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気になることば 第9集   バックナンバー   最新
19961104
■「しそ漬 紀州梅 【たね入り】」

 コンビニで、「おにぎり忍法帳」シリーズから、標記のものを買ってきた(何だか大げさですが)。問題は、 「たね入り」とわざわざ掲げたのはなぜか、ということになる。なお、いつ行っても「たね抜き」はない のでバリエーションの表示という線は考えなくてよかろう。

 一つの考え方は広告的表示。うちのはたねもそのまま入ってます、ほんまもんです、とアピールしている と考える。その目で見ると「天然塩使用」などの表示もみえ、正解のように思えてくる。しかし、たねが入って いるかどうかくらいで宣伝効果かあるかどうかは疑問である。

 もう一つの考えは注意書き。たねが入ってます、がぶりとやって歯が欠けるかもしれません、注意し てください、というもの。これもありそうだ。お客さんからクレーム(というほどのものではないかも 知れないが)が付けられた、というのも十分考えられる。なんせ、電子レンジには猫・犬などのペット を入れないで下さい、との注意書きがあるほどだもの…… で、説得力があるのだけれど、「ご注意下さい 。このおにぎりには種が入っています」とは明記されていないのが気になる。

 第三の考え方は、製法の表示。たとえば、おにぎりに梅干しを入れるとき、 種をとるのが当たり前の地方と、種を入れるのが当たり前の地方があって、「忍法帳」の 販売地域が両方にまたがるなら、こういう表示は親切とも言えるだろう。インスタント・ラーメンの味付け が西日本版と東日本版があって、ある会社のものではパッケージの出来上がり見本の写真まで違うのは、 有名な話。地理学の教科書にも写真入りで紹介されていてびっくりしたことがある。

 さて、私としては、第三の考え方が気に入っているのだが、本当のところはどうなのだろう。

ファミリーマートのページがあった。メールも受け付けてるらしいので、早速、上の疑問を問い合わせて みよう。(ここまでやるかね、普通)

19961105
■A car runs.

 中国語学をやってる友人からメールをもらった。
 中国語では、「私は運動会に出て足を折った」という言い方が、文法的ではないという 。日本語では、十分に文法的だと思うのだが、なぜそうなるのか説明できるか、というも の。

 多分、中国語でも「私は足を折った」なら文法的なのではないかと想像するが、「私」 と「足を折る」の間に何らかの介在物がきてしまうと、より直接的な「足を折る」原因を 述べる必要があるということらしい。もちろん、この場合の介在物は、表面上の「私は」 と「足を折った」との間ということではなく、もうひとつ上のレベルでのことだと解釈し ている。なお、助詞ハの提題性とは関係ないともいってきた。
 こういう問題を日本語側につきつけうるのも、対照言語学の妙味といったところか。

 そのような場は、中学生のころには、英語の学習を通して誰しも出会うはずである。講義など で、そういう経験あるだろう、と学生に問うても(この「問うて」も面白い現象。いずれ また)、きょとんと顔をするばかりで張り合いがない。で、標題のごとき例文を持ち出し て説明したりすることがある。

 中学2年の終わりごろか、英作文の一つで、「自動車」が「走る」をどう表現するかで 、ちょっと悩んだ記憶がある。「走る」はrunでいいか、という点である。正解はその ままでよかったのだが、先生は「そこで困った人は、英語の何たるかが分かり始めてい る証拠です」のようなことを言ったような気がする。おそらくは、人+runの例文ばか りに出会っていたから悩んだのだろうが、そのころは背景まで考え及ばず、私も偉くなっ たのかな、と思った。いま思えば英語の何たるかというより、外国語との対し方の 何たるか、でもあったと思う。

 それにしても、すばらしい言語体験をゆっくり味わえるだけの日本語力を、中学生の段 階で身につけさせたいものだ。どうか、全国の国語の先生がた。文法ぎらいを作らない 工夫をおねがいします。
19961106
■「脱着」

 2台目のパソコンを物色している。自宅用なのでノートの特集が ある雑誌を眺める。第一条件はスペースキーの小ささ。キー全体がボディーから飛び 出ていればなお可。親指シフターゆえ、オンライン・ソフト「親指ひゅんQ」でNico la配列にして使いたいのだ。第二条件は高速CD−ROMの内蔵。倍速のもどかしさは現愛 機で実証済み、外付けでは省スペースにならない。第三条件は12.1インチの800× 640のTFT液晶で、65000色以上表示できること。

 カタログをみると、「CD−ROM脱着式」というのがある。「着脱」なら私の使用語 彙だが、「脱着」はない。『広辞苑』にもない。日本語には「関連」と「連関」のように 上下の漢字をひっくりかえしても意味がさしてわらない語がある。「脱着」もその一種か と思ったが、待てしばし。

 フロッピィ・ドライブなどと交換して使う機種にこの語がでてくる。とすると、装着し て使うのが基本で、別のものを使いたければはずせますよ、ということらしい。たし かに、「着脱」だと、しかるべき場所にあるものを使うときにはずす、ことになりそうだ。 そうすると、フロッピィ・ドライブの方は「着脱式」と呼ぶのかもしれ ない。う〜ん、こんがらがりそうだが、「脱着」は理にかなっているようだ。

 ただ、この言葉を初めて聞いたのは10年ほども前のこと。仙台でタクシーの運転手が 「この無線機は脱着できるんですよ」と言っていたのを思い出す。そのときは「着脱」を 誤ったのだろうと聞き流していたが、今になって、正用だったのかも知れないと思い直し ている。

 ところで種々検討の結果、最有力候補はDellの Latitude XPi CD  P150ST 。ビジネス機らしく10BASE−Tと赤外線ポート(前後2か所)が標準装 備。そのうえ128ビットビデオアクセラレータ採用。そしてなぜかなぜか、GM対応音 源・4スピーカーまで標準で内蔵。私も音楽好きの端くれ、これにはまいった。しかも、 定価349900円。ほとんど決定!

19961107
■名古屋は首都?

 木曜日は名古屋市のはじっこの大学へ車で行く。東名阪自動車道ができてからは、すいすい行ける。 ただ、このごろは工事で、なかなかうまく行けない。

 自動車専用道路の標識では、漢字のかたちがふつうと違うことがままある。東名阪でも、「都」の 「者」は、2画めのたての棒と4画めのななめの棒が、ひとつづきになっている。

 ここで、あれっと思った方もいるかもしれない。東京や京都でもないのになぜ「都」の字がでるのか。 行く先表示で「京都」ということも考えられるが、そうではなくて、「都心環状」という別の専用道路 への行き先表示なのだ。

 それにしても「都心」とは。やはり、「首都の中心」の意味がふつうなのではないか。もち ろん、名古屋も都会で大都市だから、そのまんなかを「都心」と呼んでもいいのだろう。まさか、 遷都問題を先取りしたとは思われないが、中央線沿線ではさかんにさわいでいるから、 あるいはとも思う。

 『広辞苑』では「都市の中心部。特に東京都の中心。」とある。「名古屋の都心」であやまりと はいえないのだろう。そうすると、ほかの都市でも「都心」を使うことがあるのだろうか。
19961108
■略称の流儀−−外来語

 『The Windows』11月号の編集後記で。「おやじが ペンタ166 エド32……を買った」 とある。ペンタ166。しばらく、カメラのことかと思った。もう少しくわしくいえば、以前、 旭光学では、小型カメラ「ペンタックス110」をだしていたので、それを復活させたバリエーション かと思ったのである。編集者の年齢はわからないが、「おやじ」様は相応の年齢だろう。パソコン よりも、カメラの方がふさわしいと感じてもいたようだ。

 それにしても、ペンティアムをペンタと略すのにはじめて接したが、パソコン通の人はよく使うのだろ うか。たしかにぞんざい(このことばも考えてみると面白いかも)な 発音だとペンタムくらいにはなりそうだ。

 あるいは語源に近いところから来ているのか。i286・i386・i486の次だから「5〜=ペンタ〜(ある いはペンt〜)」。これから「ペンティアム」と名付けられたと聞いたことがあるが、ペンタゴンや ペンタ・プリズムなどの類語からペンタは出てきやすいが。それにしても。

 スーパーマーケットやスーパーヘテロダインやスーパーインポーズが「スーパー」になる日本語だから (いやいや英語でもそうなるのかな)、これくらいはアリか。
念のため「気になることば」(佐藤@岐阜大学)の執筆方針
 昨日の「都心」にからめて。本来の字義からいえば、必ずしも「都=みやこ」ではありません。 江戸時代の辞書で「都会(すべてあつまる)」などとしたのをみたこともございます。
 しかし、時をへるにしたい、本義が忘れられて使われるのはよくあること。したがって、 「気になることば」では、現代人にとって古びさった基準で、現代の日本語を「間違いだ」 「乱れている」などということは致しておりません。逆に、現代人に向けれられた言語表現 (特に誤りと感じさせるもの)を、古い基準を持ち出してまで弁護するようなこともいたしておりません。
 そもそも、言葉に対して何らかの価値判断をくだすことは、佐藤のよくすることころでは ないのです。どうしてもしなければならないなら、その基準は (たとえ誤りであっても)現代の規範とか一般的な認識を中心にしたいと思います。
 で、正面からこのコーナーの方針をいえば、ことばや、ことばにまつわるいろいろなできごとから 人間のいろいろないとなみを描き出してみようというものです。ことばに対したときの人間の心の揺らぎや、 行動のケースを見、考えるということに尽きます。(うう、こんなことをいまさら言わなければならない とは。(;;))
19961109
■辞書の偏向

 NHKの『バラエティ笑百科』を見ていたら「てっさ」という言葉が出てきた。前後でフグ料理の話を していたので、「てっぽう」+「さしみ」とわかったが、少々時間がかかった。日頃、粗食に甘んじてい るからだろう。贅沢しないと言葉の研究もできないことがあるかもしれない。

 フグを「てっぽう」というのは「当たる」からなのだが、方言性があるように思う。「てっさ」は牧村 史陽『大阪ことば事典』(講談社学術文庫)にあったが、『広辞苑』にはなかった。

 しかし、『広辞苑』は、どういう基準で方言項目を立てているのか。一方では、「たほいや」(遣小屋 (やらいごや)に同じ。静岡県でいう。)なんていう言葉が立項されているのに。『綜合日本民俗語彙』 あたりが根拠か(載ってるかどうか調べてませんが)

 そうだとすると、本に載ってるような言葉を中心に集めているということになるか。それがまた 学術的と称される『広辞苑』の特色なのだろう、と変に納得してしまった。
19961110
■分煙の勧め方

 昨日は、名古屋駅前の愛知県中小企業センターで研究会。午後5時になったとたん、館内放送で火災予防 週間だか運動だかのアナウンスが流れた。
喫煙は、灰皿のある場所で行って下さい。
 というくだりがあった。まいってしまいましたね。「喫煙」という行為を「行う」という動詞で 繰り返すあたり、なかなかうまいと思ったのである。

 私は喫煙者だが、「行う」と言われるような行為とし て意識していない。そんな大それたものじゃありません。それを「行う」に置き換えられると、喫煙に対 する責任とかが自覚させられる。そうだ。責任をもって吸わなきゃ。火の始末もきちんとしてこそ、立派な 愛煙家じゃないか…… そんな荘重な気持ちにすらなりそうだ。

 どこまで意識して「行う」を使ったかは判らないが、結果としては効果のあるアナウンスにしあがって いると感心した次第。

先達・岡島昭浩さん(福井大学)の目についたことば
気鋭・高本條治さん(上越教育大学)の耳より情報

速報!1 冬の語彙史研究会は11月末になる見込みとの情報をゲット(阪大助手・米谷氏談)
速報!2 静岡大学小二田研究室のホームページに『江戸文芸大百科事典』というリンク集が作られる ことに(佐藤@岐阜大学も発起人を引き受ける)。早ければ来週中にも公開。ご協力お願いいたします。

「桃栗三年柿八年……」。ご協力をお願いいたします。

「『小公子』の部屋」、いよいよ発進!

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