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*「気になることば」があるというより、「ことば」全体が気になるのです。
*ことばやことばをめぐることがらについて、思いつくままに記していきます。
*「ことばとがめ」に見えるものもあるかもしれませんが、その背後にある、
人間が言語にどうかかわっているか、に力点を置いているつもりです。
19980311
■最大(?)の韻書
「梅は〜咲いたか、桜はまだかいな」。
関東育ちの私としては、梅といえば水戸・偕楽園である。
で、思い出した。偕楽園内の好文亭に(多分)最大の韻書があるのだ。
韻書とは、漢字音のうち、頭子音をのぞいた部分(母音・末子音・アクセント)で分類した漢字辞書。
漢詩を作るときなどには韻をふむことが必要なので作られたものである。
『広韻』(岡島さんのページ)などが有名。
さて、「最大の韻書」。
字数が多いとか、注が詳しいとか、たくさん韻目があるとか、そういう学術的な話ではないんです。実は。
好文亭の引き戸に、楷書で漢字が書かれている。
きっちり縦横に整列して。
始まりはどこかとみていると「東」の字のよう。
これは韻書に違いないと写真もとった(探したが、見つからない。無念)。
まぁ、引き戸に書いてあるくらいだから、多分、最大の韻書だろうというわけ。
ただ、パンフレットなどには、引き戸の字が韻書であるとは書いてなかったように記憶する。
ひとこと、書いててくれれば、興味を引く人も増えたのではないか。
こころよい梅の香につつまれて、優雅な生活を想像する楽しみもあったのではないか。
いや、人生何がきっかけでどうなるかわからない。
「最大の韻書」をみて、語学にこころざす人だって出ないともかぎらないだろう。
昨日の「養生」ですが、福田嘉一郎さんからのメールをきっかけにあらたな展開がありそうです。 しばらくお待ちください。
19980312
■森田草平の生家
「サイタ サイタ サクラガ サイタ」。
実は、私の住んでいる町内に森田草平
の生家がある。
あるいて2分ほどのところ。
今日、その前を通ったのだが、邸内の桜が咲いていた。
車だったので、あっ、と思ううちに通りすぎてしまったので、品種はわからない。
森田の作品も、いろいろな意味で特徴があるので、電子化する価値があるように思った。
すみません。これだけです。
昨日の偕楽園・好文亭ですが、こちらに韻書のことも触れられていました。
詳細な案内もどこかにあるのでしょう。
そうそう、まだ予算が余ってるというので、CD−ROM版『世界大百科事典』(日立デジタル平凡社)を買いました。
本文がEPwingじゃないので、使い慣れたDDWinで検索できないのが残念です。
使いはじめたばかりなのでわかりませんが、やっぱり日本関係は『日本大百科全書』(小学館)の方が詳しいようですね。
例によってハードディスクに入れましたが、『群書類従』を削ってのこと。
やっぱり連装CDドライブを買いましょうかね。
ナカミチ(5連装12倍速)かアイ・オー・データ(6連装8倍速)か悩ましいことです。
速さか装着数か。何かいいのご存じの方は御教示ください。
19980316
■消えた一升
余談ですが、「商売」は「商い」(あきない)ですので、居酒屋さんには「春夏冬、壱升五合」などと、縁起をかついで店内に掲げたりもする。秋がないので「あきない」、不足の五合は一升の半分だから半升(はんじょう)で「商い繁昌」という次第なのです。 いつごろ、どこのどなたが思いついたことやら。
横井清『的と胞衣』平凡社ライブラリー
同じような例を前にも紹介しました(→参照)。
そのときは「春夏冬ニ升五合」だった。「二升」を「升々」でマスマス、「商い益々繁昌」。
が、横井の紹介した例では「壱升」。
どこで「一升」が消えたのか。
また、「不足の五合は」というのも面白い。
なにが根拠で「不足」とみとめたのだろうか。
どこか頭に「二升」がひっかかっていたのだろうか。
宮部みゆきの虎みたいですね。
えっ? まだ、研究費あまってたの? それじゃぁ、CDROMチェンジャを買いましょう。 SCSIもケーブルが長くなっちゃったから、内蔵型で。 ATAPIしかないの。それでいいや。 やっぱり枚数をとってアイ・オー・データのやつね。
19980317
■収書のおまけ
16日(月)に『日本古書通信』がきた。
たぶん、ほかの土地では14日(土)に着いたのではないか。
私の住んでいるところは、どうも郵便事情がも一つである。
特に私のところは郵便物が多いので、一日おきくらいに配達しているかと思うことがある。
何にもない日は何にもないが、来るときは必ずといってよいほど複数の郵便物があるから。
ちょっと疑心暗鬼です。
で、『古書通信』に三光堂(大阪市)の目録が載っていた。
旅行案内書とか引き札・双六・紙芝居・メンコなど、古本からははずれるのだが、かといって古道具屋でも扱いにくそうなものを主力にしているようだ。
そのなかに藩札もいくつか出ていた。売価は2000円から25000円まで。
けっこう値が張るものもあるよう。やっぱり、収集家がいるのでしょうね。
そういえば藩札なら私も持っている。
欲しくてもとめたのではなく、以前買い求めた『増補以呂波雑韻』(寛文4)に入っていたのである。
和本は袋綴じなので、その袋の部分に何かを入れようと思えば入れられる。
入ったモノに気づいた人の得になるわけだが、古本屋さんは気づかず、私が気づいたというわけ。
左が表、右が裏。ちょっと赤みがかってしまいましたが、これはスキャナーの仕様です。
それにしても色刷りというのがいいですね。
「銀十匁」ですから、藩も気を使ったのかな。
享保16年11月の発行。
「因伯通鈔」とあるから因幡・伯耆に通用したもの。
鳥取藩だろうか。
『国史大辞典』で「はんさつ」を引いたら、28ページにわたって、カラー図版まであった。
いろいろな藩札があるものだ。
おや、まったく同じものが載っている。いや、裏の字体だけはちがうようだ。
辞典の方は篆書である。
しかし、この藩札。だれがしまいこんだのだろう。
そのときの心持ちは、いかがだったろうか。
やっぱりヘソクリでしょうか。
下衆の勘繰りなどと思わないでください。
辞書の使われ方の実際というのを想像する癖がついているだけです。
二日分、まとめて書きました。
『国史大辞典』も早くCDROM化しないかな。なんせ一冊の重さが重さですし、巻数も巻数だし。
やっぱり藩札コレクターいますね。
興味のある方は、有賀健三さん、
東京大学経済学部へどうぞ。
19980318
■14才の節用集
「辞書の使われ方の実際」というとき、当然のことながら、使っていた人がどのような人だったか、ということにも関心がいく。
架蔵の寛永16年本『真草二行節用集』の巻末には、左のような署名が記される。
本当は一行で書かれているのだが、上(右)と下(左)のあいだに空白が入るので、分割したまでのこと。
このページの表示範囲ということもある。
14才の少年が節用集を使っていた、ないし、所持していたこと自体は、さして驚くにあたらない。
元禄五年なら、すでに新しいタイプの節用集が生まれていた。
各葉の上部をしきって、語の用法・由来などを書き込んだタイプのものである。
そういうものを手にした親が、『真草二行節用集』など、一面に漢字と読みだけが記された旧タイプの節用集を子供に授けることもあろう。お下がりである。
ただ、この例はちょっと特殊なようだ。
まず、「元禄五年壬申四月求ル」とある。
お下がりではなく、彼自身が買い求めたのである。
そこには、やみがたい購買欲が感じられる。
単に所有したいということもあろうが、もっと確固とした目的があったと考えられないだろうか。
彼の署名を見てみよう。「又鶴」。
当時なら、屋号と名前の頭文字をとって通称とすることがある。
彼の本名は「又屋鶴吉」あるいは「又屋鶴左衛門」だろうか。
しかし、「又屋」というのはあまり屋号としてふさわしくないだろう。
普通は扱っている品名(油屋・宿屋)とか、取引・縁故のある地名(上総屋・三河屋)になりそうである。
とすると「又鶴」は、俳号ないし表徳(雅号)と考えた方がよさそうだ。
14才にして俳号を持つとは、どのような子供なのだろうか。
果たして、私たちが数え年14才と聞いて思いおこす人物像と合致するとみてよいだろうか。
それは多分、彼の筆跡が否定するだろう。
どう見ても子供ばなれしている。
ひょっとすると、彼の親が記したのだろうか。
もちろん、その可能性は大いにある。
というより、そう考えるのが普通だろう。
けれども、14才の筆跡として異とするにあたらないこともある。
『岐阜県史』所収の「山県郡高富村習貫堂門人帳」には、14歳の少年が堂主として手習い師匠となり、習貫堂をおこした旨が記されている。
このようなことから、14才の少年が俳号をもち、自分の意志で節用集を贖うこともあったのではないかと思っている。
早いなぁ。もう、CDROMチェンジャ、来たの? 内蔵型だからこれから取り付けないといけないな。 いまになって思いついたけれど、E−IDEのハードディスクだと相性の問題があるんだよね。 だから、増設するときは、同じメーカーのものを買うのが鉄則。 CDROMドライブの場合は大丈夫なのだろうか.....下衆の後知恵。
19980319
■ウィンドウの縦と横
ウィンドウズ・パソコンでいろいろなソフトを使っていらっしゃる方には、標題を見ただけで膝を打つことと思う。
子ウィンドウを作って作業するようなソフトの場合、たいていはメニューバーに「ウィンドウ」といったメニューがある。
子ウィンドウをどのように整列させるかを選べるメニューだ。
普通は、大きく、「重ねる」と「並べる」に分けられる。
「重ねる」はウィンドウを同じ大きさにして、ただし、タイトルバーだけが見えるように表示する。
イメージとしては、お札や配布プリントを数えるときの要領と思っていただければいい。
ぴっちり重なったものをずらして一枚一枚を把握しやすくするようにする訳である。
「並べる」は親ウィンドウ一面に、タイルを貼るように子ウィンドウを表示するもの。
当然、大きさもそれに応じて調整される。
が、問題はその並べ方なのだ。
愛用のミュージック・スタディオ・ライト(MIDIシーケンサ)には「縦に並べて表示/横に並べて表示」のコマンドがあるが、「縦に〜」は左右に並べ、「横に〜」は上下に並べる。
ところが、これまた愛用の秀丸エディタは逆。「縦に〜」は上下で、「横に〜」は左右なのだ。
本来、秀丸は子ウィンドウを設けないが、二つ以上起動したとき、あたかも複数の子ウィンドウがあるかのように振る舞わせることができる。
ウィンドウズ95自体は「上下に並べて表示/左右に並べて表示」と明快至極(「スタート」の表示されるタスクバーにて、右クリック)。使うものの立場からすればありがたい。
CDROMチェンジャ、取り付け終了! 所用、約2時間。
5インチベイへのアクセスで時間を取られた。
心配だった相性も、大丈夫のよう。
製品には、電源ケーブル同梱、とあったが、どうやら98系用らしい。
紛らわしいことである。
分岐ケーブルを購入するしかないかと思ったが、一つだけ余分のケーブルが本体に残っていた。
ありがとう、デル・コンピュータさん。
もとのやつをマスタに、チェンジャをスレーブにして、2頭体制。
それにしても、エクスプローラにずらずらとディスクが表示されること。
C・E=内蔵ハードディスク、D・F=外付けHDD、G=Zip、H=元のCDドライブ、
I〜N=CDROMチェンジャ、O〜R=仮想CDドライブ。
これに図書館の『雑誌記事索引』をリインストールするのでTまで埋まる。
壮観といえば壮観だが。
以上、明19日分。チェンジャ取り付け無事終了に乗じて、書いてしまいました。
19980320
■万事常之心得
「辞書の使われ方の実際」では、旧蔵者がどのように扱っていたかということも重要な関心事。
ただ、なかなか定量的に記述しにくい。
そのなかで、各丁の手垢汚れの度合いに注目した、横山俊夫さん(民博・京大人文研)の研究動向には注目している。
理系的なすべを知らぬ私のようなものには、本一冊一冊を丹念に見るくらいしか方法はないかもしれない。
ただ、それでも、そこそこ面白い事例は見つかる。
問題は、それをどこまで客観化・普遍化できるかだけれど、とにかく事例の集積をしないことには話しがはじまらない。
で、左の本。実は『万歳節用字宝蔵』(宝暦1751〜64ころ)という節用集なのだが、旧蔵者が改装してある。
オレンジの表紙は、全面にエンボス加工がされている。地紋は方形状の渦巻き。
そこに図案化された菊の花を配している。
題簽の料紙は墨流しの厚手のもの。
補強のための改装としては気を配っている方だろう。
旧蔵者の愛蔵のさまがうかがえる。
ところで、その題簽に「万事常之(々?)心得」とあるのが面白い。
節用集を辞書とみるまえに、日用百科のごとく見なしているわけだ。
たしかに、宝暦になると必ずしもことばにかかわらない付録記事が充実する。
そして、そのような姿から「ああ、日用百科的に使われたんだろうな」と推測することは容易である。
が、はたして実際にそうだったのかというと、推測は推測にすぎない。
やはり、同時代の人の証言が欲しくなる。
その点、「万事常之心得」という書名は見事なあかしになっている。
問題は、いつ、だれがこれを記したか、なのだが、それが知れず、残念このうえない。
趣味性の強かったコーナーを民間プロバイダに移しました。 こちらです。