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*「気になることば」があるというより、「ことば」全体が気になるのです。
*ことばやことばをめぐることがらについて、思いつくままに記していきます。
*「ことばとがめ」に見えるものもあるかもしれませんが、その背後にある、
人間が言語にどうかかわっているか、に力点を置いているつもりです。
19980129
■WWW自動巡回ソフトを使う
電話線経由でインターネットに接続してネットサーフィンをするとなると、見ているあいだ、電話代がかさむ。
で、ともかく必要な情報(ページ)を素早くダウンロードして、電話を切ってからゆっくり見ることを考える。
そこで活躍するのが、WWW自動巡回ソフトである。
研究室からだとLANがつなぎっぱなしになるので、無縁のソフトだと思っていた。
が、URLを指定しておけば自動的にダウンしてくれることを考え直すと、これはこれで使い道があると、おそまきながら、気がついた。
たとえば、新聞や雑誌などのサイトで、バックナンバーが読めるようになっている場合、いちいちブラウザでリンクをたどるのは、けっこう時間がかかる。接続速度も問題になる。
そこで巡回ソフトに指示をだしておけば、必要なものは(すべて)こちらがパソコンに向かってない時間にでもダウンロードしてくれ、リンク構造も再構築してくれる。
あとは、普通にブラウザでみるのもいいが、一気にななめ読みもできる。
Windows95の「検索」だと、ファイル名(ワイルドカード可)とフォルダを指定すればなかのファイルの一覧を表示してくれる。
子・孫フォルダなどがあっても境目なしに一覧表示だ。
その一覧を、ファイル結合ソフトにドラッグして、1ファイルにまとめる。
丁寧にするのなら、エディターでHTMLタグを削除すればいい。
電話代の節約=接続時間の節約=(電話にかぎらず)時間の節約、というわけ。
う〜む、我ながら気づくのが遅かった、というか、気づかなかった私自身が馬鹿だった。
今日のNHK「スタジオパークからこんにちは」は、囲碁の梅沢由香里(初段)がゲスト。
ビデオ録画して出勤してきた。
別にファンでもないのだが、写真屋として興味深い。
この人、美人とか美形とかの範疇に入るのだろうが、写真によって別人のように表情が変わる。
それがおもしろい。
たとえば、次などを御比較ください。 黒木玄さんのページを参照しました。
朝日新聞「親父の背中」
マンガで覚える囲碁の先生
日本棋院
19980130
■「吉利/切支丹」
さすがに年度末が近づいたせいか、身辺あわただしいことである。
そこで、今日はあっさりと済ませます。
別件で太田南畝の『壬申掌記』をみていたら、
〇吉利支丹の吉の字を、切の字に書替しは、延宝八年より、御諱を避けしなるべし。
とあるのにでくわした。延宝八年は綱吉が将軍職についた年である。
「なるべし」ということは、かなりの確率でそうなのだが、動かぬ証拠を見つけたわけではない、ということ。
さて、実際はどうなのだろうか。
橋本進吉の著作集を通読すれば何かでてくるかな。
昨日のビデオ録画は、国会中継が入っていた。やられた、って感じですね。 それにしても、おじさんたち、しっかりして下さいヨ。
19980131
■「玉石混合」
という言い方、いつかは出ると思っていたが、gooでは88件出てきた。
なお「玉石混淆」は177件なので、結構な率である。
伝統的な言い方として「玉石混淆」があるわけだが、新たに「玉石混合」というのを作りました、と言われてしまえばそれまで、のような気がする。
多くの仮名漢字変換ソフトでもどちらも出してくれるだろう。
節用集を食べたという西依成斎ですが、この逸話の原典になかなかいきあたりません。 一番たよりにしていた『肥後先哲偉蹟』にもありませんでした。 この本は熊本出身の偉人に関する記述を人ごとに再編集したものですが、なかに『笠夕山談話筆記』からの引用がいくつかあり、これがエピソードを伝えてくれています。 あるいは『肥後先哲偉蹟』がとりもらした話もありはしないか、とささやかな期待をかけるばかりです。
梅沢由香里初段の画像の追加です(対局囲碁 好敵手)。また違う顔。
実はこのソフト、持ってるんですが、そのヘルプにある画像がまた違う顔。
多分、基本形(?)とするにふさわしいものでしょうが、著作権・肖像権の関係で掲載できず、残念です。
そういえば、インターネット・フォーカスにもあったことを思い出しました。
これは標準に近い画像です。
19980202
■平凡社『世界大百科事典』
生協に注文しておいた書籍をとりにいったら、『世界大百科事典』のビラがあった。
定価7万5千円のところ、5月いっぱいまで記念価格で5万7千円。
さらにブックフェアーか何かで15パーセント引きの4万8450円でいいという。
思わずニヤリ。
ただ、公費購入の場合は例によって10パーセント引き固定だから、5万1300円。
それでもニヤリ。
やっとというべきか、日本語で書かれたフル規格(?)の百科事典が、手が届くところまで来たのはよろこばしい。
小学館のは『日本大百科全書』。今度のは「世界」だから、とりあえず棲み分けが可能。
正面からバッティングする『ブリタニカ国際百科事典』(だったか)はまたまた値を下げてくるのか。
いや、音を上げているかもしれない。
「中部日本・日本語学研究会」のページ、デザインを一新しました。 内容については誤字を直した程度です。PPP接続ではちょっとつらいかもしれません。 そんなに大きな画像を使ってるわけではないのですが。
19980203
■日本語を守る....
青木晴夫『滅びゆくことばを追って』(岩波・同時代ライブラリ)の「あとがき」に、考えさせられるエピソードが載っている。
アメリカ留学中に国際民族舞踊大会に招待された話である。
おそらくそんなに大規模な大会ではなく、近くにいる留学生や外国人をあてにしてのものらしい。
日本の番になった。きれいな浴衣を着た数人に、寝間着に靴という数人が加わって、広い広い会場の真ん中で日本の炭坑節の「民族」舞踊がさむざむと披露された。日本より人口の少ないイスラエルやスウェーデンの若者が自国の伝統をしっかりと身につけているのを羨ましく思い、日本の母国語や文化が滅びる心配がない、とはたして安心していられるのか疑問に思った。
これにはうなった。たしかに「寒い」光景。何が悲しゅうて炭坑節か、と思ってしまう。
もちろん、他の国から渡米している人は、国情の差などから、かつての日本人渡米・渡欧者がそうであったように、エリート中のエリートである可能性もある。つまり、その国の文化を代表する度合いが高いことが考えられる。
が、それを割り引いても寒い。
よし、能・狂言・歌舞伎の習得が無理だとしても、せめて今日から心を入れ換えて日本語擁護派になろう、と豹変するほど君子ではない。
ことばだけ擁護するという気には、どうもなれない。
昔、中学の恩師から聞いた話だが、某メーカー製カメラの熱狂的なファンがいて、すべての製品を持っている方なのだそうだ。
ところが、使えばそれだけ古びるということで、フイルムを装填しないばかりか、空シャッターも切らないという。
フェチズムである。これはこれで十分寒い。
ことばを大切にするという行為は、これに似ているように思う。
少なくともそうなる可能性が高いもののように思う。
日本語を擁護するまえに、ことば一般に対する知見を深め増やすことの方が大事だろう。
それが、日本語というものが本当に日本の文化であることを知る近道であり、日本語至上主義・唯我独尊主義におちいらせない要点であるとも思う。
日本語を守ろうと言っている人の何人が、本当に日本語を日本文化として認識しているのだろうか。
美点ばかり見るのは誰にでもできようし、自分が使っていることばが「よい」ものであってほしい、というのは人情である。
が、反面についても目を背けずに見つめられるだけの度量も必要だろう。
これまでにできた日本語のすべての要素を、日本の文化として認識できる厳しさと言ってもいい。
たとえば、現代の日本語では、丁寧・打消・過去(完了)を「〜ませんでした」で表すのが普通である。
私はこれを日本語のなか奇形児だと思っている。
丁寧 打消 丁寧 過去(完了)
1)ませ ん でし た
2)ませ ん です
3)ませ ん
普通、活用語は、タを取ってちょっと整形すれば現在形(というか中立形というべきか)がえらる。
「書いた」なら「書く」がみちびける。
が、「ませんでした」にはそれができない。「ませんです」が使われないこともないのは知っているが、「普通」ではなかろう。
丁寧・打消には「ません」が普通に使われるだろう。
このような奇形を生んだ日本語というものも文化として認めなければ本当の愛護はできないだろう。
また、この奇形だけを容認するようになるまでには、いくつかの別の表現もありえた。
それらをそぎおとしてきた事実、奇形に眉をひそめながらも無理に使ってきた(かもしれない)人々の存在と葛藤‥‥‥
そのような取捨選択と軋轢こそが、人間の行為の遺産という意味で真の文化だと思う。が、果たして、そこまで認識して「日本語をまもる」と言っているのだろうか。
というわけで、日本語に対する知見を深めることがまず先にあるべきだと思っている。
もう少しうまく書けないものか‥‥‥
19980204
■テレビ取材時の言語行動、ほか
名古屋テレビの方が、「都心」について取材にきた。
う〜ん、ばっちり撮られてしまった。困ったなぁ。
もともと公衆にさらせるような御面相ではないうえに‥‥ まぁ、やめよう。
ちょっと驚いたのは、自分の言語行動である。
簡単な打ち合わせをしてから本番に入る。
アナウンサーの方が、それまで普通の調子で会話していたのが、突然、テレビ的口調になった。
言語明瞭に、目に力が入り、「知りたいのはそこだぁーッ」と気合が入る。
おっとそう来るか。ではこちらも、とばかりに、相応の口調にしようと努力してしまった。
まぁ、おどろくほどのことでもなく、単に、調子に乗るタイプだということか。
それにしても、場に引き込むあの演技はすばらしい。さすがにプロである。
御礼など。
岡島さんから教えていただいた『言語生活の目』(筑摩書房)。
これに昭和43年7月の投書「名古屋の都心」が載っているのですが、アップで撮られました。
急所をついたインパクトのある例として喜ばれたようです。
岡島さん、御教示、ありがとうございました。
御礼のおまけです。
雑談のなかで面白い例をアナウンサーの方が指摘してくれました。
「博多の都心」という例。これには全然違和感がないというのです。
不思議なことに私もそう思いました。
ほかのスタッフ(プロデューサー・カメラマン・同助手)も同意見のよう。
「名古屋の都心」がだめで「博多の都心」がいいのはなぜか。
皆目、見当がつきませんけれど、なにか腹案でもありませんか。
で、取材内容の放送予定は2月18日、名古屋テレビの「コケコッコー」という朝の番組。
東海三県を中心に放映されるようです(ん、岐阜でもみられないかも。これだけがせめてもの救い)。
昨日、非常勤できていいただいている藤田保幸さん(滋賀大学)から節分用の豆をいただきました。 ロゴに「春夏冬ニ升五合」とある。「あきないますますはんじょう(商い益々繁昌)」と読むのだとか。 こういうの、ことば遊びのバリエーションだとなんて言うのでしょうね。
19980207
■「シズリ屋」
「気になることば」の愛読者、K先生からお手紙をいただいた。
「シズリ屋」なることばを知っているか、との内容。
シノワズリーは「中国趣味」だしなぁ。
江戸時代ころにありがちなスルの複合語かとも思ってみる。
現代の「老舗/試合/幸せ/躾/仕事」は、本来「為似せ/為合/為合/為付け/為事」と書ける語源をもっている。
この伝でいけば、シズリは「為刷」か、ちょっとひねって「為出り」(=仕出し屋、とか。ちょっと無理か)かなぁ、などと考えてはみたが‥‥
ところが、シズリ屋とは、ビールのCM撮影の際にかりだされる専門家だという。
少しだけジョッキにあふれるように旨そうにビールをつぎ、外側には注射器様のもので水滴までつけるという。
どんなことでも専門家はいるものだ、と感心してしまった。
さて、その語源である。
先生の調べた範囲では、古語「しづる」に関係があるかもしれないという。
これは「木の枝などから積もっていた雪がすべり落ちる」というのが本来の意味らしいが、その様に似た落涙にも使うようである。
そうなるといかにもシズリ屋にぴったりという感じ。
本義の「雪」もビールの泡に通じないことはない。
この「しづる」、実はちょっと面白いことばだそうだ。
古語ではあるが使われるのは和歌だけ。
さらに、藤原為忠(?−1136)・藤原俊成(1114−1204)の作歌に集中的にあらわれるとのこと。
どうも当時の俗語を歌中にとりこむことをしたらしい。
俗語ゆえか現代でも「しずる・しずれる・しずれ」などの語が日本海側の諸地方で使われるらしい。そういった地方の用語をとりいれてシズリ屋ができたのかもしれない。
和歌がでてきたからでもないが、雅趣がある。
ただ、シズリ屋のなんたるかを考えるとちょっと。
もう少し、アンダーグラウンドな味付けが欲しいなぁ。
たとえば、現代では一般化したが、映画関係(?)の隠語だった「ダブる」はW(ダブル)の語末のルを語尾とみなしたもので、労働争議関係(?)の隠語だった「サボる」はサボタージュを略してル語尾をくっつけたものだ。
そこで、ビールのつぎかたよりも水滴作りを重視して、「しずく」を下略してル語尾をつけたシズルからのもの、という別案も浮かびますが、いかがでしょうか。
gooで検索したら「日野聡 フルート協奏曲「雪枝しずり」1993年」というのがあった。
雅趣がありそう。これは聴いてみたいと思ったら、別コーナーにMIDIファイルがあって、ダウンロードが可能。
解凍しただけではWindowsのメディアプレイヤーが再生しない。
シーケンスソフトで一度開き、そのまま上書きしたら聴けるようになった。
分かりやすい旋律の(堂々たる?)健康的な曲でした。
映画用に作られたのかな。
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