥 の姿によってイメージされている。<私>はその家−<母>−から逃走して、同 棲した雪夫とのあいだに今、子供を産もうとしている。だが和解のために生家を 訪れた<私>は、自分が、草ぼうぼう−葎−の中の家にじっと座り込んで娘をみ ずからのもとに招き寄せ取り込んでゆこうとする<母>の呪縛に再び搦みとられているのを感じる。 
 ここには、<母>に対する強い嫌悪と反発という意識的な部分と、それとはう らはらにその<母>に引き寄せられてゆこうとする無意識の願 望−「にんじん」の願望−という両義的なものが象徴されているといえるだろう 。
  葎に象徴される、夫と息子の死以前の時間に閉じこもった<母>と、そこか ら逃走しようとする<私>の関係性は、「林間学校」(昭51.4、『氷原』所収 )に拡大したかたちで現れる。
  ここでは<兄>の死によって同年輩の子どもと 街を遊び歩く喜びを知った子どもの<私>の安らぎと<母>の意識とのギャップ がつけ加えられ、十五年後<母>のもとに戻った<私>は、彼女にうながされる ままに<兄>を取り戻すために「林間学校」に迎えに行く(この段階で物語はつ なぎめなしに現実から夢魔の領域に入っている)。目的地の林の中で<私>は二 犬の野犬に遭遇し、この二匹を息子と夫の名で呼びかけ四つん這いになって鼻を鳴らす<母>をしりめに



と、<母>の閉じ込も った世界から逃走しようとする<私>の意識を最後に、物語は途切れるのだ。
  「草叢」(昭51.10、『歓びの島』所収)になると、<私>を受け入れぬ<母> のイメージと無意識にその<母>を求める<私>との関係性が、より先鋭に現わ れる。
  ここでもまた<母>の庭は、生い茂る雑草−葎−によって象徴され、私生児を 妊娠して戻ってきた娘は<母>と<姉>と並んで炎天下にその草を刈っている。 二人に遅れた娘の耳に<姉>と<母>の声を落とした会話が聞こえてくる。



 延々と続く会話は娘を非難し続け、 読者の方もほとんど頭がくらくらしてくるような眼まいを覚える。娘は涙を拭い ながら、幼かった日の思い出の中の機嫌のよい<母>を思い浮かべ、美しく常に 成績も一番だった<姉>に好かれたいといつも願っていたことを思い出す。<母 >が娘の子宮を鎌で取り出し舌打ちをしてそれを戻す場面で読者はこれがやはり 夢魔ともいうべき世界であることに気づくが、このデフォルメされた世界の中に あるのは、ひりつくような<私>の痛みである。
 この後にくる「寵児」以後、 なじられ続け認められることのなかった<私>というモチーフは確立し、さまざ まの作品の中に出現することになるが、一例を挙げれば長編作品の『燃える風』 (昭55.1)は子どもを主人公とすることでこの「にんじん」の思いを、いわば 客観小説の枠組みの中で形象しようと企図された作品として位置づけることがで きよう。
 また多くの作品での夢の中で<私>を非難する何者とも知れぬ声が何 重ものエコーとなって反響するが、



といった声調は、「草叢」での会話が増幅し匿名性を帯びて 蔓延していくような、恐怖感とみじめさを<私>に与える。『光の領分』にあっ ては同質の難詰が、現実の世界の声(娘が物を投げ落としていた階下の老夫婦) として描かれるが、エスカレートしていくその声調は<私>にとっても読者にと ってもデジャ・ヴュにほかならず、頭を下げて詫び続けていた<私>は、ついに 老夫婦に対し激情を爆発させる。
 「寵児」の部分で述べたが、「にんじん」の 思いは生涯それを持ち続けることが<私>のアイデンティティーになっていると ともに、<母>や<姉>が象徴している、<兄>の世界を排除するような部分− 良識やスノビズム−に対し<私>が意志的に背を向けて行くための原動力となっ ている。
 そして、この<母>や<姉>への背馳は時としてすさまじい憤怒として突出す る。津島佑子の作品は、どのようにかけ離れてみえるシチュエーションもその底 にはこのような関係性を秘めているとみることができよう。
  このような確立さ れた図式は「水府」(昭57.8)で完璧に表現されるものの、この作品について は図式性があまりにもフォーカスが合いすぎていて、ヴァリエーション操作によ る独特の朦朧性は薄いといえる(7)
 子どもであった<私>の頬を張り飛 ばし、物差しで肩や尻を撲る<母>のイメージと、やさしい祖母となって過去の 甘い追憶にふける<母>に激しい感情の昂りを爆発させる現在の<私>のエネル ギーはちょうど拮抗しているのだ。
 このような基本図式自体は、「真昼へ」( 昭63.1)に至っても継続するものの、次第に<私>の<母>に対する認識には 、新たな要素がつけ加わってくる。
 すでに「林間学校」には、<父>と<兄> の喪失が<母>に与えたダメージが暗示されていたが、「あの家」(昭56.6) では、<母>自体が子として属した家族の明るく満ちたり たイメージ−前述のB のグループに属する<母>の家系のモチーフ−が<母>の主宰する家庭の欠損的 なイメージと対置され、<母>への相対化の萌芽がみとめられるのだ。
 「厨子王」(昭59.3、『逢魔物語』所収)では、<母>の<私>に対する怒りに<私 >の中に死んだ夫−<父>−の欠点を見ていた<母>の眼を導入し、また「悲しみについて」(昭62.11、『夢の記録』所収)では、長いことこだわっていた< 姉>の結婚までに至る<母>の「過剰な思いやり(8)が、実は<兄>の死に起 因していたことに思い至る<私>が描かれる。
 <姉>への偏愛とみえたものも <私>へのいらだちもすべて、「親の義務、親の責任、と心中吠えるようにしな がら」忙しさの中に自らを追い込むことで、子ども−<兄>−の死の悲しみに直 面することから逃れようとする<母>の自己防衛的な硬化だった(9) 、とす る<私>の認識は自身が<息子>を失ったことによってはじめて得られたもので ある。
 しかしこの認識は、後述するように<私>の裡の「にんじん」の思いを 完全に昇華し融解しつくすとまではいえない。だが<母>を相対化し得た−ある いは少なくともその契機をつかんだ−ことによって、確かに<母>の新たなイメ ージが作品中に出現しているのを、私たちは見ることができる。



 死んだ<私>の子どもを甦生させ、二人を伴って旅立つ威厳に満ち た<母>の像は夢の一部として書かれるが、夢という領域だからこそ存在し得た現実ともいえるかもしれない。
 だが作品の中で、それは必ずかつての「にんじ ん」の日の、突き刺されるような強烈な情動をも伴わずには語られないのだ。た とえば同じ「真昼へ」では、幼い日、子のない伯母から「あんたならうちにくれ てもいいって、この人(<母>)が言ってるからねえ」と笑いながら言われたと いう、いわば<母>によって棄てられたショック、「日頃、母からのろまだ、 なまけものだ、誇りもなければ向上心もない気持ちの低い人間だ、と叱りつけられ ることが多く」 という<母>像がふたたび描き出される。
 だが、このような< 母>への<私>の両義的な感情のはざまで、気の弱りのあまり<母>の「死」と いう避けられない未来が、固定観念となって<私>を恐怖させることもまた、語 られるのだ。
 結局のところ、<母>からの逃走に始まった<私>のなかの「に んじん」の思い−<母>の愛を求める続ける傷ついた心と、<母>を強く憎む心 と、なんとかして母への愛憎から解放されたいと願う心の混合物−は、作品外の 時間が浸透してくる過程でその基本形の強さを一貫して保ちながらも、微妙に< 母>の相対化への方向をひきよせつつある、とみることができるのではないだろ うか。現実の時間が浸透した結果としての<母>のモチーフの微妙な変容は、「 にんじん」のモチーフに共鳴する読者にある深い情動を呼び起こす。



3  <母>としての<私>



 子であった<私>が母親としての位置に立たさ れるのが、<私>が新たに作りだした「家族」−多く不在のまたは空位の<夫> <(他に家庭をもつ)男><娘><息子>−という場においてだった。この章で は、連作集『光の領分』(昭54.10)を中心に、母親としての<私>のイメージ が、どのように理論づけられるのかを概観してみたい。



  ある評者はこの部分を「偏狭なモラリストの目からは幼児虐待ともとられかねないし、ふしだらとも無責任とも呼ばれかねない。ここには十二分に自堕落な母がいて、女がいる」(10) と評した。この評自体は、こういったマイ ナスイメージを「文学的」な価値評価に逆転させていく常套的なものだが(11)が、はたして『光の領分』の世界は、現実のモラルに背を向けたまま、抽象化 された「文学」という異界に囲い込まれたものでしかないのだろうか。
 むしろ ここにあるのは、「母性愛」という現在まで自明とされてきた近代的なモラルへ の無意識の叛逆であり、それ自体きわめて倫理性を含みもった意識なのだ。ここ では、これまでの節で追跡してきた<私>をめぐる<家族>の論理をバックにす えながら、この問題を考えてみよう。
  ところで、私たちのもっている母性愛のイメージとしては、母親による子への 無媒介の愛、または具体的な愛撫や微笑みといったものがまずあがってくる。
  これはより正確には母と子の間の閉鎖的排他的な関係性というべきだろう。子で あることによって無条件で母親から愛され受け入れられることとは、いいかえれ ばたくさんの任意の子どもたちの中から母の産んだ子どもである自分だけが選ば れて母の微笑みを独占することであり、このような独占的な排他性は<美しい母 >のイメージを得たときにきわめて官能的な快感を含みうることは、泉鏡花や谷 崎潤一郎の例を引くまでもなく明らかだ。これをひとつの極北として、子の側か らも親の側からも惑溺的な愛が、母性愛のひとつの定型としてある。
 もう一方 には、子どもの健康と衛生を第一義とする責任ある母親像がある。ここでは「子 のためにはどのような労苦もいとわぬのが母の本能であり喜びである」という、 ほとんど一般常識と化した命題が腰を据えている。
 このふたつのタイプのうち ここで問題にしたいのは、第一のタイプと見分けがたく癒着しながらも、多分常識的に母性愛の基層的な部分とみなされている第二のタイプである。いうまでも なくここには、近代母性神話の影がちらついている。
 先述した命題がみごとに覆い隠しているのは、育児−少なくとも3歳児までの−が母親の時間(自由)を 拘束する、単純だがきわめて手のかかる骨折り仕事であるという点だろう。バダ ンテールは十七世紀のフランスの例をあげ、近代母性神話が成立する以前のパリ の母親たちが特に貧しい層を中心にほとんどすべての階層で乳幼児を里子に出し ていたことを述べている(12)
 中流層以下にあっては、家業の主たる担 い手たる主婦がこどもの世話に一日中拘束されることは商売の左前・一家の飢死 にを意味していたため、彼らは安い賃金で子どもを預かる乳母のもとに乳児を里 子に出した。農村部の乳母は、より安い賃金で子どもを預かる女に自分の子ども を預け、自分の乳を都市部の女たちからあずかった赤ん坊に与えた。その方が金 になるからである。当然、劣悪な条件での子どもたちの死亡率は高かったが、人 々は子どもを自分の手で育てるという「手間のかかる贅沢」よりは子を里子に出 す方を選んだのである。一方、子を育てるだけの余裕のあったはずの上層階級の 母親たちは、単に手間のかかる拘束仕事を嫌って自由時間を確保するために子を 里子に出した。   母性神話は、みずからの手で子どもを育てることを甘美な喜び ・一家の主婦の権利・絶対的な献身の美しさ・家庭の幸福の保証として称揚する 一方で、そこから外れようとする女性たちを「本能」から外れる者への神の懲罰 −病気(肺結核・子宮ガン・心臓マヒ)、そして不道徳という罪名−によって威 嚇することにより、子どもたちの死亡率の増加を食い止め、子どもたちが主役の 時代を招来する。
  おおざっぱな要約だが要点は、近代母性神話を取り去って見 れば、特に核家族家庭−これは自分以外の「手」がまったくないことを意味する −の主婦にとって、特に慣れない第一子の子育て−子どもの健康と衛生を死守す る任務−は神経を使う非常な重荷であり、それが母親の稼ぎだけに依存する単親 家庭であった場合、その労苦は多分言語に絶するだろうという単純な事実である 。
 これこそが『光の領分』の世界の前提なのだ。
 ひとつには、極限までの疲 労のなかで母性愛神話が快適に機能しうる閾値をこえてしまったことから、そし てもうひとつには、かつての<母>が、まさに近代母性神話が要求する以上の「 義務としての母性」を硬化したスノビズムによって果たしながら、<兄>のよう には<私>を受け入れようとはしなかったことへの無意識の反抗として、結果的 に<私>は母性神話の枠から逸脱してしまっているのだ。
 <私>が自己のアイ デンティティーをかけて守り抜こうとする母性とは、多分<母>と<兄>との関 係から獲得した、どんなことがあってもけっして子どもを自分の手もとから離す まいという固定観念−当然これは中絶の拒否も含みうる−だけである。
 新たな 、そして多分倫理的な問題は、子である<娘>がこれをどう受け止めるかという 点である。結論からいえば、自己の健康と衛生が脅かされた子どもと、疲労が母 性愛の機能する閾値をこえてしまった母親との間には、それぞれの利害をかけた 闘争が起こるしかない。
 「射的」(昭50.10、『歓びの島』所収)もまたこの テーマをとりあげている。「起きろ、ばばあ、蹴飛ばすぞ」「お母ちゃん、はら 、へったよ、寒くって、こんなところ、いやだよお」という泣きわめく二人の男 の子のセリフの強烈さは、母親との闘争を意味するにほかならず、近代母性神話 から逸脱していった母親は二人を連れてあてどなく季節外れの海岸をさまようし かないのだ。
 母親を海に向かわせた動機は、自己の救済であるとともに子への 執着−愛−の証明だったはずだが、シーズンオフのリゾート地にはこの三人を癒 す「青い海」など存在しない。このような状態は、評者が母性神話から離脱しさ えすれば、「自堕落な母親」の「幼児虐待」という悪があるのではなく、ただ時 間がたって状態が好転する−子どもが成長し手がかからなくなる−こと以外にさ しあたって解決の目当てのないという意味でのきわめて不幸な状態であるという ことが理解できるだろう。「射的」での青年は、母親の深い疲労感をほんの少し 肩代りしてくれる男の手の象徴にほかならないのだ。
  <娘>は以上のような意 味で<私>にとっての他者であり、「寵児」の夏野子のように、<私>の「愛」 をよそに<私>の拒否する<姉>の世界へと吸い寄せられていく可能性をもった 存在としてある。
  ここでふたたび『光の領分』にもどろう。いうまでもないが 、ここで私が用いた理論そのものは、『光の領分』が声高に主張するイデオロギ ーではなく、あくまでも作品理解のための補助線にすぎない。
  『光の領分』は、このような、不幸な状態と呼ぶしかないような地点に立ち、現代の母性神話の矛盾の吹きだまりともいうべき保育所に多くのスペースをさきなが ら、その状態を理論化するのではなく(13)むしろ保育所の「父母の連帯」 からすらこぼれ落ちていくような母と子たちへと焦点を合わせていくのだ。
  「木の日曜日」では、保育園の保護者会で見かけた女が公園のベンチで子どもをお いたまま寝入っているのを見かけ、「幼い子どもを伴いながら、林の中の木のベ ンチで本当に寝入ってしまうことのできる女ののどかさに、私は無性に心を惹か れ」る。彼女は、<私>と同じく子どもと二人きりの家庭らしかった。言葉もか けずに別れた彼女が、その後、子どもの火遊びからアパートの部屋で火事を出し てしまい、子どもとともにいつのまにか姿を消していったことを<私>は知る。 その秋、<私>は別居している夫との離婚を決意する。
  また、都営アパートの 十階から転落死した、知恵遅れの男の子の噂を<私>は耳にする。ここにみられ る「落下してゆく子ども」のイメージは、深い眩惑感をともなった津島佑子に特 有のモチーフだが、日頃の言動から<娘>の落下をそこに重ねあわせて慄然とす る<私>は、読者に、単なる文学的な趣向にはとどまらない実体的な不安感をか きたてずにはおかない。破滅していった母子のイメージは、<私>にとってはド ッペルゲンガーの恐怖なのだ。
  このような地点にいる<私>にとって、突然現 れては母性神話の側から<私>を難詰する<夫>の像は、通常のリアリティーを 結ぶはずはない。<私>のいる地平では、<私>にとってもっとも切実なものし か像を結ばないのだ。蓮實重彦の評した「なめらかに適温を維持し」「そこにた ちこめている前言語的な地熱の高揚や低下にいささかも汚染することがない」(14)津島佑子の文体は、<私>の立っているこのような地平によっているとい うべきだろう。


  津島佑子の作品において、<息子>は、やや異なったニュアン スを帯びている。
 それは「ハッピーボーイ」(「真昼へ」)であり、ほとんど <兄>の再来ともいうべき肉体的親和感にあふれ、二歳前なのに下痢の苦痛を黙 って耐え「わたしやお姉ちゃんと眼が合うと、そんな状態でもにっこり笑ってい た」(同)子のイメージで現われる。
 現実的にみればこれは、第二子であるた めの母親の側の余裕・成長した第一子の「手」の存在・そしてその子どもに固有 の体質と気質などによるわけだが、まさに文字どおり時が解決することで不幸な状態から脱出し得た<私>と子どもたちは、一種の安らぎに満ちた母子共生の世 界に到達したといえよう。もちろん、母親としての<私>にとって、疲労感は軽 減されたとはいえ消え去ったわけではなく、それが時として暖かい男の「手」− これははるかに<兄>に通底する−のイメージを呼び起こす。『黙市』『逢魔物 語』の世界とはこのような地点だといえよう。
 <私>と<娘>と<息子>の三 人は元日の遊園地で終日遊び回る(「春夜」昭62.8、『真昼へ』所収)。ここ で<私>は子どもの時の時間を、それがあるべきだったかたちでもう一度生き直 している。時がたって不幸から脱却したあとの<私>にとっては、子どもたちと の日々の些事が、みずからの子ども時代のあるべき再生である。『夜の光に追わ れて』(昭61.10)以降の世界は、現実の中で吹き消された命が<私>にとって どのような意味をもっていたかをたどり直す、文学的営為にほかならない。

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 この稿では、従来の論とは多分異質な角度から津 島佑子の文学の特質を照らし出す試みをおこなった。角度は偏っているかもしれ ないが、それは津島佑子の文学のなかに、特殊性よりは普遍性を見いだすそうと する意図に基づいている。ただし、理論に偏し表現手法についてわずかしかふれ えなかったことで、津島佑子の世界の主要要素である、朦朧とした闇を抽出する 点で及ばなかった。今後の課題としたい。








(1) 「<書評> 意識と救い −津島佑子『真昼へ』」」(「群像」昭63.7)

(2) 「<本> 千年の往還 −津島佑子『夜の光に追われて』」(「新潮」昭62.2)

(3) 「<書評>  光あふれる部屋へ−津島佑子『夢の記録』」(「群像」平元、3)

(4) 高橋勇 夫「サボタージュの思想−津島佑子の世界」(「群像」平2.3)

(5) 千石英 世の「家族の夢−津島佑子の短編の世界」(「群像」昭59.9)は、比較的早 い段階で、従来、散発的あるいは羅列的に論じられることの多かった津島佑子の 各モチーフを、「家族」という「関係の錯綜体」のなかに組み込んで、各モチー フ相互の有機的な関係性を示唆した点で画期的といえる。だがここでは<母>お よび<兄>のモチーフは重要視されておらず、また論自体も津島作品における関 係性そのものを可能なかぎり抽象化された血縁幻想・家族幻想へと一般化、還元 して論ずる方向へと移行してゆき、かならずしも津島佑子における「家族」のモ チーフがなぜ固有の強い情動性をともなっているのか、という疑問には答えてい ない。

(6) <姉>から<妹>への転換は『火の河のほとりで』(昭58.10 )以外にはほとんどみられない。このことは逆に津島佑子における<兄>の特質 を語っているといえる。

(7) その点で「黙市」(昭57.8)はシチュエーシ ョンはほぼ同一ながら、象徴的な表現の多用により、より朦朧とした一種神秘的 な印象を生み出している。

(8) 「母の、今思えば過剰な姉への思いやりは、そ れからもやむことなく、ピンクの車を買い、英文タイプもスキー道具もそろい、 服も新調し続け、遂には見合いまでさせて、婚約者をもてなすためにフル・コー スの洋食器を揃え、着物や装身具も買い整えて、結婚を大学卒業の翌日に実現さ せてしまった。それでいて、姉と母は始終、ちょうど私と娘がそうしていたよう に口争いをし、姉や婚約者の悪口を母は私にまで言い散らしていた。」

(9) すでに早い段階から、<姉>のうちには<母>へのかすかな怯え、家からの逃走願 望などが設定されているが、それはこのことを<姉>もまた感じとっていたこと を示している。『火の河のほとりで』は、そこを起点とした<姉>(に変換され た百合)の物語として読むことができる。

(10) 注4に同じ。

(11) 津島佑子の文学は、倫理や常識を放棄した「ゆるやかな留保の空間」として評価される 。だがこのような論の構成は、初期の<兄>をめぐる作品群を「ゴシック趣味」 と評する感性と通底しており、津島佑子の作品における情動性−モラル−を、結局は違和的なものとしかみなしていないという評者のスタンスをよくあらわして いる。

(12) E・バダンテール『母性という神話』(筑摩書房)

(13) 『小 説の中の風景』(昭57.6 中央公論社)に所収された同時期のエッセーは、 より直接的にこの問題にふれている。

(14) 「<書評> 津島佑子『光の領分 』『氷原』」(「海」昭54.11)




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