比年国家裳弊衰多礼波公費在弊幾政波行給波志と所念行とも食国天下政波独知へき物仁波不有国語学の担当は私だけなので、通史もやらなくてはならない。 4月からはじめたのだが、12月になってやっと中古を終えたくらいだから、実は楽しんでいるのかもしれない。
『後二条師通記』(金田・宮腰『新訂国語史要説』大日本出版)
としごろ、国家も弊(つひ)へ衰へたれば、公(おほやけ)の費(つい)へ在るべき政(まつりごと)は、行なひ給はじと念(おも)はる。下の文、「食国」がひっかかる。 まずはじめに思い浮かぶのが、ヲスクニという奈良時代的な読み。 メスクニも浮かぶが、メスが平安時代の後期、統治するの意味で使ったかどうか。 とりあえず、ヲスクニを採用しておく。「知」も統治するの意味でいい。 結局、次のようになった。音読みするか訓読みするかでまようが、その差はちょっと仕様のないところだろう。
(試訳 : ここ何年か、国家も疲弊しているので、財政を圧迫するような政治はおこないなさるまいと思える)
行へども、食国(をすくに)の天下(あめがした)の政(まつりごと)はひとり知るべきものにはあらず。藤原師通(1062-99)は、天皇家の専制(院政)に抵抗した。その彼らしい、牽制ともとれる意味が浮かんでくるので、まず大きな誤りはないと思う。 もし、より良い読みがありましたら御教示ください。
((もしそのような政治を)おこなっても、日本の政治というものは、専制すべきものではない)
「皆、ご苦労だった。明日も忙しくなるだろうから、一杯飲(や)って早く寝てくれ。 まずは商売繁昌で目出度い」私もはじめは「好事家(こうずか)」という読みが頭にあって、それをそのまま、ルビに反映させたのだろう思ったのですが、そうとばかりも言えないらしい。 次のような例もあるからです。
と、景気良く茶碗を乾した。
ところが、好事(こうず)魔多し。その夜、神田天庵に押込み強盗が入り、家中の者が全員、縛られてしまった。
泡坂妻夫「泥棒番付」『びいどろの筆 夢裡庵先生捕物帳』徳間文庫
こうず は 門(もん)を出(い)でず 「こうじ(好事)門を出でず」に同じ。*人情本-珍説豹の巻-前・上「好事(カウズ)は門(モン)を出(イ)でず、悪事は千里をも走る世の慣習にて」あるいは、江戸語などでは、「好事」をコウズ(カウズ)と読む場合が結構あったかもしれない。 とすると、泡坂のは時代色を出すために使った、ということも考えられそうです。『日本国語大辞典』
ビタミンA に缺乏すると上皮組織が萎縮、乾燥して粘膜が變質して乾燥する。現代なら「○○が欠乏する」となるところ。 また、手元のテキスト類を検索してもでて来ないので、時代性というよりは、専門性かもしれない。 医学方面でそのような使い方が多かったので、『現代用語~』1948版にも反映されたとか。
ビタミンC に缺乏すると壊血病にかゝる。
▼てゆうか 話を切り出すときの意味のない前置き。てゆうかぁ、直前に話された意見・考えとは、ちょっとちがう意見・考えの方がよりいいんじゃない、それを話しますよ、っていう意味とかはたらきとかあるんじゃないのぉ。
堀内克明「若者用語の解説」『現代用語の基礎知識1998』自由国民社。以下、同じ。
▼だもんで 文の最初につける。直前に話された(話した)内容が、理由とか原因とかになって起こった事態について話すよ、っていう意味っていうか、はたらきがあるんじゃないのぉ。
▼それって 前置き。「前置き」ってことは、いきなりはなしだすことを避けるってことだよねー。 ってことはさ、いきなり使うのが「それって」っていうコトバなのかなー。 「それ」には、話し相手とのあいだですでに知られている何事(何物)かをさしししめすはたらきって残ってないのかなー。 朝、ばったり会うなり「それって、あさってのコンパのことなんだけど‥‥‥」なんて使えるのかなぁ。
考えてみれば、幾つかのことを整理し、たちまち形をつけてしまうこのお嬢さまの能力というのは、実は希(まれ)に見るものなのかもしれない。新しくもない話だが、「希」と「稀」である。 私の場合、マレと読むところで「希」が現れると拒否反応がある。 が、漢語の場合はとたんにどうでもよくなるから、おかしなものだ。
北村薫「覆面作家のクリスマス」『覆面作家は二人いる』角川文庫