気になることば
〜充電通信99年9月号。通巻64集〜
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分類目次
*「気になることば」があるというより、「ことば」全体が気になるのです。
*ことばやことばをめぐることがらについて、思いつくままに記していきます。
*「ことばとがめ」に見えるものもあるかもしれませんが、その背後にある、
人間が言語にどうかかわっているか、に力点を置いているつもりです。
19990901
■「手錠を打つ」
妹尾じゅん子、28歳。7年前、私が手錠を打った殺人犯だった。(『特捜最前線』「老刑事,赤い風船を追う!」)
『特捜最前線』を再放送しているのは中京地区だけだろうか。
お昼まえの時間なので、ビデオで録画して見るのだが、なかなかいい感じ。
およそ20年まえの刑事物だが、人間を描こうとしているから、時代が変わっても鑑賞できる。
もちろん、20年前の東京とその近郊が画面に現れるのだから、それなりの感慨もある。
毎回、刑事の一人が述懐する形でドラマが進行していく。
今日は、大滝秀治扮する船村刑事であった。
引用は、船村刑事の語りである。
「手錠を打つ」、やはり、これは「縄を打つ」からの類推表現なのだろう。
今となっては、大時代的な表現だが、「老刑事」の表現としてはうまい使い方である。
『特捜最前線』、ほんとに愛された番組だったのですね。びっくり。
濃くてディープで楽しめるサイトがあります。
おや、議員さんになった刑事もいたのか!
19990904
■花火の名付け
過日、NHK総合の『日本の祭り 秋田・大曲全国花火競技大会』を、見るともなく見ていた。
スターマインとか尺玉とか「ナイアガラの滝」なら知っているが、いやいや、他に、立派な呼び名があることを初めて知った。
たとえば、
A 昇雄花三重芯変化菊(のぼりおばなみえしんへんかぎく) 田村清治作
B 昇曲導付八重芯変化菊(のぼりきょくどうつきやえしんへんかぎく) 今野正義
C 昇小花八重芯錦先変化菊(のぼりこばなやえしんにしきざきへんかぎく) 菅野忠夫
D 昇朴付紅輝芯銀冠菊(のぼりぼくつきべにてかしんぎんかむろぎく) 同
もっと
夢見るような名前である。
番組の解説によると、これらは割物という、一発で咲かせるタイプの花火である。
基本的に、上昇のさま・同心円数・花の種類の順で述べ、それぞれに修飾語がつくという。
詳しくはこちらやこちらを参照。
一見、能装束や鎧、陶磁器のようでもある。
それだけに、音読み・訓読みの交錯に目がくらむ。
ただ、花火の場合はちょっと違うようだ。
能装束などでは、読み方を教えられれば、ああそうか、と納得できるものが多そうである。
つまり、私たちが普通に使っている音読み・訓読みで何とかなる。
組み合わせが複雑なので、理解しづらく感じるだけなのだろう。
ところが、花火では毛色の変わったものがある。
上の例だとDが面白い。「輝」はテカ、「冠」はカムロである。
テカは「てかる」という俗語(?)からきたものか。
カムロは、「かんむり」の変化したものか、あるいは江戸時代の遊女の助手「禿」と関係があるのだろうか。
単語も面白い。「三重芯」と「八重芯」だと、誰しも「八重芯」の方が華やかだと思うだろう。
ところが、「三重芯」は三重円で、「八重芯」は二重円。
はじめて二重円の花火ができたとき、美しさのあまり「八重芯」と名付けたそうで、それが今でも使われているとのこと。
言葉の世界にも先着優先というのがあるようだ。
そして表記。上の例で「小花」とか「雄花」とか、あるいは別に「尾花」と書かれることがあるそうだが、どうやら指すものはすべて同じらしい。
玉がのぼっていく途中で開く小さな花火である。
小さいので「小花」。花の生殖を連想して「雄花」。大輪の花火が本体なら、登っていく軌跡は尾なので「尾花」……
最後のは自信がないけれど、それぞれに言われ(=使用者語源)が想像されて面白かった。
19990905
■後方指示の「両者」
忘れてはならないのは、オプションユニットである。
驚かされるのは両者の価格だ。
透過原稿ユニットは10,000円、ADFは20,000円と魅力的な価格で用意されている。
(「特集3 フラットベッドスキャナ」『PC USER』1999年7月24日号)
普通、指示語は、そのまえに出てきた単語のかわりをする。
漢語でも、「前者/後者」や「両者」も同じような働きをする。
ところが、逆に、「これ」などでは、後に出てくる単語を先取りして使うこともある(後方指示の用法)。
引用した「両者」は、明らかに後方指示の用法。
おそらくは、後方指示の「これ」に類推した使い方なのだろうが、はじめてみた。
どこかで、ほかの指示語も、後方指示の用法で使われているかもしれない。
あるいは、近い将来、そうした用法を出てくるかもしれない。
こういうと、皮肉や意地悪と取る人もいるかもしれない。
が、そうではない。
理論の証明は、未来の事態の予測可能性にあると教えられているからである。
「指示語のすべては、いずれ後方指示用法をもつ」……この理論(というにはささやかすぎるが)の、未来における証明を期してのことである。
19990906
■携帯電話は嫌いです
講義で呼出し音がなるのには、慣れてしまった。
4回鳴らしたら退室と言ってある。
何度か私も、携帯電話からとおぼしい通話を受けたことがあるが、なんとも。
電気的・電子的にどうなのかはよく分からないが、音声をある手法(間引き?)で圧縮して発信するからだろうが、どうにも聞きにくい。
人間業ではない間隔で音が省略されるらしい。
つまり、機械的につっかえるとでもいえばいいだろうか、要するに聞き取りにくい。
だから、携帯電話からの通話を理解するには頭を使う。
途切れた音声を修復しつつ、通常の文になおし、それから理解することになるからである。
これが、友人同士の気楽な会話ならいいし、緊急事態なら仕方がない。
しかし、社会人なら、まちがっても、こういう粗末な音質で相手先と取引きの電話はしないだろう。
ゼミ生にも聞いてみる。「バイト先には、公衆電話を使います」。
さすが我が教え子。
話題のcdma1とかだと、こういうことはないのかな。
19990907
■「綺麗(奇麗)だ」と「美しい」
「綺麗」とは、強いていえば、そのものが持ちそなえている状態をさすことであるが、「美しい」とは、そのものを受け入れる側の心の問題になるのだと思う。たとえば枯れたバラの花を「綺麗」とは見ないだろうが、生命をまっとうした姿として「美しく」見る人はいると思う。また反対に金、銀、赤、青、黄のきらびやかな派手な衣装を着た人を見て「綺麗」なものを着ている人とは見ても、「美しい」人とは見ないかもしれない。(木原和人『光と風の季節』日本カメラ社)
ある方から「きれい(綺麗)だ」と「美しい」の違いについての話が出た。
その人の話の内容とは違うのだが、引用した木原和人の文章を思い出した。
実は、一年生の概論でプリントにして出している文章でもある。
一応、語種(単語の出自)のところで扱うことにしている。
語種とは、その語の生まれた国語(あるいは社会)による語の分類のしかたである。
日本語(あるいは日本)で生まれたものは和語、中国だったら漢語、それ以外だったら外来語、というふうである。
この三つの分け方は、実は、いろいろ難しい問題もはらんでいる。
和語とは言っても「うま(馬)・うめ(梅)・ぜに(銭)」は、古い漢字音に由来すると言われている。
一方では、漢語のなかにも「火事・返事・大根」のように日本でできたものもある。
また、中国だって外国なのだから、漢語と言わず、外来語としてもよさそうである。
事実、漢語を、外来語と同じように片仮名で掲げる国語辞典もあるほどだ。
が、今日のところは、この複雑さについてはこれ以上言わないでおく。
漢語と和語の違いとして、意味・ニュアンスについて述べることにしている。
ただ、ニュアンス差ということになると、漢語と和語の差というものがどれほど効いているのかは、実は、はっきりしない。
ことに「綺麗だ」のように日本語にすっかり溶け込んでしまっているものでは、なおさら、実感として分からないだろう。
しかたがないので、「美しい」とのニュアンス差があることを言い、その差の出所として漢語であること、があるのかも知れないというくらいになる。
『源氏物語』における
「対面す」と「会ふ」
∧ 対面し給ふ
貴 ←───→
人 ↑ │
∨ 対│ │会
===面=======ひ==
∧ す│ │給
非 │ ↓ふ
貴 ←───→
人 会ふ
∨
|
二年生になれば、日本語の歴史の講義を受けることになる。
そこで、現代よりは、漢語が日本語のなかに取り込まれていない状況の話をすることになる。
あるいは、日本語に取り込まれる過程、と言いかえた方がいいかもしれない。
が、要するに分かりやすい話ができるのである。
たとえば、左の図のような話である。
〈貴人〉とは、その行為が、地の文においても尊敬語で表されるような高貴な登場人物であり、
〈非貴人〉は、そのような待遇を受けない人である。
もとより、作者がそのような判断をするのである。
|
平安時代の文法の原則では、非貴人が貴人に何かするときには謙譲語で表現し、貴人が貴人に何かするときには謙譲語に尊敬語をくっつけて表現する。
それにあてはめると、「対面す」は、これ一語で、謙譲語になっていることがお分かりいただけると思う。
このように、上下関係あるいは社会制度という明らかなものによって、漢語「対面す」と和語「会ふ」が使い分けられている。
これなら、いくぶんかは理解しやすいだろう。
それだけに、説明にも熱がこもったりする。
ただ、心配なのは、学生諸君の古文アレルギーではある。
なかなかうまく行かないものである。
19990908
■「読書村(よみかきむら)」
(地名の−−佐藤注)合成にも中には手のこんだものがあり、現在は合
併して南木曽(なぎそ)町になっているが、もと木曽谷に読書(よみかき)村があった。
これは与川(よがわ)、三留野(みどの)、柿其(かきぞれ)の三村の頭字を合せた合併村であった(一八七四年の命名)。
現在も大字名として読書(よみかき)の名を存する。
(鏡味明克『地名学入門』大修館書店 23ぺ)
地名も、言語学の対象として面白い存在である。
鳥取県の三朝(みささ)のように、歴史時代以前の日本語の姿を伝えているかに見えるものも面白いが、「読書村」は、別の意味で興味深いものである。
たしかに、地名の合成というのはある。JRの線名もそういうのが多い。
が、機械的なものが多い合成名のなかで、なぜ「読書(よみかき)」の表記まで手にしたのか、この間の事情を、つい調べたくなってしまうではないか。
で、『角川地名大辞典』をはじめ、地名辞典のたぐいを見てみるのだが、なかなか思うような記述が出てこない。南木曽町誌とかをみればよいのではあろうが。
「思うような記述」とは、村名の表記に「読書」を選ばせたロマンとでもいうべきものである。
「読み書き」とくれば「そろばん」とつながる。
生活していくために−−あえて印象づけていうならば生きていくために−−必要な最小限の教養、と言い換えられるものである。
とすれば、「ロマン」ないし私の「興味」は、社会言語学的なものとなる。
時は1874年。明治初期。
文字による支配を敷いた徳川政権時代の残照が、まだまだ強い時期である。
というより、文字で書かれた文書の持つ社会的な意義についていえば、ますます強まっていく時期である。
そのような気運を前提にするとき、村名表記に「読書」を選択した理由は、分かりやすいように思う。
文字と文書の機能を知らないばかりに、致命傷を負った人は数多い。
そんな歴史が、木曽谷にもあったのだろうか……
そういったことを思わせるものがある。
基礎的教養への執着とも、あこがれとも言える心情があるのではないか……
と、そんな想像をかきたてる村名なのである。
そんな「読書(よみかき)」が、現在も大字名だけでなく、発電所の名にも残っている。
もちろん、大字「読書」がなくならない以上、そこにできたものに「読書」の名が含まれるのは当然である。
が、そうであっても、小学校・中学校の名に見るとき、ちょっと複雑な思いも起こってはくるが、やはり、一風変わった旧地名が生き長らえていることに安堵の思いも感じる。
果たして、真相は如何に。
19990909
■言語学における原則
言語地図を用いてことばの変化の過程を推定する言語地理学では、推定の手がかりとして、その地域の自然地形、社会的状況(交通、文化的勢力、通婚圏、買物圏、行政区画など)、話者の意識(好み、民間語源など)、指し示す物自体に関する情報など、さまざまな言語外の情報を活用する。
言語地理学を教科書的に学んだ者にとっては、これらの手がかりを地図の解釈に活用することは「定石」のように捉えられ、地図の解釈を行う際、これらの要因をいわばマニュアル的に適用してこと足れリとしてしまうことがないとは言えない。
(三井はるみ「新刊・寸感」『日本語学』1999年9月号)
そうなんである。実は、こういうことを書きたくて、少しばかり準備もしていたのだが、これで尽きている。
言語地理学の方法論が、客観性に乏しい点があるとか、名人芸的な推論である、などと言われることがある。
では、徹底的に改良しましょうと応じてしまえば、「マニュアル的に適用」することになるだろう。
この辺が微妙なところなのではないか。
他の分野も参考にしよう。
アメリカ構造主義言語学は、厳格な客観性を武器に成果を納めたが、あまりに機械的になった研究については、その祖L.ブルームフィールドすら批判していたはずである。
もっともシステマティックな成果を納めた音韻論でも、強力な原則の一つである「分布の原則(法則)」は、過度の適用が戒められていたはず。
そうでなければ、ある時代の日本語のハ行子音とガ行鼻濁音子音は、同一の音素になってしまう。
これは、日本語使用者の内観にあまりに反することである。
そう、つまりは、「人間の言語(事象)とは何か」を解明するという点をはずしてしまっては、何をか言わんや、なのである。
このような例をみるとき、言語地理学におけるマニュアル的解釈は安易であると言わざるをえない。
また、名人芸と評するのも、慎重でなければならないだろう。
*必ずしもことばだけが話題の中心になっているとはかぎりません。
">
・金川欣二さん(富山商船高専)の「言語学のお散歩」
・上田浩史さんの「コトバ雑記」 お洒落なデザイン。
・齋藤希史さん(奈良女大)の「このごろ」 漢文学者の日常。コンピュータにお強い。
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