センターの沿革
History of MEDC
センターの沿革
岐阜大学医学教育開発研究センター(MEDC)は、2001年に文部科学省認定の全国共同利用施設として認可を頂き設立されました。そして文部科学省に寄り2009年に制定・施行された「教育関係共同利用拠点の認定等に関する規定」に基づき、2010年からは医学教育分野で唯一の教育関係共同利用拠点と認可され、現在の発展につながっています。この認可と発展の礎には、それまでの岐阜大学医学部の活発な医学教育の歴史があります。
日本の医学教育学の黎明期と岐阜大学医学部の貢献
日本の高度経済成長期以降の医学教育の歴史は、医学教育学会の発足と重なります。日本医学教育学会(http://jsme.umin.ac.jp/)は、“医学教育に関する研究の充実・発展ならびにその成果の普及”を目的として、全国医学部長病院長会議の賛同のもとに1969年(昭和44年)に創立されています。日本の医学教育の学術的なルーツのひとつは、1973年に豪州シドニーで開催されたWHO主催の第1回Teachers Trainingワークショップです。我が国から初めて参加した3名の医師がその学びを我が国に普及させていきました。それが、牛場大蔵先生(慶應義塾大学)、日野原重明先生(聖路加国際病院)、そして公衆衛生学の権威であり、当時岐阜大学の医学部長で、のちに第6代学長を務められた館正知先生でありました。翌年1974年の第2回ワークショップには、病理学の大家で教授であられた岐阜大学尾島昭次先生も参加されています。この当時から、いかに岐阜大学の医学教育の熱量が高かったのかを伺い知ることができます。尾島教授は、その後医学部の入試制度改革やその全国発信をなされ、また指導者のための講習会の設立にもご尽力なされました。そのような岐阜大学教授陣含む先人たちの業績もあり、日本医学教育学会は、黎明期を経て、1997年(平成9年)には日本医学会に第90分科会として加盟を認められ、2010年には一般社団法人となり、現在に至ります。
90年代の岐阜大学医学部移転とMEDCの認可・設立
このように当時の岐阜大学の医学部教育の質の向上と発展には、岐阜大学医学部の医学教育の活性化のため1970~80年代にご活躍された、舘正知名誉教授・学長と尾島昭次名誉教授の全国に轟いていた名声を抜きにして語れません。その機運を受け、1995年、松永隆信整形外科教授が学部長の在任中に国立大学で初めてテュトーリアル教育が導入されました。そんな90年代後半、岐阜大学医学部では柳戸キャンパス移転の議論が盛んでした。しかし本省からは、新規医学部キャンパスの設置と移転のためには、講座体制・研究そして医学教育の大改革が条件とされました。その議論で、医学教育の活性化のためにも、医学教育機能を有する医学情報施設の設立計画がまず進みました。文部科学省への陳情の末、我々の願いは医学教育を全国に広げる機能を有する施設を設置する構想へと発展し、“全国の各機関・大学とのネットワークによる情報交換によって新しい医学教育の創造を発信し、連携を図る施設”として2分野6名(教授2、准教授2、助教2)の教員体制からなるMEDCが2001年に創設されました。2002年には岐阜大学医学部は学部・研究科の核心的な組織替えを実行し、それらの構造改革も認められて、現在の柳戸キャンパスに移転しました。移転当時を知らせるリソースによると、“岐阜大学はこれにより、医学部医学科は現在5大講座34分野となり、大学院医学研究科はひとつの一般専攻系と、ひとつの独立専攻系に再編。医療の高度化・多様化に対応できる組織体制と、研究教育体制の充実を図った。さらに医学部の理念を具現化するものとして(1)既存講座にとらわれない学部及び大学院教育、(2)問題解決能力の育成、総合的かつ実践的知識の取得、自己学習及び生涯学習の慣習、対人的関係の向上などを図るための少人数・問題解決型の能動的教育法であるテュトーリアル教育のさらなる発展、(3)模擬患者参加型臨床医学教育による医療の質的向上、(4)クリニカルクラークシップ型臨床実習による医学・医療全般に通じる幅広い知識と倫理性を持った医師の養成、(5)学部内、学内、国内外の研究施設及び企業との共同研究体制の確立、などを掲げ、国境・時代・専門を越えて活躍する人材の育成を目指している。”と記録されています。http://www.jiti.co.jp/graph/kouji/0403gifudai/0403gifudai.htmこのように、最新の医学教育に舘教授や尾島教授の礎のもと、未来の医学教育の潮流を創り上げていく願いと取り組みが、このようにして医学部キャンパス移転の際の目玉の一つとして大きく取り上げられ、MEDCは産声を上げて現在に至っていることを我々は忘れません。
医学教育における共同利用施設の認可・発足
2001年から我々は、文部科学省の共同利用施設制度において施設認可されました。そしてその全国の医学教育を活性化させるミッションを果たすべく、「医学教育セミナーとワークショップ」を年に4回開催して参りました。脈々とその開催は継続されており、これまで延べ1万3千人以上のご参加を賜り、全国の医学教育関係者のカレンダーに書き留めていただくセミナーとして人気を博しております。その後、全国に先駆けて開発・実装していたPBLテュト―リアルや医療コミュニケーション実習は大きな話題となり、報道いただいたのみならず、全国の医学部からの見学者に来岐いただきました。2010年には、大学間連携を図る取組を一層推進するために創設された文部科学省の「教育関係共同利用拠点」認定制度に伴い、医学教育分野では唯一の認定を受け、施設から拠点と格上げされました。この認定においては、医学教育に全国の教職員を誘い活動を活性化させた実績の他、海外のエキスパートとの国際的交流も盛んに推進し、医学教育の情報に関する輸出入に貢献した実績もお認め頂けました。
活動の歴史を振り返ると、第1期拠点認定(事業名:多職種連携医療教育法の開発とFDの全国展開、2010-2014年、総額6千百万円)以降も、新しい医学教育法の開発、医学教育に貢献できる人材育成、国内外の医学教育機関との連携、大学院を通じた医療者教育研究を推進してきました。その後も、おかげさまで第2期(事業名:医療者教育フェローシップの構築:体系的FD・メンタリング・研究支援を融合した新たなFDの全国展開、2015-2019年、総額5千6百万円)、により現在も続いている医学教育フェローシップ・アソシエイト制度には全国の医師・医学部教員・医療従事者が集い体系的な学びを得ており、200名以上の認定を行っています。さらに第三期(事業名: FD/SD融合型の医療者教育教職協働モデル講習会およびe-learningシステムの構築と全国展開、2020-2024年、総額3千4百万円)、においては、医療者教育スターターキットという医療者教育をelearningで学習できるサイトを構築し、全国の2200名以上の関係者に医療者教育の基本を体得頂いております。そして第四期(事業名:教育デザイナー養成講座“バード”及びオンライン・コミュニティ“学びの大地”の新設、2025-2027年)においても、教育関係共同利用拠点制度の「大学の職員の組織的な研修等の実施機関」の一つとして更新・再認定を受けており、医学教育分野では現在もなお唯一の拠点となっています。
大学院教育を通じた学術性と専門性の向上
1980年代から始まった医学教育学の発展は徐々に広がり、修士課程を修めることが専門家の証である時代になりました。1990年当時は世界に7校しかなかった医学教育修士課程は、2020年代には、180校にはで広がりました。わが国からも40名強が修了を修めておりますが、我が国にも独自に国内で学べるような修士課程の設置の声が医学教育学会でも高まりました。そしてついに2020年、岐阜大学大学院医学系研究科には、我が国で初めての、そして2025年現在唯一の、医療者教育学専攻修士課程が設立されました。MEDCのスタッフは、2008年より大学院博士課程医学教育学分野での研究指導を兼任し、全国の多様な医療者教育関係者を対象として医療者教育学のリーダーの育成を行ってきました。医療者教育学修士課程の設立に成功した要因のひとつとして、岐阜大学にMEDCが存在し全国の医療者教育の活性化に貢献していること、そして、これまで培った豊富な人材育成の指導力や国内外の学際的ネットワークも評価いただくことができました。これも、私どもの企画をご愛顧いただき、ご支援賜りました国内外の皆様のおかげであると認識しており、厚く御礼申しあげます。このような活動のなかで多数の医学教育における国際論文を通じた学術的発信等が評価されております。それらの実績をもとに2008年に始まった大学院博士課程ではこれまで、11名が博士号を取得しており、修士課程では25名が学位を授与されています。これらはまだ少ないとはいえ国内随一の博士号・修士号授与数です。その卒業生からは、現時点で大学教授に就任した方が3名、副病院長が1名おります。また2020年に始まった修士課程卒業生からは、すでに2名が教授就任しており、本学で修めた学位の質の高さを示すものと感謝しています。
医学教育学会における活躍と受賞歴
一般社団法人日本医学教育学会は、長い歴史を誇る学会で、岐阜大学も多きに貢献してまいりました。これまで岐阜大学からは、理事長を2名(尾島昭次教授【副理事長:1997年1月~1999年12月】【理事長:2000年1月~2002年12月】、鈴木康之教授【理事長:2016年6月~2020年5月】)輩出してその学術的発展を継承する一端を岐阜大学は担ってきました。また光栄なことに、学会3賞においても受賞歴が多数ございます。学会創設者である牛場先生の名前を冠し「医学教育に関する指導的論文・著書又は医学教育に関する活動・業績がわが国の医学教育の改善に多大の貢献をした者」に授与される「牛場賞」には尾島昭次教授(1998年度)・髙橋優三教授(2015年度)が歴代受賞しています。また「医学教育の場で、国際的に貢献され、さらなる活躍が期待される人」に、学会の名誉会長であらせられた日野原重明先生のお名前を冠した賞として制定された「日野原賞」には鈴木康之教授(2015年度)、西城卓也教授(2022年度)が授与されています。さらに「学会誌「医学教育」、またはこの分野の国際誌に論文を発表し、今後、医学教育の領域で一層の活躍が期待できる者」に授与される「懸田賞」には西城卓也教授(2012年度)・今福輪太郎(当時 併任講師)(2022年度)・川上ちひろ准教授(2024年度)・野村理併任講師(2024年度)が受賞しております。これは一大学として国内最多受賞数を誇るもので、岐阜大学の継続的かつ大きな貢献を示す業績に他なりません。今後も医学教育開発研究センターは、全国の医療系大学そして海外の先進大学と医学教育/医療者教育において密に連携して、一層の医学・医療者教育と人材育成の活性化を図ります。そして全国医学部医学教育部門ユニットが一堂に集うユニットの会の世話人代表校として、全国の皆様とともに、医学教育の実践開発・政策提言・学術的発展に貢献してゆく所存です。
引き続きのご愛顧と、今後のご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。