ウェブ上での研究公開におけるルールとマナーについて  last update  2001.8.17


経緯

このページでは、私が経験したできごとを題材に、ウェブ上での研究公開におけるさまざまの問題点について考えていきたいと思います。なお当該のページはすでにウェブ上からはおろされていますが、この件についてわたしが情報教育関連で言及することについては、関係者の了解済みです。

2000年1月26日、いくつかの太宰治関係の掲示板に、「女生徒のリハビリ室」というページの宣伝が書き込まれました。

近代文学の研究ページという自己紹介に興味をもってそこにとんでみた私は、トップページを一読、これまでみてきた研究ページとはかなり異質なその作り方と意図に驚きました。

さらに次ページへと読み進んでそこに自分自身の論文が言及されているのを見たとき、他人事という傍観者気分が消し飛び、その扱われ方に対し強い衝撃を覚えました(各方面からさぞ笑われることと思いますが、この時点まで、こういうことにあまり慣れていなかったものですから)。

「ぶー」と名のるその人物のページの概要を、以下にまとめておきます(「女生徒」というのは太宰治の短編名です。)


私は上記の問題に加え、近現代文学研究の専門領域の立場からも(またそれ以前の問題についても)、このページの記載内容の客観性に種々の疑問をもち、このページの制作者に対して疑問点を問いただすメールを送りました。以下メールでのやりとりに沿って、順次問題点を列記していきます。

*当該ページが民間プロバイダーのサーバー上にあったこともあり、この段階では、わたしはウェブページの責任の所在は本人にあると考えました。したがってこのページにリンクされていたゼミ担当教員に連絡をとる必要はないと判断し、直接本人とやりとりをしています。


問い合わせ(2000.1.26)の概要

ページの主催者に対して問い合わせたのは次の点です。

   こちらからの問い合わせのメール  Wed, 26 Jan 2000  本文


*2000年1月27日に、「女生徒のリハビリ室」の主宰者が書き込んだ宣伝に答えるかたちで、ある研究者による「ちょっと、辛口の入り肩(ママ)、これからが楽しみ」といった好意的な書き込みが行われました。「女生徒のリハビリ室」は、その後この研究者のページにリンクされています。


「女生徒のリハビリ室」オーナーよりの返信(2000.1.28) 概要

先方からは2日後に返信が来ました。「素早い反応をありがとうございます」ということばに始まるこのメールの概要は、以下のとおりです。

   相手方よりの返信メール 本文 Fri, 28 Jan 2000


*2000年1月28日の段階で「女生徒のリハビリ室」のインデックスページに一部変更がなされました。これについては後便で、もとのかたちへもリンクを貼るよう先方に依頼しました。


こちらからの返信(2000.1.28) およびその概要

こちらからの返信は4通に分けて同時に送りました。概要は以下の通りです。


   こちらからの返信1   Fri, 28 Jan 2000   本文


   こちらからの返信2   Fri, 28 Jan 2000   本文


   こちらからの返信3   Fri, 28 Jan 2000   本文


   こちらからの返信4   Fri, 28 Jan 2000   本文


ここまでの時点(2000.1.30)での私の感想とその概要

1月30日まで待って「女生徒のリハビリ室」主宰者からの返信がなかったため、これ以上この「女生徒のリハビリ室」をそのままのかたちで放置するよりはこちら側の立場の表明を行っておいた方がよいと判断し、「ウェブ上での研究公開におけるルールとマナーについて」というページを作りました。その時点での私の感想は次の通りです。


   現時点での感想および今後について 本文


*その後2000年2月1日に、「女生徒のリハビリ室」でのゼミ担当教員へのリンクがとつぜんはずされました。また14:00の段階ではもとページが閉鎖され、 「パワーアップして帰ってきます」 という休止のお知らせが出ていることを確認しました。


「女生徒のリハビリ室」オーナーよりの返信(2000.2.2) 概要


*            *            *

これらの内容に加え、自分は「国文学会のヒト」ではないため現在執筆中の論文は学科の雑誌に載るという確証はないこと、また「ウェブ上での研究公開におけるルールとマナーについて」をみて驚き、根岸が「女生徒のリハビリ室」を見たときもそんな気がしたのだろうかと想像して「苦笑」したことなどが書かれていました。

正直なところ、このような回答には驚きました。作品論に関するきわめて短絡的な発言に対しては、いろいろな意味で、複雑な気持ちにさせられました。

   相手方よりの返信メール 本文


以降の経過 1


このメールを受け取った私は、ウェブ上でのリスク管理に対するこの主宰者の認識の甘さ(上記に赤マーカーで指示した部分)からみてこれ以上のメールのやりとりは時間のムダと判断しました。

正直に言えば、わたしにとって終始一貫、このサイトの中でもっともショックだったのは、あたかもこのサイトを支持するような位置づけで、ゼミ教員として、同じ近現代文学研究の領域の研究者の名前が挙げられていた(リンクされていた)ことでした。加えて主宰者のメールを信じるかぎり、ゼミ教員の方はすくなくとも、ご自分が公開に反対したページが、現在そのままウェブ上に上がっていることを知っていることになります。したがって、いろいろな意味でここからはウェブ上のアノニマスの単純な罵倒系ページとも異質のものを感じ、意図を計りかねるという意味で(意気地のない話ですが)マジでびびりました。

これらの印象を自分なりにきちんと確かめたかったこともあり、また上記のようにいつまでこの主宰者と話していても論点がかみ合わずいらついたこともあって、わたしは主宰者に至急ゼミ担当教員の方に連絡をとるよう要望しました。

2月5日付でゼミ担当教員の方からメールをいただき、以来数回のメール交換を重ねて、この「女生徒のリハビリ室」がある程度問題のあるサイトであるという点でわたしとゼミ担当教員の方との間で認識が一致しました。

2月14日付で、「女生徒のリハビリ室」主宰者より、ウェブページ上に今回の経緯についての主宰者からの経過説明をのせたことの報告と、礼を欠いた発言があったことを謝罪する旨のメールをうけとりました。
主宰者による一連の経過説明は、そのウェブページ先頭の<メール論争>にありました(これは2月27日時点でウェブ上から下げられています)。要旨を簡単に上げておきます。


経過説明に対する私の側の感想は次のとおりです。


ゼミ教員の方とのメールやこの主宰者にも書きましたが、もしこの「女生徒のリハビリ室」が、論証の不整合を罵倒的な文体で粉塗したり戦略的な歪みをもったりせずに、もっとストレートでシンプルな形式で書かれていたならば、これはそれなりにウェブ上での研究批評の試みとしておもしろいものになったかもしれません。

ともあれ、自分を目立たせたいという意識にとって戦略性というものがいかに誘惑的であるか、ということは私にも想像がつきます。今回の事例はその意味で不幸なものでした。また最終的な落としどころを責任回避ともとれる「シュミのお遊びサイト」にもってくるという解決の仕方については、私はあまり好意はもてません。

いずれにしても今回の件は、ウェブ上の研究公開について、また学会という共同体とそれを越えた広い空間としてのウェブとの同心円的な関係性のあり方について、また教員におけるパターナリズムの問題についても興味深いモチーフを内包していると思います。この一連の不毛な論争を今後はそちらの角度から考え直してみることで、私なりの結論を出していくつもりです。

以上この件の発端以降、要所要所で的確なコメントをくださいました方々に感謝いたしますとともに、順次ご報告をできればと思っています。

以降の経過 2


以前から小・中・高等学校での情報教育への興味という(職場で担当する「情報教育1」などとのひっかかりとの)観点から参加させていただいていたFINE-広島での、第20回の研究会(2000年6月17日)でこの件について報告をし、いくつかのご意見をいただきました。

   ネット上での研究発表におけるルールとマナー−パターナリズムとリンク許諾との側面から−
      (FINE-Hiroshima HOME PAGE)

ここでの議論は、さまざまな意味で私自身の盲点をつかれた部分もあり、なかなか興味深いものでした。これを含めての総括は、日を改めて行いたいと思います。

2000.1.30 up


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