ウェブ上での研究公開におけるルールとマナーについて last update 2001.8.17
- 2001.8.17 本文中のリンクや叙述の一部を補うなどの調整をしました。(2001.6.4− 以後もときどき。)
- 2001.1.19 本文の一部を微調整しました。
- 2000.11.22 FINE-広島研究会での報告をリンクするとともに、冒頭部分を少し手直しし、「以降の経過2」を追加しました。
- 2000.6.12 長すぎる!と各方面から非難ゴウゴウだった本文の一部を 資料編 に移し、現時点までの経緯を追加しました。
- 2000.2.15 中間報告 を更新しました。
- 2000.2.14 中間報告 を更新しました。
- 2000.2.10 中間報告 を追加しました。
このページでは、私が経験したできごとを題材に、ウェブ上での研究公開におけるさまざまの問題点について考えていきたいと思います。なお当該のページはすでにウェブ上からはおろされていますが、この件についてわたしが情報教育関連で言及することについては、関係者の了解済みです。
2000年1月26日、いくつかの太宰治関係の掲示板に、「女生徒のリハビリ室」というページの宣伝が書き込まれました。
近代文学の研究ページという自己紹介に興味をもってそこにとんでみた私は、トップページを一読、これまでみてきた研究ページとはかなり異質なその作り方と意図に驚きました。
さらに次ページへと読み進んでそこに自分自身の論文が言及されているのを見たとき、他人事という傍観者気分が消し飛び、その扱われ方に対し強い衝撃を覚えました(各方面からさぞ笑われることと思いますが、この時点まで、こういうことにあまり慣れていなかったものですから)。
「ぶー」と名のるその人物のページの概要を、以下にまとめておきます(「女生徒」というのは太宰治の短編名です。)
- 冒頭で、このサイトは「売れっ子教授」の人気ゼミでの自分の発表をもとに作成、またその先生から「今後のためにひとつの論文にまとめることを同時に薦められた」と述べている。
(注)あとであげる「extra「女生徒」関連資料」というページには、「1999年度国文学基礎演習」というじっさいのゼミ名称が添えられており、これらの固有名詞には、読者がコンテンツを読み進めるうえでのフレーム効果が期待されているようにみえます。
- 同時にそこから、その教員のオフィシャルなウェブページにリンクを貼っている。
- トップページからは、自分の所属大学名・実名・年齢等を明記したプロフィールにリンクを貼っている。
(注)したがって、「匿名作者による卑劣なゴミページは無視」(=いわゆる便所の落書き論)というあとで触れるような対処法は、この段階で失効します。
- ページ全体を学部学生による太宰治研究発信のページと宣言したうえで、全体が、いわゆる「タメ口」によって論旨が展開されている。
- 序論では、先行研究を「死屍累々」と評し、執筆した「国文学者」たちを、
「バッカじゃないの?」
「ちょっと外に目を向ければわかるようなことを知らないで平然としている」
「それはきっと『国文学者だから』の一言であっさり免責なのでしょう」
と(ぼこぼこに)総括している。
- 序論末尾では、とつぜん根岸泰子の雑誌「国文学」の論にスポットライトを当てて「格好の餌食」と揶揄、以下のページでは(罵ったはずの根岸論文の骨格に準拠した)少女論を延々と展開している。
- 末尾のページ「extra「女生徒」関連資料」では、研究者名と機関誌(所属大学)を明示した論文10篇をならべ、そのほとんどに対し
「発表一週間前に読んで終わったと思った。(中略)
フェミニズムくらい読めよ。」
「はああ!? 唖然、ボー然。」
「これで※※※大助教授か…。
世の中ちょろいネッ。」 (注)※※※にあった首都圏の大学名は削除。
といった、キャッチコピー的な「寸評」をつけている。
(注)この「extra「女生徒」関連資料」は上記のゼミで配布されたレジュメ本体で、すでにこのような寸評が1999年12月29日以降、単独でウェブ上に上げられてたようです。
- このウェブページ全体はゼミ発表中から構想されたものであり、「論文」執筆との同時進行的なかたちで、これからもネットワーク上に公開していく予定であると宣言している。
- 以上の内容をもちながら、トップページではこのページへのリンクに関し、 無断リンクは絶対禁止 としている。
私は上記の問題に加え、近現代文学研究の専門領域の立場からも(またそれ以前の問題についても)、このページの記載内容の客観性に種々の疑問をもち、このページの制作者に対して疑問点を問いただすメールを送りました。以下メールでのやりとりに沿って、順次問題点を列記していきます。
*当該ページが民間プロバイダーのサーバー上にあったこともあり、この段階では、わたしはウェブページの責任の所在は本人にあると考えました。したがってこのページにリンクされていたゼミ担当教員に連絡をとる必要はないと判断し、直接本人とやりとりをしています。
問い合わせ(2000.1.26)の概要
ページの主催者に対して問い合わせたのは次の点です。
- 本論1ページ目で「バッカじゃないの?」「ちょっと外に目を向ければわかるようなことを知らないで平然としている」等の罵言は、「国文学」(1999.6)太宰特集号に載った私の論文に対する評であるように読みとれるが、そう考えてかまわないか?
- なんの論拠も示さずに他人の研究にこれだけの罵言を浴びせたあなたのページで、今後その論証がきちんと示されると期待していいか?
- これだけの罵言を放ちながら無断リンクは絶対禁止とするのは不公正ではないのか?
- 上記に付随し、そちらのサイトでは著者にも(出版社にも)許可なく商業雑誌に載った他人の論文のかなりの部分を資料としてウェブ上にあげながら、自分のページの転載については絶対禁止とするのは不公正ではないのか?
- 以上はウェブ上の問題としても興味深い話題なので、このサイトは後日ぜひわたしのリンク集にリンクさせてほしい。
こちらからの問い合わせのメール Wed, 26 Jan 2000 本文
*2000年1月27日に、「女生徒のリハビリ室」の主宰者が書き込んだ宣伝に答えるかたちで、ある研究者による「ちょっと、辛口の入り肩(ママ)、これからが楽しみ」といった好意的な書き込みが行われました。「女生徒のリハビリ室」は、その後この研究者のページにリンクされています。
「女生徒のリハビリ室」オーナーよりの返信(2000.1.28) 概要
先方からは2日後に返信が来ました。「素早い反応をありがとうございます」ということばに始まるこのメールの概要は、以下のとおりです。
- 1ページ目の「バッカじゃないの?」等の批判は、根岸の論以前に書かれた「ダメな」先行論文に対する批判であり、根岸の論を対象にしたものではない。根岸の名はページの末尾に出ているのだから、論構成上からもそれ以前の批判的文言が根岸論文にあてたものとは読めないはずである。
- 2ページ目以降の本論では、「(根岸論文は)大筋では悪くない」「私の関心の核心にかなり肉薄している」とそれなりに評価しているのだから、自分としては根岸論文を批判する意図はまったくなかったことを強調しておきたい。
- 自分のまわりではリンク・フリーのサイトばかりではないので、この場合も無断リンク禁止が特に「奇異な処置」だとは思わない。
- とくに 「女生徒のリハビリ室」は「従来通りの太宰像の駆逐」が目的 であり、オンライン上でそういう読みを継承しているほとんどの太宰ファンサイトから自分のサイトが安易にリンクされ紹介されたら最悪だと考えたためリンクは許可制とした。
- 転載についても同様で、活字化されていない自分の論の「所有権」を守るためには、転載禁止は自己防衛上やむを得ないと考える(そう考えるようになった原因となるできごとを叙述)。
- したがって無断盗用等をするおそれのない「専門家の方の反論」については大歓迎である。
- これ以降のメールのやりとりについては第三者の目に触れた方がいいと思うので、自分のサイトに、根岸とのやりとりを公開するページを作りたいがかまわないか?
相手方よりの返信メール 本文 Fri, 28 Jan 2000
*2000年1月28日の段階で「女生徒のリハビリ室」のインデックスページに一部変更がなされました。これについては後便で、もとのかたちへもリンクを貼るよう先方に依頼しました。
こちらからの返信(2000.1.28) およびその概要
こちらからの返信は4通に分けて同時に送りました。概要は以下の通りです。
- 根岸のメールのそちらのウェブ上の転載については同意する。同様に、こちらとしても一連の経過をサイト上に公開したいと考える。
- しかし作成途中の論文をウェブ上に載せることについてのそちらの主張については、同意できない。
- 本論第1ページから第2ページ目以降へのリンクが非常にわかりにくいのは、問題である。
- 作成途上で順次論がウェブに上がってくる形式の場合、批判された側が反論しようにも罵言の部分だけで本論はまだ完成していない、と言い抜けられるような作り方は、根本的にアンフェアではないか。
こちらからの返信1 Fri, 28 Jan 2000 本文
- 本論1ページ目での罵言が根岸論文を指していないという文章解釈には、とうてい同意できない。これは基本的な国語読解レベルの問題である。
- また2ページ目以下の本論で根岸論文を評価しているとしても(しかし「死屍累々」の中では一番論者の関心に「肉薄している」といういい方で、このサイト主宰者から誉められても、正直あまり嬉しくはない)、それによって1ページ目の叙述の解釈が変わるはずだという立論は、根本的におかしい。
- とくにウェブページの場合、見る人間が必ず全ページをじっくり読むという保証などなにもないのだから、研究を名乗るのであれば、できるだけ誤読を生じないようなページ構成をするのがあるべきマナーではないのか。
こちらからの返信2 Fri, 28 Jan 2000 本文
- 論証の不十分さを罵倒的なキャッチコピーでごまかしている数箇所をのぞけば、3ページ目以降の本論における主宰者の少女論そのものは、大塚英志・本田和子・ダイクストラなどいろいろと参考文献もよく引かれておりそれなりに力作であることは認める。
- ウェブ上の論の著作権はまだ確定していないという認識をわたしも共有するため、自分としては文学研究的な論争をウェブ上で行うような危険を冒すつもりはない。「女生徒」論に関する論争的な部分はウェブ上ではなく、個人的なメールのやりとり等で応じていきたい。すくなくともリンク禁止というそちらの措置の正当性を認めるつもりはない。
こちらからの返信3 Fri, 28 Jan 2000 本文
- 自分の研究サイトの公開に際して、複数の太宰治関連の掲示板に宣伝とリンクを貼って回ったにかかわらず、なぜ自分が直接に批判の対象とした相手にはまったくメール等で連絡しなかったのか。研究者の批判は歓迎するというさきのメールのことばと、それは矛盾していないか。
- 自分が攻撃した対象は根岸ではないとする根拠となっている、先行の「女生徒」論批判のページ「女生徒論十選」はサイト上のどこにあるのか。
- ゼミ教員の方は、こういったサイトが上がっていることについては承知しているのか?
こちらからの返信4 Fri, 28 Jan 2000 本文
1月30日まで待って「女生徒のリハビリ室」主宰者からの返信がなかったため、これ以上この「女生徒のリハビリ室」をそのままのかたちで放置するよりはこちら側の立場の表明を行っておいた方がよいと判断し、「ウェブ上での研究公開におけるルールとマナーについて」というページを作りました。その時点での私の感想は次の通りです。
- 「太宰治『女生徒』についての研究」発信といいながらキャッチコピー的に罵倒系ウェブエッセーの文体を使うという「女生徒のリハビリ室」作者のスタンスは、研究としての中身の不徹底さをスキャンダラスな戦略性で粉塗している点が不快である。
- ネットを「垣根のない空間」と認識し研究者の批判大歓迎としながら、批判相手にはまったくこのサイトの存在について告知せず、またリンクについても許可制にするのは、研究者としてもウェブユーザーとしてもマナー上問題がある。
- 罵倒に近い激しい文体自体は学会でもそれほど珍しくはないのだから、せめてウェブ上での最低限のルールとマナーを遵守した方が、自己の主張を公開する上では生産的ではないのか。
- いずれにしても、自分が公開したページで行った他の研究者たちへの批判に対する反論に対してはきちんと答える義務があると私は考える。
現時点での感想および今後について 本文
*その後2000年2月1日に、「女生徒のリハビリ室」でのゼミ担当教員へのリンクがとつぜんはずされました。また14:00の段階ではもとページが閉鎖され、 「パワーアップして帰ってきます」 という休止のお知らせが出ていることを確認しました。
「女生徒のリハビリ室」オーナーよりの返信(2000.2.2) 概要
- マシントラブルによってメール返信が遅れて申し訳ない。
- 現在制作日記も含めてのウェブページの再構成を行っている。しかし自分のページに関して誤解をしている人がいるのであればいったんページは閉鎖した方がいいと考え、現在は休止としウェブ上の別の場所に移してある。
- 「女生徒論十選」というページは存在しておらず、これはゼミでのレジュメが原型となった「女生徒論・論」という最終ページとの勘違いであった。
- 「女生徒のリハビリ室」開設のメールを根岸に対して送らなかったのは、単なる送り忘れであって他意はない。
- 新規のサイト構想についての説明。ウェブ版でやりたかったのは、ウェブ自体へのさまざまな反応を最初から組み込んだ試みであり、従来の紙媒体ではできないような雑然とした多方向への分岐を実現したかった。
- 批判に対して根岸は怒っているが、根岸論文は作品論なのだから軽蔑されてもしかたないではないか。
- おちょくりがこのレジュメ(根岸注 ページの誤りか?)の基本的なコンセプトである。それは「ご立派な学者諸氏が高尚に苦悩しているのを、どこぞの小娘が口汚く噛み付きにかかっている。だけどそれが結構当を得ている。学者先生肩なしだね」という「寓話的風刺」である。
- こういった風刺が理解できず怒る人に対しては、たとえそれが誤解にもとずいた怒りであろうと一応それについては謝罪してもいい。
- しかしこういった風刺が、「表面的な文意しか読めない、批判力のない人」を駆逐しつつ「もうすこし文を読む力のある人にこそ批判を伴って読んでもらえる」という効果をもっている点についてはもう少し理解してほしいと思う。
- ゼミ教員へのリンクにはなんら「深い意味」はない。またレジュメのウェブ公開についても彼はまず止めるように助言し、それを押し切ってウェブを公開した自分は彼に「半分呆れられた」のだから、「先生が私を鉄砲玉にして同業者攻撃しようとしてるんだ」というような理解の仕方はしないでほしい。
- リンク・フリーに同意できない根拠は次のとおりである。自分のウェブページは「私の主張の根本に迫る意欲と暇と語学力と問題意識を兼ね備えた人にこそ、読まれたい」のであり、また「ほんとうに言いたいことを言おうとする時、その文は閉じた空間の中に築かれた文脈のなかに属して固有の意味づけを行われるはず」だと自分は信じている。そういった自分の態度を根岸は自閉的と呼ぶが、ほんとうにそうかどうかもう一度きちんと「女生徒のリハビリ室」全体をきちんと思い出してほしい。
- 根岸には、雑誌「国文学」に発表した当該論文をウェブ上に上げることを検討してほしい。
* * *
これらの内容に加え、自分は「国文学会のヒト」ではないため現在執筆中の論文は学科の雑誌に載るという確証はないこと、また「ウェブ上での研究公開におけるルールとマナーについて」をみて驚き、根岸が「女生徒のリハビリ室」を見たときもそんな気がしたのだろうかと想像して「苦笑」したことなどが書かれていました。
正直なところ、このような回答には驚きました。作品論に関するきわめて短絡的な発言に対しては、いろいろな意味で、複雑な気持ちにさせられました。
相手方よりの返信メール 本文
以降の経過 1
このメールを受け取った私は、ウェブ上でのリスク管理に対するこの主宰者の認識の甘さ(上記に赤マーカーで指示した部分)からみてこれ以上のメールのやりとりは時間のムダと判断しました。
正直に言えば、わたしにとって終始一貫、このサイトの中でもっともショックだったのは、あたかもこのサイトを支持するような位置づけで、ゼミ教員として、同じ近現代文学研究の領域の研究者の名前が挙げられていた(リンクされていた)ことでした。加えて主宰者のメールを信じるかぎり、ゼミ教員の方はすくなくとも、ご自分が公開に反対したページが、現在そのままウェブ上に上がっていることを知っていることになります。したがって、いろいろな意味でここからはウェブ上のアノニマスの単純な罵倒系ページとも異質のものを感じ、意図を計りかねるという意味で(意気地のない話ですが)マジでびびりました。
これらの印象を自分なりにきちんと確かめたかったこともあり、また上記のようにいつまでこの主宰者と話していても論点がかみ合わずいらついたこともあって、わたしは主宰者に至急ゼミ担当教員の方に連絡をとるよう要望しました。
2月5日付でゼミ担当教員の方からメールをいただき、以来数回のメール交換を重ねて、この「女生徒のリハビリ室」がある程度問題のあるサイトであるという点でわたしとゼミ担当教員の方との間で認識が一致しました。
2月14日付で、「女生徒のリハビリ室」主宰者より、ウェブページ上に今回の経緯についての主宰者からの経過説明をのせたことの報告と、礼を欠いた発言があったことを謝罪する旨のメールをうけとりました。
主宰者による一連の経過説明は、そのウェブページ先頭の<メール論争>にありました(これは2月27日時点でウェブ上から下げられています)。要旨を簡単に上げておきます。
- 「女生徒のリハビリ室」について根岸より「制作者の姿勢を問うメール」を受け取り、一連の往還があった(全メールの公開)。
- 根岸よりゼミ教員に事情説明するようアドバイスがあり「自分の論理的な一貫性に自信がなくなっていた」こともあって先生に間に入ってもらい、根岸に対しては「取りなし」を、自分には「教育的指導」をというかたちで一応の収束をみた。
- 研究者でありまた多くの学生を抱えるという根岸の立場に対し、自分は配慮が足りなかったことを反省する。
- しかし自分は国文学の研究者になるつもりは最初からないので「たとえ批判されても失うものはなにもない」。
- 「わかるヒトにだけ笑ってもらえればいいや」という「シュミ」の「お遊びサイト」だったにもかかわらず、安易にゼミ教員の名を出したために、自分の発言が真剣な学術的言及であるかのような印象を抱かせ「根岸先生のような真面目な研究者の方」をいたずらに挑発する結果になったのは思慮不足だった。
経過説明に対する私の側の感想は次のとおりです。
- ウェブのユーザーとして、自分自身がとった無断リンク禁止という措置に関する意見表明がまったくなかったことが残念だ。
- 研究者の共同体としての学会内の関係性をくぐりぬけてネット上の自由な空間の中で発言しようとしたこと自体をわたしはとがめようとは思わない。しかし他者を批判したときにその相手からも批判されるのは当然であって、そのリスクを背負って発言するからこそ対話も成り立つのではないのか。それを拒否したことについてどう考えているかをぜひ知りたかった。
- それなりに野心的な構想をもって繰り広げていたであろう自分の少女論全体をも「シュミ」の「お遊び」としてみずから貶めてしまうことの意味をよくわかっているのか。それは自らの(勇気ある)研究状況批判すべても含めて否定することなのか。
- 最初から何の責任もとるつもりのない「シュミのお遊びサイト」ならさっさと最初のメールでそういってほしかった。あの長い長いやりとりはいったい何だったのだろうか。
- そもそもこの作者には、自分がウェブを公開していることに関する認識はどの程度あったのだろうか。
ゼミ教員の方とのメールやこの主宰者にも書きましたが、もしこの「女生徒のリハビリ室」が、論証の不整合を罵倒的な文体で粉塗したり戦略的な歪みをもったりせずに、もっとストレートでシンプルな形式で書かれていたならば、これはそれなりにウェブ上での研究批評の試みとしておもしろいものになったかもしれません。
ともあれ、自分を目立たせたいという意識にとって戦略性というものがいかに誘惑的であるか、ということは私にも想像がつきます。今回の事例はその意味で不幸なものでした。また最終的な落としどころを責任回避ともとれる「シュミのお遊びサイト」にもってくるという解決の仕方については、私はあまり好意はもてません。
いずれにしても今回の件は、ウェブ上の研究公開について、また学会という共同体とそれを越えた広い空間としてのウェブとの同心円的な関係性のあり方について、また教員におけるパターナリズムの問題についても興味深いモチーフを内包していると思います。この一連の不毛な論争を今後はそちらの角度から考え直してみることで、私なりの結論を出していくつもりです。
以上この件の発端以降、要所要所で的確なコメントをくださいました方々に感謝いたしますとともに、順次ご報告をできればと思っています。
以降の経過 2
以前から小・中・高等学校での情報教育への興味という(職場で担当する「情報教育1」などとのひっかかりとの)観点から参加させていただいていたFINE-広島での、第20回の研究会(2000年6月17日)でこの件について報告をし、いくつかのご意見をいただきました。
ネット上での研究発表におけるルールとマナー−パターナリズムとリンク許諾との側面から−
(FINE-Hiroshima HOME PAGE)
ここでの議論は、さまざまな意味で私自身の盲点をつかれた部分もあり、なかなか興味深いものでした。これを含めての総括は、日を改めて行いたいと思います。
2000.1.30 up