「岐阜大学国語国文学」第25号(1998.3)所収


〈母〉の変容・序論


 根岸 泰子   








 この夏に「大学教材としての日本文学」研究会が東京で立ち上がった(1)。この会の趣意は、現在大学で講義されている近現代日本文学が自明の前提としている〈文学〉という枠組みが、講義される側の学生、すなわち現在の十代後半から二十代前半の世代にあってはすでに機能していないのではないかという現状認識に発している。すなわち世代間のコンテクストのギャップはすでに〈文学〉という共通認識を解体させているのではないか、という講義する側の危機感がここにはある。
 このような問題認識は逆に、大学の講義にあっては自明のものだった、近現代日本文学を〈文学〉として成り立たせていたコンテクストの解明自体をも迫ることになる。当然のこととはいえ、問われているのは講義する側の意識の相対化でもあるのだ。
 私自身もこの研究会の参加者のひとりとして、この問題を考える取りかかりとしてこれまでの自分自身の研究上のテーマであった、文学における〈母〉のイメージの問題から入っていきたいと思う。まずは具体的な実例からはじめよう。

 文学の領域はいざ知らず、現代のポップカルチャーの領域にはすでにこれまでになかったような〈母〉のイメージが出現しつつある。これまで近現代文学のなかでの母―子、特に娘の関係性については、たとえば宮本百合子や津島佑子の諸作品にみられるように、母への執着とともにそれと背中合わせの反発と闘争というアンビバレントな関係性が濃厚に認められたのであるが、現在のポップカルチャーの領域には、子の側からのニヒリズムともいうべき諦観がただよっている。
 次にあげるテキストは、そのようなポップカルチャーの領域―少年用コミックス―からとったものである。





 まったく気取りのないひやりとするような現実感をこのテキストはもっている。ここにはこれまで私が見てきた文学テキストにおける母―子(あるいは娘と限定してもいいのだが)の関係性とくらべると、きわだった違いがある。それは母に対する子の側からの完全な見切りであって、それまでの女性作家にあった憎悪と愛着という二極構造のうちの、母に引きつけられてゆく極がここにはまったく不在なのである。
 これにおとらないほどの母―娘の冷え切った関係性は、たとえば津島佑子の作品のなかに容易に見いだすことができる。だが決定的な違いは、津島佑子の作品中の〈母〉は、その家族の関係性のなかで空位の〈父〉の座を補填するために死力を尽くし、娘はそれに反発しながらもその〈母〉の自らを痛めつけるほどの義務感に対してはおそれとため息とともにそれを認めている点だ(3)。娘にとってはそれ自体が自己目的化してしまったかのような〈母〉の良妻賢母への強迫観念は、もはや畏敬の対象ですらある。それはいかんともしがたい彼女の母親の個性なのだ。だからこそ娘は〈母〉から逃走するのであって、そこには〈母〉の否定はないのである。
 それに対してこちらでは、実母に対する「お義母(かあ)さん」という呼びかけのことばが子の側からの母への切り捨てを端的に示している。そして「私は 自分にできないことを他人に強いる人間は/大嫌いです」という論理は、このテキストが暗示する母殺しのモチーフが、従来あったような愛憎二極のからみあった関係性の結果として読解されることを拒否する(4)。母が娘から否定されるのはそもそものはじまりから母が娘をまったく肯定していなかったからであり、結果として子は母―娘という結びつきをみずからの意志で解体してしまっている。ここに残るのはニヒリズムである。
 このような母―子の関係性は、最近の児童文学にもかなりめだってきている。たとえば魚住直子『超・ハーモニー』(講談社、平9・7)の場合、子にとっては母も父もひとしく役割人格としてしか機能していない。弱さの出方は父母でおのおのちがうにせよ、これまでの近代家族のなかで母親がうけもっていた固有の情緒性というものはもうここでの母ー子の関係性の中からは欠落している。
 プランターの花で飾られた郊外の住宅に住み次男が中高一貫の中学校に入学したこの家族の危機は、七年前に家出した長男がホモセクシュアルであることをカムアウトして戻ってきたことに始まる。「オカマ」の長男に対し父親は怒りを沈黙でしか表せず、母親は食卓で空疎なおしゃべりをつづけることによって現実を必死で押し戻そうとする。
 だがこの家族のより本質的な危機は、次男がその中学での授業についていけないことにあった。ひとりで苦しんでいる次男と疲れはてた父親とのあいだに一瞬やわらかな交感が成立するかにみえるが、彼が学校生活のきつさについてふれたとたん、父親の口から出た「あまいんじゃないか」「しっかりしろ、まだ入学したばかりだろ」という共感のかけらもないことばによってそれは断ち切られるのだ。
 特徴的なのは、次男が隠し続けていた学校での成績が学校からの通知によって知らされる場面だ。そこで次男が両親から浴びる「ひどいんじゃないの、どういうことなの」「じゃあどうして、こういうことになるのよ」「どうして、こういう成績になるのか説明してほしいな」「なんだ、これは」「小学校のときは、あんなにできたのにねえ」「なんだ、もう、メッキがはがれたのか」という罵声は、ほとんど両親のうちのどちらともつかない、区別のつけがたい声調だ。というよりもここでは父も母も<わかってくれようとしない親>でしかないのであって、〈母〉の固有性などはここではまったく蒸発しているのだ。
 『超・ハーモニー』の場合は、大人たちが子どもたちの現実をもう一度見つめ直そうと歩み寄っていくのを子どもたちが受け入れる、というかすかに予定調和的なにおいのするハッピーエンディングで終息する。だが子の側からの親への見切りという点で、これが「お義母さんへ」と共通のニュアンスをもっていることは確かである。
 もうひとつの児童文学、花形みつる『ドラゴンといっしょ』(河出書房新社、平9・ 8)も同様だ。母親の死によって自閉症となってしまった次男を、父親は精神科に連れていくことしか考えない。「いきなり精神科、ってのも」というボク(長男)に向かって「まず、脳外科に診療してもらうべき」かと問い返す父親を前に、ボクは「自分の父親がここまでアホだとは知らなかった」と嘆く。これもまた子どもの側からのみごとな見切りだといっていい。事故死した母もまたその依存的な一面が死後に明らかになるわけで、結果としてボクは両親からの自立を強いられることになるのだ。
 以上のテキストからうかがわれるのは、従来の文学における〈母〉がもっていたある情緒的な特性の過剰さが、これらのテキストの母親たちからはすっぽりと欠落していることである。過剰さだけではない、特性そのものが欠落している。母親も父親もそこでは単に親として平準化されていて、〈母〉という特性は欠如しているのだ。
 逆にここでその〈母〉という特性とは何か、という問いも可能だろう。だがこの問題についてはひとまず子の側が〈母〉に期待するのは、まず庇護するものと庇護されるものとしての関係性である、とごくおおざっぱに規定するにとどめておきたい。
 なぜならば〈母〉の特性とは、結局のところ家族という単位がその時代の国家および社会のなかにどのように位置づけられているかに依拠しているからである。要するに個人が家族に対して抱く結合感の性質は、まずこれらに依拠せざるをえない(5)。そして文学作品の中のイメージは、これらの家族(と国家・社会)の関係性から生じた母親の機能をストレートに反映するだけではなく、何らかの理由による母親の機能の過剰あるいは欠落に対する、子の側からの願望や忌避によるイメージの変形作用をこうむることでとめどなく拡大してゆくものなのだ。これらすべてを具体的なテキストぬきで追跡することはほとんど無意味である。したがってここでは、最低限の、庇護という関係性だけを抽出しておくことで話を進めていきたい。
 端的にいえば、ここで紹介したテキストに共通するのは、親には―母親にすら!―そもそもの最初から自分を庇護する能力も意思もないのだ、という現実への子どもたちの直面である。いわば無資格者としての親たちへの見切りなのだ。そして「お義母(かあ)さんへ」というテキストがもっともその端的な語り手となっているのは、ここには子の側からのいっさいの未練も怨念もともなわない、完全に親を他人としてみる冷め切ったまなざしが貫徹しているからである。
 社会学者の宮台真司の分析(6)を援用するならば、一九五〇年代後半からの団地化のプロセスで二世代少子家族(核家族)がふえ、専業主婦の存在(7)および子どもの養育責任は親にあるという考え方が一般化する。地域社会のになってきた通過儀礼等の教育機能は放棄され、その結果としての主婦たちの過剰負担は「バラ色の郊外団地」というフィクションによって支えられ、これが彼女たちの過剰負担の吸収・隠蔽装置となる。しかしこのような家族幻想は七〇年代には風化(「岸辺のアルバム」ブームや家庭内暴力殺人事件の頻発)し、家族幻想が崩壊した家族は学校の機能をバックアップすることに活路を見いだす。
 かくして、家庭および地域の「学校の出店(でみせ)」化がはじまる。だがこれがもちこたえられたのも共通一次試験の開始された七九年からバブル崩壊までで、それ以降の「成熟」した時代には「輝かしい未来」も「輝かしい大人」というロマンも消え失せ、学校は「成長のロマン」という緩衝装置を失ったまま、人材を過剰に細分化した社会の各役割に動機づけるための選別装置という内実をあらわにする。すべての矛盾はここで行きどころを失って噴出せざるを得ない(8)。そして宮台によれば、現状のなかでもっとも問題なのは、矛盾の吸収・隠蔽装置としてのフィクションが破綻したにもかかわらず、そこに自己の「実存」をかけてすがりつく人々である。
 ここで私流に敷衍するならば、そもそもが家族幻想を保持するために家庭と地域が「学校の出店」となることを選択した段階で家庭は、家族外の秩序と個人とのあいだの緩衝装置であることを自ら捨てたのだといえる。
 家族外の世界と家族とが異種の秩序と論理によって動機づけられているかぎり、家族内の成員にとっては、家庭は外部からのシェルターとなりうる。もちろん家族内の秩序に従えない成員にとっては家族とは抑圧にすぎないが、外側からみてどのような不条理な論理によって運営されていようと、外部の論理に耐えきれずそこから逃避してきた個人にとっては、家庭とは避難所となりうるのである。たとえばコルシカ島の家族が、それ自体が内部にどのような矛盾を抱えていたにせよ、ナポレオン統治下の時勢にあって、そこで犯罪者と認定された個人をファミリーの名の下にいかにかばいぬいたか、という一例を出すだけでもそのことはよく理解されるだろう(9)。いかにして家族という単位がその外部の国家なり共同体なりに抗してよくその成員を保護しうるか、という問題は家族という社会的な単位を考える上で非常に重要なことだと思うが、家庭が「学校の出店」と化したとき、学校という秩序に適応できなくなった子どもは三界に身の置きどころのない状況にたたされるのである。
 もうひとつの問題は、このような家族にあっては、必然的におのおのの成員が役割人格としてのみ生きることをしいられる点だろう。「会社共同体」に吸収されて家族のなかで透明化していった父親はひとまずおくとしても、良い母良い子の規範はおおむね「学校の出店」として学校のそれにしたがうことでみたされ、過剰負担となったはずの良妻賢母的な規範もまた母親のうちで我が身に照らして検討されることなく温存される。
 このような状況のなかでは、家族の成員はその役割に適応できなくなったときには容赦なく切り捨てられることになるだろう。つまり各成員が―母親も父親も―切り捨てられる恐怖と戦っていて、おのおののあいだには庇護という関係性がまったく機能しないのである。そしておのおのの節目―受験・就職・結婚・リストラetc.―を無事にくぐりぬけて現状維持していくこと自体が、実はおのおのの成員にとってはじりじりとフライパンの上でいりつけられていくような苦しみなのだ。これが『超・ハーモニー』のバックグラウンドであるといえる。
 ふたたび「お義母(かあ)さんへ」というテキストに戻ろう。
 ここにあるのは、役割人格としてしか機能しない母親への決別である。このテキストには、ポップカルチャーだからこそ肉薄しえたのかもしれない無遠慮なリアリティがある。これが身も蓋もない現実なのだ。
 ここはそれらの問題性そのものについて提言したり考えたりする場ではない。また文学の問題に限定しても、私自身、これらの問題が文学のテーマとしてあるいはモチーフとして今後どのように立ち上がってくるのかの予測はまったくつかないといわざるをえない。だがこれが、現在大学で近現代文学の講義を受けている学生たちのすくなからぬ部分が置かれてきた状況なのだとすれば、近現代文学のなかに描かれてきた〈母〉というイメージは彼らにとっては、どのように受け止められているのだろうか。もしかしたらそれらは、あくまでも「文学」というカッコづきの領域だけで成立するリアリティを失ったイメージにすぎないという可能性も考えられなくはない。だが逆に、近現代文学が自明のものとしてきたさまざまな〈母〉のイメージのもつ情動性を、私たちが実体的なものに還元せずにより客観的に人間の願望のシステムとして分析するためのきっかけとすることもまた可能なのではないか(10)
 それにしても、庇護されるという関係性を喪失した個人の痛みは、どのように回収されていくのだろうか。そのあたりにこれらのテキストが次にたどる方向性があるという予感だけは感じとれるような気がする。
 もうひとつ、これは新たな「母の崩壊」なのか。このニヒリズムは、まったく新しい方向への出発をさししめしているのだろうか。いうまでもなくこれは江藤淳の記念碑的な評論『成熟と喪失―”母”の崩壊―』(昭`・6)からストレートに導かれる問題設定ではあるのだが、以下の章では、これまでみてきたような現時点からもういちど『成熟と喪失』における「”母”の崩壊」の様相をふりかえってみたい。






 九〇年代のなかばに上野千鶴子は「『成熟と喪失』から三十年」(講談社文芸文庫解説、平5・10)という表題で江藤淳のこの評論を再評価している。




 あらためて『成熟と喪失』を読み返してみると、その〈物語〉のもつ文明批評性とそしてそのエモーショナルな力とに圧倒されるとともに、とくにその『抱擁家族』論にあっては、その読みの図式の正確さに驚かざるをえない。
 たとえば江藤のいう「農耕社会的な」母性原理といういいかたが、実際の近代日本の社会状況に照らしてみたときの近代日本における都市化と産業化の過程をまったく反映していないと言ってみたところで、これが〈物語〉である以上、それは瑕疵にすぎないのだ。上野が指摘するように、江藤自身が論中で、固定した階層秩序がしだいに流動化に向かった近代社会の特性について言及しているのをみればなおさらだろう。 
 ここで江藤の論旨をおさらいしてみるならば、江藤のいう”母”の崩壊は、ざっとつぎのようにとらえられている。日本は近代化のはじまりにあたって「天」という父性原理を喪失した。その後も母と息子とは「農民的・定住者的な母子の濃密な情緒」関係のなかにまどろみながら、学校教育制度の確立による近代産業化社会への移行の過程にあっても、希薄化していく「父」のイメージをいわば代償にしながら母子の関係性を温存していく。『海辺の光景』における母の崩壊は、「敗戦」という「物理的な外圧」によってその世界を支える経済的な絆が断ちきられたことによっている(11)
 そして日露戦争直後からの日本の農耕社会の近代産業化社会への移行は、昭和三十年代にいたって日本全国が「近代化」「産業化」の波にまきこまれ「ついに近代工業国に変貌を遂げた」ことで新たなステージに到達する。この段階の日本人のもっとも大きな心理的な原動力は「置き去りにされる不安」というきわめて根元的に「女性的」なものであった。この不安は現実の女性たちにもっとも大きな影響をもたらし、女性たちは自らの内なる「自然」=「母」を破壊することで先進国アメリカに追いすがろうとする。『抱擁家族』での母の崩壊とは、女性―妻・母―自身の手によって破壊され枯死したこの「自然」と「母」性であり、「アメリカ」「人工」のなかで彼女が「娼婦」へと変身するとき母の崩壊は決定的となるのである。
 江藤の慧眼は、『抱擁家族』で彼がたてたこの読解のコードのなかで、時子の「娼婦」への変貌の動機を「父」の不在にみる点にある。ここまで完璧な読解コードを与えられたとき読者としての私は、「娼婦」性という概念は、むしろ近代以降にキリスト教と前後して日本にもたらされたロマンチックラブ・イデオロギーのなりふりかまわぬ探求ということばで言い換えるべきではないのか、という提案をするのがせいいっぱいである(12)
 結論を急ごう。さきのポップカルチャーのなかの複数のテキストと対置したときに、『抱擁家族』論を頂点とする『成熟と喪失』の一番の特徴がはっきりとみえてくるだろう。なによりもここには、子の側からの〈母〉への冷酷な見切りがまったく存在しないのだ。このような見切りこそが真の意味の〈母〉殺しだとすれば、それに対し『成熟と喪失』での庇護し庇護されるという関係性は〈母〉が崩壊したのちも子のなかにのこり、それはある時は罪悪感となり、またあるときはとりかえしのつかない喪失感となる。ここでは〈母〉は本当の意味では死んでいないのではないか。
 ここからはじまってさらにもうひとつの特徴をあげることができる。まずここでの〈母〉のイメージが、息子(男の子)と母という関係性に極度に限定されていること。ここに横溢する〈母〉のイメージは、男の子という一方の性からのみみられた幻影なのだ。そしてなによりも、『成熟と喪失』というテキストは母の崩壊を宣告しながらも、その崩壊したはずの母は息子(男の子)の喪失感というその嘆き節のなかに生き返り、そしてテキスト中に瀰漫する。ここに喪失感という哀切なエモーションによって生気を吹き込まれた新たな〈母〉のイメージを江藤は確立させてしまっているのである。
 たとえば『抱擁家族』論での、時子の肉体の崩壊とともにとめどなく母性化してゆく俊介のイメージはどうだろう。江藤は家の中で突発的に梅酒と梅干しをこしらえようと思いたつ俊介に、生け贄となった女の皮を身にまとって大地母神の復活の儀式をするアズテックの男性神官のイメージをだぶらせる。この読解の図式自体にテキストとの矛盾はないとしても、このイメージの強烈さは、それ自体で崩壊したはずの”母”のイメージのとめどない瀰漫に手をかしていることにほかならないだろう。
 そしてまた「それならむしろ時子が破壊されなければならない。そのとき少なくとも『母』のイメイジは彼のなかに奪還されるからである」という、あたかもヴィクトリア朝時代のような不貞の母への懲罰としての「乳癌」という発想は、はたして『抱擁家族』というテキストのなかにその跡をたどれるのだろうか。さらに不貞と乳癌の関連性について、「『抱擁家族』には、あたかもそれは「人工」に憑かれて自己崩壊の道を選んだ「母」に何者かが下した刑罰、あるいはそうして「母」に拒まれた「子」のなかに澱む罪悪感の反映であるかのように書かれている」という江藤の叙述は、『抱擁家族』というテキストからまっすぐに発したものなのだろうか。(13)
 ここで江藤淳によって引用されなかった『抱擁家族』中の俊介の夢の場面を引いておこう。




 江藤淳の論の中には、子たちの父としての俊介像はほとんど存在しない。この引用部分は父親として子に対峙している俊介のすがたが描かれた、『抱擁家族』テキスト中の数少ない部分である。
 夢とはいえこれはまた頼りない父親像ではあるものの、俊介はここでは明確に父として子たちの生存の危機に怯え、なんとかしてその命をつなごうとむなしい努力を続けている。妻の不貞が子どもたちに及ぼす影響を、ここで俊介は〈子〉のひとりとしてではなく、まさに子どもたちの〈父〉として感じとっている。子どもたちが理由もなく死に至らしめられているというこの夢の強烈なイメージから放出する恐怖感は、父親としての俊介の恐怖である。夫が妻の罪を責めることと、子が母の罪を責めることとはけっして同一ではないはずだ。ここで恐怖を感じている俊介は、夫としてそして父親として子どもたちの母を責めているのではないのだろうか。
 このような〈父〉として、あるいは男としての俊介をも『抱擁家族』のテキストはそこここにのぞかせていると読みとることも可能なのだが、『成熟と喪失』はそのような可能性をことごとく扼殺してしまっている。たとえそれがすぐれた評論の特権であったとしても、『抱擁家族』というテキストのなかの俊介と時子の関係性に〈母〉とは異質の関係性がまったく存在しないという判断を下す権利は誰にもない。現代のポップカルチャー、そして年少の世代が〈母〉というイメージをおどろくほど冷徹に見切っているこの現在、われわれもまた江藤淳によって創造された〈母〉のイメージの呪縛から逃れて、別の可能性を求めてもう一度、江藤淳の論じたテキストに立ち返ってみる必要があるのではないだろうか。








(1997.11.4入稿)



『岐阜大学国語国文学』25 1998.3 所収 







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