千鳥格子の二つボタン、遠目に見れば砂色にみえるスーツを買ってもらった。なかなかにシックだと思う。(『空飛ぶ馬』文庫245頁)
手作りのパンフレットの表紙は濃紺である。そこに銀の文字が入っていて、なかなかに洒落ている。(『夜の蝉』文庫9頁)この作家が古今東西の文学を相当に読み込んでいることは、一読、分かる。その影響で「なかなかに」のような古めかしいような言葉がでることも考えられる。でも、次の例だとどうでしょうか。
先生は無言で受け取ると、茶碗を脇に片付け、ティッシューで机の上を拭き、その本を置いた。(『空飛ぶ馬』文庫74頁)外来語の読み・表記からすると、これはやはり自分よりは年齢が上に違いないと想像される。
私は自分で頷きながら続けた。/「もう、その年齢をクリヤーした。(下略)(同65頁)
私は更に歩いてカウンターの前に立ち、肩掛けバッグのバンドをつかんで軽くお辞儀をしながら、《すみません》といった。(『夜の蝉』文庫43ページ)私がまだ小学校の低学年のころだったと思う。父が出掛けるしたくをしながら、「俺のバンドは、バンドはないか。めっかんねぇな」と歌うように独りごちながら探していた。その図が(やっぱ俺も古いッス)今も記憶にある。それが、北村の「バンド」を目にした瞬間、思い出されたというわけなのである。
下はショートパンツ。色は姉のスカートとお揃いのようなベビーブルーである。黒のバンドできゅっと締めるようになっている。(同261ページ)
●ヨワイ −−「できない」「知らない」ということなのだが、そうともはっきり言えないときに使う。一種の言いのがれ、ごまかし。 頭がヨワイ、英語がヨワイ、数学がヨワイ、などと言う。もとは女性語。英語にヨワイ、数学にヨワイ、と言うことはあるが、頭にヨワイとは言わない。すごいポルノを見せつけられて「ヨワイね」といえば「まいったね」というニュアンス。いわく言いがたいところがあるのがこのことばのヨワイところ。(榊原昭二『昭和語 60年世相史』朝日文庫 141頁)頭の中では分かっていても、実感がともなわないというのも無数にある。
「おとむじりって何です」と私は急いで質問した。はじめて耳にすることばだからである。いやぁ、早くわかるような身分になりたいものだ。(他日再説)
「竹野さんは山の手の方だから、耳馴れないかもしれませんが、昔から私たちの使っている言葉でしてね、母親のおなかに二度目の赤ちゃんができると、ひとりっ子に弟か妹がやがて生まれることになるんですが、母親に子供が生まれるときまったころから、異様に母親に甘えて離れない、そういうことをいうんですよ」というていねいな解説だった。(戸板康二『家元の女弟子』文春文庫 245頁)
「最近、自転車のことをチャリンコっていうけど可愛くないよね」当時は東京にもチャリンコ(岡島さんの「目についたことば」参照)を使う人たちが出始めたが、それは、中高生のやや素行の良からぬものたちだった。それがこの高校生には不満だったのだろう。それにしても、私はその場に立ち会った。これから5年10年たって、ジテンコが広く使われるようになったとき、私は、その誕生の瞬間を証言しようと堅く決意したのである(オーバーだなぁ)。
「うん」
「だから、可愛い名前にしようよ。たとえば、ジテンコとか。」