19970916
■「ファースト・フード」
なんで最初の食料なんだろうと、ちょっと疑問に思っていて、まぁ、いいや、と聞き流していたことば。
やっぱり「ファースト」ではないのね。「ファスト」だそうだ。
ということを伊藤哲彦さんの「ことば・日本語のホームページ」で知った次第。
おや、「シミュレーション」にも触れている。
あれあれ、法の「施行」はセコウと読むことも場合によってはOKなのね。
参考文献もたくさん挙げられていて、現代語に疎い(?)私には文字通り参考になりそうです。
ホームページを立ち上げて一年だから、というわけでもないのですが、トップページの意匠を一新しました。
また、名無しでは可哀相なので「ことばへの窓」などと付けてみました。
構成(中身)は相変わらずですが、「私はだれ?」
を加えたのが新しいといえば新しい。もう少し補記するつもりです。
19970918
■「国語学史への旅」
というコーナーをはじめた。
こちらからどうぞ。ただ、フレームになってます。
対応してないブラウザの場合は、こちらでリンクを参照できます。ちょっといいでしょ。
大学で「国語史・国語学史」という講義を担当している。
が、こういう欲張りな内容はとてもじゃないがまっとうできない。
そこで、「国語史」を主に、「学史」はその内容がらみでちょっと紹介するくらい。
私も人の子。良心が痛む。
ところで、昨今、村おこし・町おこしがさかんだ。
その一環で、出身有名人を掘り起こしたり、再認識したりしている。
顕彰した記念碑・記念館も随分作られるようになった。
WWW上でも「こんな歴史があったところです。わが町は」「こんなに文化に貢献した土地柄なんです」とアピールするようになった。
ただ、それが単発で終わったり、深まらなかったりすることもないではない。
そこで思い立ったのが「国語学史への旅」。
とりあえず、というか常道だろうが、人物ごとにWWW上の情報をまとめてみることにした。gooやInfiseekもあるし、調査は簡単。
ただ、普通のリンク集では、飛んだあと、戻ってくるのが少々やっかいなので、
フレームにしてみた。
当分、宣長だけでの営業。ただ、日本たばこ産業とか、日本大学松戸歯学部とか、
宣長といっただけでは発想が及びにくいところにも情報があるのは驚いた。
宣長の偉大さ(?)を再認識させていただいた。
というわけで、そこそこ立体的になったように思う。
まぁ、宣長だからここまでできるような気もする。
それはともかく、学生もこれをみて興味をもってくれればいいのだが。
「宣長って、ヘビースモーカーだったんだよ」
「ついでに入れ歯でさ」
などとなると、ぐっと身近になるんじゃないかな(馬鹿にするだけ?)。
う〜ん、学史を教えるまえに、パソコンの使い方から教えたほうが早道かな。
19970920
■海外ドラマでの「国語」
『ER』がはじまった。で、なぜか先(々)回分のセリフを思い出した。
若い医学研修生・カーターが患者の老人に、「若いころは国語の先生をしていたのですね」と質問するくだりである。
きっとEnglish teacher を訳したものなのだろう。
ちょっと面白いですね。「英語の先生」だと、日本人は日本の英語の先生をイメージするから、それを避けての訳だろう。
たしかに英語圏の英語の先生は、日本での国語の先生にあたる。
ただ、やはり「国語の先生」と言われると、一瞬、日本の「国語の先生」が直接浮かぶ。
「日本語を教えているのだろうか‥‥」と思う人もいるかも知れない。
もちろん、上のような状況に気づいて修正はするだろうが。
むかし、サイマル出版会(だったか?)の、翻訳に関する本で、ちょうど逆の話を読んだ。
ある看護学校のカリキュラムを作るとき、アメリカのカリキュラムを参考にしたそうだ。
で、科目のEnglishとあるところを、そのまま「英語」と訳したため、
何年間か(いまでも!?)その看護学校では「英語」が講じられたとか。
それが教訓になって「国語の先生」が生まれた、というのは短絡だが、
翻訳する人にとっては、ちょっと悩ましい部分ではあるのだろう。
ま、よくある話ですが。
このところ、寝付きがわるい。で、今日は12時近くに目が覚めた。
本当なら、あと2時間は早くおきて国語語彙史研究会にいく予定だった。
午後3時すぎてから、のこのこ現れるのもかえって失礼かと、欠席することにした。
何か、あてにしていた方がいらっしゃったら、メールください。ごめんなさい。m(._.)m
19970921
■「父音」
まえに触れた用語。別件で調べごとをしていたら出てきたので、ちょっとだけ紹介。
まず、大宮宗司編纂『日本辞林』(明治26刊)の「文典大意 第一篇 音韻 第二章 母音 父音 子音」から。
父音とは、母音と配合して、子音をつくる一種の音なり。その音隠微にして、 いまだ、判然と口外にあらはれたるものにあらず。されば、また、これを標すべき文字のあることなし。 今、仮に、片仮名字を以て示すときは、五十音の宇列の、ク、ス、ツ、ヌ、フ、ム、ユ、ル、ウ、 九個の子音より、母音を引き去りたる跡にのこれるもの、即ちこれなり。
子音とは、五十音の中より、五個の母音を除きたる、他の四十五音をいふ。 こは、父母両音の配合して成れるものなれば、その音声単純ならず。(下略)
子音というのは、現代でいう「子音+母音」の拍に相当する。
私たちが一番捉えやすい音韻の単位。お父さんとお母さんから子供が生まれるのだから、
これは受け入れられやすい。
ただ、拍という単位を「子音」として「父音・母音」と同じ語構成にするのはいかがか。
まぁ、当時のパラダイムも考慮する必要はある。
また、音韻関係では、近代以前に韻学の歴史があるのだから、そちらの用語を採用しなかったというのもおもしろい。
厳密にはことなるが、声母・韻母で代用してもよかったはずではある。
つづいて朝野泰彦纂輯『早引いろは節用大全』(明治16刊)の五十音の説明文から。
此あ行ノ五字ヲ母音(ボオン)ト云フ
中ノ段ノ十字ヲ父音(フオン)ト云フ
父音ニ母音ヲ加フレバ子音(シオン)自カラ発(イヅ)ル
五十音ノ内母音父音ヲ除ケバミナ子音ナリ
*丸括弧内は振りがな。適宜、省略した。
「中ノ段ノ十字」(ウ段の仮名)を「父音」と言ってしまっているあたり、『日本辞林』より乱暴。
ただ、『日本辞林』もウ段の仮名を持ち出して「父音」を説明するあたり、通ずるものはある。
ボオン・フオン・シオンというのも興味をそそる。
以上、二つの例で共通するのは、五十音の説明のなかに現れること。
逆に、五十音の説明のためだけに「父・母・子」が借りだされたとも見える。
それだけ、アドホックな用語なのかもしれない。
なお、この二例が掲げた五十音図は、ヤ行のエはともかく、ヤ行のイ・ワ行のウも掲げられたものである。
明治前半のことゆえ、学校とか教科とかの問題や、その背景にある学統の問題もからんできそうである。
、振りがなつき本文を掲載。協力してくれた二人の学生に深く深く感謝します。
19970922
■「におって」(再)
ニオウの他動詞用法(共通語の「(においを)かぐ」に相当)は、先回、関西以西あたりで使うようだと記した。
その後、寄せていただいた情報では、岐阜・名古屋でも使うことがわかった。
このコーナーでも過去に何度か登場したK先生は、前回分をお読みになっていて、
岐阜市に住んでいるある中高年層の方も使うといっていた、と知らせてくださった。
また、名古屋の地方テレビ局のアウンサーが使うのもウォッチングされていた。
そこで、院生二人に聞いてみると、岐阜市出身の方は使うという。
ところが、岐阜市の東26キロほどにある美濃加茂市出身の方は、初めて聞いたという。
どうやら、この二市のあいだを前線が通っているようである。
前回のとき、タモリが非九州出身のような書き方をしました。 岡島さんから、タモリも懐かしくて使ったのでしょうね、とのメールをいただきました。 福岡出身だったのね。
19970924
■「結果」(副詞)
両者が「話が違う」となって、結果、撮影は中断。それどころか、聖子達は、翌日にはパリから姿を消してしまう。
『フォーカス』96年05月01日号(でいいのかな。CDROM版)
会議室の閲覧/書き込み、ダウンロードの指定などはすべてオフラインで行ない、最小のアクセス時間で自動巡回する。結果、財布も痛まず息の長い利用が可能というわけだ。
『アスキー ドスブイ イシュー』97年10月号
最近、うえのような「結果」をよくみる。「結局・結句」の代わりなのだろう。
あるいは、副詞的に用いられてきた「その結果」「評議の結果」など、連体修飾語・節をともなうものの省略か。
いや、「結果は」の助詞省略と見たほうが現実的か。主題表示の助詞が消えても、主題性みたいなものが残っているため、「結局」と同じような副詞的な働きもできると捉えられそう。
あるいは、類義語「結局」の副詞的用法があるために、助詞無表示の「結果」も、それにのっとるようになった、ないし、連想されて使われるようになったのか。
二番めの例は「その結果」が代入できるので、「その」の省略に由来するもののように見える。
が、一番めはかすかに不自然な気がする。
私の語感だと、「結局」が最適。「結局」のもつ副詞的用法の一部を「結果」がおそいはじめたということなのだろう。
「結局」の用法は、いろいろと嫌な、あるいは複雑な経緯があって(前件)、あるところに落ちつく(後件)という場合が多いように思う。ただし、前件だけでなく、後件も決して満足できる結果とはかぎらないことが少なくないのではないか。あるいは、「結局」でむすばれた二つの内容が全体として、マイナスイメージをただよわせるように感じる。結局、プラスイメージでは使えないことはないが、ちょっと不自然な感じがしないでもない。
そこにいくと、「結果」は楽だ。上のニ例のように、正負どちらでもいけるらしい。
「らしい」というのは、私はこの用法を使わないからで、他意はない。
19970926
■「傘」
前期の最終の試験が終了。あとは採点だぁ。ちょっと脱力気味ではある。
岐阜駅の東1キロくらいのところに踏み切りがある。
その南側の角に傘屋があって看板がある。「人」+「十」で傘をしめすやつである。
『異体字解読字典』などでもお目にかかれる由緒あるものだ。
そういえば、穂積町のちょっと古びた繁華街でもみたことがある。
うちの学部の玄関には「校舎内に傘をもって入らないこと」と書いた貼り紙がある。
その「傘」は「人」と「十」のあいだに「十」が横並びに二つ入ったものだ。
さすがに『異体字解読字典』にはない。『異体字研究資料集成』は面倒なのでみない
(だれかうまい具合に索引作ってくれないかなぁ)。まぁ、臨時的な造字(嘘字)なのだろう。
ま、今日は、メモ代わりということで。
脱力ついでに、島根県警のホームページにいってみた。
数カ月ぶりである。と、カウターが195135になっている。
いつから数えはじめたか記してないが、インターネットがはやりだした、ここ2年間としても、
ちょっと驚異的な数字ではないだろうか。警察のホームページですよ。
で、岐阜県警はいかがとみると、今年の4月からで4815。
公共性という点から見ると、すこぶる低い。率でいけば私のページの方が勝つかもしれない。
たしかに島根県警のページは「読める」「楽しめる」ページに仕上がっている。
ご覧いただければわかるように、テレホンカードのプレゼントなんかもしょっちゅうやっている。
署員の方々も、ページの編集裏話とか音楽隊員のひとりごととかで、よく顔を出す。
もちろん、婦警宮川巡査のコーナー(「おもしろ連載」中)も健在。
さらに、「がんばれメッセージ」では、私などは名前もしらぬ若手アイドル(候補?)が画像入りで紹介されている。
一日署長をしたりとか、警察関係のポスターに登場したひとたちなのだろう。
「フレンドリー」が合言葉になっているような気さえする。
交通事故も減るかもしれない。
これじゃぁ、事務的な情報が主の岐阜県警は、かなわないだろうなぁ。
岡島昭浩さんの
「目についたことば」
高本條治さんの
「耳より情報」
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