気になることば〜第18集〜
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気になることば 第18集
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進行中の「気になることば」
19970701
■道路がコミュニケーション?
昨日、実家に電話をかけて、夏休み予定などを聞いた。そこで思い出したので書いてみる。
2年前の旧盆。埼玉から青森の母の実家まで車で行くはめになった。
父が、2万円だか3万円だかで、東北地方の自動車道乗り放題のチケットを手に入れたこともあった。
混雑は承知のうえだが、混む寸前の間隙をぬって真夜中に出発するという。
「この子にしてこの父あり」といおうか、還暦過ぎたんだからおとなしくしていればいいものを‥‥
というのは最近の老人には通じないようだ。たしかに70過ぎないと老人らしく見えなくなっている。
というわけで、夜明け間近の東北自動車道下り線。福島か郡山あたりだったかの下り坂をとおると、
どこからともなく、不気味な音が聞こえてくる‥‥‥
トントントン・トントントン・トントントントントントントン‥‥‥ 三三七拍子である。
怪談ではなく、本当の話し。実は、横引きした白線の間隔がこのリズムを醸している。
白線を越えるたびに振動が車中に響くのである。
2年前のことなので、いまではなくなっているかもしれない。
あの横線は、眠気覚ましのためのものと聞いたことがある。それはわかる。
でも、何で三三七拍子なのか。無事、東北地方に入りましたよ、おめでとう! ということかしら。
本当のことなんです、この話し。時間のある方は
慶応大の遠山さん
という方の日記をどうぞ。
福井大の岡島さんから「九州か、中国道にもあり。カーブの前か何かで、
「減速機能云々」と書いてあったかもしれない」(以上、取意)とのメールをいただきました。
そういえば東北道のは下り坂だったような気もします。
スピードがでるので「ブレーキが効くか点検せよ」の意味でしょうか。
三三七拍子なら、標識を見落としても「何だか変だ、不気味だ」となりますから、自然に注意が喚起されますね。
日本道路公団からメールがきたので載せておきます。
お問い合わせは、「音の出る舗装」のことと思われます。
これは、居眠り防止の他、スピードや車間距離の安全確認
等注意喚起の意味で設置しています。
なぜ三三七拍子かというと、リズムが聞こえることにより、
より効果が期待でると考えたからです。
JH(日本道路公団)サービス推進企画室
えらいっ! ちゃんと答えてくれた。それにしても私もスキモノである。
19970702
■シ(ュミ|ミュ)レーション
いわゆる揺れている単語。ただし、私の場合、シミュ〜と言ったりするようになったのは、
つい最近で、それまで徹頭徹尾シュミ〜だった。いや、べつにそっち方面の仕事があるわけではないので、
そんなに強調しなくてもいいんですがね。
私だけの勘違いかとも思ったが、そんなはずはない。みんなシュミ〜って言ってたじゃないか。
不安だったのでgooで検索したら、6000件ヒットした。ほっと一息。
でもシミュ〜だと35000件以上。桁がちがう。う〜ん、やっぱり少数派だったか。
なぐさめになるのは、両方を使っているページが1007件あるということ。
どっちが正しいか迷いがあるということだろう。
もちろん、訂正記事を載せたため、ヒットしたページもあるけれど。
ざっと眺めた印象だと、シミュ〜はどちらかといえば研究機関関係に多いような傾向があり、
シュミ〜は経営とかコスト計算とかの実用ソフト紹介が多いようだ。
シュミ〜は日本人として発音しやすい形でもあるので(誤って)早く定着したタイプで、
学術的な方面では正格なシミュ〜が行われているということなのだろう。
[∫imju]と[∫umi]だからちょっと面倒な音位転倒。
音韻転倒ということなら日本語の特性も加味して、iとuの位置交換ということでいいだろう。
ただ転倒するのは、「茶釜/茶まが」など、その音やその音の環境が類似するばあいが多いようだ。
その線でいけば口蓋化音[mj][∫]ということになる。
さらにこの場合はもう一つ条件が加わる。
金田一春彦が、和語でミュがあるのは姓の「大豆生田」(オオマミューダ)
くらいだといっていたように思う。また、外来語を含めて、シの後にミュがくる言葉というのも
少ない。『広辞苑』だとシミュレーションしかない。これにくらべればシュミ何とかは圧倒的に多い。
これなら、シュミレーションになっても不思議ではない。
ただ、ハイテクと密接な「シミュレーション」のような単語が、
なまる(好きでない言葉だ)ようになったのだろう。
つまり、ごく少数の専門家が行えるのが「シミュレーション」だと思うので、
この語の出どころがたくさんあるとは考えにくく、その分、「揺れ」も小さいと思うのだが。
あるいは、ハイテク用語と考えるのが間違いか。
むしろ、軍事用語として入ってきたのが先かもしれない。
でもこっちの方がより関係者数は少ないはずで‥‥
(16時25分改稿)
19970703
■藤原正彦の随筆
数学者・藤原正彦の随筆は好きで読んでいる。
惜しむらくは執筆量が少ないこと。まぁ、本業はお茶大の先生なのでしかたのないところ。
だから鶴首して待つということはしない。出ているのに気がついたら買って読む、ただそれだけである。
気骨があるというとちょっと時代がかるが、
最近ではお目にかかりにくいタイプの定見があるのも好ましい。
ちょっと恐れ多いが、同業者なので話が分かるということもある。
デビュー作『若き数学者のアメリカ』(新潮社。文庫あり)でエッセイスト・クラブ賞をとったので、
そちらの方が代表作になっているが、私としては第二作『数学者の言葉では』(同)が好きだ。
収められた文章は長短さまざまで全体のまとまりはよくない。けれども内容はピカ一だ。
大学院生のころのコンプレックス、研究者としての将来への不安、
スランプへの対処など赤裸々に書いてあるのは本当に参考になった。
だから、教え子や知人で大学院に入った人には、プレゼントすることにしている。
たとえ文系でも参考になることが少なくないからだ。その読後感を礼状に書いてきてくれる人もいる。
たいていは好評で、なぜ数学者の書いたものを読ませるのかとまどったが、よくわかりました、
などと書いてある。それはそれでホッとする。
ただ、入りたてのころでは、観念的にしか捉えられていないだろう。
そこで、修士論文とか就職とか、大きな問題がきそうなときに再読をすすめることにしている。
ただし、これは私が思いつけばできるが、そうでない場合は自分で気づいてもらうほかないけれど。
ゆえあって、トップページをブラックにしました。
19970704
■「天眼鏡」−−−困ンタレBOOing 1
虫眼鏡と天眼鏡とは、訓読みと音読みという違いはあるが、
おそらく同類の表現と見なしてよいと思われる。前者では、対象は「虫」として明確化されているが、
いったい天眼鏡の「天」とは、そもそもなんであるか。
われわれに運命をもたらすものが「天」であるとするなら、天眼鏡はその天を覗く。
したがって易者は、天眼鏡を覗いて、客の運命を語るのであろう。
養老猛司「虫眼鏡という表現について」〜『’90年版ベスト・エッセイ集』文春文庫
どうしてこうなるかな。
ムシメガネはともかく、「望遠鏡/顕微鏡/内視鏡/万華鏡(これはちょっと危ないか)」
から「〇〇+鏡」は容易に分析できるじゃないですか。
「〇〇(する|の)ための鏡」っていう語構成でないかい。
「天眼」という言葉もあります。何でも見通せる神通力です。ですから「天眼通」ともいいます。
で、「天眼+鏡」は「天眼するための鏡」でしょう。
お説によると「老眼鏡」「近眼鏡」は「老眼・眼鏡」「近眼・眼鏡」の縮約したものだと。
これだって〇〇+鏡で十分だ。老眼のための鏡、近眼のための鏡でいいじゃありませんか。
どうも「眼鏡」に引きつけられてしまったみたい。
でもこれだって眼+鏡で、鏡の直前に切れ目があると見えます。
近眼とは、遠くのものがよく見えない状態である。それに対して、「近・眼鏡」を使用するのは、
表現上は一見もっともであるが、機能的にはおかしい。
つまり、「遠くのものがよく見える」ようになるのだから、眼鏡の機能としては、
むしろ「遠・眼鏡」というべきかもしれないのである。「遠」はここでは対象の属性を指す。
逆もまた真であり、
遠視とは近くのものが見えにくい状態であるから、そこでは「近・眼鏡」を利用すべきであろう。
対象と使用側を混同したため、用語の重大な混乱がここに生じているのである。(同)
何だかなぁ。
付録です。ハードディスクのベンチマークを。
ドライブスペース3というディスク圧縮が好きでよくやります。
ぎゅうぎゅう詰めると三倍くらいになるようです。ただ、パフォーマンスの低下が気掛かり。
で、ベンチマークをとってみたわけです。パソコン雑誌でも見かけないので載せる価値があるかと思ったんです。
対象は IBM DORS-32160 (Rev WA6A) というUltraScsi対応のもの。i/oDATAの外付け2GBの製品です。
ソフトはHDBENCH Ver 2.292 。SCSIアダプタはAHA2940。CPUはPentium166MMX。
d: 読み 5369 KB/s 書き 5299 KB/s 非圧縮。
e: 4879 975 圧縮。読み専用のデータなら使えますね。
f: 3655 3594 非圧縮。スワップファイルがあるため、ソフトの仕様で遅く表示されるらしい。
19970705
■「ポンセン」
充分に熱した直径十センチほどの鉄円板に、米をぱらぱらとまき、
ほんの少し塩をかけると上からふたで圧迫する。頃合いをみてふたを上げると、
白いポンセンがポンと現れる。十倍以上にふくらんだ米は純白で、
所々に薄茶色のこげがついている。一枚一分とかからないが、手加減で米を入れるから、
中には薄くて穴の開いたものもある。
藤原正彦『父の威厳 数学者の意地』(新潮文庫)より「名人のポンセン」
煎餅のようなものらしい。テレビで見たような気もする。
ポンと、ちょっとびっくりするくらい音がするやつだったと思う。
でも、引用した部分には、この特徴的な音の記述がないから、たぶんちがうのだろう。
手近な辞書などにも出ていない。
『広辞苑』をDDWinで語釈からひいてもそれらしきものが出てこない。
こうなるといよいよポンセンの実態とか、ほかの名称とか、どこで使われている言葉なのかとか、
知りたくなってしまう。
「今でもポンセンを見つけると、つい買ってしまう」ともあるから、今でも作っているのだろう。この随筆は幼少のころ、長野にいたときの記憶で書かれている。
長野県の方、こういう物・言葉をご存じではありませんか。知っていたら教えてください。
19970706
■単語の自乗
ようこそ、お運びで。
しかしまぁ、こう暑いとたまりませんな。関東じゃ40度にもなったそうで。
まるで2年前の岐阜・名古屋みたようだなんて言いながら、天気予報見てましたら、
ま、見ても涼しくはならねェんですがね(笑)、名古屋の西に東京があるんですよ(笑)。
どうりで暑いはずだ(爆笑)。ってたら、「おまえさん、テレビ股のぞきするやつがあるかい」って、
女房がね(笑)……
こう暑いとわたしでなくても変なことする手合いがでてまいります。四角いヤツも丸くなる、
甘いやつも辛くなるってもんです。少しはすずしくなるかと思って、
冷蔵庫にあたま突っ込んだりするんですがね。そしたら、豆腐のヤツが丸くなって、なめたら酸っぱい(笑)。
今日びの豆腐は、ったく生意気になりやがって(爆)。人間さまとおんなじだなぁ、ってたら、
「そりゃ腐ってンだよ」てまた女房が。
「いつまでも置いとくんじゃねぇやい。いらねぇもんは、とっとと捨てねぇか」
「だったら、おまえさんが先だよ!」(爆)。
こうなると世の中めちゃくちゃです。普段ならヨコのものをタテにもしないやつが、
きゅうに仕事好きになっちまったりする。ですから、ヨコのものがタテになるんですな、これが(笑)。
本当なんすよ。
せんだて、保険のセールスレデーってんですか、それがね『テレビ番組ガイド』ってのを、
置いてったんでパラパラ見てたんですよ。で、「特選バラエティー」てところでこんなの見つけました。
「めめちゃイケてるッ」て読んだら、「めちゃめちゃいけてるっ、でしょう」て、今度は娘が。
これがテニスの平木理化に似た可愛いヤツなんですがね(笑)。
「おめぇ、それしか、読みようがねぇじゃねぇか」
「ほんとは横書きするの。キョンキョンもそう書いたでしょ」
「ありゃ、キョンンって読むんじゃねぇか?」
「もう、知らないわよ!」
逃げられちゃった……
いやね、私だって知ってるんすよ。キョンキョンどころじゃないやね。
京都教育大学の生協の箸ぶくろにだって、KYOの自乗があるのを知ってるくらいなんすから……
やっぱりキョウキョウってんでしょうね、京教でね。どう、そこのお嬢ちゃん、知らなかったでしょ。
ほんと、勉強になるね! 私の噺しは(笑。拍手)。あ、そこの旦那! 拍手する暇あったら、おひねり投げてね(爆)。
しかし、あれですね、いつから始まったんでしょうね、自乗書き。エゲレスとかメリケンが先なんでしょうかね、やっぱり。
日本じゃ、キョンキョンあたりからパッと広がっちまったんでしょうね。
あれれれれ、こいつ、ちゃんと「きょんきょん」で変換しやがんの。
変なヤツだなぁ、OAK/Winって(笑)。こんなとこで小技を効かしやがって、富士通も(爆)。
ちゃんとしたマシン作ってるか?!(大爆笑。天井落ちかかる)
しかし、なんだね、分かる人にしか分からないってのがね…… 読めねぇてんだよな。
数学みたいに、ここからここまでを繰り返すって、カッコでくくってくれないとね。
ほんとに、カッコがつかねぇや。
お後がよろしいようで。(笑。拍手)
19970707
■校正、この厄介なるもの
今週から夏休み体制。さて、気を引きしめないと流されてしまう。まずは早起きから。
好都合にも7時48分に電話が鳴った。S先生から。
教科書『展望 現代の日本語』で私の書いたところにおかしな部分があると。
‥‥‥「合併・奮発・参拝」などの撥音化によって、一字の場合の音と対応しないものがある。(65ぺ)
ちょっとこなれない言い方だが「半濁音化」が正解。あるいは連濁の一種でもいいだろう。
それはともかく、もしお持ちの方は御訂正ください。まことに申し訳ありません。
電話口で一発で分かったのに、なぜ校正のときに気づかなかったのだろう。不思議でならない。
私は、校正のおり、そこそこ十分に見るほうである(この頁は別です。‥‥ん?)。
ただ、そのときの目は、やはり誤字・脱字に注力してしまっているようだ。
だから、字面が正しいと見落とす可能性が高いようである。
それを知っているから、論旨・文脈に注意して見るのだが、今度は、内容に引き込まれてしまうらしい。
つい読み流してしまったのだろう。
いつだったか、印刷所からの案内に「校正終了の折りは、校了と明記してください」
と書いてあったので、再校の朱筆を入れて、「校了」と記して返送したことがある。
「再校をちゃんと修正したら、三校はいりませんよ」のつもでである。
そして、その原稿ののった本を送ってきたので、早速、見てみると、あちこちちょっとずつおかしい。
もっともひどいのはグラフにつけた名前で「早引節用集の台所」となっていたところだった。
たしか「台頭」に直したはずだったのに。印刷の方で、「校了」を「再校の要なし」と取ったのだろう。
私が悪いのか‥‥‥
一方的・圧倒的・絶対的に出版社の側が悪いということもないではない。
が、思い出すたび、腹が立つので書かないでおこう。
しかし、十二分に注意しているのに、校正ミスはなくならない。
自分の考えを書いたものなら、校正も楽である。もちろん、その分、落とし穴があるのは、
上にみたとおり。でも楽なものは楽。厄介なのは翻刻だ。話の筋がきちんと追えればよい、
というのでは正しい翻刻はできない。
翻刻時の方針にもよるが、濁点・句読点の有無だって問題になるのが、現代的な基準だろう。
商売替えをしないかぎり、校正ミスが続く。これはもう宿命といってもいい。
私の書いたもので、はじめて他人様(ひとさま)の目に広く触れたのは、小学校一年のときに書いた絵である。
展覧会はあちこち場所を移して開かれたらしい。私の手元にもどったのは随分と後のことだった。
戻ってきた絵の裏には私の名前が平仮名で書いてある。
ところが、「さ」と「と」のあいだにボールペンで「い」と書いてあった。
私の絵は「さいとう たかひろ」の書いたものとして回っていたらしいのだ。
このときから宿命は暗示されていたのかもしれない。
岡島昭浩さんの
「目についたことば」
高本條治さんの
「耳より情報」
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