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気になることば 第10集   バックナンバー   最新
19961111
■あいまいさをあらわす数字

 『言語』6月号に米山公啓氏の「「大丈夫ですよ」」がある。お医者さんの使うあいまいな言葉、 たとえば「大丈夫ですよ」「様子をみましょう」「まれに副作用があらわれます」などをとりあげた エッセイだ。

 薬には注意書きがあるものだ。そのなかで副作用の現れる頻度を「ときに頭痛がすることがあります」 とか、「まれに腹痛をともないます」などという。その表現に、確率のうえから定義が設けられたという。

 「まれに」は0.1%未満、「ときに」は0.1〜5%、「副詞なし」が5%以上あるいは頻度不明だと いう。製薬会社の努力には敬意を表するが、いっそのこと、数字や試用検査のデータを出してくれ た方がすっきりするようにも思う。まぁ、もし、それをだしたら、数値におそれをなして治る病気 も治らなかったり、買ってもらえないということもあるのだろう。

 また、わたしたちが日常使う「まれに」「ときに」がこの定義とどれだけ一致するのかも興味深い ところではある。これらのもつ言葉の確率をどのように調査するのかは少々むずかしいが、 その一致が確認されないと、上のような定義はあまり意味がないことになりそうだ。
19961112
■一行一字縦書き(?)の長音記号

 右から左への横書きを一行一字の縦書きと思っていたが、片仮名書きにすると、てきめんに横書きで あることが知れてしまうのですね。思い出してみると、そんなことを書いていた文章を昔読んだことがあ るような気がしてきた。

 岡島さんの「横書き再び 」でも取り上げられた『南洋群島地図』(昭和十四年四月末日調)。細かい地名は軒並み右からの横書きだ。 大きな片仮名書き(明朝体?)のものを見ると、「島諸ト一バルギ」「島群ルヤシ一マ」などとある。 注目点は長音記号。タテ棒ではなくヨコ棒。もし、一行一字の縦書きならタテ棒になるところだろう。 これは明らかに右からの横書きだ。

 で、その書き方だが、うえに書いたように漢字の「一」に見える(右端に注目)。現在の左からの横書き だと「ー」になるので(左端に注目)、この地図の長音記号は右から左に引かれたということになろうか。 いや「一」(いち)と同じにみえるのだから左から右へ引いたとも見える。

 どっちなのだろう。長音という音の感覚からすると右から引いた方が感じがでよう。しかし、それは、 漢字・片仮名・平仮名でのヨコ画の書き方と反する例外になる…… あるいは、「一」と書く長音用の 漢字? う〜む。誰か当時の人を知りませんか。
19961113
■地図の横書き

 昨日の続き。右からの横書きは、一行一字の縦書きから出発したのは確かだろう。が、それが行われ るのは、たとえばデザインの関係で、図版の上や下に帯状の空白しかない場合だとか、 逆にデザインとして帯状の空白をわざと設けた場合とか、 ビル屋上の横長のネオンサインだとかに現れやすいものだろう。

 ところが、地図のように縦横に空白がある場合には、横書きする必然性はなく、縦書きでもかまわない はずだ。ところが、昨日の地図は基本的に(右からの)横書きになっている(詳しくいえば、地図名は 横書き、凡例は縦書き、地名は基本的に横書き)。だから、別の事情を考える 必要がある。横書きさせた原因は何かということ。

 地図の場合、特に南島のそれでは、もともと統治していたドイツの地図が参照されたことが 考えられないか。もとが横書きなら、日本語版も横書きになりやすいだろう。 もちろん、ドイツ版にかぎらず、戦前の日本製の地図では、早くから横書きが取り入れられた ことも考えられる。あるいは軍用地図だけの特性かもしれないが。

 こんどは地図史かよ。江戸時代の市販のものは何が何でも縦書きしていたと思う。
 【たね入り】続報。ファミリーマートからメールが来ました。 【たね入り】の表示は
お答えといたしましては、お客様に対して注意をうながしてのということです。 佐藤様の見解からいたしますと、2番目の記述にあるとおりかと思います。
 とのことでした。ロゴの一種ですが宣伝文句でなく、民俗学的背景も考えなくてよいようです。 それにしても、本ページを訪れてくれたお客さまだったのですね。ありがとうございました。
19961114
■「分かりたい」〜K先生の手紙から

 以前、うちの大学にいらっしゃったK先生に、「気になることば」の第1・4集をプリント・アウトして さしあげた。御丁寧にも感想までいただいた。そこで、いろいろ考えさせられたものがあるので、採り上げ てみたい。
 まずは、9月14日の「分かりたい言葉」。先生は、「たい」 は「分かる」のような「一種の可能動詞」(自発性動詞?)にはつきにくいのではないかという。ついで、例文を掲げられる。
 電車の切符が取れる/取れたい*
 フランス語ができる/できたい*
 その言葉の意味が分かる/わかりたい?
 たしかに私も「分かりたい」と書いたとき、わずかながら違和感があった。が、かえってそれが洒落て るかもと思って使った。が、K先生も、非常勤で来ているF氏も私以上の違和感を感じているようで ある。

 「たい」がつく動詞には、それなりの意志性とでもいえる性質が必要だろう。したがって、こちらの意志 にかかわらない動詞には付かない。擬人法でもないかぎり「私は聳(そび)えたい」とは言いにくい。また 、「う/よう」もつきにくい。が、「分かる」なら、「う/よう」はつきそうである。ただ、少し条件が 必要。
 その言葉の意味が分かる /分かろう*/分かろうとしない*。
 その言葉の意味を分かる*/分かろう*/分かろうとしない。
   ほかの動詞では「が」を「を」にかえて「(よ)うとしない」もつかない。これらのなかで、「分かる」 だけは少々毛色が違っているように私には思われる。それをどう見るかで、私と、K先生・F氏との差が あるのだろう。

 いや、やっぱり出来ないのかな、いやいやそんなことはない、できる…… と、内省しているとよいのか 悪いのか、感覚が麻痺して、わからなくなる。これを内省不感症という(「内政不干渉」に かけてます)。私が、文法を選ばなかった最大の原因である。
19961115
■桃栗〜中間発表〜

 お待たせしました。「桃栗三年柿八年」のあとに何と続けるか。これまでのデータを総覧します。余計な おしゃべりはあとにして、情報を公開しましょう。

ユズの大馬鹿 18年  YAさん(群馬県甘楽郡出身)
ユズの大馬鹿 18年  Cさん (新潟県在住。玉井昇さんのメールから)
ユズの馬鹿めは18年  YAさんの奥様(群馬県富岡市出身)
ユズの馬鹿めは18年  MKさん(群馬県大泉町・太田市出身)
ナシの馬鹿めは18年  Tさん(長野県中部在住。玉井昇さんのメールから)
ナシのべらぼう18年  SNさんの奥様のお母さま(宮城県石巻市出身)
ナシのおおばか13年  TNさん(大阪府高槻市出身)
ウメはすいすい16年  ゼミ生SFさんのお母さま(岐阜県加茂郡出身)
 今のところ、玉井さんのほかは、メールの使える友人が中心です。数自体は少ないのですが、バリエーシ ョンが結構あることを知らされました。地域的には隣接する群馬・新潟で「ユズ・バカ・18年」の共通 するところがおもしろい。これがやはり隣接する長野だと「ユズ」だけが「ナシ」に変わるのが面白い。 連続する地域では同じか類似したものが使われるのが自然だからです。ただ、「ナシ」の場合は、東北でも 大阪でも言うようなので、全国区の言い方なのかもしれません。岐阜の「ウメはすいすい16年」は、どこ のものとも共通せず、これまた興味深い。たぶん、比較的最近になってできたものかもしれません。

 これくらいの量ですと学問的に確実なことはいえませんが、以上のような見通しみたいなものは得られた ように思います。今回は、30代の方が中心でしたが、もうすこし年齢層をあげてみると情報量が増えるで しょう。

 なお、書籍によって情報を寄せてくださったかたもいらっしゃいました。 前回紹介した分も含め、記しておきます。

 梅は酸いとて十三年(十八年とも)『成語大辞苑』主婦と生活社(山口県KMさん)
 梅は酸いとて一三年       『故事俗信/ことわざ大辞典』小学館・1982)
 梅は酸い酸い一三年       『故事俗信/ことわざ大辞典』小学館・1982)
 梅は酸いすい十八年       『果物はどうして作られたか』筑摩書房(玉井さんのメール)
 梅は酸い酸い一八年       『故事俗信/ことわざ大辞典』小学館・1982)
 柚は九年の花盛り        『果物はどうして作られたか』筑摩書房(玉井さんのメール)
 柚子は遅くて一三年       『故事俗信/ことわざ大辞典』小学館・1982)
 柚の大馬鹿十八年        『成語大辞苑』主婦と生活社(山口県KMさん)
 柚子の馬鹿めは一八年      『故事俗信/ことわざ大辞典』小学館・1982)
 柚子は九年           『故事俗信/ことわざ大辞典』小学館・1982)
 枇杷は九年でなりかねる     『故事俗信/ことわざ大辞典』小学館・1982)
 枇杷は九年でなりかかる     『成語大辞苑』主婦と生活社(山口県KMさん)
 枇杷は九年で登りかねる     『故事俗信/ことわざ大辞典』小学館・1982)
 梨の馬鹿野郎十八年       『果物はどうして作られたか』筑摩書房(玉井さんのメール)

 今回はこれにて。また、どんどん情報をお寄せ下さい。御協力してくださったみなさん、どうもありが とうございました。これに懲りずに情報をお送りくださいませ。
昨日は更新が大幅に遅れました。
19961116
■句読点の近代史

 だいぶまえのことだが、いきつけの古本屋で大町桂月・佐伯常麿共著『誤用便覧』(明治44年)という 本を買った。箱もまぁきちんとしていて、本にもダメージが少ない。何かの役に立つかと買っておいた。内 容は、漢字の読み書きを中心にした、よくある誤りと本義を説くもの。たとえば、こんな風。
 ●(音+欠)羨(いんせん)−−−きんせん
  ●(音+欠)は「うらやむ」「貪る」の義、音はキンである、普通に之をインセンといふは誤である。 これと同意の語に欽羨といふのがある、音もやはりキンセンである。
 で、気になるのが句読点である。二つのテンは現代ならマルになるところ。著者の癖ということも考え られるが、むしろ、当時は句読点の使い方が様々だったのだと思う。まぁ、明治末年なら、こういう例は 少ないようにも思うが。

 江戸時代にも多くの文章が書かれ出版されたが、句読点は「、.。」などのうち著者が一種だけを選び テン・マルに両用するのが普通だった。それが、明治になって、おそらく欧米語の影響で、二種使うよう になったのだろう。まだ句読点に慣れていないのが日本語なのかもしれない。

 句読点を使い分けるには、文になっていない節と文とが、はっきり意識して弁別されていなければなら ない。「文とは何か」という問いが必要なわけである。近代の日本語の文法論は、まさに文とは何かを 問いつづけてきたのだが、あるいは、その背景の一端には句読点の使い分けがあったのかもしれない。 ま、妄想ですが。
19961117
■「カクカイ」のアクセント

 いまにはじまったことではないが、いろいろな語のアクセントが平板化(低まるところがない)してい る。言葉の変化に対しては手を出さない主義なので、使いたければどうぞ、というスタンスをとってきた。

 でもですね、困ることもあるんです。たとえば「各界」。いろいろな分野の、という意味のことばだが 、アクセントはクの直前にあってクから低くなる(●〇〇〇)。ところが、これも平板化した発音(〇● ●●)をよく聞くようになった。この発音だと私の頭には「角界」(相撲界)という語が浮かんでしまう。 テレビなどで、「かくかい(〇●●●)の皆さんをゲストに呼んでおります」と言われるとお相撲さんた ちが出てくるのかと思いきや、とサッカーや野球の選手が出てくることが幾度かあった。平板化されると、 まったくの同音語になってしまうことと、話題によっては混乱してしまうことがあるので「困る」という こと。これを「同音衝突」という。

 「角界」は、相撲を「角力」とも書くことからきたもの。もう、若い人たちの語彙ではないのだ ろう。だからこそ、私の頭のようなことにはならないから、平板化してしまうとも言える。 まぁ、私も古い人間になってしまったということでしょうか。なお、平板化については、以前駄文を書いた ことがあるので、興味のある方はそちらを御参照下さい。
先達・岡島昭浩さん(福井大学)の目についたことば
気鋭・高本條治さん(上越教育大学)の耳より情報

江戸文芸大百科事典 (静岡大・小二田研究室)が発進!  ただし、初期バージョンゆえエラー多し。
「桃栗三年柿八年……」。西日本の例がほとんどありません。ご協力をお願いいたします。
「美濃・尾張言語地図」、11月12日発進!(見きり発車の新規開店ばかりですみません)

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