ワサビは進化学的な観点からも、非常に興味深い植物です。当研究室では、こうした多くの謎をDNAレベルで明らかにすることを目指しています。全ゲノム配列決定のプロジェクトも始動ししました(⇒ゲノム解読へ)。
 
 
  子供たちからもっとも多く受ける質問がこれです。とてもシンプルな問いかけに対して、明確な答えを持っていないのが現状です。ワサビの辛みの正体が、アリルからし油配糖体という成分であることは既に明らかにされています。この成分自体は、特別珍しいものではなく、他のアブラナ科植物にも存在しています。一般的には、この辛味成分は病気や虫などに対する防御機構の一種だと考えられています。しかしながら、山根ら(2015)は、ワサビと約500万年前に遺伝的に分化した、中国の近縁野生種Eutrema yunnnansenseに着目することで、「なぜワサビは辛くなったのか?」という問いかけに答えを出したいと考えています。といいますのも、E. yunnnansenseは、みため(=形態学的)にはワサビとほとんど区別がつかないほどそっくりで、自生している環境も似ています。にもかかわらず、山根らによる民族学的な調査により、E. yunnnansenseは、「辛くない」ことがわかりました。自生地近くでは、山菜としての利用は確認しましたが、栽培されてはいませんでしたし、古文書を調べても、E. yunnnansenseが栽培植物であったという記録はみつかりませんでした。このことは、なぜ、ワサビが日本でのみ栽培化され、現在のような利用につながっているのかという謎を解く鍵になりそうです。我々は、中国との共同研究により、「なぜ、ワサビは辛くなったのか」をDNAレベルで明らかにしようとしています。このことは、約500万年という進化時間のなかで、日本にやってきたワサビにいったい何が起こったのか、を明らかにすることを意味しています。そのためにも、ゲノムデータを蓄積するだけではなく、日本におけるワサビ属植物の遺伝的多様性の形成過程を知ることも大切ですし、ワサビの来た道を明らかにすることも重要です。
 さらに山根の聞き取り調査から、日本においてもワサビの特性と利用方法や文化などは、連鎖関係にあることが示唆されました(山根、2011)。ワサビの持つ特性が、ヒトの文化に及ぼした影響も考察してみたいと考えています。
 
 日本には、ワサビとユリワサビという2種のワサビ属植物が存在し、これらは日本固有種であることがわかりました(山根、2015)。実は、一般的にはあまり知られていない、オオユリワサビというユリワサビの変種が存在しています。オオユリワサビは福岡県の沖ノ島で最初に発見されました。現在では沖ノ島でも自生は確認できず、しばらくの間、絶滅したと考えられてきました。2005年より、山根がワサビ研究を開始し、全国を調査するにあたり、ワサビ標本を詳細に調べるなかで、沖ノ島以外にも、かなり離れた場所でオオユリワサビと考えられる自生地が存在する可能性を見出しました。実際に現地調査してみると、オオユリワサビは絶滅はしておらず、確かに全国の広い範囲で現在でも生育していることを明らかにしました(山根投稿準備中)。しかも、当初の予想よりも、その分布域はずっと広いことがわかりました。絶滅したと考えられていたこともあり、「オオユリワサビの発見」は、各地の植物研究者の方々の興味を誘い、多くの方から問いあわせを受けました。「実はオオユリワサビは現在でも全国の広い地域に自生しています」と話すと、驚かれました。それほど認知度の低い植物ではありますが、当研究室では、このオオユリワサビに注目しています。見た目はユリワサビを巨大化したような植物ですが、DNA含量には差がなく、染色体数もかわりありません。塩基配列レベルでも、現在のところ、かなりたくさんのサンプルを調べましたが、ワサビやユリワサビと区別できるような突然変異は見つかっていません。当初、オオユリワサビはユリワサビとワサビの交雑個体由来なのではないかと考えていましたが、後代の形態学的な安定性をみる限り、交雑由来だとしても、なんらかの強い自然選択がはたらかないと、現在のような集団構成にならないのではないかと予想され、進化遺伝学的に興味深い研究材料だと考えています。また、東北地方では、オオユリワサビを「ユリコワサビ」とよんで利用しているらしいことは、山根のこれまでの聞き取り調査から明らかにしています。興味深いのは、オオユリワサビを利用している地域は、ワサビが群生していないような地域に限られているという点です。オオユリワサビもワサビと同じく「辛味」を持つ植物です。オユリワサビがどのように成立したのか、なぜ存在しているのか、そしてこれを日本人はどのように利用してきたのかを明らかにしたいと考えています。
 
 
  山根はこれまで全国約150箇所で現地調査を行い、栽培、在来、野生ワサビとその近縁野生種ユリワサビが、どのように分布し、どのような遺伝的多様性を持つのか調査してきました。その結果、野生集団や在来系統は、様々な要因により消失の危機があり、保全を急ぐ必要があることがわかりました。ところが、栽培ワサビと野生のワサビやユリワサビの間で、交雑している可能性があることがわかってきました。DNA分析をした結果、栽培ワサビの持ち込みが、野生のワサビだけでなく、ユリワサビの集団にも遺伝的な影響を与えている可能性があることも示されました。どんな山奥の集団でも、過去にヒトが持ち込んだ可能性は否定できず、保全を考えるうえでも重要な情報といえます。そこで当研究室では、野生種の集団内をより詳細に調べ、栽培種による遺伝的攪乱の実態を明らかにするとともに、野生種の遺伝的組成や多様性にどのように影響を与えているのかを明らかにすることを目的とし、とくにワサビとユリワサビが同所的に自生する集団を選定し、交雑の実態と、交雑個体がどのように世代を更新し、後代がどのように集団中に広がるのかをモニタリングしています。栽培種が野生種の遺伝的組成に及ぼした影響に関する研究は、大きくわけて二種類ありますが、遺伝子組換え植物が野生集団に与えた影響など、短期的な調査に限られ、ワサビのような長期にわたる人為的攪乱が、野生種全体の遺伝的組成と多様性にどのような影響を与えたのかについての研究報告は皆無です。日本という島国の特徴をいかして、栽培種が野生種の遺伝的な組成や多様性に与える影響を、明確に提示する初めての例として世界に発信したいと考えています。また、保全を考えたときに、なるべく栽培種の影響を受けていない地域を選定するための基礎データとしても利用したいと考えています。
 
 
 『起源』でも記載したとおり、全国のワサビ属植物の塩基配列を比較解析した結果、日本最古の集団は岐阜県に存在することが明らかとなっています(山根、投稿準備中)。日本のワサビ属植物は、大陸の共通祖先と約500万年ほど前に遺伝的に分化し、現在に至っていることは既にわかっています。この時代は、第三紀の終わり頃に相当します。その後164万年前から地球は第四期となり、北半球では地球が急激に冷え込む氷河期を繰り返すようになりました。大陸から日本へ渡ったワサビ属植物の祖先は、こうした気候変動にともない移動を繰り返した可能性があります。あくまでも仮説ではありますが、以下のような説を考えています。つまり、第四期に気温が急激に下がった際、より暖かい地域へと南下したワサビ属集団は、岐阜県より南にはなんらかの要因(恐らく地形上の原因)で移動することができず、取り残されました。結果的に最も古い集団が岐阜へ残り、その後の気候の変化で全国へ分布を広げ、結果的に古いタイプが岐阜へ残ったという説です。実際に、東海丘陵要素とよばれる植物群のなかには、日本で岐阜や愛知の一部の地域にのみ自生する、ヒトツバタゴやハナノキという珍しい植物の存在が知られています。これらと似たような進化をたどった可能性もあると考え、詳しく解析をすすめています。
 ところが2015年、最古のDNAを持つ集団が、森林伐採のための林道設置により、自生地の谷の一部がなくなってしまいました。あっという間のできごとで、気がついた時には既に遅かったのです。一日でも早くデータを開示し、これ以上開発がすすまないように保全計画を策定し、保全をよびかけたいと考えています。数百万年の間、この山は自然が守られてきた証拠です。近縁シカによる食害で、個体数が激減ししてる事実も無視できません(⇒保全へ)。最古のDNAは、多くの進化的事実を我々に教えてくれますが、一度失われてしまえば、絶対にもとに戻すことはできません。保全すべき最優先集団であると考えています。
 
 


       
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