JRでもとりあげるようになりました。こちらです。(20030925補)
まず最初に《俚言》を使った子供に何か物を持たせる.次に,同じ過ちをした子供にそれを渡し,授業が終わった時にこの物を最後に持っていた子供が,掃除当番などのいやな仕事を押しつけられるのである.方言札が、フランスにもあった。 方言に関心のある方はすでに御存じのことだろう。 それにしても、こういうところに目がいけば、ちょっとどきりとする。 ただ、考えてみれば、フランスにおける少数言語の圧迫は有名だから、あってもおかしくはないのかもしれない。 「フランス語は明晰だ」と言う人々は、こういった歴史を知っているのだろうか。
抑圧,検閲,スパイ行為,密告,貝殻追放〔:=村八分〕,屈辱といったあらゆる社会心理学的な圧迫法を利用したこのやり方は,何世代もの小学生たちに痕跡を残してきたが,今は廃止されたようである.(「:=」はニア・イコール))なるほど、そういうことだったのか。 それにしても、方言札が、おそらくは鬼ごっこか何かのような形で、すなわち遊びの容姿を帯びて行なわれていたことに、さらに背筋がゾッとする。
*いい機会だと思いましたので、リンク集を作ってみました。他にもgooなどで検索すると出てきますが、主要なものを挙げました。金口木舌(琉球新報)
ついでに思い出したことだから書いておくと、亀井孝先生と山陰地方を旅したときに、温泉で有名な「三朝(みささ)」というところを通った。 私は意味の方をあれこれと考えたが、先生は「ミアサ」と漢字で書いてあるが、ミとアサの間にs音が入ってきて、ササとなるところに注意を向けられた。 この問題は、国語史(日本語史)をやった人ならかならず知っているはずなので、これから先は述べないが、(下略)あ、何だかいろいろ説明してしまったのが、不粋のような気がしてきました。 ただ、現在の国語史の講義だとどこまで教えるのでしょうか。 私が習った先生は、「sの挿入」ということは言ってましたが、本来はsがあったのだ、という逆の説明を聞いた記憶はありません。 居眠りしていたのかもしれませんが。(1999年10月20日追記)
新しい友人たちと喫茶店に入るような事があったけれど、学問や東京の情報に通じていて、「あんなのつまンない」とか「よくわかンない」を連発する連中とはあまり話が合わなかった。(「神田の古本屋」)大阪生まれの氏には、気に障る響きだったのであろう。
なにかが、歯にかかった。つまみだしてみると、鳶色がかった烏賊の嘴である。 くいあっている上嘴と下嘴、子供のころ、その一方を鳶と呼び、一方を烏となづけた、それに似た形をしているのである。(「蛍の樹」内、金子光晴『マレー蘭印紀行』の引用部)その名を大人にたずねて、なぜそういうのかを問い、言葉を詰まらせてしまった言葉である。 なるほど、そういうことだったのか。金子光晴が命名者か?
言語学者や文法家が言葉を大切にするようでいて、恐るべき無味乾燥の文章を書く。(中略) それはたとえて言ってみれば、ステレオマニアのようなものである。(中略) 機会をしょっちゅういじり、高価な部品を取り換えてばかりいる人なのに、音楽そのものにはとんと興味がない。(「英語の虫」)と、どきっとさせるくだりもある。これではフェチを笑えないが、果たして。
(ニキチンのコレクションは−−佐藤注)大半は三角紙包みのままである。模造紙を丁寧に折って作った三角紙で、蝶の名と採集データが(中略)読みやすい綺麗な字で書いてある。(中略)西洋人がタイプライターを常用するようになる前の、まだ字をきれいに書く習慣を持っていた時代の人の筆蹟である。(貝の光沢 玩具の手沢」)たしかに、私の手書き文字も、いい加減である。 実家に帰って中学生のころの文字などをみると、目をみはるほど、きちんと書いてあったりする。 まるで書くこと自体が最終目的であるかのような書き方である。
牛乳屋さんはーある言葉をおぼえた時期を特定でき、それを集大成したら、ちょっとは面白いことになるかもしれない…… などと考えてみる。 どういう利益があるかはわからないけれど。
その日 苗子と詮サマが カフェ・オ・レのない朝食をすませて学校にでかけてしまったころやってきて(田渕由美子『フランス窓便り PartI 杏』。初出『りぼん』1976・6)