いつから犬は「家族の一員」になったのか
みなさんの家では何か動物を飼っていますか? ペットとして家に飼われている動物を「家庭動物」といいます。酪農家・畜産家のように生業として動物を飼ったり,可能性は低いと思いますが,自宅が動物園だったり,農作業のために牛馬を飼っていたりというような,生産や展示や使役などが目的ではない,いわゆるペットが「家庭動物」です。動物嫌いであれば家庭動物は飼わないと仮定すると,飼っている人は動物が嫌いではない,何らかの意味で「動物好き」なのだと思います。
岐阜大学応用生物科学部1年生の「生物生産科学概論」という授業の出席調査を兼ねて,私はいろいろな動物の好き嫌いを尋ねたことがあります。年によって変動はありますが,令和元年度の1年生の調査でペットの代表格である犬と猫についての回答をみると,動物・植物・環境の3つの専門コースに分かれる3年生前期になったら動物コースに所属しようと考えている人の93%,考えていない人の87%が犬や猫が「大好き・好き・好きな方」と答えました。「大好き・好き」だけに絞ると,前者は76%,後者は46%と大きな差がありました。動物好きなことが,動物コースで勉強したいという動機に繋がっているのかもしれません。
一般社団法人ペットフード協会(https://petfood.or.jp/index.html)は毎年の犬猫の飼育実態に関する調査をホームページ上で公開しています。平成6年の調査開始以来,犬の飼育頭数(推計)は少しずつ減少,猫(推計)は少しずつ増加して,平成17年に猫が犬より上位になりました。平成19年の犬猫の飼育頭数(推計)は日本の15歳未満人口(約1530万人)より多い約1860万頭です。
この調査では,犬猫を飼育する理由についても尋ねています。年によって質問項目や調査対象者が異なるので年次推移などを単純に論じることはできませんが,設定された質問項目自体が時代を反映していると考えることもできるでしょう。犬についてみると,平成16年の調査では犬を飼育している理由として「好きだから」「一緒にいると楽しいから」「かわいいから」などが上位を占め,約29%の人は「防犯のため」と答えています。令和2年の調査(犬)では「生活に癒し・安らぎが欲しかった」「過去に飼っていて,また飼いたくなった」が上位を占めています。
いまでは「伴侶動物」「家族の一員」という表現がふつうに使われていますが,昭和の時代,日本の家庭犬の主な役割は「番犬」であったといわれています。つまり,玄関先に係留して不審な来客を吠えて知らせることが仕事でした。とはいっても嫌いであればふつうは飼わないと思いますので,「好きだから」が犬の飼育理由のひとつであったとは思います。
また,「昭和の犬=番犬」というステレオタイプな位置づけにあてはまらないと思うこともあります。たとえば渋谷駅の名物「ハチ公」は東京帝国大学農学部(いまの東大農学部)の,いまでいう農業工学の教授であった上野英三郎博士の飼い犬でしたが,博士は体が弱かった子犬のハチをこよなく愛して自身のベッドの下で育て,当時(大正末期)としては珍しく室内飼いをしていたとのことです。急逝した博士とハチとの暮らしはわずか1年半でしたが,博士が亡くなるとハチは3日間何も食べず,ひつぎのそばを離れなかったといいます。
東大農学部の正門横にあるハチと上野英三郎博士の像。出張から戻って改札口を出てきた博士に飛びつく姿をイメージしているという。
かつて「動物のお医者さん」という北海道を舞台にしたマンガが大ヒットし,吉沢悠さんが主演する実写版のテレビドラマにもなりました(現在もいろいろな動画で見ることができます)。主人公の獣医学部生・西根公輝の飼い犬であるシベリアンハスキーのチョビは室内に住んで飼い主とともに大学へ通っていますので,軒先の「番犬」ではありません。このマンガは平成元(1989)年から平成8年にかけて単行本や文庫本が出版されたことを考えると,この頃には「番犬でない犬」も社会的な地位を占めてきたのだろうと思います。
「伴侶動物」については日本動物病院協会(JAHA)が昭和61(1986)年に開始した「人と動物のふれあい活動(Companion Animal Partnership Program)」の中で「companion animal(伴侶動物)」という言葉が使われていますが,当時はまだ違和感があったそうです。現在ではとくに違和感はありませんね。このように,人と動物の関係は時代や社会とともに大きく変化するものです。
ところで,犬(イヌ,Canis lupus familiaris)は世界最古の家畜といわれています。諸説ありますが,岐阜大学応用生物科学部の松村秀一先生のグループの研究によると約1万6千年前の南中国でオオカミ(Canis lupus)の祖先から分岐したとされています。当時を知る人はだれもいませんが,ひょっとすると,イヌの祖先の中で好奇心の旺盛な個体(子犬かもしれませんね)が人間の群れ(集落)に近付き,「動物好き」の人間と接しているうちに「犬は外敵が来ると吠えて人間を守り,人間は余った食物を犬に与える」という共生のような関係が作られ,これが選択圧となって,しだいに現在のイヌに進化したのかもしれません。
室内犬と暮らしたことのある方は,食事どきに隣へやってきてお座りされ,じっと見つめられる無言のおねだりをされたことはありませんか。犬と人間の体のシステムは違いますから,人間の食べ物を犬に与えるのは犬にとって危険でもあり,しつけ上も好ましくないともいわれています。しかし,1万6千年も前からこんな相互関係が続いて,やがてこの犬に繋がったのかと思うと,妙に感慨深い気持ちになることもたしかです。
生物生産環境科学課程ウェブサイト「Let's 生環」の記事(2020年5月17日)を,「生物生産科学概論」「家庭動物学」などの授業内容を反映させて改変しました
参考論文(松村秀一先生の研究グループ)
Gojobori J, et al. Japanese wolves are most closely related to dogs and share DNA with East Eurasian dogs. Nat Commun. 2024 Feb 23;15(1):1680. doi: 10.1038/s41467-024-46124-y.
Matsumura S, et al. Analysis of the Mitochondrial Genomes of Japanese Wolf Specimens in the Siebold Collection, Leiden. Zoolog Sci. 2021 Feb;38(1):60-66. doi: 10.2108/zs200019.
Pang JF, et al. mtDNA data indicate a single origin for dogs south of Yangtze River, less than 16,300 years ago, from numerous wolves. Mol Biol Evol. 2009 Dec;26(12):2849-64. doi: 10.1093/molbev/msp195.