[トム・ジョーンズ] [ノーサンガー・アビー] [ダーバヴィル家のテス] [荒涼館]
放送大学岐阜学習センター 平成26年度第2学期 面接授業  内田勝(岐阜大学地域科学部)
テレビドラマで読むイギリス小説 第6部 (2014年011月2日 11:20-12:45)
ディケンズ原作『荒涼館』[後半]([前半]はこちら)
引用文中の[…]は省略箇所、[ ]内の文字は原文のルビ、【 】内は私の補足です。
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[1]【『荒涼館』の物語は、さまざまな「謎解き」によって進行していく。】
まず、上流社会の頂点に立つ准男爵夫人レディー・デドロックには、何か過去に秘密があるらしいことが暗示される。彼女は、デドロック家専属の弁護士タルキングホーンが、訴訟の報告をしているとき、書類の筆跡に目を留めて衝撃を受け、異様な反応を示す。字に見覚えがあるということは、その筆跡の主とかなり親しいということだ。これに抜け目なく目をつけたタルキングホーンは、その書類代筆者を捜し当てるが、訪ねてみると、その男はすでに病死していた。ネモと呼ばれるこの人物は元軍人で、本名がホードンであるとわかる。人の弱点を握ることにかけて容赦のないタルキングホーンは、あらゆる手を尽くし、警察の捜査係バケット警部まで駆り出して、ホードンの正体とレディー・デドロックとの関係を探ろうとする。(廣野『ミステリーの人間学』p.44)

[2]一方エスタは、生まれながらに自分が何者であるのか、親が誰であるのかがわからないという謎を抱えている。回想のなかでエスタは、養母をはじめとする周囲の人々の謎めいた言動をたぐりつつ、自分が非嫡出子【私生児】であるらしいという答えを導き出す。エスタの後見を委託された法律事務所の事務員ガッピーは、彼女に想いを寄せる。求婚を断られつつも、ガッピーはエスタの歓心を買いたい一心から、彼女の出生の秘密を調査する。
(廣野『ミステリーの人間学』p.44)

[3]こうして物語は、レディー・デドロックの過去、ホードンの正体、エスタの出生の秘密という三つの謎が絡まり合いながら展開してゆく。職業探偵バケットのほか、タルキングホーンとガッピーという法律を職とする有能な疑似探偵、そして、おとなしい素人探偵エスタなどによって、謎は解明される。結局、結婚前のレディー・デドロックと恋人ホードンとの間に生まれた子供がエスタであったことが判明し、三つの謎はみなつながっていたことがわかる。そして、その解明の直後に殺人事件が起こるというように、謎はすべて連結しているのである。
(廣野『ミステリーの人間学』pp.44-5)

[4]【レディー・デッドロックはエスタに会い、真実を告白する。エスタは衝撃を受ける。】
私は奥方さまの方に目を向けましたが、そのお顔も見えず、お声も聞えず、息をすることもできませんでした。心臓が荒々しく早鐘のように鳴って、破れてしまうのではないかと思ったほどです。でも、奥方さまが私を胸にしっかり抱きしめて、キスをして、私の上に泣き崩れ、憐れみの言葉をかけてくれ、私を正気に戻してくれた時――ひざまずいて、「おお、私の娘、私の娘、私はお前の罪深い不幸な母なのよ。どうか私を許しておくれ!」と叫んだ時――苦しそうに私の前の地べたにひざまずいている姿を見た時、私は気持が千々[ちぢ]に乱れましたものの、神さまのご摂理の有難さに、はたと心を打たれたのでした。私の顔かたちがこんなに変り果ててしまったのですから、顔が似ていることで母に恥かしい思いをさせないで済むのです。今では私と母を見くらべても、誰一人として二人の間に関係があろうなどと、こればかりも考える人はいなかったことでしょう。(ディケンズ『荒涼館 3』)

【タルキングホーン弁護士が射殺される。レディー・デッドロックを含め何人かの人物が容疑者として浮上する。警察のバケット警部が捜査を担当することになる。】

[5]警察に所属する探偵バケットがこの作品に現れるのは、イギリスの最初の探偵小説と言われるコリンズの『月長石』が発表されるよりも、一五年も前のことである。にもかかわらず『荒涼館』が探偵小説として扱われないのは、作品で起きる弁護士殺人事件の謎の解明が、物語のサブプロットにすぎないということが、理由のひとつである。実際、バケット警部が登場する箇所は、分量的には、作品全体のなかで五分の一程度しか占めていない。
(廣野『ミステリーの人間学』pp.42-3)

[6]ディケンズは、さまざまな伏線を仕掛けながら、犯行が可能な人物や、殺人の動機を持つ言動の怪しい人物を、複数配置しておくという、のちの探偵小説で定着することになるパターンをとっている。それと同時に彼は、犯罪者の形質という人間の未知なる「闇」にも、切り込んだのである。(廣野『ミステリーの人間学』p.54)

【小説ではバケット警部とその妻が容疑者を追い詰めていく。ドラマ版では決め手になる物証や捜査の過程がかなり異なっているが、サー・レスター・デッドロックの目の前で犯人の逮捕と謎解きが行われる点は同じである。】

[7]【バケット警部がデッドロック卿に事件の謎解きをしている。】
「犯行のあった晩、奥方さまが現場へ行かれたことは疑いありません。[…]。奥方さまとジョージとわがフランス人の友【=3名の容疑者】は、お互いにすぐ近くにいたわけです。ですが[…]私は故タルキングホーン氏を射ったピストルの弾おくりの詰め物を発見しました。それは閣下のチェスニー・ウォールドのお屋敷を描いた版画の紙でした。そんなことどうでもよい、とおっしゃるかもしれません、レスタ・デッドロック准男爵閣下。その通りです。しかしわが友はあまりにも油断をしすぎまして、残りの紙を全部引き裂いて捨てました。そして私の家内がその切れはしを全部集めて合わせてみますと、ピストルの詰め物にした所だけがちょうど足りなくなっているのです。こうなったらもうぐうの音も出ませんよ」(ディケンズ『荒涼館 4』)

[8]【バケット警部による謎解きの続き。容疑者の友人でもある警部の妻の活躍により、凶器が発見される。】
「この被告は昨日【タルキングホーン弁護士の】葬儀が済みましてから、私の家内に、乗合馬車でちょっと郊外へ出かけ、上品なお休み所でお茶を飲もうではありませんか、と誘いました。さて、このお休み所の近くに池がございます。お茶の時にこの被告は、帽子の置いてある寝室へハンカチを取りに行って来ると申しまして、かなり長い間中座しておりまして、帰って来た時やや息を切らしておりました。二人が家へ帰るやいなや、家内は見聞したことならびに疑惑の点をちくいち私に知らせました。私は部下を二人やって、月の光をたよりに池をさらわせましたところ、投げ込んで六時間とたたぬうちに、ポケット・ピストルが上って来ました」(ディケンズ『荒涼館 4』)

[9]【フライト婆さんが、大法官裁判所の恐ろしさをエスタに語る。】
「やって来もしないものを、いつまでも待っているのは、じりじりするものですよ。本当に、骨まですり切れてしまいます![…]。でもねえ」お婆さんは意味ありげな口調で続けました。「あの場所には、何かおそろしく人を吸い寄せるものがあるのですね。[…]。あそこには、何か情け容赦なく人を吸い寄せるものがあるのですよ。どうしても離れられないのです。待たないではいられなくなるのですよ。[…]私は何年も何年もあそこに通って、気がついたのです。大法官のテーブルの上にある大法官杖と国璽[こくじ]ですよ」
 それがどうしたというのですか? と、私は穏やかに尋ねました。
「吸い寄せるのですよ。人々を吸い寄せるのです。人々から平静を吸い取ってしまうのです。正気を吸い取ってしまう。いい顔色を。いい性質を。夜になると私の安らかな眠りすら吸い取ってしまうような気さえしました。あの冷たい、きらきら光る悪魔めが!」(ディケンズ『荒涼館 3』)

[10]【エスタはスキムポールの危険性を実感する。】
私は本気になって、こんな人とつき合うのは、リチャードにとって一番有害なのではないかしら、と考えるようになりました。今こそ彼は正しい方針と目的を一番必要とすべき時なのに、こういう魅力的ですがだらしなく、なんでもかでもほったらかしの人物、いっさいの方針も目的も持ちあわせぬ軽々しい人物といつも一緒にいるのを見ると、私は心配になったのです。この世の実情をよく知り抜いて、一家族内の争いやら、いつまでたっても解決しない難題やらをいやというほど考えさせられた、ジャーンディスさんのような方が、スキムポールさんのように、自分の弱みを全部さらけだしてけろりとしている人間を見て、あんなに気持が安まるという事情が、私には理解できたように思えました。でも私には、スキムポールさんがみかけほど無邪気だとは、得心がいきませんでした。
(ディケンズ『荒涼館 3』)

[11]【裁判にのめり込んでいくリチャードは借金漬けになっている。エスタが彼を問い詰める。】
「また借金しているの?」
「そりゃ、当たり前さ」リチャードは私の単刀直入な質問に驚いていました。
「借金が当り前なの?」
「その通りさ。何かある目的に没頭すれば、費用がかかるのは当り前じゃないか。君は忘れたのか、あるいは知らないのかもしれないけれど、どちらの遺言書によっても、エイダと僕は何がしかの金が貰えるのさ。額が多いか少ないかだけの違いさ。[…]僕は大丈夫! がんばるからね!」
 私は彼の陥っている危険をひしひしと身に感じましたので、エイダのために、ジャーンディスさんのために、私のために、その他考えつくありとあらゆるやり方で、思い止まらせよう、彼の間違いを知らせようとしました。彼は私の言葉の一つ一つを辛抱強く、やさしく聞いてくれましたが、結局何の効果もなくはね返るだけでした。
(ディケンズ『荒涼館 3』)

[12]いまここで私は、これまで内証にしておこうと思っていたささやかな秘密を、明らかにしてしまわねばなりません。これまでときどき思ったことなのですが、ウッドコートさんは私を愛していらっしゃったのです。もしあの方がもっとお金持だったら、船でお出かけになる前に、私にそうおっしゃって下さったことでしょう。[…]もしそうおっしゃって下さったら、私は嬉しかったことでしょう。でも今になってみると、そうならなかったことがとてもよかったのです! もし私があの方に、あなたのご存じのあの顔はもうなくなってしまいました、あなたはこれまで見たこともない顔にしばられる必要なんか全然ないのです、と手紙を書かなければいけなくなったとしたら、どんなに私は苦しい思いをしたことでしょう!(ディケンズ『荒涼館 3』)

[13]【エスタはジャーンディス氏から求婚の手紙を受け取って悩む。】
私が受けて来た慈愛の物語のクライマックスが、このお申し出だったのです。私としてすることはただ一つしかない、と思いました。あの方を幸福にするために私の生涯を捧げることこそ、感謝の万分の一を示すことです。[…]。
 それなのに、私はひどく泣いてしまったのです。お手紙を読んで胸がいっぱいになったからだけではありません。お申し出の未来の姿が意外に思われたから――私が手紙の内容を予期していたとはいうものの、やっぱり意外でしたから――だけではありません。まるで私が何か、名をつけることも、はっきり頭に思い浮べることもできない何かを、永久に失ってしまったかのような気がしたからです。(ディケンズ『荒涼館 3』)

[14]【エスタは帰国したアラン・ウッドコート医師と再会する。医師が話しかける。】
「あなたは重病にかかられたそうで、お気の毒でした」
「はい、とても重い病気でした」
「でも、すっかりよくなられたのでしょう?」
「心も身体もすっかり元気になりました。ジャーンディスさんがどんなに親切な方か、私たちの毎日の生活がどんなに幸せかご存知でしょう? 私は感謝にみちあふれた毎日で、これ以上の望みなんか一つもありませんわ」 
 私が自分で自分に対して感じているよりも、もっと強い憐れみをウッドコートさんが私にかけて下さっているような気がしました。私の方が先生を慰めてさし上げなければならないとわかって、私の心の中に新しい勇気と落ちつきとが湧いて来ました。(ディケンズ『荒涼館 3』)

[15]【やがてアラン・ウッドコートはエスタを愛していることを彼女に告げるが……。】
「ウッドコートさん」私は声をつまらせました。「愛されるということは、とてもすばらしいことですわ! とてもすばらしいことですわ! 私、それをお聞きして誇らしい気持ちになります。[…]。でも、私はあなたに愛していただいても、それに自由におこたえできる身ではないのです」(ディケンズ『荒涼館 4』)

[16]【私生児を生んだ事実が露見し、レディ・デッドロックが失踪したことを、バケット警部がエスタに語る。】
「今日あることが発覚して、家庭内のある出来事が表沙汰になりまいた。レスタ・デッドロック准男爵閣下はお倒れになりまして――卒中か、半身不随かです――まだ回復していません。それで貴重な時間が無駄になってしまったのです。奥方さまはこの午後家出をなさって、ご主人あてに書置きをなさいました。それがどうも困った文面なのです」(ディケンズ『荒涼館 4』)

[17]【レディ・デッドロックの最期をエスタが語る。】
 とうとう私達は、暗いみじめなトンネルのような所に立っていました。ランプが一つ鉄の門の上で燃えていて、暁の光がなんとかして射し込もうと、哀れな努力をしているのでした。門は閉まっていて、その門の向うは墓地でした――恐ろしい場所で、そこはまだ夜の暗闇が支配していましたが、ぼんやりと無縁仏の墓や石塔が見えました。[…]門の石段には、このような不吉な場所の四方八方からしみ出た気味の悪い水が、じめじめぴしゃぴしゃ流れておりましたが、そこに一人の女が倒れているのを見て、私はこわいやらかわいそうやらで、あっと声を立てました[…]。
 私は門のところに進み寄って、かがみ込みました。倒れている人の重たい頭をもち上げ、濡れた長い髪の毛をはらいのけて、顔をこちらに向けました。冷たくなって死んでいるのは私の母でした。(ディケンズ『荒涼館 4』)

[18]【裁判の決着。ドラマ版とは異なり、原作にはリチャードとエイダの勝訴という展開すらない。】
「ケンジさん」アランはとたんにはっと思い当ったような様子で、「ごめんなさい、私たちは急いでおりますので。つまり、全財産は結局裁判の経費で消えてしまった、というわけなのですね?」
「まあ、そういうわけだと思います! ヴォールズ君、あなたのご意見は?」
「まあ、そういうわけだと思います」
「そして、そのために訴訟は自然消滅となってしまったというわけですか?」
「たぶんそうでしょうな。ヴォールズ君のご意見は?」
「たぶんそうでしょうな」
「なんということだ」アランは小声でいいました。「リチャードにはたいへんなショックだろう!」
(ディケンズ『荒涼館 4』)

[19]ディケンズの描く「ジャーンディス対ジャーンディス」裁判は、過去何世代にもわたって続いている訴訟事件なのだ。相続を見込んでいた遺産は、全て裁判の経費として吸い取られていたため、裁判が突然集結することになった。なんとも虚[むな]しい話である。消耗と空費に加えて人間性の崩壊を、大法官庁裁判【および官僚制全般】の三悪としてディケンズはその制度に切り込みをかけているのである。(松村「ディケンズ『荒涼館』」pp.44-5)

【ディケンズが描いたこの裁判のあまりの虚しさと凶暴さは、20世紀の作家カフカの作品に受け継がれていく。】

[20]二〇世紀初頭のプラハに一人のユダヤ人の作家が生きた。『変身』など寓意的な物語で、短い生涯をかけて実存の不安を先駆的に描きつづけた。この作家フランツ・カフカは、ディケンズの影響を大きく受けたと言われている。
 今日、カフカの代表作とされているのは『城』そして『審判』という、いずれも未完に終わった物語である。『審判』は一九二五年、『城』は二六年のいずれも死後出版で、[…]世界中にその衝撃波が及んでいった。[…]。
『城』の主人公である測量技師のKは、城から呼ばれるが、まわりをぐるぐる回るだけで、どうすればそこに行き着くことができるのか見当もつかない。村の様々な人々に尋ねても埒[らち]があかず、次第に、自分が何のために呼ばれたかすらも分からなくなっていく。
『審判』の主人公もK。ある日突然、裁判所からK。ある日突然、裁判所からKに召喚状がとどく。何のために自分が告訴されているのかよく分からない。裁判そのものも、何がどうなっているのか分からないままにもがき回って、最後には処刑される。(山本『名作英文学を読み直す』pp.277-8)

[21]カフカは、ディケンズから、実は物語の中心にブラックホールを据えるという方法、意味の中心を真空にする仕掛けを学んだのではないだろうか。そして、そんなカフカの物語によって、今度は、ディケンズの『荒涼館』への、人々の目の向け方が永遠に変質してしまった。『荒涼館』は、カフカの物語の有無を言わせぬ磁場のもとで、人生の、社会の、宇宙の迷宮にまよい込んだ主人公についての一篇の寓話と化してしまったのだ。
(山本『名作英文学を読み直す』p.278)

[22]【裁判に勝って財産を得ることを夢見て人生を犠牲にし、精も根も尽き果てたリチャードは死んでいく。】
 エイダがかがみ込んで接吻をすると、リチャードの顔に晴れやかな微笑が浮かんで来ました。ゆっくりと顔をエイダの胸のうちに埋め、その首に廻した腕でさらにきつく抱きしめると、お別れにひとつすすり泣きの声をあげて、リチャードは新たに出直したのです。でも、この世でではありません。違うのです! この世のあやまちも悲しみも、すべてをなおしてくれるあの世へとなのです。
 その夜もふけて、皆が寝しずまった頃、かわいそうに気のふれたフライトばあさんが、泣きながら私のところへやって来て、かごの小鳥を全部放してやったわ、と告げました。(ディケンズ『荒涼館 4』)

[23]【ジョン・ジャーンディスは、ヨークシャーで手に入れた新たな屋敷を「荒涼館」と名付け、それをエスタとアラン・ウッドコートにプレゼントする。小説では裁判の決着やリチャードの死より前にある場面だが、ドラマ版では、敢えてこの場面を最後に持ってきている。】
 ジャーンディスさんは立ち上ると、私をたすけ起しました。私たちはもう二人だけではありませんでした。私の夫――この幸せな七年間、私はその人をこう呼んでおりました――が私の傍らに立っていたのです。
「アラン」と、ジャーンディスさんがおっしゃいました。「私の手からすばらしい贈物を受け取ってくれたまえ。またと得がたい立派な奥さんだ。君もそれにふさわしい立派な男だということは、私もよく知っているから、これ以上君にはなにもいうことはない! 奥さんといっしょにこの家庭も受け取ってくれたまえ」[…]。
 ジャーンディスさんはもう一度私に接吻なさいました。それから、いまや目に涙を浮べながらやさしい口調で、
「エスタ、こんなに長いこといっしょに暮して来たが、やっぱり別れというものはあるものだよ。私の間違いから、君に少々苦労をかけることになったのは、私にもわかっているが、どうか許しておくれ。昔ながらの愛情で私のことを考えておくれ。苦労は忘れておくれ。さあ、アラン、このかわいい人を受け取ってくれたまえ」
 ジャーンディスさんはそういうと、緑の木陰から立ち去りかけましたが、ひなたに出てから立ち止ると、元気よく私たちの方をふり返って、
「私はそのへんをひと廻りして来るからね。[…]これ以上だれも私にお礼などいってはいけない。私はこれからまた元の独身者の生活に戻るのだから。もしこの警告をきかぬ人がいたら、私は逃げ出して、二度と戻って来ないぞ!」(ディケンズ『荒涼館 4』)

[24]【小説を締めくくる文章。エスタの結婚から7年が経っている。エスタの夫が彼女に話しかける。】
「それで君は、前よりもずっときれいになったことに気がつかないのかい?」
 私は気がついていませんでした。今でもその点についてはっきりとはわかりません。でも、このことだけは確かです。私の子供たちはとてもかわいい子ですし、エイダもとても美人ですし、私の夫だってとても立派な顔立ちですし、ジャーンディスさんもだれにも負けないくらい朗らかで慈愛にあふれた顔をしていらっしゃいます。ですから、私がたいしてきれいでないとしても、それでいいではありませんか――でも、ひょっとして――
(ディケンズ『荒涼館 4』)
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【講義で使用した資料】

●チャールズ・ディケンズ作、青木雄造・小池滋訳『荒涼館』[全4巻](筑摩書房[電子書籍]、2006年)[原著1852-3年]
●チャールズ・ディケンズ作、アンドリュー・デイビス脚本、ジャスティン・チャドウィック/スザンナ・ホワイト監督『荒涼館』(アイ・ヴィー・シー、2014年)DVD[BBCで2005年に放映、日本放映時のタイトルは『ブリーク・ハウス』]

●廣野由美子『ミステリーの人間学』(岩波新書、2009年) 
●松村昌家[まつむら・まさいえ]「ディケンズ『荒涼館』――大都会ロンドンの光と影」『朝日百科 世界の文学 3 ヨーロッパ III 』(朝日新聞社、2002年)40-5ページ
●山本史郎[しろう]『名作英文学を読み直す』(講談社、2011年)

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【講義で使用した資料】

●チャールズ・ディケンズ作、青木雄造・小池滋訳『荒涼館』[全4巻](筑摩書房[電子書籍]、2006年)[原著1852-3年]
●チャールズ・ディケンズ作、アンドリュー・デイビス脚本、ジャスティン・チャドウィック/スザンナ・ホワイト監督『荒涼館』(アイ・ヴィー・シー、2014年)DVD[BBCで2005年に放映、日本放映時のタイトルは『ブリーク・ハウス』]

●小池滋「ディケンズ」『日本大百科全書』ウェブ版(ジャパンナレッジ、2001年)
●ウラジミール・ナボコフ著、野島秀勝訳『ヨーロッパ文学講義』(TBSブリタニカ、1992年)
●松村昌家[まつむら・まさいえ]「ディケンズ『荒涼館』――大都会ロンドンの光と影」『朝日百科 世界の文学 3 ヨーロッパ III 』(朝日新聞社、2002年)40-5ページ
●山本史郎[しろう]『名作英文学を読み直す』(講談社、2011年)

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(c) Masaru Uchida 2014
ファイル公開日: 2025-8-24
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