ウェブ上での研究公開におけるルールとマナーについて−資料編−
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   ウェブ上での研究公開におけるルールとマナーについて  

こちらからの問い合わせのメール  Wed, 26 Jan 2000

「女生徒のリハビリ室」オーナー様、

はじめまして、岐阜大学の根岸といいます。

本日貴サイト「女生徒のリハビリ室」拝見しました。拙論についてご言及い
ただいているようですので、今後の貴ページの展開を興味深く拝見していき
たいと思っております。

なお貴サイト中には

>で、そういうひどく苦しんでいる作品論を読んでいて、私
>が思ったことはまず第一に「バッカじゃないの?」。

>ちょっと外に目を向ければわかるようなことを知らないで
>平然としている。

>それはきっと「国文学者だから」の一言で
>あっさり免責なのでしょう。

>さぁ〜て、知らないでじゃあナニを書いているか?

等の刺激的な惹句がならんでおり、ページの構成上からもわたくしの論はそ
の典型的な例として取り上げられているようにみうけらけます。

この点については、わたくしの論が「検証・〈女性〉の独白体」という編集
部から与えられたテーマに限定して書かれたものである、という点を指摘し
ておきたいと思います。すなわちそれらの(枚数制限も含む)制約からいっ
てこれをトータルな「女生徒」論として例示されるのは少々問題があるので
はないかということです。

とくに、

>ちょっと外に目を向ければわかるようなことを知らないで
>平然としている。

という貴サイト中で引かれているさまざまな文献については、(たまたまな
のかもしれませんが)わたくしも拙論執筆以前に目を通しております。とい
うよりも、本田和子等についてこのテーマで論文を書く近現代文学研究者で
これに目を通していない方はほとんどいないと考えるべきでしょう。

#ところでダイクストラはわたくしも愛読書でした。あれはいい本ですね。
#http://www.gifu-u.ac.jp/~kameoka/lecture.htmlの参考文献にも引用して
#ありますので、よろしければご確認ください。

もちろん単に読んでいたというだけでは何の反論にもなっていませんね。で
きれば今後の御論の展開の中では、わたくしの論がそれらをまったくふまえ
ずに書かれている、あるいはまったく理解していないと判断なさった根拠に
ついて、きちんとお示しくださることを期待しています。

以上のわたくしのコメントについて、ご留意いただければ幸いです。

なお学会内での相互批評の活性化という点では、貴サイトはさまざまな点で
興味深い問題点を含んでおり、時間ができましたらわたしのページ上にリン
クして広く紹介させていただきたいと考えています。

上記に付随してひとつ質問させてください。

>当ページの一切の責任・権利は制作者に帰属します。
> 無断転載は絶対禁止。
> ただし転載そのものについては検討しますので
> まずは制作者までご連絡ください。
> リンクについても同様です。

という貴サイトのリンクに関する規定は、ウェブ上におけるリンク・フリー
という一般的な慣習からははずれるように思います。

「転載絶対禁止」についても、個人の論について貴ウェブ上で許諾なく転載
されたかたちのわたくしとしては若干の抵抗を感じます。

活字化された論について言及されること自体はかまわないのですが、ウェブ
上で罵倒に近いかたちで批判が公開され、しかもそれについてこちら側が言
及することについては制作者への許諾願いが必要だというのは公平ではない
と考えます。

ウェブ上での研究の相互批評については、わたくしもその必要性を認めてい
ます。以上のコメントについては、ウェブ上の相互批評を実り多いものにす
るための意見として受け止めていただければ幸いです。

それではお返事をお待ちしています。
************************************************************
根岸泰子
http://www.gifu-u.ac.jp/~kameoka/

「女生徒のリハビリ室」オーナーよりのre-mail  Fri, 28 Jan 2000

 素早い反応をありがとうございます。
 私は現在、−大学の−学部で−年生をやっております。
 プロフィールを載せてあったのですが、リンク場所がわかりづらいとの声があ
りましたので、改めておくつもりです。


 では、本題です。
> ページの構成上からもわたくしの論はそ
> の典型的な例として取り上げられているようにみうけらけます。
 いえ、むしろ文の構成で示したつもりですが、「女生徒論・論」では、まず古
今の「女生徒」論を読んでみての私の感想、その種類、私が気になった決定的な
欠落点があるということ、主題のピックアップ、と来てはじめて根岸先生の論文
の名前を出し、次の「女生徒論 上」でその内容に踏み込んでいますので、名前
を出す前の文章が対象としているのは先生の論文以前までの論文について向けた
ものであり、「刺激的な惹句」もそこに含まれます。
 具体的な言い回しから見るなら、「さぁ〜て、知らないでじゃあナニを書いて
いるか? といえば、以下のふたつだ」と書いて2点挙げていますが、そのあと
「この両者だけはともあれ確実に拾いうる事柄であるため、軽くツカミに出して
いるものからどしんとメインに据えたものまで、比重の差こそあれ、含有する研
究にはこと欠かない」とあるのは、ダメな論文の話から、作品論を扱った論文一
般についての話へ移行することを示しており、その後で先生の論文を挙げている
わけですから、ダメな論文の典型としているのには当たらないと思いますが、こ
じつけのようにお感じになりますか?
 ともかく、私自身はそういう意図ではなかったことことだけは、はっきりお断
りしておきます。その点は、あとあとおこがましくも「根岸論文は〜私の関心の
核心にかなり肉薄していると感じた」「大筋は悪くない」などの評価のしかたを
している点からも裏付けられるはずです。

> というよりも、本田和子等についてこのテーマで論文を書く近現代文学研究者
> でこれに目を通していない方はほとんどいないと考えるべきでしょう。
 そうでしょうか。うーん。まあ、目を通すだけでしたら、そうなのかも知れま
せん。(だったらもっと問題があることになってしまいますが。)


 それから、次の件について。
 リンクに関しては、ウェブでの私の行動範囲においては、リンク・フリーのサ
イトばかりではありませんでしたので、それほど奇異な処置だとは思いませんで
した。むしろ許可を取るほうがふつうという認識でした。

 さいきんの研究の流れに全面的に乗るようで我ながら軽薄だと思わないでもな
いのですが、あのレジュメの目的の一つに、従来通りの大宰像の駆逐、というも
のがあります。
 「女生徒論十選」で攻撃したような、型通りの作家像は、オンラインでの大宰
に目を移したとき、しっかり正当な読みとして継承されていました。ファンが作
るページが大半ということがその背景なのでしょうが、私は、そのような読みを
保存し続けるファンにも、あまりよい印象を持っていないのです。ですから、そ
ういう汲みやすい形でしか日本語を読めない人たちが、誤解して「リハビリ室」
を従来の大宰サイトと同じように紹介することがあったら最悪だ、と具体的なケ
ースを想定して、リンクを認可の上、という形にしたのです。

 「転載」の件についても似たような動機です。
 基本的に、想定していたのは悪いケースでした。
 たとえば、サイトを開設したばかりのころ、−先生(ちなみにレジュメの原
文掲載については止められました)のところに、某女子大で国文学をやっている
4年生から、卒論に「女生徒」を選んだが煮詰まっているので演習のレジュメを
FAXして貰えないか、というちゃっかりとしたメールが届き、私のサイトを紹介
するかどうか相談されました。その時は結局、紹介はしなかったしレジュメ自体
アップロードされていなかったのですが、私はこれから先の前哨戦であるとの認
識を持ちました。

 私の文章は、公になっている形ではこのサイトにしかないので、所有権を守る
ために、ああいう断りを入れました。もしなにか、トラブルが起きたときのため
の保険です。

 ちょっと、書き方が悪かったなあとは反省しております。私の意図としては、
上のような”ちゃっかり”を抑えること、「許諾」というほど大仰ではなく、所
在の確認がとれるようにすることが目的だったのですが、言い方が強すぎまし
た。
専門家の方の反論でしたら大歓迎です。そして、せっかく垣根のない空間上にあ
るのならば、
関りのあるものへは直接移動できるように、つながりを作っておきたいのです。
そのためにも、連絡をいただきたいと考えました。

   それと関連して、ひとつお願いがあるのですが、こうした往還はできるだけ第
三者にも目の届くようにしていきたいと思いますので、そのためのページを作っ
てそこに、先生のメールを掲載することを許していただけないでしょうか。
 全文でないと、ということでしたらそうしますし、抜粋してよろしければその
ようにしますので。
 よろしくお願いします。


こちらからの返信1   Fri, 28 Jan 2000

−様、

根岸@岐大です。返信、ありがとうございました。

− さんは書きました:

>ひとつお願いがあるのですが、こうした往還はできるだけ第三者にも目の届くように
>していきたいと思いますので、そのためのページを作ってそこに、先生のメールを掲
>載することを許していただけないでしょうか。

はい、私の方も異存はありません。

以下少し長くなりますが、私の立場を述べておきます。

まずこれから先の一連の経過について公開されることについてはわたしも同意しま
す。

ただしこれは研究者がウェブ上に作成途上の論文をのせること自体に賛同しているわ
けではありません。今回の−さんの論の掲載のあり方を見て、当面わたしはこのよ
うな手法に関しては反対の立場をとらざるをえない、と考えつつあるところなのです
(理由については後ほど)。

一方、こういったやりとりがネット上でなされるということ自体がわたしたち近現代
文学の領域では珍しいことであり、その意味では私にとってもリスキーではあるもの
の貴重な体験になると考えています。

というわけで私は今後の経過に関しては、まず名指しで批判された近現代文学研究者
研究者としての−さんへの反論(これを期待したからこそのウェブ公開ですよね)、
それから文学研究のウェブ公開に関するマナーやルールに関する私の意見の表明、最
後にリンクの問題も含めてウェブ一般におけるルールやマナーに関する問題提起を行
っていければと考えます。

ということで近日中に、私のサイト上の近現代文学関係およびインターネット関係の
ページでも、今後の経過も含めて公開していきたいと思います。

>全文でないと、ということでしたらそうしますし、抜粋してよろしければその
>ようにしますので。

そうですね。やはりお互いに全文掲載が、こういう場合の原則だと思います。

もし負担が大きければ、私の方で公開した部分にリンクを貼っていただいてもけっこ
うです。

それから−さんはご自分のサイトに「書き込み訴え」という掲示板をつくっておら
れますが、これについても当然私のサイトでの言及およびリンクの対象になるという
ことでよろしいですよね。

> プロフィールを載せてあったのですが、リンク場所がわかりづらいとの声があ
>りましたので、改めておくつもりです。

ええっと、プロフィールの場所はどこでしょうか、間抜けなことにまだわからないの
です。

それから、−さんの論文の2ページ目、

  http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/6848/Iamagirl_f/2.html

このページ以降も、前回メールをお送りした段階では読んでいませんでした(その点
についてはお詫びします)。−さんからいただいたメールに

> ともかく、私自身はそういう意図ではなかったことことだけは、はっきりお断
>りしておきます。その点は、あとあとおこがましくも「根岸論文は〜私の関心の
>核心にかなり肉薄していると感じた」「大筋は悪くない」などの評価のしかたを
>している点からも裏付けられるはずです。

とあったのをみて、やっと2ページ目があったことを知りました。間抜けなはなしで
すが今後のやりとりについて致命的な影響を与えるというほどではないように感じま
したので、このままのかたちで応答を続けていただいてさしつかえありません。

これに付随して質問があります。

私のミスはもともと私自身のラフなところから来ているのはもちろんですが、−さ
んのページでの導入部で

>また今後のためにひとつの論文にまとめることを同時に薦められたため、
>いっそのこと発表準備中から頭にあったWeb版の構想をいまからでも実行にうつし、
>私の「女生徒」発表の内容と、
>今後の模索の過程との両方をネットワーク上で公開していこうと考えた。

とかいてあったこともある程度影響しています。

さきに「研究者がウェブ上に作成途上の論文をのせること自体に賛同しているわけで
はありません」と書いたのはこの点で、本来批判というものは完結した段階でなされ
るものではないでしょうか。

もちろん−さんの論がウェブ上で完結するまで待てばいいのでしょうが、それまで
の間一方的にやりこめられたかなり間抜けな状態で私の論が置かれることに関しては
私の方は抵抗があります。ところが反論したら、それについては今度出す次の論で
言っています、ではちょっとアンフェアですね。

いったん完結したものをのせて、そこからきちんとした双方の応答が始まるというの
であればまったく文句はありません。

そこで参考資料として、−さんの各ページがウェブに出た日時とその順番について
お示しいただければ幸いです。

作成途上のものが上がるというのはこういう点でもややこしいのです。

もう一つお願いしたいのですが、今後ページ全体を改訂なさるとしてもやりとりの原
因となったもとページは原型のままきちんとリンクできるかたちで残しておいていた
だきたいのです。

#これもサーバーでの容量制限等があるようでしたら、こちらにおいてもけっこうです
#のでご連絡ください。

というわけで、私としてはあまり愉快な始まり方ではないのです。もし近現代文学研
究者の中から、作成途上のウェブに対する論争に応じたという点で私に対する批判が
出た場合は、その辺の事情を斟酌してほしいというほかはありません。

それでは長くなりますので、いったん切って2便以降に続けます。

************************************************************
根岸泰子

こちらからの返信2 Fri, 28 Jan 2000

根岸@岐大です。

− さんは書きました:

>> ページの構成上からもわたくしの論はそ
>> の典型的な例として取り上げられているようにみうけらけます。
> 具体的な言い回しから見るなら、「さぁ〜て、知らないでじゃあナニを書いて
>いるか? といえば、以下のふたつだ」と書いて2点挙げていますが、そのあと
>「この両者だけはともあれ確実に拾いうる事柄であるため、軽くツカミに出して
>いるものからどしんとメインに据えたものまで、比重の差こそあれ、含有する研
>究にはこと欠かない」とあるのは、ダメな論文の話から、作品論を扱った論文一
>般についての話へ移行することを示しており、その後で先生の論文を挙げている
>わけですから、ダメな論文の典型としているのには当たらないと思いますが、こ
>じつけのようにお感じになりますか?

はい、残念ながらそうは読めませんでした。この場合は

>さぁ〜て、知らないでじゃあナニを書いているか?

ということばは、「といえば、以下のふたつだ」以下の部分すべてにかかっている
と解釈するのが自然だと思います。

もうひとつわたしがこれらすべての「言い回し」が自分の論に向けられていると感
じた根拠について述べます。

−さんの論では過去の研究論文が3分類され、とくに

2)作品単独のの主題を分析したもの。フェミニズム入荷しました。

という2項目は以降、

>問題は2)であり、単独の作品論の不在が研究成果のいま
>ひとつ物足りない印象につながっているのだと思うが、前述
>のように、捉えどころのない作品のため、いざそのものを論じ
>ようとすると、ひどく苦しい思いをせねばならない    

として3者の中でもとくに問題視されています。

#感性の違いなのかもしれませんが、「フェミニズム入荷しました」という言い回し
#もあまり誉めてるようには見えません。いかにも「出来合いの方法論でやっつけた
#安直で浅はかな論文群」という感じです。

そしてその直後に

>で、そういうひどく苦しんでいる作品論を読んでいて、私が
>思ったことはまず第一に「バッカじゃないの?」。

と続きますので、「ひどく苦しい思い」「ひどく苦しんでる作品論」という照応か
ら、「バッカじゃないの?」と言われているのは、2)であると解釈することが自然
だと思います。

で、当該の私の論はやはりフェミ系として扱われていると考えてよろしいですね。
あとはもう一直線です。

いうまでもなく前回メールを書いた段階では、

> ともかく、私自身はそういう意図ではなかったことことだけは、はっきりお断
>りしておきます。その点は、あとあとおこがましくも「根岸論文は〜私の関心の
>核心にかなり肉薄していると感じた」「大筋は悪くない」などの評価のしかたを
>している点からも裏付けられるはずです。

とかたじけなくも−さんが書いてくださったページをまったく見ていなかったと
いうことも大きく影響しています。

ただ次のページが見つからなかったという私のミスをひとまず棚に上げていうなら
ば、次の箇所でいくら私の論について

>「根岸論文は〜私の関心の
>核心にかなり肉薄していると感じた」「大筋は悪くない」

と言ってくださったにせよ、それ以下の論の中で私が負わされる役割はけっきょく
のところ「死屍累々」の中の少しはましな死屍にすぎないであって、ようするに−
さんが言われた

>格好の餌食

にほかなりません。

#公開されたウェブ上でこのような言われ方をしたことは、
#わたしにとっては屈辱的でした。−さんとの感性の違い
#なのかもしれませんが、言われた側の気持ちをご参考まで
#に申し上げておきます。

今回いただいたメールで、−さんの側にとくに私の論に対して罵声を浴びせると
いう意図がなかったということは、個人的には一応受け入れます。

しかしウェブに出したページについて、私が読んだような読み方をする人が絶対に
いないと言いきれるでしょうか?

ウェブページを公開するということは、不特定多数の人間に対しそれを見せるとい
うことです。だとすればなるべく誤解を生じないような書き方をすることは、そこ
で自分が批判している対象(しかも知らなければ批判されている人間はずっと知ら
ないままで何の手も打てない)に対する最低限の礼儀ではないでしょうか。

「次のページを読まない奴が悪い」と言われるかもしれませんが、先に述べた理由
でわたしはそれには納得しません。ただそれはひとまずおいても、ウェブ上であな
たがつけた次ページへのリンクはちょっとわかりづらいものでした。これも基本的
には不親切だと思います。

そしてなによりもウェブページを見る人間というのは、かならずしも全部のページ
をきちんと読むわけではありません。最初の「惹句」のページだけ読んで、はいさ
よならの人も多いと思います。その場合「格好の餌食」として位置づけられている
論文の作者の立場はどうなるのでしょうか。

私の場合、自分の作るページではその点に配慮しおのおの独立したかたちでのリン
クにする場合は、仮に単独で読まれても対処できるように気をつけています。

さてこれらは、ある意味で近代文学研究者の立場としては枝葉末節の部分です。

>専門家の方の反論でしたら大歓迎です。

と書いておられるように、−さんとしても最初から意図しておられたのは、論文
内容に対する研究者としての反論でしょう。

それについては、次便で。

************************************************************
根岸泰子
http://www.gifu-u.ac.jp/~kameoka/

こちらからの返信3  Fri, 28 Jan 2000

根岸@岐大、3便です。

− さんは書きました:

>> というよりも、本田和子等についてこのテーマで論文を書く近現代文学研究者
>> でこれに目を通していない方はほとんどいないと考えるべきでしょう。
> そうでしょうか。うーん。まあ、目を通すだけでしたら、そうなのかも知れま
>せん。(だったらもっと問題があることになってしまいますが。)

ふうむ、これは私の論についていっておられるのでしょうか、それとも他の研究者
についてなのでしょうか。

一応私の論も含まれるとして(たぶんそうですよね)話を続けます。

まずざっと拝読した−さんの論はかなりおもしろかったということを最初に認め
ておきます。以下は、それなりに評価した論に対しての研究者としての批判につい
てです。

最初に言っておきたいことは、それなりに評価した論に対してウェブ上で議論する
ことをわたしは好まないということです。

これについてはきちんと紙媒体で批判したい。それがあなたの論に対する礼儀だと
思う。

もうひとつ。

> 「転載」の件についても似たような動機です。
> 基本的に、想定していたのは悪いケースでした。
> たとえば、サイトを開設したばかりのころ、−先生(ちなみにレジュメの原
>文掲載については止められました)のところに、某女子大で国文学をやっている
>4年生から、卒論に「女生徒」を選んだが煮詰まっているので演習のレジュメを
>FAXして貰えないか、というちゃっかりとしたメールが届き、私のサイトを紹介
>するかどうか相談されました。その時は結局、紹介はしなかったしレジュメ自体
>アップロードされていなかったのですが、私はこれから先の前哨戦であるとの認
>識を持ちました。

> > 私の文章は、公になっている形ではこのサイトにしかないので、所有権を守る
>ために、ああいう断りを入れました。もしなにか、トラブルが起きたときのため
>の保険です。

−さんがこのように書かれたことについて、わたしも認識を共有するからです。
それはリンクについてではなく(わたしはいろいろ考えた結果としてリンク・フ
リーの立場をとります)、著作権の問題です。

−さんの論については、わたしは正直けっこう興味をもちました。これに反論す
るためには、それなりにこちらの側でもさまざまな資料の提示などが必要です。そ
れはわかっていただけますね?

とくに−さんが私の論で問題とされる川端の「女生徒」評の解釈については、わ
たしはそれなりの根拠をもっています。ですがウェブ上でそれを出す気はありませ
ん。

なぜならウェブ上に出した論はまだ学術論文としては認められていないからです。
ウェブ上の著作権は一応あることになっていますが、実際にそれが近現代日本文学
研究の領域で認められているでしょうか。

だとすれば、わたしは自分が苦労して収集した資料から出した推論をそのままカッ
トアンドコピーして誰かに取られるようなリスクを犯す気にはとてもなりません。

じゃあさっさと紙媒体に出せよ、と言われると思います。

ここでじつは−さんも私とともに泣いてくださることを期待するのですが、まさ
に−さんの批判された部分について一応の実証を行った論文が、「日本近代文
学」に投稿してすでに昨年末ボツになりました。

吉屋信子の解釈について−さんが批判なさった部分についても、じつはそのボツ
論文で論じていました。

これについてはあらためていくつかの部分に分けておのおの独立した論文として書
き直す予定です。前回のボツ論文が採用になっていれば4月の「日本近代文学」に
載ったはずで、−さんの批判に対しても自分の論文リンクによってお答えできた
と思うと、無念です。まあボツになるにはそれなりの理由があるのでしょうが。

まあ−さんのなかなか的確な批判に答えられるべくこれからそれらの論を書き直
しますので、反論についてはどうぞそれをお待ちください。ただ6月までは別の
フェミニズム系の仕事が2本はいっていてそれにかかりきりですので、ちょっと遅
れると思います。

もちろんこれを機会に、こんどのこととはきりはなしての公開ではない個人メール
でのやりとりでしたら応じられると思います。

以下は、ネット上の慣行についてです。お疲れでしょうが、もう少しだけおつきあ
いください(わたしもちょっと疲れました)。

************************************************************
根岸泰子
http://www.gifu-u.ac.jp/~kameoka/

こちらからの返信4  Fri, 28 Jan 2000

根岸、4便です。

− さんは書きました:

> リンクに関しては、ウェブでの私の行動範囲においては、リンク・フリーのサ
>イトばかりではありませんでしたので、それほど奇異な処置だとは思いませんで
>した。むしろ許可を取るほうがふつうという認識でした。

これね、わたしは賛同できないの。

まず−さんは、ご自分のサイトについて、それなりに人の集まってくる深谷さん
の掲示板「月見草」で以下のように紹介なさいましたよね。

>「女生徒」のHP 投稿者:ぶー  投稿日:01月26日(水)00時11分20秒

> > はじめて書き込みします。
> 大宰の「女生徒」についてのホームページを公開しています。
> 作品のテキストもありますので、そちらだけでも(笑)ぜひご覧下さい。
> ちかぢか掲示板も公開予定。

> > http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/6848/

わたしが−さんのサイトについて知ったのもここをのぞいたからで、そういう人
は他にもいたのではないでしょうか。

これはご自分のサイトの公開を積極的に望まれたということですよね。

わたしとしては直接名指しされた立場からは、できれば私に直接メールで連絡がほ
しかった、というのが正直な気持ちです。まあそれは措くとしても、積極的にみん
なに見てもらうことを望む以上はリンクについてもフリーにするのが公平な立場で
はないでしょうか。

もちろん−さんは、リンクフリーにしていない根拠についてわたしにメールで説
明してくださいました。ある点では、その理由には無理からぬところもあると思い
ます。でもそれでもリンクフリーというのは、やっぱり大原則だと思うんですよ
ね。

これについては、以前からいろいろなところで議論しているのですがなかなか納得
のいく解決を見ません。したがってこの問題あるいはネット上での論文発表等、
ネット固有の問題についてはわたしのインターネット関連のページ

  http://www.gifu-u.ac.jp/~kameoka/internet.html

に場所を移して討論するということでいかがでしょうか。−さんならばこの問題
に関しても有益な議論ができると思います。

さて最後に質問ふたつ。

まず超おまぬけな質問ですみませんが。

> 「女生徒論十選」で攻撃したような、型通りの作家像は、

とありますが、「女生徒論十選」ってどこにあるんですか? 恥を忍んでの質問。

それから

>たとえば、サイトを開設したばかりのころ、−先生(ちなみにレジュメの原
>文掲載については止められました)のところに、

ということは、−先生は−さんのサイトの内容については承知していらっ
しゃるということでしょうか。

それでは。

************************************************************
根岸泰子
http://www.gifu-u.ac.jp/~kameoka/

前便の訂正  Fri, 28 Jan 2000

−さん、

根岸@岐大です。

申し訳ありませんが、前便に関していくつか誤りがありました。

まず「返信1」ほかで、−さんのお名前をかなりの箇所で「斉藤さん」と書い
てしまっています。

これはまったくの単純ミスなのですが、ご不快を感じられたと思います。その点
お詫びします(なぜ−と誤ったかを考えると赤面・・・・・・)。

それから3便での

>まさに−さんの批判された部分について一応の実証を行った論文が、

という部分ですが、当該のボツ論文を確認したところこれは本文ではなく注での
指摘でした。この点もお詫びして訂正します。

ほかにもいろいろ出てくるかもしれません。一応公開ということですので、気づ
いたごとにご連絡するように心がけます。

それからもうひとつ。メールの公開に際しては、ヘッダーはつけないことにしま
せんか。不必要な情報まで公開する必要はないと思いますので。日付等は双方で
確認できますから、必要ならば自分のウェブ上で解説をつければいいと思いま
す。

それでは。

************************************************************
根岸泰子
http://www.gifu-u.ac.jp/~kameoka/

「女生徒のリハビリ室」オーナーよりのre-mail  本文  2000.2.2付


根岸泰子さま

 こんにちは。
 返事が遅くなりました。
 HPでも掲示したのですが、ゆうべウチのマシンにトラブルが起きてしまって、
このメールも友達のパソコンから打っています。
 それと、この間のメールを頂いてから、いろいろ変更しようと思って作業をし
て、更新してからメールを書こうと思っていたんですが、結局そうも行きません
でした。
 それで、こんなに遅くなってしまいました。すいません。
 作業では、データが戻るかによってどうなるかわかりませんが、ページごとで
はなく、全文を一挙に出すようにしたレジュメと、作品テキストに加えた「千代
女」とが完成して、更新情報と制作日記を載せたインデックスがほぼできあがっ
たというのが変更した主要な点です。
あとで詳しく書きますが、「誤解」の実例がある以上はそれに対処すべきだし、
そのための更新が出来ないうちはレジュメを一端閉鎖したほうがいいと判断し、
休止の旨を告知しました。
 古いデータは、
  http://www.(以下削除 根岸)
 にあります。ただ、画像は動かしていないので壊れています。それとBBSも。
 「女生徒論十選」は忘れていましたが、レジュメの最後の関連資料冒頭の女生
徒論批評の部分を独立させようとして、結局ひとつにしたのでそういう項目はな
いのでした。すいません。
 プロフィールは

http://www.(以下削除 根岸)
 です。
 ことし演習で※先生のクラスだったため、レジュメの内容についてはご存知
ですが、ウェブで公開することはもう少し考えた方がいい、というようなことを
言われていたのを、結局私が聞かずに出した、ということなので、なんで※先
生は知っていながら止めてくれなかったの、とお怒りにならないで下さい。私の
独断です。


 さて本題です。

 まず、根岸さんのページ上でうちのサイトの、どの記事やBBSのコメントにつ
いても言及されることに異存はないです。必要とあれば下位のディレクトリにリ
ンクされても構いませんし。
 ファイルのありかや階層のつながりが一目瞭然のマップも作りたいんですが、
マシンがこんなでは、今はまだなんとも言えないですね。

 次に、サイトの構想をお話しします。
 レジュメはいちおう完結した論です(発表のための資料であるという意味では
あくまでも不完全な形ですが、出した私の責任においてあれ単体で批評して頂い
て結構です)。そして論文はいくらか方向性の違ったものにするつもりですの
で、レジュメへの反論はウェブでしていただければと思います(なるべくその場
で答えて、まとまっていない点については出さないことにします)。ウェブでや
りたいのはレジュメに対するさまざまな反響や、不十分な勉強の補足、新たな研
究への対応(こないだ相馬さんという人の有明淑子の日記との照応を書いた論文
が出ましたね)を順次見せて行って、ある程度熟したところで更新を休止し、成
果を踏まえてひとつの論文を書き、それを公開するまでなのです。
 従来の紙の論文ではできないような、多方向に分岐して行くような雑然とした
「女生徒」研究がサイト全体のひとまとまりのなかに実現できたら面白いし、ウ
ェブならではの企画ですよね。
 一方の論文は、できるかぎり作品論に絞ったコンパクトなものにするつもりで
す。そうなると、川端や吉屋信子のトピックは省くと思うんです。あれは「女生
徒論」批判寄りなので。だから、根岸さんの論文とは直接的にはクロスしないは
ずなので、書き上がるまで待って頂かなくとも、没論文での論旨の方向性を変え
ることなく執筆して頂いて大丈夫だと思います(あくまでも予定は未定というの
が泣き所ですが、なるべく約束を守れるように努力します)。
 ちなみにその論文は学科の雑誌に投稿するなど、できるだけ公的な紙媒体に載
せたいと思っています。ただ、私は「国文学会のヒト」じゃないので、まず学会
に加入しなくてはならないし、たとえ学校の雑誌でも、学部生の、卒論でもない
論文が載るものかどうか確証がありませんけど。むつかしいだろな、実際。

 3つ目に、具体的なレジュメの中身について。さっき言った「誤解」について
も。
 まず、1ページ目で私はこれまでの作品論をとりまく状況のひどさについて、
書き手がこうも苦心しているのはばかみたいで、無知だと言っています。それは
確かです。無知である知識を具体的に挙げるなら本田和子などの本ということに
なるでしょう(たとえ読んでいたとしても内容を理解できていないわけだから、
先のメールの、ますます問題がある、という記述につながります)。根岸さんの
論文は作品論の系譜の最新のものだから、それらの軽蔑を含んだ言葉をあてはめ
ることもまったく不可能とは言えません。しかし、死屍累々であるというのは、
すべて悪い、と言っているのには当たりません。状況を見回した時にひどい、と
いっているのです。通算の打率が低すぎるとでも書き加えておけば良かったでし
ょうか。また、先のメールにも書いた通り、1ページ目では全般的な状況を述べ
て、2ページ目以降で具体的な批判をしているわけですが、前者の評価と、後者
での評価との不一致を見ていただければ、その他の論文についてはともかく、根
岸さんの論文については、後者の中で批判していると考えることが出来ます。そ
の後者において私は根岸論文にはミスがある、と2点ほど指摘しています。しか
しミス、という程度の記述にとどまり、その他には批判している点はありませ
ん。もし根岸さんも「苦しんで」いたら、1ページ目ばりに批難していたでしょ
う。あれだけ言いつのっているのですから、もしひどい状況の作品論の一端に還
元したいのなら、当然そう書いてきれいにまとめているはずです。それくらい、
1ページ目での私は怒っているのですから、そのための「格好の餌食」であるの
なら、見逃さないと思います。「格好の餌食」と書いたのは、「『女生徒』研究
の主題論を概観しつつ、もう少し奥まで歩を進めるための」、つまり私の論の展
開にとって都合のいい、「格好の餌食」だった、という意図なのです。
 そして私の言いたいことというのは、過去の作品論の扱って来た問題と、まっ
たく別の方向からのアプローチではなく(「ちょっと外に目を向ければわかるよ
うなことを知らないで平然としている。」から「さぁ〜て、知らないでじゃあナ
ニを書いているか? といえば、以下のふたつだ。」への流れだと全然ちがう概
念のように感じられかねないので、そこは問題があったと思います。まあ、知っ
てると知らないとではあまりにも結果が違うことを強調したかったんだけど)、
ただそこに欠けている決定的な、少女への問題意識という鍵を嵌め込むことによ
って明らかになる、似たようなものの全然別の姿、だというのはトータルに読ん
でいただければ明らかだと思います(それこそが「女生徒」に関してまずまっさ
きに書かれるべきことなのに、不在であるどころか「女生徒」の陥穽にまんまと
はまった作品論ばかりなので、ほんとうに愚の骨頂で、「死屍累々」だと、言わ
ざるを得ません)。そのためにわざわざ少女論を持ち出す前に、作品論の対象に
してきた2点を挙げているわけで、この2点を含んでいると書いたことだけで、
根岸論文を批難していることにも、当たらないはずです。それを言ったら、私の
論自体、そうですからね。
 つけたし。「フェミニズム入荷しました」はおちょくりの言葉で、私としては
フェミニズムは出たばかりの、新しいキーワードなんだ、というニュアンスを出
すためにこういう言い回しをしています。まあ、具体的にどの論文を思い浮かべ
たとかではないんですが、根岸さんのがこれに当たるとしても別に問題ないわけ
です。作品論でない、と言ってるわけではないんで。そして 「おちょくり」は
このレジュメの基本的な態度です。ご立派な学者諸氏が高尚に苦悩しているの
を、どこぞの小娘が口汚く噛み付きにかかっている。だけどそれが結構当を得て
いる。学者先生肩なしだね、というおかしさです。寓話的風刺がコンセプト。
(ですが後半、ダイクストラのくだり前後から私も口調が本気になってしまっ
て、あまり成功はしていません)
 さて、誤解とはいえ(くわえて一時期とはいえ、であってほしい)私の言葉で
傷つけてしまった人にはひとまずあやまらなくちゃと思います。ごめんなさい。
しかしその屈辱の大半は誤解に基づくものですし、またかならずしもNHK的なわ
かりやすい文でないのには上のような理由があります。またこういう文を書くこ
とには他にも効能があって、見るからに理性的な、正しそうな文でないことによ
って読み手に警戒心を抱かせ、表面的な文意しか読めない、批判力のない人には
そもそも信頼されないので機械的に受け入れられる危険が回避でき、もうすこし
文を読む力のある人にこそ批判を伴って読んでもらえるだろうということです。
それに、どんなに周到な文を書いたところで、誤読は必ず生じるはずです。こん
なの、国文学者に向かって私がいうことではないと思いますが、

 と、ここまで書いてきのうはダウン。テキストの読解と誤読にまつわる話はデ
リケートすぎ、考えるうちにまとまらなくなって、その日は諦めて寝ました。
 (こういう日記的な書き方はあんまりしたくないですが。今回に限り。・・・
にしなきゃ)  翌日、学校から帰って夜12時過ぎに、ネットに接続したら、自分がものすごく
間が悪いということが発覚。メールが、来ていて、「根岸先生とのやりとりをか
らレジュメを見てみたいので」という内容。その前にもレジュメを見たいという
メールは一通あったのですが、きっと熱心な国文学科生なんだろうと思い、根岸
さんからの反論があったことと、しかし私は誤解だと思っていること、を付け加
えてURLを送っていたが、その時は気づいていなかったことに気づく。で、いそ
いで根岸さんのサイトへ接続。メールのやり取りを載せたページを見て、いろい
ろな情報を獲得。でもお風呂がスタンバイしていたので先に入った。湯舟で、根
岸さんがうちの記事見た時の気持ちってこんなだったのかな、と苦笑。
 風呂上がり、このメールを開いて続きを書き始める。
 まず、このタイミングでこのメールはさらに誤解(と思ってるのは私だけです
が。なんに対して、といえば私のキャラクターについて)の上塗りになりかねな
い危険も非常に感じて、えらくプレッシャーを感じたのですが、こういうただし
書きを加え、そのまま送ることにしました。
 そこでの言及については、いま勝手にここで改めて回答しておきます。
 1.マシンがダメになっているのは、ほんとうです。岐阜-東京の距離がなかっ
たら、お見せしたいくらい見事にダメになっています。マックOSの基本のインタ
ーフェイス、Finderがクラッシュして、起動後アプリケーションを立ち上げる
と、フリーズ。ユーティリティソフトを買うか、ハードディスクを初期化するか
が悩み所。初期化はいやだけど、そうも言ってられないなあ。
 2.根岸さんに開設時にメールを書かなかったのも、故意ではありません。ほん
とに、あちこちまわるんでばたばたしてて、抜けていたんです。結果はかなり致
命的でした。
 3..担当の教官へのリンクをつけたのは、そこまで深い意味を求められると思
わなかった私の軽率さが招いたこと、だと思います。「人気教官」って見るから
にからかいですもん。レジュメを作る段階で先生はほとんどノータッチです。
「女生徒」を出席番号順で割り当てたことくらい。それで勝手に作って、勝手に
発表して、こういうのはきちんとした論文にまとめる習慣をつけるといいよ、と
言われて、ウェブ公開しようかと思うんですー、と言ったらでも、あれは「悪
口」だから、外部に発信するならもうすこしやり方を変えたほうがいいよ、と言
われて、結局私がぜんぜん聞かなくてそのまんまやって、半分呆れられた、とい
うような推移があったことを強調しておきます。それで、根岸さんから反論が来
て、先生が私を鉄砲玉にして同業者攻撃しようとしてるんだと思われるのだけは
避けねばと思い、リンクを外した次第です。
 4.「日本近代文学」での戸松泉さんの論文の存在を私は知らず、その不勉強を
責められるのならばともかく、知りながらあえてこうした非「冷静」な態度を取
ったと思われるのは私の本意ではありません。

 さて、ここできのうの地点に戻ります。
 こんなの、国文学者に向かって私がいうことではないと思いますが、書かれた
文章は必ず読者を選ぶし、誤読を生みます。そして、ここから先は今の状況で口
にするのはとんだ問題思想だと思われかねない内容ですが、私は自分のレジュメ
の文章が、誰にでも読まれたいわけではないのです。私の主張の根本に迫る意欲
と暇と語学力と問題意識を兼ね備えた人にこそ、読まれたいと思っているので
す。もちろんその上で、それには価値がないよとか、もう遅いんだよとか批判し
てくれる人なら最高です。そういう人を発見する為にも、私はこのレジュメを公
開しているのです。これでは、自閉的という言葉を向けられても仕方ないかも知
れません。しかし、おこがましくも言わせてもらうなら、より強い言葉を使おう
とする時、ほんとうに言いたいことを言おうとする時、その文は閉じた空間の中
に築かれた文脈のなかに属して固有の意味づけを行われるはずです。らんぼうに
読んでも意味の取れる文章は、ろくなものではないと考えるのです。それはなに
より太宰作品の読みの歴史が証明していることです。私の向けている批判の鉾先
が、私の態度を自閉的と決定づけるものなのかどうか、ご不快かも知れませんが
もう一度全体を思い出して頂けたらと思います。
 
 それからこれはひとつ提案です。根岸さんの「女生徒-可憐で、魅力があり、
少しは高貴でもある少女」をウェブ掲載されてはいかがでしょうか。すでにかな
りメジャーな雑誌に掲載されていることですし、著作権上の問題もそれほどない
んではと思います。作成途中の論文でもないですし。まあ、見ている人により具
体的に状況を把握してもらうのが理想的なんじゃないか、と考えただけですの
で、ご一考下さい。
                                ※※※※

現時点での感想および今後について

 わたしを含めた十人の研究者を名指しで酷評した「女生徒論十選」(現行の名称は「extra 『女生徒』関連資料」)や、あきらかに研究論文とは異質の文体の「心ある読者(っていうか私ですが)」、「なにもんだよ、D。」といった放言調の結論部までを読み続けるにはかなりの忍耐と努力が必要でした。とくにわたしが苦痛だったのは、ウェブ上での罵倒系のことばをおりまぜることでウェブエッセー的な体裁をとりながら、インデックスページでは「このページは太宰治の小説『女性徒』についての研究を発信しています」と宣言する主宰者の姿勢の巧妙さです。

 現在わたしが強く感じている疑問は、当該のサイトを昨年の12月にあげた際になぜそこで批判の対象としている相手にメールでそれを通知しなかったのかという点です。この主宰者は自己のサイトは研究公開であり「専門家の方の反論でしたら大歓迎です」あるいは「せっかく垣根のない空間上にあるのならば」という認識をもっていたわけですから、閉鎖空間のなかでだけ通るような言説を出そうとは思っていなかったはずです。

 研究論文でも罵倒に近い研究者批判が行われるのはおりおり目にします。しかしそういった論文とこのページとが決定的に異なるのは、公開される論文で相手を批判した場合はかならず相手からのリアクションが予測されるという点です。閉鎖空間の中で批判をくりひろげるのは個人の自由ですが、それを研究とはいいません。自分の論に自信があるのならば(ましてあなたはこのサイトの原型となったゼミ発表がゼミ担当教員によって高く評価され、論文とするよう勧められたとわざわざ明記している)なぜ批判した相手全員にこのページのことを告知しないのか。あえてここでその根拠は書かないが、すくなくともわたしがメールアドレスをもっていることを知らなかったとは考えにくい。それをしないならばせめて従来の(罵倒系でもいいから)「研究論文」の文体に近づけようとしないのか。「女生徒」研究に関する批判としてならば、わたしたちはつい去年の「日本近代文学」の第60集での戸松泉さんのきわめて冷静なスタンスでの批評をみたばかりではないか。

 「女生徒論十選」(「extra 『女生徒』関連資料」)はかなり思い切ったページであり、これだけのものを掲示板上でひろく告知して公開した以上そこでおこなった言説に対する批判には応えるべきでしょう。もしも気楽なうちうちだけのウェブエッセーであるという理由で批判を忌避するとすれば(わたしがさきにいった巧妙さとはこの点です)、それは自己矛盾です。

 以上、要所要所で的確なコメントをくださいました方々に感謝いたしますとともに、今週たまりにたまった要件を片づけながら順次、個別にメールでのご報告をいたしたいと思っています。

中間報告   2000.2.15 再追加

 1月28日付のわたしのメールに対し、2月3日に「女生徒のリハビリ室」サイト主宰者より返信がありました。現段階では詳細は省きますが、一読したわたしは、ウェブ上でのリスク管理に対するこの主宰者の認識からみてこれ以上のメールのやりとりは時間のムダと判断し、ゼミ担当教員の方に至急連絡をとるよう主宰者に要望しました。

 2月5日付でゼミ担当教員の方からメールをいただき、以来数回のメール交換を重ねて、この「女生徒のリハビリ室」がある程度問題のあるサイトであるという点でわたしとゼミ担当教員の方との間で認識が一致しました。したがってこのページでは以降、主宰者からの連絡を待って最終的なまとめ(およびページ構成の変更)をあげたいと思います。また現段階に至ったということで派生的な問題に配慮し、ページ中の固有名詞については2月10日付で削除することとします。

 2月14日付で、「女生徒のリハビリ室」主宰者の方より、事情説明と謝罪のメールをうけとりました。今回のメールではメール転載などについても事前に了解を取る等のきちんとした対応をとっていただき、わたしとしてもありがたいと思っています。
 主宰者による一連の経過説明は、<メール論争>にありましたが現在はウェブ上から下げられています(2月27日時点)。

 # 「たとえ批判されても失うものはなにもない」「お遊びサイト」という経過説明でのことばは、ちょっとどうかなぁ。

 2月15日付でゼミ担当教員の方からご指摘いただき、このページ中の「指導教授」という文言を「ゼミ担当教員」に改めました。記述に正確さを欠いた点をお詫びいたします。また2月10日の更新の段階で文中の固有名詞すべてを削除したのはあくまでも私の判断であってこの担当教員の方からの要請ではなかったことを、あらためて記しておきます。

 以上、要所要所で的確なコメントをくださいました方々に感謝いたしますとともに、今週たまりにたまった要件を片づけながら順次、個別にメールでのご報告をいたしたいと思っています。

2000.6.12 up


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