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気になることば 第1集   バックナンバー   最新
19960909
■作家・北村薫の年齢

平成元年、『空飛ぶ馬』(東京創元社)で北村薫がデビューした。当時、性別・年齢・人となりのすべてが不明の「覆面作家」の登場と騒がれたものである。多くの人が、主人公「わたし」と同様の女子大生か、若い感覚をもった女性と思っていたらしい。そう思えるところがないわけでないが、やっぱり気になるんですね。言葉が。

たとえば、次のような「なかなかに」は、最近の若い女性なら、書き言葉でもしないだろう。

千鳥格子の二つボタン、遠目に見れば砂色にみえるスーツを買ってもらった。なかなかにシックだと思う。(『空飛ぶ馬』文庫245頁)
手作りのパンフレットの表紙は濃紺である。そこに銀の文字が入っていて、なかなかに洒落ている。(『夜の蝉』文庫9頁)
この作家が古今東西の文学を相当に読み込んでいることは、一読、分かる。その影響で「なかなかに」のような古めかしいような言葉がでることも考えられる。でも、次の例だとどうでしょうか。

先生は無言で受け取ると、茶碗を脇に片付け、ティッシューで机の上を拭き、その本を置いた。(『空飛ぶ馬』文庫74頁)

私は自分で頷きながら続けた。/「もう、その年齢をクリヤーした。(下略)(同65頁)
外来語の読み・表記からすると、これはやはり自分よりは年齢が上に違いないと想像される。

案の定(これも古いが)、北村薫は、男性で、昭和24年生まれであった。それを知って、ショックのあまり、三日寝込んだ読者もいたとか。まぁ、それもわかるほど、魅力的な作品ではあるのであるが。
(明日再説)
19960910
■作家・北村薫の年齢 2

北村薫氏の用語の古さを、もっと鮮やかに印象づけたのは、実は別の言葉なのである。

私は更に歩いてカウンターの前に立ち、肩掛けバッグのバンドをつかんで軽くお辞儀をしながら、《すみません》といった。(『夜の蝉』文庫43ページ)

下はショートパンツ。色は姉のスカートとお揃いのようなベビーブルーである。黒のバンドできゅっと締めるようになっている。(同261ページ)
私がまだ小学校の低学年のころだったと思う。父が出掛けるしたくをしながら、「俺のバンドは、バンドはないか。めっかんねぇな」と歌うように独りごちながら探していた。その図が(やっぱ俺も古いッス)今も記憶にある。それが、北村の「バンド」を目にした瞬間、思い出されたというわけなのである。

父は、昭和10年生まれで、そだちも埼玉県川口市である。北村も、埼玉県南の出身で春日部(クレヨンしんちゃんでお馴染み)高校の出身という。そこで、北村の年齢は若くないだろうと推したのである。

(明日再説)
19960911
■「体育」

気になることばといえば、もう中学生のころから気になっていたのが科目の「体育」。これ、なんでタイイクって発音しないんだろうね。あるいは、方言差があって、私のほとんど知らない西日本などではタイイク、東日本ではタイクと発音しているのでしょうか。

一応は、母音[i]が連続するのが発音しずらいので、一つ省略したのだという説明になるのだろう。たしかにタイイクと発音するのは面倒である。けれど、しなければならない、あるいは、そう発音した方が良い場合もある。たとえば、教科目ではなく、教育概念の一つとして「知育」「徳育」などと対比するときには、タイイクの方がすわりがよい。

とすると、教育理論を述べる場ではタイイク、より現場の実践を伴う場合にタイクという使い分けが成り立っているように思えるし、たぶんそうなのではないか。もちろん、概念の方もタイクです、という人がいてもおかしくない。教科目のタイクの方が圧倒的に口の端にのぼる機会が多いのだから、タイイクが駆逐されても仕方がないから。としても、概念をタイイクと発音する方が好ましいと見る人はまだまだいるのではないだろうか。

教科目の体育にだけタイクという短縮が起こったということは、言語が変化するときによく見られる現象だと思う。教科目の体育の方が、口の端にのぼりやすいのだから、立派な口語・口頭語。少なくとも口語・口頭語に馴染んでいる。そのような語が変化しやすいのが、過去の言語変化の過程を見ているとよくある、ということである。

ただ、もう一つ、言語変化の過程を見て気づくのは、そう簡単に言葉は変化しないということ。もっといえば、一つの原因だけで言語は変化しないのである。なぜなら……と書きつづけると長くなるので、そういうものだと思っていてください。とりあえず。そこで、一つの解だけにあきたらず、ほかの理由も考えてしまうのが言葉の専門家というべき人たちです。

では、タイクの場合どんなことが考えられるのか。ところが、思い当たらないのよね。辞書をひけば「胎育」があるので、これと同じ発音になることを嫌ってとも見えるのですが、その確証がつかめない。じゃ、「知育」の3拍(3音節)に合わせたためか。魅力的ですが裏がとれるかどうか。

でもほかに何か理由があるのではないか…… と考え果て、やっぱり発音の便宜しかない、と結論するまでに、眠れない夜を過ごしている。ちょっと大げさですが、これが言葉の専門家の日常のようです。

*「北村薫の年齢3」あるいは「バンドの世代」は今日は休みました。調べだすと時間がなくなるのです。 ごめんなさい。他日再説。
19960912
■略語雑談

♪売られた喧嘩は買わねばならぬ。振られた話題は継がねばならぬ。それが、この世間の仁義ってもんでござんす。……ちゃんと守ろうね。仁義。

というわけで、岡島さんに振られたのでお答えします。岐阜大学は「岐大」と略し、ギダイと称します。赴任するまでは、ギフダイだと思っていたのですが。4拍(4音節)で収める大学の略称が多いので。

赴任当初、車で郊外を走っていると、何と「岐大ホームセンター」という大型雑貨店があったり、標識にも思いっきり「岐大バイパス」と書いてあるのが目に入る。これには本当にびっくりした。なんて大学思いの土地なんだろう。かぁちゃん、俺、明日から心を入れ換えて、まっとーな渡世に励むぜ……と誓ったものです。

ところが、学生に聞いてみると何のことはない、こちらの「岐大」は「岐阜市」と「大垣市」の略とか。そうだよなぁ。普通、そういうふうにできてるよなぁ……ちなみに「岐大バイパス」は国道21号線の新線です。

また、東北大学の方はトウホクダイでした。面白くもなんともないですね。柴田先生のお説は存じていて勇躍入院したのですが、トウダイは一度も聞きませんでした。4拍でもなく漢字2字でもないというのは姑息な感じもしますが、岡島さんのご指摘の通り、トウダイともホクダイとも言えなかったのでしょう。かわりに、トンペキというのを稀に聞くことがありました。4拍則(?)でトウホクとすると、地方なのかJRなのか自動車道なのかわからなくなる、じゃ大学にふさわしいから麻雀読みだ、ということらしいです。でも、大学生と麻雀の結びつきって、ひところの栄光の余栄もないですよね。早晩、トンペキも死滅するでしょう。

さて、その東北大のなかにもう一つ大学があったりします。知っている人も多いでしょうが、それは「日国大」です。「日本国体大学」(何のこっちゃ)ではありません。小学館の『日本国語大辞典』のこと。これは大学によって省略のしかたに流儀があるようです。たしか、普通は「日国」なのですが、九州大学は「日国大」だったと思います。どうでしたでしょうか。

それにしても「日国大」。いろいろ言われるけど、偉いよ、この辞典は。『大辞典』という魁があるとはいえ、これだけのもの(全20巻本と縮刷の全10巻本あり)が存在すること自体、大きな事件のはずなんだけどなぁ。私も、日頃お世話になってます。だからというわけではありませんが、ほんの少しだけお世話することになっちゃいました。予定では、来年末か再来年くらいに、新版第1巻が出そうです。乞ご期待!
どうもメールの調子がよくない。送信すると帰ってきてしまう。岡島さんには8回(2通×4回)ほどメールしたが、いずれも同じ反応。別の宛て先人に尋ねたら、ちゃんと届いている。ええっ、じゃぁ、岡島さんには延べ8通も送っていたのか!

岡島さん、嫌がらせではありません。こちらの手違いです。申し訳ありません。
19960913
■「拙者」の復活?

 愛知教育大学に非常勤に行っていたころ、文法担当のF氏が、ある4年生の卒論を紹介して言った。

 「なかなかいい出来なんですが、論文のなかで自分のことを筆者と書かずに拙者と書いてるんですよ。『君は時代小説の読みすぎじゃないか』と言ってやりました」

 論文では、拙著・拙論・拙稿など自己の論著を卑下して呼ぶ。これに、筆者・論者など自分を指す言い方が混交したのだろう。この学生に限った臨時的なものと思っていた。

 ところが、他に例を見つけてしまった。

ドライビング自体を楽しめるエグザンティア………大貫直次郎
 拙者のクルマの選択基準は、セダンだろうがSUVだろうがミニバンだろうが基本的に同じ。’走って楽しい’これに尽きる。どんなに豪華で静かで価格が安くても、運転していて楽しくなければすぐに飽きてしまうからだ。(『カー・アンド・ドライバー 』1996・5・26 93頁)

 論文よりはくだけているが、おふざけの文章ではない。そこに「拙者」が現れるのだ。

 そういえば、オンライン・ソフトのヘルプでも見たような気がする。「バグがあったら、拙者までお知らせ下さい」といったもの。ソフト自体は真面目で、ヘルプの文体も機能の説明を簡潔に述べ、不用な雑音を廃した印象があった(ハードディスクを探したが見当たらない。残念)。

 「拙者」が使われた真面目な文章が3っつ見かった。単なる誤用で片づけるよりも、なぜ発生したのかをよく見て、「拙者」の未来を占いたくなる。

 言葉の面だけなら「拙者」の新造は混交によるもの。言葉以外の状況をまとめると次のようになるか。

  1)普段は本格的な論文に接する機会が少ない人が、…………卒論・ヘルプ・記事の執筆前の状況。
  2)いくつかみた論文調の文章の「拙著…」「筆者…」が脳裏にあって……………………執筆準備。
  3)硬い・正式な文章を書くときの作法として自分を指すのに「拙者」を使った。

 逆に、この条件が満たされれば、いつでも「拙者」が現れるだろう。いや、1年間に書かれる卒論の数量を思えば、すでに多くの例があるのではないか。

 新しい生命を吹き込まれた「拙者」。それが闊歩するのも時間の問題かもしれない。何だか楽しみになってきた。
19960914

■分かりたい言葉

 細かいニュアンスまで分からない言葉は数多い。古語がその代表だが、研究の積み重ねがあるので、結構分かることが多い。研究もされないような語が、実は、一番分からない。1959年に使われた流行語のヨワイなどはその典型。
 ●ヨワイ −−「できない」「知らない」ということなのだが、そうともはっきり言えないときに使う。一種の言いのがれ、ごまかし。 頭がヨワイ、英語がヨワイ、数学がヨワイ、などと言う。もとは女性語。英語にヨワイ、数学にヨワイ、と言うことはあるが、頭にヨワイとは言わない。すごいポルノを見せつけられて「ヨワイね」といえば「まいったね」というニュアンス。いわく言いがたいところがあるのがこのことばのヨワイところ。(榊原昭二『昭和語 60年世相史』朝日文庫 141頁)
 頭の中では分かっていても、実感がともなわないというのも無数にある。
 「おとむじりって何です」と私は急いで質問した。はじめて耳にすることばだからである。
 「竹野さんは山の手の方だから、耳馴れないかもしれませんが、昔から私たちの使っている言葉でしてね、母親のおなかに二度目の赤ちゃんができると、ひとりっ子に弟か妹がやがて生まれることになるんですが、母親に子供が生まれるときまったころから、異様に母親に甘えて離れない、そういうことをいうんですよ」というていねいな解説だった。(戸板康二『家元の女弟子』文春文庫 245頁)
 いやぁ、早くわかるような身分になりたいものだ。(他日再説)
19960915
■新語誕生の現場

 私たちが日常使っている言葉は、九分九厘以上、すでに誰かが作り、みんなが使ってきたものである。普通に生活している人にとって、新たな言葉を生み出す機会はまったくないと言っていい。例外は、子供やペットへの命名だろう。よくみかける「直美」や「チン」でも、それは自分の子供・ペット以外のものを指さない。つまり、意味が新しいのだから新語である。多分に個人的な行為ではあろうが。

 とすると、誰もが使うような言葉を生み出す機会は、もう、まったくないことになる。もし、そんな機会にめぐり会えたら、いや、その場に立ち会えただけでも、運が強いと思ってよい。ところが、15年ほども前、私はそんな新語が生まれる瞬間に立ち会ったことがある。

 そのとき、私は、京浜東北線に乗っていた。赤羽を出て、荒川に差しかかるあたりだろうか、女子高校生が二人、雑談をしていた。
 「最近、自転車のことをチャリンコっていうけど可愛くないよね」
 「うん」
 「だから、可愛い名前にしようよ。たとえば、ジテンコとか。」
 当時は東京にもチャリンコ(岡島さんの「目についたことば」参照)を使う人たちが出始めたが、それは、中高生のやや素行の良からぬものたちだった。それがこの高校生には不満だったのだろう。それにしても、私はその場に立ち会った。これから5年10年たって、ジテンコが広く使われるようになったとき、私は、その誕生の瞬間を証言しようと堅く決意したのである(オーバーだなぁ)。

 その後、いまにいたるまで、ジテンコの行方は杳として知れない。