[トム・ジョーンズ] [ノーサンガー・アビー] [ダーバヴィル家のテス] [荒涼館]
放送大学岐阜学習センター 平成26年度第2学期 面接授業 内田勝(岐阜大学地域科学部)
テレビドラマで読むイギリス小説 第5部 (2014年011月2日 9:45-11:10)
ディケンズ原作『荒涼館』[前半]([後半]はこちら)
引用文中の[…]は省略箇所、[ ]内の文字は原文のルビ、【 】内は私の補足です。
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[1]当今の日本でも裁判の遅れが指摘されているが、たかが数年、せいぜい十年余りにすぎない。[…]。本家本元のイギリスでは、一九世紀中葉、ひどい例になると百年以上にわたって世代が交代しながら継続された遺産相続をめぐる裁判があったらしい。つまり、遺産相続の事件を代々遺産相続していくという、当事者たちにとっては笑うに笑えない事態だったのだ。(山本『名作英文学を読み直す』p.254)
[2]ディケンズ Charles John Huffam Dickens(1812-70) イギリスの小説家。2月7日、海軍経理局勤務の下級官吏の長男として南イギリスの軍港ポーツマス郊外に生まれ、のちロンドンに移住した。父のジョンは好人物だが金に締まりがなく、借財の不払いで投獄されたこともある。そのためディケンズは少年時代から貧乏の苦しみをなめさせられ、学校にもほとんど通わせてもらえず、12歳から町工場に働きに出された。資本主義の勃興[ぼっこう]期にあった19世紀前半のイギリスの大都会では、繁栄の裏に恐ろしい貧困と非人道的な労働(年少者の酷使など)というひずみがみられた。こうした社会の矛盾、不正を肌で体験したディケンズは、貧乏の淵[ふち]から抜け出そうと自力で必死の努力を重ね、独学で勉強しながら15歳で弁護士事務所の下働き、翌年裁判所の速記者となり、やがて新聞記者となって議会の記事や、風俗の見聞スケッチを書くようになった。1833年に短編をある雑誌に投稿して採用されたのに力を得て、引き続き短編、小品などをあちこちの雑誌類に発表、これらを集めた『ボズのスケッチ集』が36年に出版されて、24歳の新進作家が華々しく文壇にデビューした。
翌1837年に完結した長編小説『ピックウィック・ペーパーズ』は、4人(途中から5人)の人物が旅する先々で滑稽[こっけい]な事件を巻き起こすという単純な筋だが、その明るいユーモアで爆発的な人気をよび、次作『オリバー・トゥイスト』(1838)もベストセラーとなって、彼の作家的地位は確立した。その後イギリスとアメリカのあらゆる階層、年齢の読者からの声援にこたえて、『ニコラス・ニックルビー』(1838-39)、『骨董[こっとう]屋』(1840-41)、『バーナビー・ラッジ』(1841)、『クリスマス・キャロル』(1843)、『ドンビー父子』(1846-48)など、立て続けに長・中編を発表して文名は高まる一方であった。この高評の原因は、自らの体験で知った社会の下積み生活、その哀歓をリアルに描くとともに、世の不正と矛盾を勇敢に指摘し、しかもユーモアを交えながら批判したところにあった。事実、彼の小説の出現によって、年少者の虐待や裁判の非能率などが改められたほどである。
1850年に完結した自伝的作品『デビッド・カパーフィールド』あたりから、作品の質がすこしずつ変わってきて、ディケンズ後期の特徴が顕著になってくる。次作『荒涼館』(1853)がそのよい例で、前期の作品のように1人の主人公の生い立ちや体験を中心に描くのではなく、かなり多くの人物群を中心に、社会の各層を広く見渡す、いわゆるパノラマ的社会小説に近くなってきた。作品のなかに立ちはだかる、個人の力ではついに改善しきれない社会の体制の壁を前にして、ディケンズ得意のユーモアもどこか苦々しい笑いに変わり、無力感、挫折[ざせつ]感が全編に漂うようになった。しかし創作力は依然として衰えず、工場ストライキを扱った『つらいご時世』(1854)、G・B・ショーによって「『資本論』よりも危険な書」と評された暗い社会小説『リトル・ドリット』(1855-57)、フランス革命を扱った『二都物語』(1859)、やや自伝的な『大いなる遺産』(1861)などの長編のほか、かなり多くの短編、随筆を書き、さらに雑誌の経営・編集、慈善事業への参加、素人[しろうと]演劇の上演、自作の公開朗読、各地への旅行と、休む暇のない精力的な活動が続いたために健康を損じたが、やめようとはしなかった。
そのうえ58年には、20年以上連れ添い10人の子供を産んだ妻キャサリンと別居(性格があわないうえ、20歳そこそこの若い女優エレン・ターナンを愛人にもったためという。しかし世間の評判を気にして離婚はできず、愛人のこともひた隠しにしていた)するなど、精神的な苦労も重なり、70年6月9日、推理小説風の謎[なぞ]に満ちた『エドウィン・ドルードの謎』を未完成のまま世を去った。全世界、各階層の哀悼のなかで、文人最高の栄誉としてウェストミンスター寺院に葬られた。
彼の小説は、一部からは読者に迎合した感傷的で低俗なものと非難されるが、人間味とユーモアに富む数々の登場人物は、永遠に忘れられない溌剌[はつらつ]さをもっており、死後1世紀を通じて各国語に翻訳されて、トルストイ、ドストエフスキーからカフカに至る崇拝者をもち、シェークスピアとともにイギリス文学を代表する作家と認められている。(小池「ディケンズ」)
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[3]『荒涼館』は、おおまかにいって三つの世界から成り立つ。その第一は、サー・レスター・デッドロックの世界。[…]彼は准[じゅん]男爵の身分でありながら社会の頂点にあって最高の実力を誇り、政界に絶大な影響力をもつ。第二は、作品の冒頭に描かれ主要テーマにもなっている大法官庁裁判所の世界だ。そして第三が、ロンドンの最底辺のスラム街[…]である。
これら三つの世界は、外見的には当時のイギリス社会の表面と裏面、光と影を代表しているように思われるが、それぞれが別々に存在しているのではなくて、見えざる線で互いが結ばれ、一つの大きな有機体をなしているのである。その有り様が、視点を異にする二つの語りの手法によって巧妙に提示される。つまり、三人称現在形で語られる物語と、一人称過去形で語られる自伝的物語とが、数章ごとに交錯しながら、プロットが展開するようになっているのである。
一人称の語り手エスター・サマソンは、この三つの世界をつなぐ線の役割を果たしている点でも重要な人物である。彼女は私生児として生まれ、誕生と同時に闇[やみ]に葬られた形で子ども時代を過ごした。長じて、ジョン・ジャーンディスの屋敷「荒涼館」に迎えられ、家政婦としての務めを果たすことになる。
このジャーンディスという老紳士は「ジャーンディス対ジャーンディス」と名づけられた大法官庁訴訟事件の当事者の一人である。彼は、同じ事件の当事者で大法官庁における被後見人であったリチャード・カーストンとそのいとこのエイダ・クレアを荒涼館に引き取っている。エイダとエスターは仲良しになり、エスターの回想を通して、エイダとカーストンの気質やふたりの関係、そして裁判の成り行きの多くの部分が語られるのである。
(松村「ディケンズ『荒涼館』」pp.40-1)
【裁判の発端は、何世代も前のジョン・ジャーンディスという大富豪が、遺言を何度も書き直した末に死んでしまったことだ。どれが最終的な遺言書かが分からず、遺族は莫大な遺産の分配をめぐって争うことになった。一族の多くのものが、財産の獲得を夢見て長い裁判にうつつを抜かし、身も心もすり減らして死んでいった。】
【何世代かが経ち、先祖と同じ名で「荒涼館」の当主であるジョン・ジャーンディスは、身内の醜い争いに嫌気がさし、本来なら彼と裁判で争う立場にある一族の孤児リチャードとエイダを引き取って、実の子のように養育することにした。この際、エイダの話し相手兼家政婦長として引き取ったもう一人の孤児が、エスタ・サマソンである。】
[4]では、エスター・サマソンの生みの親の行方は? そこで我々は、いまやサー・レスターの奥方として、名実ともにトップレディーの地位を誇っている、レディー・デッドロックの秘密にふれることになる。[…]。
レディー・デッドロックの名はホノーリア。素性[すじょう]さえ定かでない彼女が、准男爵に見そめられて玉の輿[こし]に乗る幸運をつかんだのである。フェアリー・テイル(お伽話[とぎばなし])であれば、万事めでたしで幕となるところであるが、社会の現実を映す鏡の役割を担う小説では、そういうわけにはいかない。常に「それから」が問題になるのである。(松村「ディケンズ『荒涼館』」p.41)
[5]【レスタ・デッドロック卿について。】
レスタ・デッドロック卿は一介の准男爵にすぎないけれども、彼ほど強大な准男爵は世にいない。家柄の古いことは山におとらず、しかもその高さたるや山などの遠く及ぶところではない。彼の持論によれば、世の中は山がなくともすむであろうが、デッドロック家なくしては成り立つまいという。(ディケンズ『荒涼館 1』)
[6]【レディ・デッドロックについて。】
世間では今でも、彼女には親類さえいなかったと取り沙汰している。[…]。だが彼女には美貌、自尊心、野心、驕慢な不屈さ、無数の貴婦人に分けても充分なほどの良識があった。それらに加うるに富と身分をもってしたので、まもなく彼女はのし上ってきた。そして今では、もう長年のあいだ、デッドロック家の奥方は上流社会の消息の中心となり、上流社会という木の頂上に位している。(ディケンズ『荒涼館 1』)
[7]【デッドロック家の弁護士タルキングホーンについて。】
老紳士【タルキングホーン弁護士】は見るからに古色蒼然としているけれども、貴族たちの婚姻不動産契約や遺言書で相当の財産をたくわえて、いまではひじょうな金持だといううわさが高い。名家の秘密からさし出る神秘的な円光につつまれたまま、人も知るとおり、そういう秘密を黙々と守っている人物なのである。(ディケンズ『荒涼館 1』)
【タルキングホーン弁護士がジャーンディス対ジャーンディス事件の新しい宣誓供述書を読み上げているとき、レディ・デッドロックはその供述書の筆蹟に異様な興味を示す。】
[8]いずまいを直したひょうしに奥方はテーブルの上の書類に目をとめる――顔を近寄せて眺める――さらに近寄せて眺める――ふいに尋ねる。
「それはだれが書いたのです?」
タルキングホーン氏は奥方のいきいきとした、つねにない調子におどろいて、急に読むのをやめる。
「それがあなたがたのいう法律書体というものですか?」と夫人は無関心な態度に戻って彼をまともに眺め、うちわをもてあそびながらいう。
「そういうわけでもございません。たぶん」――そういいながらタルキングホーン氏は筆蹟を調べる――「ここに書いてございます法律書体ふうの字は、原本の法律書体をまねたものでございましょう。なぜお尋ねでございますか?」
「ただ退屈でたまらないのをまぎらわすためですわ。さあ、先を読んで下さい、さあ!」(ディケンズ『荒涼館 1』)
【上流社会の秘密を握るチャンスを見逃さないタルキングホーンは、さっそく供述書の筆記を担当した人間を捜し始める。タルキングホーン弁護士が調査を進めるにつれ、レディ・デッドロックの秘密が徐々に暴かれていく。】
[9]【エスタの語り。彼女とエイダとリチャードは、初めて荒涼館の当主ジョン・ジャーンディスに出会う。】
ゆく手の岡のいただきに、明りが一つきらめいていました。すると御者がむちでそれを指し示しながら、「あれが荒涼館でさあ!」とどなり、馬をゆるい駆け足に移らせ、登り道でしたけれども、たいそうな勢いで馬車を前進させましたので、車輪にあおられて道の土ぼこりが水車の水しぶきのように私たちの頭上に飛び散りました。[…]。
「やあ、エイダ、よう、エスタ、よく来てくれたね! 会えてうれしいよ! リック【リチャードの愛称】、このとおり手がふさがっていなかったら、君と握手したいんだがね!」
澄んだ、明るい、歓待の気持にみちた声でそういった紳士は、その時もう片手でエイダを、片手で私をだいて、二人に父親みたいに接吻をし、そのまま私たちをかかえて玄関の間を横切り、燃えさかった煖炉の火で暖められ赤く輝いているちいさな部屋へ案内してくれました。(ディケンズ『荒涼館 1』)
【根っからの善人であるジョン・ジャーンディスは慈善活動にも熱心で、エスタやエイダはスラム街に住む貧しい子どもたちと親しく付き合うようになる。一方、ジャーンディス氏の善意に付け込んで「荒涼館」に入りびたる者もいる。】
[10]【「荒涼館」に入りびたる調子のいい卑劣漢スキムポールの主張。】
「後生です、人を信用しやすい子供、ハロルド・スキムポールがあなたがた世間の人たちに、実務を事とする実際家の集りに、彼を生かせて人類一家を讃えさせて下さいとお願いしているんだから、善良な人間らしく、なんとか彼の願いをかなえてやって、彼を揺り木馬に乗らせておいて下さい!」(ディケンズ『荒涼館 1』)
[11]【善人面をして周囲の人にたかり、金をむしり取るスキムポールの悪人ぶりについて。】
善良なジョン・ジャーンディスは、彼こそある意味ではこの小説における本当の子供なのだが、贋の子供スキムポールにすっかりだまされて、彼と親しく付き合っている。ディケンズはエスターの目を通して、スキムポールの浅薄だが愉快な機智と、安っぽいが面白い魅力を浮き彫りにする。やがて、この魅力を透かして、この男の本質的な残酷さ、品のなさ、まったくの不誠実さが分かってくる。子供の下手な模倣[パロディ]として、彼はさらにこの作品におけるほんものの子供を美しく浮き彫りするのに役立っている。ほんものの子供たちは年端もゆかぬのに人を助け、大人の責任を背負って、保護者や扶養者を哀切・可憐にまねている子供たちである。
(ナボコフ『ヨーロッパ文学講義』pp.120-1)
[12]【件の供述書を筆記した代書屋ネーモーの最期について、タルキングホーン弁護士とレディ・デッドロックが、腹の探り合いをしながら言葉を交わす。】
「それで、そのみじめな男はどんな人でした?」と奥方が尋ねる。[…]。
「ひどくみじめな暮らしをして、まっくりなりふりかまわず、[…]黒い髪の毛とあごひげはのび放題でございましたから、私は、まあ下層の中でも最下層の人間でしょうと思いました。しかし、医者は、むかしは容貌も身分ももっとましな人間だったという意見でございました」[…]。
「なんという名前でしたの?」
「みんなその男の自称した名前で呼んでおりましたが、だれ一人として本名を知っている者はございませんでした」
「看護をした人もですか?」
「看護をした者は一人もありません。死んでから発見されたのでした。じつは私が発見したのでございます」[…]。
この短い対話の一語一語をしゃべっているあいだ、デッドロック夫人とタルキングホーン氏は、ふだんの態度を少しも変えなかったけれども、ただ、たがいに相手をじっと見つめていた――そういう異常な話題について話し合っているさいのことゆえ、おそらく、これは当然のことだったろう。(ディケンズ『荒涼館 1』)
[13]【ジャーンディス氏はリチャードに、どんな職業に就きたいのかを尋ねるが……。】
「僕はなにになったほうがいいのか全然分りません」とリチャードは考えこみながら申しました。「牧師になりたくないことだけはたしかですが、そのほかの職業はみんな五分五分です」
「君はケンジ弁護士と同じ商売をやる気はないのだろう?」とジャーンディスさんがいい出しました。
「それは分りません!」リチャードが答えました。「僕はボートをこぐのが好きなんです。弁護士の実習生たちはずいぶん舟遊びにゆきますね。すてきな職業だなあ!」
「外科医は――」とジャーンディスさんがまたいい出しました。
「それこそ僕の望むところです!」とリチャードは大声でいいました。
外科医のことなどリチャードが考えたことがあったのかどうか、あやしいものです。(ディケンズ『荒涼館 1』)
[14]【エイダはエスタに、リチャードから愛の告白をされたことを話す。】
「リチャードはね――あたし、こんなこと、ほんとに馬鹿な話だとは知っているの、あたしたちは二人とも、とても若いんですもの――リチャードはね、あたしを心から愛しているっていうのよ、エスタ」
「ほんとう? 私、そんなこと、まだ一度も聞いていませんわ! でも、私の大事な大事な人、そんなことなら、私がずっとずっと前に教えてあげられたでしょうに!」(ディケンズ『荒涼館 1』)
[15]【リチャードが弟子入りした医師の妻が、リチャードの態度を批判する。】
「どう見ても、あの人はよくよく考えた上で、ご自分の職業をえらんだとは思えませんわ」
そういわれてエイダが大そう不安らしい表情になりましたので、私は奥さんに、そうお考えになる理由はなんですか、と尋ねました。
「それはね、サマソンさん、カーストンさんの性格と振舞いですよ。あの人は[…]医学という職業に気乗りうすですね。医学を自分の天職と感じるような、積極的な関心を持っていませんわ。もしなにかはっきりした気持を持っているとすれば、おそらく、退屈な仕事だというくらいのことでしょう。しかし、これでは末が案じられますわ。例えばアラン・ウッドコートさんみたいに、医学のすべての活動に強い関心を身につけて、この職業にこころざす若い男の人たちは、さんざん働いても、ほんのわずかなお金しか手にはいらず、長い年月かなりの苦労と失望をかさねても、医学の中になにか報いになるものを見つけることでしょう。でも、カーストンさんの場合は事情がちがうと、わたし、確信していますわ」(ディケンズ『荒涼館 2』)
[16]【医師を諦めて弁護士に弟子入りしたリチャードは、その修業にもすぐ飽きてしまう。彼はエスタに語る。】
「僕はジャーンディス対ジャーンディス事件に、まるで奴隷みたいに力を注いだので、もう法律熱を満足させてしまって、法律をやりたくないという確信を得ました。[…]今度僕が当然志望するのは、なんでしょう?」
「私には想像がつきませんわ」
「そんなに深刻な顔をしないでください。[…]。ねえ、エスタ、ほんとです。僕には、一生涯つづける専門的な職業は不必要のようですね。今にこの訴訟が終れば、僕は自活できるんです。そんな必要はないんです。だから今度の職業は、その性質上、多かれ少なかれ不安定で、従って僕の一時的な生活状態に適した――最適だといってもいい
――職だと僕は見ています。[…]。陸軍ですよ!」(ディケンズ『荒涼館 2』)
[17]リチャードには財産があるわけではないので、ジャーンディス氏は何とか定職に就けてやろうと努める。法律を学ばせようとする。[…]。陸軍にも入れてみた。だが、どこに行っても、リチャードは長続きせず、数ヵ月でまたぞろ荒涼館に舞い戻ってしまうということの繰り返し。[…]。リチャードは能力があり、チャンスにも恵まれているのに、「ジャーンディス対ジャーンディス」が解決すれば自分には財産が入って左うちわの人生だという意識があるので、職業に身が入らない。しばらくすると職業のことは完全にリチャードの頭から抜け落ちてしまい、自ら弁護士を雇って、いよいよ訴訟事件にのめりこむ。恩人のジャーンディス氏との仲が悪くなり、荒涼館から飛び出し、訴訟事件に四六時中専念するという生活になってしまった。(山本『名作英文学を読み直す』pp.256-7)
【エスタたちは、病気になったスラム街の少年ジョーを荒涼館に連れてきて看病をする。ジョーは夜の間にいなくなってしまうが、ジョーの病気はエスタの小間使いの少女チャーリーを通してエスタに感染する。天然痘だった。】
[18]【ネーモー(レディー・デッドロックのかつての恋人の偽名)が埋葬された】貧民墓地というのは、限られたスペースに無数の死骸を埋める超過密墓地として悪名が高かった。埋めるために掘られる深さはわずかに五十〜六十センチ。当然腐敗してゆく死体から発散する悪臭があたりを掩[おお]うことになる。
悪臭ばかりでなく、腐敗過程の死体からは、恐ろしい伝染病源となる有毒物質が発散すると、当時の科学者の間では考えられていた。[…]【貧民墓地のあるスラム街】をねぐらとする道路掃[は]きの浮浪児ジョーが、まず有毒物質を受けて天然痘[てんねんとう]にかかり、それがさらにエスターに感染して、彼女の持ち前の美貌が台なしになってしまうのである。(松村「ディケンズ『荒涼館』」p.43)
(『荒涼館』[後半]に続く)
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【講義で使用した資料】
●チャールズ・ディケンズ作、青木雄造・小池滋訳『荒涼館』[全4巻](筑摩書房[電子書籍]、2006年)[原著1852-3年]
●チャールズ・ディケンズ作、アンドリュー・デイビス脚本、ジャスティン・チャドウィック/スザンナ・ホワイト監督『荒涼館』(アイ・ヴィー・シー、2014年)DVD[BBCで2005年に放映、日本放映時のタイトルは『ブリーク・ハウス』]
●小池滋「ディケンズ」『日本大百科全書』ウェブ版(ジャパンナレッジ、2001年)
●ウラジミール・ナボコフ著、野島秀勝訳『ヨーロッパ文学講義』(TBSブリタニカ、1992年)
●松村昌家[まつむら・まさいえ]「ディケンズ『荒涼館』――大都会ロンドンの光と影」『朝日百科 世界の文学 3 ヨーロッパ III 』(朝日新聞社、2002年)40-5ページ
●山本史郎[しろう]『名作英文学を読み直す』(講談社、2011年)
(『荒涼館』[後半]に続く)
(c) Masaru Uchida
2014
ファイル公開日: 2025-8-24
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