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気になることば 第22集   バックナンバー   最新
19970729
■「小止み」

 昨日(28日)は雨。それもときおり猛烈に降る。 1時間に51ミリも降った期間がある。台風は直撃しなかったが、これでは直撃したのと変わらない。
 生協の床屋さんに15時30分の予約を入れたが、とてもじゃないが外にでる雨じゃない。 そこで雨で遅れることを電話で告げると、「コヤミになってから来てください」と。

 実は、このコヤミ(小止み)ということばも前から気がかりだった。 「ちょっとのあいだ、雨がやむこと」なら全然違和感はないのだが、 最近、テレビなどで「小雨になること」もコヤミといったりしている。
 もしかしたら「雨の降り方が少し弱まること」という意味を新たに獲得したのかもしれない。 『日本国語大辞典』あたり、こちらの語釈も載っていただろうか。 例によって、自宅からなので未確認。

 まぁ、「小降り」と「小止み」の区別なんてできるようで、実際にはできないかもしれない。 状況によっていくらでも変化する。 イタリア製のスーツで決めた人にとっては、本当に止んでくれなくてはこまるだろう。 一滴たりとも雨が降っていれば「小降り」であって、止んだうちにはいれたくない。 それでも、取引先のお偉方と会う時間が迫っていれば、「小降り」でも「小止み」のうちということで、飛び出すのが誠意というものかもしれない。
 女性との待ち合わせではどうなるのかな。愛がはかられたりして。
 第21集、一日おそい日付になってました。バックナンバーの方は直しました。
19970730
■「太しい」

 今日はくもり。でも日が少しさしていたので、たまった洗濯物をかたづける。 それにしても、7月中旬のあのさわやか夏は、もうこないのか。 短歌で代償しましょう。
川に懸かる 鯉幟(こいのぼり)百千 尾を鳴らし 太しき川を 飲みきそいけり
   小林いちを(秋田市)
 洗濯しながら見ていた『NHK歌壇』での投稿歌。スケールと躍動感があっていい。 ただ、選者のあいだで問題になったのが「太しき」。正格なら「太き」になるからだ。

 ク活用形容詞とシク活用形容詞で、客観的・理知的表現と主観的・情緒的表現とに分かれやすいことはご承知のとおり。現在では、もっと考察が深まって、活用の新旧だとか、いろいろあるようですが、まことにユニークな着眼点なので客観対主観のわけかたが行なわれているのでしょうね。

 で、上の歌。作者がどこまでこの活用の別を意識していたかは分からない。 拍数合わせという即物的な要因で「太しき」になったというのが、推測としては現実的だろう。 ただ、室町時代あたり、ク活用を無理にシク活用にして表現のはばを広げたこともあった。 とすると、「太しき」はその現代版かもしれない。

 もちろん、偶然の一致である可能性は高いだろうが、補った音としてシが選ばれたのは象徴的だ。「さびしい」「うつくしい」等々一連の形容詞が脳裏をよぎったはずである。 主観的表現云々という分け方を知らなくても、自然に身につくのが言語の使い手の文法というものだろう。
19970731
■思い出したギャグ

 Satopy4号来る。DELLのDimention H266。さっそくPentiumIIの御尊顔を拝そうとケースをあける。ところが、スライドするはずの開き口がびくともしない。サービスに電話してもマニュアルにあることしか言わない。
 そこで援軍を。夕闇せまる時間帯。弓削先生しかいない。中世文学のバリバリの中堅。 恐れ多い。腕力を貸せなどといえない‥‥  ところが、新たに買われた親指シフトキーボードが、きちんと機能しないとのお話。 これぞ天佑神助。幸いOAK/Winが入っていたので設定は簡単に終わり、正常動作。
 そのまま拙室へ。大の大人が10分格闘してやっと動きだした。ふうぅぅぅ。

 というわけで余力がない。院生のころのジョークでお茶をにごす次第。
 全国の国語学徒のみなさま、お待たせしました。 閉ざされた世界ならではの笑いを共有しましょう。

 その1。学生控室。お茶を飲んでいる私と近世文学の院生。ただようけだるさ。 そこに資料室から4年生(女)登場。調べ物疲れで茫然自失の体。
  女「私の疲れは、玄界灘ぁ‥‥‥」
  私「その疲れは、遠州灘?」(演習だな、です)
  男「さだめし、肩も、播磨灘」と肩を揉みに寄る。

 その2。院生某氏の部屋にて。空き巣に入られてももっと綺麗だろうという散乱ぶり。
  私「う〜む、かくてもあられけるよ。」

 その3。やはり控室。院生演習の直後だったか、院生ばかり、ほうけた顔でいる。 たまたまN氏と目があう。N氏も、私と目が合ってしまったという風情。 何か言わないと気まずい。
 ウルトラマンのポーズにて、
  私「シラビーーーームッ」
 N氏、不意打ちを食らって一瞬無反応。やがて、ウルトラセブンのかまえにて
  N「サナトリウム光線っ」

 その4。京都の木屋町の居酒屋(げっ、これは就職してからの話じゃないか。ま、いっか)。 関西の若手研究者や院生など十数人にて占拠。私の隣は某大学の新院生(女)。
  女「先生って面白い方だったんですね」
  私「いやぁ、シラビームってこればかりでね」と、ウルトラマンのポーズで左から右へ。
  私「ああぁ、右から左にもできます。シラビーム」
  女「クックックッ‥‥‥」
 
 我ながらアホやなぁ。
19970801
■うだつのあがる街にて

 O大学のY氏がきたので、午後4時ころから美濃市に連れていった。
 和紙のスタンダード・美濃紙の発祥地。 またここの町並みは、 「うだつ」をそなえたものとして有名。2階の妻壁がそとにはりだしたタイプのものである。 正月映画『虹をつかむ男』で注目をあびた 徳島県脇町のうだつは、 1階の屋根に乗っかるタイプ。壁土で分厚く美しく仕上げられる。 やはりこっちの方が堂々としている。「うだつがあがらない」の語源説に建造物のウダツをとるなら、お金もかかりそうな脇町タイプだろう。

 とある紙屋に入ると、ただごとではない千代紙を発見。 御主人のお話だと、美濃紙に友禅染の技法で18色かさねずりしたものという。
 ひとつは花鳥図。花木がほぼ全面にあしらわれており、一角を飛鶴が舞う。 もうひとつは公家行列。背景と雲の金がまぶしい。そのあいまを行列がいく。 もう少しで古拙といえそうな表情の人物が描かれる。
 なぜか2枚1セットを買うと、悪いことが消え、良いことが訪れるのだそうだ。 インターネットでも、紙屋さんに関係ない人が紹介していて問い合わせが多いとか。 民芸品としては立派。2枚で3000円というのも安い。 が、買ってこなかった。

 帰りがけ、観光案内所の脇におどろくべきものを発見した。 「すし自動販売機」だ。
 稲荷ずしと舞茸の天むす(だったかな)と鉄火巻きが主力メニュー。 Y氏も大阪にはない、といっていたから、日本でもそう何台もないだろう。 しかし、どうやって自動化してるんだろう。まさか、巻いたり握ったりしてるんじゃ‥‥  そういえば「調理待ち時間」インジケータもついてる‥‥
 まぁ、できあがったものを一旦冷凍して、お金を入れると解凍しはじめるというのが現実か。 なかに人が入ってるというのもいい。「サビ抜きねっ」と声をかけるとワサビなしのやつが出てきたりして。
 ためしに買ってみたかったが、一番不思議で、時節がら危ない鉄火巻きが売り切れだったし、 千円札両替機の挿入口が、金ノコで下手に切ってあるのに不信感を覚え、やめた。 手作りの味わいと言えば言えようが、食べものまわりの不細工はねぇ。
19970802
■「〜からお返しします」

 今日は4号のお守り。環境の移行も8割り方おわった。小さいトラブルはあったが順調に経過。 なのに時間はたっていく。疲れも少々。
 ネタも思いつかないので、今日の更新は無理かなと思っていたら、帰りがけに寄ったドラッグストアで収穫あり。

 常備薬などを買ってレジへ。合計5288円だったので1万円札と1円玉8枚をだす。
「10008円からお預かりします。」これはもう常套句。珍しくなくなった。
「細かい方、720円からお返しします。」なるほど。大きい方はあとになるってことね。
「大きい方、4000円からお返しします。」そうかそうか。あとからの分だから「から」ね‥‥‥ えっ!?

 う〜ん、とうとうここまで来たか。 そのうち、レジにおける金額のあとの助詞はカラだけになるかもしれない。
 ま、方言では一つの助詞の用法が、共通語より広いことはよくある。 津軽方言では「しか」が「より(も)」もカバーするんじゃなかったかしら。 「おらたちのコトバしか、汚ねぇなぁ」というのを伊奈かっぺいのライブ・カセットで聞いたっけ。
 もちろん、このシカが、共通語のシカと同じ出自であること、逆にいえば、 共通語と無関係につくり出されたものではないこと、が確認されなければいえない。 国語研究所の全国文法地図を見れば目に見えて分かるのだが、 例によって自宅からなので未確認。
 ここ数日、工事のためにサーバーが停止されることがあります。下手をすると月曜までそうなるかもしれません。
19970803
■「横メシ」
 若くて元気だったころは、アメリカの食生活に満足し、一生この土地に住んでも良いわなどと放言していた私ではあるが、(中略)一旦入院でもするはめになったら、横メシ地獄だ。心優しい友人に助けを求める以外救われない。
   酒井眞知江「異国での老後を憂う」『’94年版ベスト・エッセイ集』文春文庫
 洋食の意味らしい。横文字とメシからの複合語か。 「横」に「横文字」の意味を託しているから、ちょっと大胆な造語ではある。

 私ははじめて見たが、意外と使われているのだろうか。 初出誌は、『東京女子大学同窓会誌』17号とのこと。 東女(トンジョ)の、ある世代では使われているのだろうか。

 ないよな、と思って手元の資料を検索したら一例だけ見つかった。 ちょっとこんがらがる内容ですが、どうぞ。
 食品工学の専門家、稲神馨さんは「日本は横型、西欧は縦型で食べる」という表現で、食事文化の違いを指摘している(『知って得する最新食べもの学』)▼日本の食事は、ご飯を中心に多様なおかずに箸(はし)をのばす。横断的な食べ方だ。味噌汁も一口すすって、ご飯に戻る。塩辛さも薄められる。欧米の食事は、これに反して前菜の次はスープ、次は主料理と縦型に続く……▼西洋語を意味する横文字から発した「横めし」などという表現もあるが、実は、それが縦型で、縦書きの日本は横型だ。
   朝日新聞・天声人語('93.6.7 朝刊)

19970804
■説明から理論へ

 3日のNHK『ことばテレビ』の質問コーナーで「丈夫い」がとりあげられた。 こういう言い方はあるのかという視聴者からの便りである。西日本に多いとか答えていた。
 岐阜はどうだったかな。しかとした記憶はないけれど、言うような気がする。
 それよりも確実に聞いたことがあるのは「横着い」。 若い人は使わないかもしれないが、中年以上なら使うか、確実に知っている言い方。オーチャキーと発音されることが多い。

 『ことばテレビ』でも言っていたが、形容動詞をつくる語尾(ダ。連体形ナ)は、 漢語・外来語など和語的でない要素にも付く。 いわば、とりあえず日本語のなかでそれなりに使えるようにする形式。 日本語の要素としての初心者マークといった側面もある。
 だから、共通語ではまだ「横着な・だ」だから、岐阜弁の方が進んでいるんだね、などと学生に話したりする。

 ただ、私は欲張りだから、漢語形容動詞のうち、形容詞にまで発展する条件が定式化できないかなぁ、と夢想する。 日本語のなかでよく使われていくと形容詞になる、というのだが、これは必要条件にすぎない。 昔から形容動詞でいまも形容動詞のままというのは、たくさんあるからだ。
 もっと核心的な何かのあるなしで、かたや形容詞、こなた形容動詞となるはずである。 その「何か」をつきとめてみたい。

 過去に起こった言語変化を説明することは比較的たやすい。 もちろん、相応に調査は必要なので、「たやすい」は、あくまで比喩的な言い方。 その説明を理論の域に引き上げるよりはやさしい(かもしれない)ということである。
 「理論」になるには、将来の言語変化までも予想できなければならない。 それくらいの確実性がなければ「理論」とはいいにくい。 その確実性をどうやって獲得するか。 それには「核心的な何か」をつきとめるか、語別に分散するかもしれない「核心的な何か」を集積することが必要になるはずだ。

 そのために類例をたくさん知っていた方が有利である。 また、個々の例を検討するときにも、「核心的な何か」を求めていく姿勢を忘れてはいけない‥‥‥ ということまでは、まぁ、誰にでも言えるが、実践は本当に困難だろう。
 ま、思うだけでも進歩か、とみずからなぐさめておくか。

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