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進行中の「気になることば」へ
*「気になることば」があるというより、「ことば」全体が気になるのです。
*ことばやことばをめぐることがらについて、思いつくままに記していきます。
*「ことばとがめ」に見えるものもあるかもしれませんが、その背後にある、
人間が言語にどうかかわっているか、に力点を置いているつもりです。
19971025
■今日の戦果
午後になって、名古屋の古書展にいってきた。名鉄パレ神宮前のやつである。
昨日からはじまっているので、多分、めぼしいものはないだろうと思いつつも、行ってしまうのが人情だ。
節用集は、5種類ほど残っていたが、すべて入手済のもの。あつまりだすとこうなるから始末が悪い。
古本屋さんに、節用集なら何でも買います、と言って確保してもらえないからである。
知らせてもらっても、いや、それは持ってます、では張り合いがなくなるだろう。
厳しくいえば、私の信用にもかかわることになる。
しかたがないので、以下の三書を買ってかえってきた。
消息文梯 文化12年 2500円
国文学研究書目解題 昭和32年 3000円
日本料理法大全 明治31年 2000円
『消息文梯』は手紙作法書。当時なら、変体漢文でしるすのが普通で、『庭訓往来』をはじめ、類書はおびただしくある。
が、これは、仮名文系のもの。すなわち、国学・和歌にかかわる人のためのものらしい。
作法書とはいったが、ほとんどが敬語の解説。
「おはします」「おはす」「おぼし」などの項のそれぞれに説明がつく。
「せ させ」なんていう項目もある。国学系文法学の成果も盛り込まれてるかも。
また、語数は少ないが、イロハ順の語彙集もついている。
簡単な語釈というか当代語訳というか、解説がついてるのがおもしろい。
〇よし ヨシ\/エイハなど心にかなハぬ事の、さりとてせんかたもなけれバ、よいにしてうちすてたる詞也
〇やがて こは、むかしの人のつかへるやうスグニソノマヽニといふ意なるを、今の人の□□にはホドナク 追付の意にものすなるは、ひが事なり
いってみれば、本文編の「解説」を敬語語彙以外にもおよぼしたものなのだろう。
俗語訳は、すでに『古今和歌集遠鏡』があった時代だから、めずらしくないといえばめずらしくない。
『国文学研究書目解題』はお隣の分野の勉強にもと。
『日本料理法大全』はふりがなが豊富なので、語彙資料として。また、臨川書店『江戸時代料理本集成』を読むときの参考書にもなりそうだから。
やっぱり和本は高めである。『消息文梯』、京都なら500円で買えるだろう。
学会後、一日のアクセス数がほぼ倍増している。
ううぅぅん、がんばって毎日更新するゾ!
私A「ネタはあるのか? 私B「ないかも‥‥
『芳名帳』もありますので、足跡を残していってくださると、嬉しいです。
19971026
■面白さの伝え方(形容詞ウ音便の場合)
講義をやっていていつも悩むのが、何を教えるか、ということである。
私自身としては、ことばの世界のおもしろさが伝えられればいいと思っている。
原則としてはそう決まっているのだが、教員養成課程における専門科目の位置とか、
もっと即物的には講義時間をどう埋めるか、という低次元のことも気にならないわけではない。
で、結局、あたりさわりのないところでやることになるのだが、知識を伝えるだけではおもしろくない。
聞いてる学生たちは、砂をかむ思いだろう。
そこで、何とか頭をつかってもらおうと、あの手この手を考える。
たとえば、24日(金)の2年生の講義(国語史)では、次のようなことをやってみた。
北原保雄「形容詞のウ音便」のデータを改編した表が素材。
現代の音便が文法現象であるのに対し、平安時代のそれが音声現象であることを知らせるのが目的である。
なお、形容詞のウ音便とは、連用形のときに活用語尾のク(シク)のkが落ちる現象。
現代でも「おはやくございます」「大変おいしくございました」ではなく、
「おはようございます」「大変おいしゅうございました」などと使われる。
形容詞語幹末の母音 a i u e o
語例 赤し 美し 薄し 所狭(せ)し 白し
ウ音便数 1997 5570 23 77 381
連用形総数 8215 9810 889 253 2513
ウ音便率(%) 24.31 56.78 2.59 30.43 15.16
*「美し」はシク活用だが、活用語尾の不変化部シまでを語幹と捉える。
*「所狭し」で一語と認定するのは、工藤力男氏の調査と主張にしたがったものである。
わざとアイウエオ順にならべる。
つまり、データを整理するときの悪い見本としての機能も果たさせるわけだ。
で、音便化率の高いものから低いものへとならべさせる。
結果は i>e>a>o>u。ここまでが第一段階。
第二段階は、このieaouが、どこかで見たり聞いたりしたことがないか、気づかせる。
おぼえのいい学生なら、母音三角形と答えてくれる。そういう学生がいないときは自分でやる。
i───────u
\ /
e o *母音三角形。母音を発音するときの舌のボリュームの
\ / 頂点を、前後(左右に対応)・上下で模式的にあらわ
a したもの。
ここで、不思議だ、という表情がでれば成功したも同然。
実はこの「不思議だ」と思うことが、この講義のポイントだと思っている。
もちろん、内容的には第3段階が重要なのだが、
講義の成功不成功のポイントは、えてして、ずれるものである。
表情がでなければ、「不思議でしょ。なんだか、ぞくぞくしますね。
あんまりゾクゾクして、ふるえがとまらない人はいますか。
そういう人は、大学院に入院しましょうね」などとダメを押したり、
大学院への勧誘と大忙し。(そこまでやるから嫌われるのか‥‥)
第三段階。いよいよ詰め。
なぜi−e−a−o−uという順番が二つの現象(形容詞ウ音便と発音部位)に重出するかを手掛かりに、
平安時代の形容詞ウ音便が音声現象であることをしめす。
簡単にいうと、−iku(例 うつくしく)の方が、−uku(例 うすく)よりも運動量が多いから、
怠惰な発音器官はなまけようとする、などという。
ただ、2年生の講義は、5コマめ(16時20分〜17時50分)に組んでいるので、
学生たちは青息吐息で、ノートをとるのが精一杯という風情。
どうしたものか‥‥
この講義は、2年生前期からの続き。
つまり、半年とちょっとで、まだ中古語の音韻にしか進んでないわけだ。
改めて進行のおそさに気づいた。反省。
この「面白さの伝え方」、いいネタになりそう。新規に考えなくてすみそうだし。シリーズ化しようかな。
同じような立場で悩んでいる方がいらっしゃったら、情報交換しましょうよ。
『芳名帳』に記してくだされば、公開できますし。どんどん真似しあって、いい講義をしませんか。
19971027
■「「を」について考えよう」
という名のホームページを見つけた。
「を」をなんと呼ぶかにはじまって、発音や来歴にまでおよぶことになるが、
専門家が関与していないらしく、正解がすっと出てこないのは、はがゆい。
そこで一筆、とも思ったが、当分は様子をみることにする。
「を」の呼び方、私は、「おもたいヲ」と習ったように思う。
妹は「くっつきのヲ」だったなぁ、などとながめていよう。
それにしてもけっこうバリエーションがあるものだ。
「下のヲ」は聞いたことがある。「つなぎのヲ」「接続のヲ」は初耳。
「てにをはのヲ」も初耳だが、「てにをは」というのは大学に入ってから知った言い方だった。
小学生にどうやって教えているのか、ちょっと興味あり。
へえ、「くっつきのヲ」は最近の小学校の教科書でも使ってるのか。えッ、カリキュラマシーン経由かも知れないって。ふうん。
「を」を「ぅお」と発音してるって。四国の人かな。
読んでるだけで楽しい。
こういう場に「専門家」がしゃしゃりでてしまっては、自由な意見を投稿する人が少なくなるかもしれない。
それはやっぱりもったいないことだと思う。
しばらく静観静観。
里子にだした(捨てた?)satopy1Rが不調。
Windows95のリインストールしかないと自前の起動ディスク(フロッピィ)をいれて再起動したが、
CDを認識しない。
ドライブはサウンドブラスタ接続だったことを思い出し、
バックアップCDからSB16のドライバ(for dos)とautoxec.bat・config.sysの必要とおぼしい箇所を起動ディスクにコピー。
やっとCDドライブを認識する。
さて、コマンドラインで D:\SETUP と入力したが、今度はメモリが足りないらしい警告。
/IS(スキャンディスク・スキップ)のオプションでも、さらに /IQ オプションを追加しても同じ。
autoxec.bat・config.sys を EDITで開き、ほとんどのものを、ロードハイ・デバイスハイに再配置指示。
それでも同じ症状のなので、SB16のドライバをひとつだけ REM にしたら、あっけなくセットアップを開始した。
ひさしぶりのDOS三昧。泣きたい‥‥
19971028
■工藤力男「語源俗解考」
ネタ切れのときは、論文紹介にかぎりますね。
表記の論文(成城國文學論集 第二十五輯 1997所収)は、概説書・辞書等で行われる「語源俗解」およびその類語の記述をみなおそうというもの。
「右のほかに展望の対象としなかったのは次のようなものである。例えば「経験的 or 直観的」といった表現をするもの、これなどはわたしの美意識がうけつけない」(国語学153集「展望」)
と切った氏である以上、論の展開は予想できる。(当時、氏は岐阜大学教授。私は岐阜大学赴任直前にこの節に接し、恐懼したものである)
氏の基本的な主張は、「語源俗解」が、西洋言語学の術語 Volksetymologie(独) の訳語である以上、それをもってさす言語現象を、語源の誤解による語形・意味変化に限定すべし、とするものである。
その基底には「学術用語は厳密かつ正確に使用すべし」との学的姿勢があり、後進の一人としてしたがうべき見解かと思う。
現在見られる概説書等の「語源俗解」(類語を含む)の実例を4っつに分類する。
・分解型 ねずみをこのむからネコ(猫)、の類
・伝承型 「あづま(我が妻)、はや」とさけんだのでアヅマ(東)、の類(地名に多い)
・変化型 「一所懸命」から「一生懸命」に変化した類
・借用型 外来語の定着過程でおこなわれる付会。ちょっと着るからチョッキ、の類
氏は、変化型以外を含む記述を、非とするのである。
ストイックなまでの厳しさで諸記述を切るさまは、爽快感すらおぼえる。
一見、切りすぎか、と思えるところもないではないが、よく読めば、実は読み手の側の認識に甘さがあったことを知らされる。
読者もためされる論文。一読をおすすめする。
ただ、諸記述の贅肉を落としていく際に、当然、捨てられる部分もあって、私などはもったいないと思う。
「パッとはくからパンツ」という発想がでること自体、外来のコトバと対峙する人間の所作の一例として相応の面白さはあるように思うからだ。
しかし、著者はいうだろう、それはそれで別の用語をあてるべき現象であって、言語学上の問題として捨てることを必ずしも意味していない、と。ここでも読者が試されるのである。
19971029
■「どぎどぎ」
「(略)領主は、戦国の世に先祖が感じた征服欲を、ずっと縮めて歪めて、それにどぎどぎした鍍金(めっき)をかけたような感情に操られて、部屋に滑り込む。(略)
北村薫「ものがたり」『水に眠る』文春文庫
義妹・茜が、義兄・耕三に創作時代劇のストーリーを話す。
若殿が家臣の妹にお手を掛けようというくだり。
意味がわからないことばというものはあるものだ。
「どぎどぎ(した)」はどういう形容なのだろう。
とりあえず、『日本国語大辞典』を引いてみる。
@刃物の鋭利なさまを表わす語。
Aうろたえ,あわてるさまを表わす語。どぎまぎ。
Bまぎらかすさま、まぎらわしいさまを表わす語。
@が一番近い。「研(と)ぐ」あるいは「鋭(と)し」の連用形に由来する重複型の語構成のようである。
濁音化は、気味の悪さや恐ろしさのニュアンスを表そうとしてのことだろう。
そういったことを反映してかどうか、用例は、鎌・刃など刃(は)をもつものを直接に形容・叙述するものである。
そこから派生して、きらきらしたメッキの感じを、マイナスの語感−−特に性欲に由来する、ある種のいかがわしさ、どす黒さ−−をただよわせつつ、あらわそうとしたのが北村の「どぎどぎ」か。
諸賢はどうみますか。
山田忠雄「形容詞スルドシの成立」でもみると何かわかるかしら。
更新のたびに思うこと。
短からぬ文字列を連ねている訳だが、行間が詰まってしまっているので、読むのが大変。
行間をいくらかあけるHTMLタグはないものかしら。
インターネット・エクスプローラ2.0では、数段階の設定が可能であった。
が、3.0x(4.0もか。未確認)ではやめてしまった。
ネットスケープ・ナビゲータで採用しなかったこともあって、「売り」にはならぬと判断したのか。
あほやなぁ。便利このうえないのに。
19971030
■「車輪」−−異常感覚かも
大きなトラックが、体を擦り寄せるようにして追い越していく。わざとかもしれない。 まったく驚かないけれど、車輪の音がうるさかった。
北村薫「かすかに痛い」『水に眠る』文春文庫
女性が車を運転して高速道路を走っている。その描写。
あれっと思ってしまった。
「車輪」である。こういうところで使われると、ちょっとビクッとする。
一瞬、蒸気機関車の動輪を思い浮かべてしまったのだ。
なぜ、「タイヤ」ではないのか、と言い換えてもいい。
また、その方が、手っとり早く解決できそうである。
要は「車輪」と「タイヤ」の質感ないしニュアンスの差なのだろう。
硬と軟の差と簡単に言ってしまっていい。
また、実際に、高速道路でトラックのそばを走ったことがある人ならすぐにわかるだろう。
あの音はタイヤの音だけではない。
ゴーという排気音やら歯車の激しくまわる音だとか、
くさりがすれあう金属質な音やら、ほとんどむきだしに近いエンジン音やらがまじっている。
それをひっくるめて「車輪の音」としたのかもしれない。
人に言えるほど立派ではないが、学生たちは本を読んでいるか、心配である。
国語の教師になる課程なのだから、鑑賞力はバッチリつけておいてほしい。
むずかしいと思ったら、まず、語感を磨くことからはじめよう。
詩や短歌なら短くて手ごろ。そして表現にこだわって読む。
例題。「垂乳根の母のいのちを一目見ん一目見んとぞただにいそげる」
(斎藤茂吉『赤光』。憶引。表記・細部自信なし)「いのち」を「見」るとはどういうことか。
一〇〇字以内で述べなさい。
岐阜大学図書館のホームページで、奈良絵本『小しきふ』(小式部)の全画像を公開中。
ちょっとコントラストが悪くて美しさが伝わらないのが残念。
解題は、愛機 Satopy4 の蓋をあけるときにお世話になった弓削繁教授が担当してます。
翻刻ももうすぐ掲載されますので、お楽しみに。
それにしてもこの本、名古屋の藤園堂から、かの反町茂雄・弘文荘経由で岐阜大学に入ったらしい。
よくぞ天理大学に流れなかったものと感心するが、どうして貧乏国立大学が買えたのか、
不思議でしょうがない。
「昭和28年3月20日受入」の印。年度末に予算が大量にあまったので一括消費ということか。
19971031
■引き寄せ効果の裏作用
八万三千八三六九三三四七一八二四五十三二四六百四億四百
「何ですか、これは?」(中略)「……歌、ですか?」
「はい、『一つ家の歌碑』とか言いましたね」北村薫『夜の蝉』創元推理文庫
立ち別れ去なば 待つとし聞かば今帰り来む
↓ ↑
因幡の山の峰に生ふる松
以前述べた「引き寄せ効果」は、おおむね、未知のモノ・語を、既知のモノ・語に引きつけて捉えるということであった。
目にし耳にするものが、未知のものばかりでは、人間、安心して生きていけない。
そういう、本能に根ざした作用として、無意識のうちに、引き寄せずにはいられないのだろう。
だから、これがちょっと高じると「知ったかぶり」になる。
「知らない」という状況(を人に悟られるの)がひどく落ちつかないのである。
さらに高じれば、精神障害の部類にまでおよぶことになる。
一方で、この「引き寄せ」を好んですることがある。
ことに、コトバ遊びの分野では引き寄せ効果の実例が豊富だ。
北村のは、漢数字だけで和歌を表したもの。
読み方まで引用してもいいが、北村の推理小説は、日常のできごとを推理するという作風。
やはり読みを書くのはまずかろう。
ちょっと範囲をひろげれば、イロハ歌も同類だろう。
もちろん、音声の文字化という行為自体、引き寄せにほかならないことになるが。
洒落もそうだろう(例:アルミ缶のうえにあるミカン)。
一つの音声連続で、複数の意味をあらわすわけだが、一方が他方に引き寄せられているわけだ。
洒落がはいるなら、和歌のかけことばだって入れていい。
というか、いれなくちゃいけない。
しかし、こういうのは、未知を既知に引き寄せるわけではない。
既知のものを既知のものに引き寄せるわけだが、その引き寄せ方や、引き寄せようとすること自体が意外だったりする。
「意外」なのだから、「未知」の名に値する。
既知への引き寄せが「表通りの引き寄せ効果」なら、
既知どうしの、意外性を目的とした引き寄せは「裏通り」というところかもしれない。
これにて「気になることば」は、通算第30集となりました。 記念に、分類目次をつくってみました。 よろしかったら御利用ください。
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