ここで、小林秀雄論における<他者>のモチーフの問題点を指摘しておこう。
年譜を参照すればわかるように、このモチーフは、小林が昭和十四年あたりから傾斜していく「伝統」というモチーフと、入れ替わりまた断続的に並立して存在している。違和的な本質をもつ<他者>というモチーフと自他融合的なニュアンスの強い「伝統」というモチーフは、小林の中でどのようなかたちで併存することが可能だったのか。より正確には、後に述べるように、伝統への傾斜に至る小林の批評のうちでいったんは消滅したように見える<他者>のモチーフは、なぜ戦後になって、『罪と罰』の再論の中にもっとも先鋭なかたちで蘇ったのか。
あるいは「Xへの手紙」に顕著にみることのできる「<関係>の飢渇 (4)」と連帯への希求というこの時期の小林の志向性と<他者>というモチーフとは、どのように重なり合い、またどのような点で決定的に異なっていたのか。そしてこれらは「伝統」の発見とその中への沈潜という戦中期の小林の問題とどのように関係しあっているのか。
後にも述べるように、これらの問題に対してここで性急な解答を出すことは保留したいと思う。むしろこのような問題に対する解答にたどり着くための準備作業として、この稿では小林秀雄における<他者>のモチーフの特質そのものについての考察を行ってみたい。
この簡潔な叙述からも明らかなように、<他者>とは「私」あるいは「自我」にとってのあらゆる「他人・他我」のことにすぎないにもかかわらず、これがきわめてやっかいな問題性をはらむ(5) のは、現象学的観点からみたときには、「私」と同じように他人たちも主観をもつ「他我」であることがかならずしも自明ではないからである(6)。
別のことばで言うと、人間は日常生活の中ではかならずしも他人を、「私」の「自我」からは相対的に独立した系(<他者>)として認識しているわけではない。多かれ少なかれ日常生活にあっては、他人は「私」によって部分的に客体化(離人化)して認識されているのだ(7)。 したがって問題は逆に、通常は客体として認識されている他人が、「私」からは独立したひとつの系(<他者>)として「私」の前に立ち現れるのは、どのような瞬間であるのかというふうに設定し直すことができる。あるいは、ひとは自分の前に現前するものが客体としての存在であるのか、それとも<他者>であるのかをどのように識別できるのか、と言い替えてもいいだろう(8)。
ここで小林秀雄の問題を扱うにあたって<他者>の定義からはじめたのは、結論的にいえば小林秀雄における<他者>とはまさに現象学的な問題設定の、その前提部分にきわめて近いものであるからだ。
たとえば現象学的な意味あいでの<他者>の場合、<他者>の非自明性は、<他者>の存在を否定する唯我論の周辺にもっとも先鋭なかたちで認めることができると考えられるが、後述するようにここで論じる範囲での小林秀雄のテキストにおけるモチーフや傾向性は、まさに唯我論的な範疇にあるといえるのである。
ここで小林の問題に入っていく前に、もうすこしこの唯我論についての言及を続けよう。
唯我論は理論的には無矛盾であるため、これを理論的に打破することは不可能である。理論の真偽は実践によって試されるほかはない。つまり唯我論的な世界観をもった人間が結果として<他者>にゆきあたった場合、その<他者>認知のメカニズムを検証することで、われわれは<他者>のイメージにより近づくことができるのである。
唯我論にあっては外界とは自己の意識の産物にほかならないから、理論上<他者>は存在しない。どのように知覚されようとも、自己の回りにいる人間たちは自己の作り出した幻にすぎないのだ。自己の系だけが存在し、他の系が同時に存在するかもしれないという認識はまったく存在しない。そして先にも述べたように、唯我論者に対して、彼の世界観を理論によって捨てさせることは不可能である。
それではこのような観念には、どのように対処すべきなのだろうか。
唯我論をめぐっての考察を我々は現在いくつか知っているわけだが(9)、 ここではひとつのサンプルとしてキリスト教の場合を取り上げてみよう。それは、これが欧米をはじめとするキリスト教文化圏にあって広く一般的なオーソドクシーであり、また小林が<他者>の問題の最終的な論究をおこなったドストエフスキーの『罪と罰』の世界のベースとなる観念だからである。
キリスト教は、「被造物」という概念によりこの隘路をくぐり抜ける。カトリックの批評家であり作家であるG・K・チェスタートンは唯我論の世界を次のように評する(10)。
要約すれば、唯我論者は理論上は世界全体を把握しているが(11)、しかしそれは外部から見れば、彼が世界を自らが掌握する明視的な範囲内に限定しているにすぎず、その状態に固執しようとする彼の必死の努力は、次第に彼を一種の狂気に追い込んでいくということだろう(くりかえせば唯我論は理論上は完璧であるため、彼自身が仮に望んだとしても、理論によってそこから抜け出ることはできないのである)。
「完璧の論理性と精神の偏狭とがかく結合している」このような状態に対し、チェスタートンは「われわれの努めねばならぬのは、相手の論理の穴を突くことではなく、空気抜きの穴を開けてやることなのである」と述べる。たとえば、自らを神とみなすところまでこの「狂気」が昂進した男に対して、彼はこう言う。
きわめてオプティミスティックな感情に彩られながらも、これはカトリックの教義の本質的なひとつである「被造物であるところにある人間の喜び」を正確に提示している。つまりキリスト教にあっては、超越的な絶対者であるところの神(これは本質的な意味で<他者>と位置づけることができる)を設定することによってすべてが始まるのであり、絶対者としての神のもとにすべての人間が被造物(12)として同格に生きてゆく、すなわち神という絶対者の前に相対的な個々の系が人間の数だけ存在しているという、世界観が成立しているのである。そして肝心なのはキリスト教の教義がその状態を生気に満ちた「喜び」とみなしている点だ。逆説的な言い方だが、個々の系の相対性というイメージは、唯我論の栄光と苦痛の絶頂(あるいは奈落)から地上に墜落した人間によって、もっとも痛切に喜びに満ちたものとして感得されるといえるだろう。
それではこれらをふまえた上で、小林秀雄の問題に戻ってみよう。
注意すべきなのは、唯我論的傾向性(18)に長く慣れていた彼(観念的な男)にとっては、自己は常に世界の中心としての自意識そのものであり、そのかぎりでの自己は、「人間」という一般的・抽象的でほとんど無味無臭の概念、として規定されていた点である。というより超越論的主体ともいうべき自己は、積極的には何ものとも規定されておらず、その意味で性別を捨象した「人間」という抽象概念がもっともすわりがよかったのだ。
それに対して、対幻想的なニュアンスの強い「男」という概念はまったく思いもかけない発想であり、このような異質な発想によって自らを客体として捉えられることは、彼にとってはまったく異次元の体験なのだ。
しかも彼はこのような「対象化されること」を、恐怖や嫌悪や拒否といったネガティヴな感情(呑み込まれることに対する防衛規制)で受けとめるのではなく、むしろこれを自らを活気づけその存在意義を高めるような、少なくとも未知の眩惑的な体験として肯定的に捉えている。つまり一方的な呑み込まれという関係ではなく、自分の固有の位置を保った上での、対象化し対象化される関係性といえよう。
そしてこのような場で、ことばは「生々しい体験の頂に(ある)奇怪に不器用な言葉」に変貌し、それは「いよいよ曖昧となつていよいよ生生として来る」「心から心に直ちに通じて道草を食はない」という顕著な特徴を示す。注目すべきなのはこのような形容が、それまでの小林の批評では限定的に小説、それも特にドストエフスキーの作品に付随して、もっとも肯定的なものとして用いられていた点だ。
これらに、それまでの小林のテキストに現れた「俺」や「僕」という一人称がおびていた傾向性を重ね合わせて考えると、このかぎりでここでの女は、現実という場における<他者>(他の系)として位置づけられるだけの条件を備えているといえよう。
だが小林秀雄論の場に引き戻してこの問題を考えた場合、見落としてはならないのは、このような<他者>との遭遇が、「友」に対してすでに終わってしまった事件として語られている、というこの作品の形式だ。
「Xへの手紙」の女が<他者>であったとすれば、「友」は「俺」という主体に対しては本質的にまったく別の関係性をもっている。しばしば連帯という観念によって論じられるこの時期以降の小林秀雄の志向性は、いうまでもなくこの「友」への呼びかけである「Xへの手紙」の形式をその一つの根拠としているわけだが、この作品内で「俺」によって語りかけられる「友」とは、「俺」と対話する主体としては設定されていない。むしろ「批評家失格」以降に登場する「和やかな眼」としての<母(19)>(このイメージは「Xへの手紙」にも登場する)と本質的に同質の、愛情(信頼)によって自分自身を完全に理解し尽くしてくれている存在である。次のような「友」へのことばは、それを明瞭に示している。
つまり「Xへの手紙」の語りの現在時では<他者>はすでに過ぎ去った事件でしかないのに対し、「俺」の前に現在いるのは「友」という、いわば小林の批評にあっては<母>と同質の相手なのだ。
このあたりでこの節の結論に入っておこう。
<他者>との遭遇という事件が「俺」をどう変えたか(作用したか)については「Xへの手紙」は何も語らない。だが少なくとも現在時の「俺」が、「友」という、自己を丸ごと容認して受け入れることのできる相手との関係性(20)を、現実の中に繰り返し確認し希求しているということ、は「俺」の明らかな変化のひとつなのだ。
だがこの関係性は、相手が「俺」を完全に理解していることが前提になっている以上、ここで「俺」と「友」のあいだには<私−彼>コミュニケーションとしての対話は成立しない。「Xへの手紙」がかぎりなく独白に近い印象を読者に与える理由は、多分ここから来ている。
このような事情は小林のもうひとつの小説「オフェリヤ遺文」にも顕著だ。
この作品の典拠のひとつであるランボーの散文詩「錯乱1」(『地獄の一季節』所収)が、キリスト教の伝統にのっとって、神という絶対者に懺悔する女という形式をとっていることには重要な機能がある。神という、どのような秘密の告白でも聴いてくれる相手を前に、女はせっぱ詰まってあられもなく男との関係を愚痴りながら、いつしかその過程で過去を反芻し自分たちの関係のありようを次第に理解し始め、自問自答を繰り返しまたやぶれかぶれのことばを放つことで、二人の関係性に対する最初には予期もしていなかったような諦念に達していく。
話すべき内容、懺悔の内容などはじめから決まっていたわけではない。つまり語ること自体がひとつの認識上の行為であり、これは神という、地上の世俗的な道徳観には拘束されない<他者>に自己を理解させようとする試み、ある目的と動機を明確にもったコミュニケーションといっていい。しかもこのような聞き手を得ることで女の語りには彼女の固有の息づかいや情感が生まれ、それが語られる客体である男との関係性−そして男自身の像を具体的なものとして読者に感じさせる効果を生み出す。さらに「錯乱1」の作者であるランボー自身がこの作品のモデルとなった現実でのヴェルレーヌとの関係のなかでは「錯乱1」の男の位置にいた、ということを考え合わせると、ランボーにとって「錯乱1」は自己自身を女という異質な系によってとらえるための実験場だったといえる。
ところがこのような「錯乱1」を典拠とした小林の小説「オフェリヤ遺文」では、小林はオフェリヤの語りの相手をハムレットに振り当てることで、「錯乱1」のもっていた異質な系による自意識の相対化という機能を大幅に減衰させてしまう(21)。
「オフェリヤ遺文」で小林は、「ハムレット」のシチュエーションに独自の虚構を加えることでオフェリヤのハムレットへの強い恋情を強調し、しかもハムレットの側からのオフェリヤへの感情をゼロ以下に設定する(ここでハムレットの「友」ホレイショーが、ハムレットを守ってオフェリヤの前に立ちはだかる存在として描かれているのは暗示的だ)。その結果、交感が成立することは絶望的な関係性の中で、しかもハムレットへの強い恋着をもちつづけることを作者によって強いられたオフェリヤは、相手への関心を自分自身の支離滅裂な心理状態を縷々と語ることによって暗示するだけで、コミュニケーションははじめから封殺されているのだ。「錯乱1」でのかぎりなく寛容で忍耐強い聞き手である神と比較したとき、自意識の虜になっているハムレットが聞き手として機能するわけはなく、オフェリヤの語りは<他者>との接触を禁じられた不毛な饒舌(独言)に変質していくほかはない(22)。
年譜は「オフェリヤ遺文」の執筆時期が、現実での小林が「Xへの手紙」に描かれた(女という)<他者>との遭遇のただなかにあった時期と一致しているという事実をわれわれに教えている(23)。その渦中で書かれた「オフェリヤ遺文」が、縺れ合いながらもやがてすれちがっていく二つの系を絶対<他者>である神を媒介にすることで表現した「錯乱1」をモデルとしながら、結果的に<他者>不在の単独の告白となった理由についてはここでは問わない。そこには積極的なものは考えられないからである。ただここでは、<他者>という存在に対し、小林は自らの「小説」の中でそれを系として定着させることはできなかったということ、そして<他者>との遭遇という事件が過ぎ去ったあとで小林の中に「友」というモチーフが再構築されていたこと、そして先走っていうならばやがて「伝統」、「歴史」そして「民衆」(のちに「国民」へと変化)というモチーフがそれらに付随して生まれてくることを指摘しておきたい。
唯我論的志向性、そして<他者>との遭遇のあわいに生まれでてきた「友」というモチーフ(いうまでもなくこれは唯我論的な状態と比較すれば現実に向かって自己を開いていこうとする欲求へとつながっていく)と、<他者>とのあいだの微妙なズレの測定とその小林にとっての意味あいはここでは保留しておこう。そのためには「伝統」をはじめとするモチーフを、歴史的概念を導入して分析することが不可欠だからだ。この稿ではひとまず、いったんは他のモチーフの中に揮発していったかに見えた<他者>のモチーフが、大東亜戦争をはさんでの戦前と戦後の一時期に「罪と罰」論の中に、これまでになく先鋭なかたちで浮かび上がってきた様相について、次節で分析してみたい。
ここで小林が繰り返し強調したのは、この名付けようもないような観念的な孤独であり、その中では生の現実すらがデジャ・ヴュと化すような様相である。したがってラスコーリニコフがソーニャに自分の犯罪を告白する瞬間すら、ソーニャがラスコーリニコフに見るのは「底知れない意地悪さ」でしかない。
ラスコーリニコフは刺すような孤独の中で、もっとも「謙譲」な女を「己の本性を映すに最も好都合な鏡」として求めるのであり、小林にとっては、それがたまたまソーニャであったにすぎない(「恐らく彼女は、もつと尋常な愛と若干の物質によつて幸福になり得た女だ。彼女こそいゝ面の皮だが、如上の解釈がラスコオリニコフには絶対に必要であつたのなら、因果な女だといふより仕方ない」)。この段階では小林のモチーフはあくまでもラスコーリニコフを主とし、ソーニャはダシにすぎない。そしてソーニャに告白した瞬間のラスコーリニコフのほほえみを「現実で得た人間的性格を悉く紛失した」男の「凡そ無意味な微笑」とみる小林は、「『罪と罰』の真の物語はラスコオリニコフの微笑で終つたのである」と結論する。
この段階での小林は、彼の文学的出発時における唯我論の問題がラスコーリニコフという人物によって具体化されている点にもっとも惹かれている。彼がここに認めるのは唯我論的な苦痛のとてつもなくリアリスティックな再現であり、したがってここではまだ神の問題もソーニャの問題も、つまり<他者>の問題は顕在化してこない。だがここではその反面、この時期の小林が「友」と連帯というモチーフと平行しながら、それとはまったく異質な唯我論的な問題にのめり込んでいたことを忘れないでおこう。
これに対し戦時下の状況を経た戦後の「『罪と罰』についてU」(25)では、主人公の系(「主人公が生きてゐる世界の遠近法」)と他の系のぶつかりあいとしての現実のありようと、<小説>形式の相関性がストレートに関係づけられ、一人称でありながら他の系も作品に内在するような小説の不可能性(「さういふ事になれば、『二重人格』の主人公が、対立する二つの世界を抱いて発狂してゐる様に、小説自体が発狂して了ふ」)が確認された上で、ドストエフスキーの『地下室の手記』の恐るべきジレンマが分析されるところから始まる。つまりここで小林は、小説における系という発想を唯我論者である主人公の問題と絡めて、前面に押し出しているのだ。ここからは唯我論者に対面する<他者>は地続きである。
したがって、ソーニャの比重は飛躍的に増す。論中でソーニャは「狂女」「狂信」者として乖離的に表象された上で、ラスコーリニコフの本質を「神様は御存知だ、この人は限りなく不幸な人だ」と正確に捉えている存在とされる。そして「T」では単にラスコーリニコフにとっての「鏡」でしかなかったソーニャが、「U」では「パラドックス」となり、ソーニャは単なる謙譲な精神=鏡から、ラスコーリニコフとは別個のひとつの「生きる悲しみ」として自立する。
山本七平が指摘したように(26)、作品の末尾に「すべて信仰によらぬことは罪なり」というロマ書のことばの引用をした小林が、ソーニャの論理にキリスト教の本質を見ていたことは明らかだろう。小林は神の教義については明言を避けているが、「U」のテキストで小林が強く固執するのは、ラスコーリニコフがネヴァ河で人との絆が切れてしまったように感じたことを承ける「どうして人を離れて生きていけます!(27)」というソーニャの叫びであり、またソーニャがラスコーリニコフに「底知れない意地悪さ」を見る場面で、「T」がソーニャの反応にはいっさい触れていないのに対し、貧困と売春という屈辱の中でなぜ生きていられるのか、また彼女の妹たちも同じ陥穽に堕ちるだろうと予告して神を否定するラスコーリニコフに対する「どうか黙っててください!きかないでください!あなたにそんな資格はありません・・・・・・」「あなたは神様から離れたのです。それで神様があなたを懲らしめて、悪魔にお渡しになったのです」「あなたは涜神者です」という「狂信者」の「憤懣と激昂」だ。これに「いいえ、いま世界中であなたより不幸な人は、ひとりもありませんわ」というソーニャの認識をつけ加えれば、ここには、唯我論的状態でいること(孤独であること)自体が罪の温床であるというキリスト教の根幹的な思想がある(チェスタートンの語る教義はこれと一体である)。しかもこれは懐疑論者ラスコーリニコフにとっては「狂信者」の思想であり、ソーニャから見れば一瞬ラスコーリニコフは「狂人」であり、それらの語りによって「罪と罰」というテキストは彼ら二人がおのおの独立した別の系に属していることを読者に対し巧みに表現しているといえる。
だがここで小林がもっとも重視するのは、信仰のもとに人間と人間のつながりを一義的なものとするソーニャの認識と、それらを全て否定する懐疑論者のラスコーリニコフのあいだに、どのようなかたちで道が穿たれるかというそのプロセスとその論理である。これを小林は、ラスコーリニコフの系とソーニャの系とにかわるがわるほぼ均等に寄り添うという方法によって解析している。
この解析はラスコーリニコフがソーニャに自身の犯罪を告白する場面に焦点を当てておこなわれる。ラスコーリニコフがソーニャに惹かれたのは、彼が自己の孤独の中で、同質のしかも別個の「悲しみ」に引き寄せられることを望んだからとされる。その理由自体は語られることはないが、このような説明はすでにこの段階での小林にとってここでのソーニャが、ラスコーリニコフにとって<他者>であることを暗示している。
小林の解析の独創は、この場面にリザヴェータの「幽霊」の出現を見る点だ。ラスコーリニコフが告白する瞬間、彼は自分が老婆を殺すために斧を振り上げた瞬間とこの瞬間が同質のものであると感じて「心を凍らせる」。それを見たソーニャの顔に彼が殺したリザヴェータの恐怖の表情がそっくりそのままに浮かぶ。小林はこれを「リザヴェエタの幽霊が出た」と表現し、「注意しておきたいが、ラスコオリニコフがリザヴェエタの事を本当に思い出すのはこの時が始めてであり、又この時限りである」とわざわざ注記する。
虱のような婆さんの妹という以上の属性を与えられていなかったリザヴェータ(28)に恐怖という人間的な感情を認めたこと自体、ラスコーリニコフの唯我論的な認識の系がすでになにものかによって撹拌され、彼の中で極度に離人化されていたリザヴェータの像に血が通いはじめていたことを小林が認めていたしるしといえよう。そしてこのようなリザヴェータ像の変化自体が、ラスコーリニコフから伝染したソーニャの恐怖がラスコーリニコフにバックしてきた結果であった(「リザヴェエタの恐怖は、実はソオニャから貰ったものであり、ソオニャの恐怖は、彼自ら与へたものである。どうしても人と心を分ち得ないと考へてゐる人間が、思ひも掛けぬ形で人と心を分ち合ふ有様が見られる」)。小林はこのような解釈によって、ひとつの孤独な系が全く別の系と接触しエネルギー交換する様相を説明する。そして「恐怖がラスコオリニコフとソオニャを一人にする。真実不思議な事ではあるのだが、恐怖が愛でないと誰に言ひ得ようか」といういいかたで、ここに愛という系と系との接触−ラスコーリニコフの立場から見れば<他者>の発見−を認めるのである。
このようにみれば、小林は「罪と罰についてU」ではじめて、戦前期の彼の批評も創作も果たせなかった<他者>の顕現の瞬間をとらえることにみごとに成功したといえるだろう。これを彼は、自閉的で孤独なひとつの系を基点とすることでかぎりなく現実のひとりの人間の視点に近づきながら、しかも視点変換をはじめとする小説的技法を駆使することによってはじめて主人公の前での<他者>の顕現という特権的な瞬間をとらええたドストエフスキーのテキストを周到にフォローすること−作品論−によって果たすのである。結局のところこれが、小林の批評における<他者>遭遇の極北なのだ(29)。
だがキリスト教という観点からいえば、ラスコーリニコフが<他者>を受け入れることによって唯我論の地獄から脱出するために不可欠だった神というモチーフは、結局のところ契機として以上には扱われてはいない。換言すればここまで深くキリスト教の領域に入り込みながら、小林はラスコーリニコフがかろうじてソーニャを受け入れた(唯我論が他の系を認知する)部分だけはフォローするものの、たとえばチェスタートンが示したような、星の数ほども多いたくさんの系の集合である世界を神のもとに認める段階についてはまったく関心をもたないようにみえる。もちろんドストエフスキー、あるいは「罪と罰」も無条件で神を賛美してはいない。それはひとつには、ロシヤの現実はチェスタートンの生きた二十世紀初頭のイギリスと違って神を無条件に祝福できるものではなかったからだろうが、しかしドストエフスキーの問題とは、逆に(チェスタートンのような恵まれた条件にいないにもかかわらず)なぜ自分がそのような神を求める可能性を残しているのかというところにあったともいえるのだ。小林はこの部分についてはそれ以上触れようとしない。
このように考えたとき、小林のキリスト教理解は<他者>認知の段階でストップしているとみることができる。キリスト教の立場から見た小林秀雄のこのような「限界」が何に帰因していたかについては即断はできないが、多分これは最晩年の白鳥論につながりうる問題だろう。
以上、ふたつの「罪と罰」論の変化を中心に、小林秀雄における<他者>の問題のいささかの整理を試みてみた。<他者>という違和的な存在はこれ以降小林の批評の中からはほぼその姿を消していく。小林は特に戦後の『罪と罰』論での<他者>像の造形によって何を獲得し、何を不要のものとして捨て去ったのか。これらすべての新たな問題は、小林秀雄の批評におけるさまざまなモチーフの消長とクロスさせ、そして何よりも歴史的な観点を導入することによって分析されなければなるまい。本稿はそのためのささやかな第一歩である。
という記述参照。
(19) この問題に付随しての、小林秀雄における<母>の意味については、稿を改めて論じたい。
(20) これはある目的や価値観を共有することで結びついている「仲間」・「連帯」という概念とは区別されるべきだろう。
(21) (16)参照。
(22) このような状況では、交感という<他者>との関係性のうちに成立するエロスが生まれ出してくる余地はない。
(23) (2)参照。ただし江藤淳によれば「Xへの手紙」には、より早い時期の長谷川泰子のイメージと第二の女性のイメージとが二重に投影している。私は長谷川泰子体験は、時評期の小林が、虚無を脱して系としての人間を疑似体験する<小説>というモチーフへと転回する契機のひとつであったと考える。
(24) 引用は、新潮社版『新訂小林秀雄全集』による。
(25) 初出は「『罪と罰』について」(「創元」、昭23.11)。
(26) 「小林秀雄とラスコーリニコフ」(「新潮」、昭59.2)。
(27) 以下ドストエフスキーのテキストの引用は、米川正夫訳『罪と罰』(『ドストエフスキー全集6』、河出書房新社)による。
(28) しかしソーニャにとって彼女は、信仰を同じくする友である。
(29) 恋愛という関係性についていえば、「オフェリヤ遺文」などと同様「罪と罰」論における「恋愛」にもエロスという要素はほとんど存在しない。これは「罪と罰」というテキスト自体のなかで、二人の相互の心の交流の時間がエロスという余剰物を生み出すにはあまりにも短すぎる、いわば<他者>出現の一瞬だけにかかっているからである。
関連サイトのリンク
Summary (English)
根岸泰子のホームページへ
mail:kameoka@cc.gifu-u.ac.jp