19960930
■三厩村
藤島亥治郎・藤島幸彦『町家歴訪』(学芸出版社・1993)に次のような一節があって、思い出したことがある。
奥州道中は正式には江戸から白河までであるが、広義での奥州道中は、江戸日本橋より津軽三厩(さんまや)までを指すといわれている。(280ぺ)
これはサンマヤではなくミンマヤが正しい。けれど、サンマヤという言い方、以前に目にし耳にもしたような気がする。よくある間違いというやつだ。しかし、この読み方、どうやるとできるのだろう。字面からサンウマヤとして適当にはしょるのだろうか。〇〇マヤと珍しい部分だけ覚えていて、漢字の「三」からサンを導き出すのだろうか。でも、「厩」は「馬+屋」のウマヤなのだからこれは変。いや、だとするとンマヤも変じゃないかということになりそうだが、ウマヤは新しいかごく都会的な読み方ないし文章語的・教育的な読み方である。『日本言語地図』の「馬」にはンマ[mma]の方がむしろ普通にあらわれるから、ンマヤも同様と思われる。
まだ私が紅顔の美少年だったころ、市外電話は局を呼び出してどこの誰にかけるように言わなければならなかった。母が、実家に電話をかけるとき、よく、局の人と言い争っていた。
「青森県東津軽郡ミンマヤ村の‥‥‥」
「ミンマヤ村ですね‥‥‥そのような村はありません」
「ないと言われてもあるんですけど。もう一度よく調べてください」
この押し問答がしばらくつづく。もう、だいぶ前の話だ。私が紅顔の美少年だった証拠も示せないほど前のことである(だからいくらでも言える?)
母としては、東京・埼玉に出てきて、言葉では相当苦しんだはずである。仕事の洋裁で必要だった糸すら三厩村ではカナという。そこからもうつまづいたという。徐々に言葉の違いというものを認識し、東京弁・埼玉弁を覚えていったことだろう。「そういう言い方は間違いだと」と何度言われたことだろう。でも、そこで暮らすためには、自分の言葉を譲りに譲らなければならなかった。
しかし、生まれた村の名だけは譲れない。いや、譲りようがない。ほかに三厩村はないのだから、そして何よりも、自分はそこで生まれ育ったのだから、これ以上、正しい言い方が習える生活をしてきた人間は、出身者以外にはいないはずだった。
こうなると多少は難しい漢字も読める父がでるしかない。父は「厩」という漢字がウマヤと読むことを知っていた。そしてやっと交換手もミウマヤムラという、おそらくは彼女たちの利用しているであるろう登録名に行き当たることができるのである。電話後、「東京の人も大したことないなぁ。三厩村も読めないんだから」と伊奈かっぺい(岡島昭浩さん、御教示感謝)のようなつぶやきもあったように思う。
と、分析してしまえば地名にまで辞書にある訓をあてはめたための、ありがちな喜悲劇ということになる。バーチャルな言語空間は昔からあったのだということでもある。そして、昨今話題の地名改変に話は転じそうだが、それではいけない。また、そうしたくない気分である。
私が常用しているFEPのOAK/WinでもMSIMEでも「みんまやむら」で三厩村が出てきた。
19961001
■言葉さがしの至福
言葉を捜し当てるのが仕事のようになっている面がある。興味深い例にめぐりあったときが楽しいときなのだが、そうそうあるものではない。
論の展開がスムーズになる例だとか、考えていた展開を180度変えなければならないような例、ある時代の言葉を追っているときにその言葉に対する同時代の知識人が述べている見解など、いくつか美味しいパタンは考えられるが、めぐりあうまでが大変。また、めぐりあっても、こちらの考えが深まっていなければ、その例の真価がわからず、みすみす見逃すことも少なくない。というより、すべての言葉についていつも問題意識を持っているわけではないから、ほとんど見逃しているのかもしれない。うわーっ、悪夢! というわけで、至福の時にいたるには、いろいろな条件が必要なのだ。
ところが、ごくまれに、そんな条件なんぞ何でもないわい、とでも言ってるような例に出会うこともある。たとえば、次のはいかがだろうか。研究者でなくとも、圧倒されてしまうのではないか。
(鱈は−−佐藤注)三枚におろしたものを、目方で売ってもらいたいものです。なぜと申すに、こけをひかなくては食べられないからです。気がつかないほどの、あの細かいこけが鱈の臭みなのです。試しにこけをひいてごらんなさい。淡ねずみいろの細かなこけが、あらほんと! というほど出てきます。こけをひいてしまえば、鱈の臭みなんかすこしもいたしません。なるほど、これなら美味しく食べられる、と再認識していただけると思います。(辰巳浜子『料理歳時記』中公文庫 1977 178ぺ)
コケは東日本方言で鱗のこと(コケラなどというところもある。なぜか青森県の西半分はウロコと言っている。少々厄介ながらも面白い)。これだけ方言形が使われている例はそうそうない。しかも、文章になっていて、それが文庫化されてまでいるのだ。よくぞ、編集者・校正者が何も言わなかったものと思う。しかも、ウロコとコケ(ラ)の対立は、東西方言の対立(好きな言葉ではないが仕方なしに使っている)の例として著名なものでもある。
こんな例に出会ってしまったら、もう、しあわせ。一週間くらいはゴキゲンである。
19961002
■ダラ再説
前に扱ったダラだが、泡坂妻夫『鬼女の鱗宝引の辰捕者帳』(文春文庫・1992。「者」字は原文通り)に次のような例がある。
「親分、そりゃ、おらんだじゃありませんよ。めきしこという国の銀です。横浜じゃめきしこ銀とかめきしこだらとか言っています」
と教えてくれました。
横浜での貿易に使われているのがこのめきしこだらで、一だらが銀座の二朱銀二枚に相当するという。
「二朱銀?」
その二朱銀というのもあまり耳にしません。
「そうでしょう。銀の量が二枚でちょうど一だらに相当するように銀座が作ったんで、横浜にしか行き渡っていません。普通の額(一分銀)よりもばかに大きいんで、ばか二朱なんて呼ばれていましたがね。(下略)(「改三分定銀」)
「めきしこだら」という(固有?)名詞、「一だら」のような単位名などからすると、まだまだ外来語というか外国語色が強いように思われる。岡島昭浩さんからのメールによると、
TVの浪速の源蔵捕り物帳で金庫のことをダラ箱と言っていたのを思い出します。ドルラルではない、ダラが有ったのだなあ、と思ったことでした。
一般名詞との熟合例もある。もちろん、これらは現代の作品でのことなので、当時のままの用法を反映しているとは限らない。しかし、幕末から明治初期を扱った作品でダラが出てくるのはなかば常識なのかも知れない。んんん、世間は広い。
19961003
■ダラ再々説
先日入手した『ことばの泉』(明治31)にも載っていた。
だら[名]『接尾語のだらより転ず』くわへい(貨幣)におなじ。
だら[接][尾]弗。どるらるの訛。
百科語彙が多いので有名な辞書なので載っていてあたりまえかも知れない。が、『言海縮刷』(明治37・2版)にも
ダラ(名)[弗]どるらるノ條ヲ見ヨ。
とある。『言海』で載っているとなると、当時の言葉としては結構使われたものと判断してよいのではないか。
おそらくダラの方が原音に近いはずで、これは幕末の商人、ことに横浜などの商人たちから広まったものだろう。通商のため原音を聞き覚えたということである。いわば本式の発音である。
にもかかわらず、『ことばの泉』の「どるらるの訛」と言い切るあたりが面白い。「どるらる」はdollarの(蘭学・オランダ通詞風の)文字読みだろう。原音につけば、こちらの方が訛っていることになるのだが、『ことばの泉』『言海』ともドルラルの方を参照するようになっているので、当時は、正式な呼び方だったようだ。そのためにダラを「訛」と断じられるのだろう。そして、現在、ドルラル系のドルを使っている背景も同じなのではないか。
どうもこのあたりの言語事情は面白い。明治なかごろまではステーション・ステンション・ステンショなどと呼ばれていたのが、現在では「駅」になっているのも似たような背景が想像される。
ほとんど治っていた風邪がぶり返した。どうも卒論の相談にきた学生からうつされたらしい。うぅっ! せっかくの試験休みが!
19961004
■「なきゃない」
昨日、17時50分ころ、ラジオのNHK第一放送を聞いていると、
現代のチビッコでも、ファミコン・ソフトの攻略なんかは、情報交換しないとできない。やはり友達がいなきゃないんですね。(不正確。ゴシックのみ正確)
と言っていた。子育て関係の番組らしい。
この「なきゃない」は「〜なければならない」という当為の表現なのだが、最近、ちらほら聞くようになった。初めて聞いたのは、仙台にいたころなのでかれこれ12〜14年ほど前か(もうそんなにたつのか。我が青春の日々よ)。これはもう皆さん盛んに言ってました。だから、仙台あるいは東北での言い方だと思っていた。
それが最近、そうでもなさそうな人々の口の端にのぼるのを耳にするというわけである。岐阜に来てからそう思ったので、あるいは中京方面でも盛んに使っているのかもしれない。「なければならない」では長すぎるということで出来た言い方だと思うが、単に短く言ってしまう誤りが多くなっただけなのかしら。
19961005
■誤用ぎりぎり1
宮脇俊三『汽車旅12カ月』(新潮文庫)に次の一節があった。
とにかく、夏休みに入ると、汽車は混雑するし、しかも暑いから、私のような一人でぶらりと汽車に乗りに出かけたい人間にとっては、最悪の季節である。だから私の過去帳を見ても、七月半ばから八月にかけては、旅行らしい旅行はまったくしていない。
単に「過去の手帳」という意味だろうか。やはり「寺で、死者の俗名・法名・死去の年月日などを書き入れる帳面」(『講談社国語辞典』)という意味で捉えてしまう。宮脇にとって過去の旅行はすでに「死」と捉えられるような固定した産物だということか。時に高度な、時に低俗なユーモアをかましてくれる人なので、洒落が絡んでいるのだろうか。それにしてもどきっとする使い方だ。
19961006
■誤用ぎりぎり2
紀田順一郎『古本屋探偵の事件簿』(創元推理文庫・1991)に次の一節があった。
「『釣客伝』ですか。釣マニアの伝記ですね」
「と思うだろ。そこがシロトの浅ましさ。まあ見てごらん」(159ぺ)
で、実は「釣のハウツーもの」だったという。「学者も弱いと見えて、『国書総目録』にも"伝記"に分類してあるよ」「あの目録はアテになりませんからね」というオチがつく。つづいて、戦前に刊行されたシートン著・内山賢次訳『動物記』が全4冊か全6冊かが話題になり、次の一節。
「ちょっと待ってください。頭が混乱してきた。整理してみましょう。ぼくが六冊というのは、『明治大正昭和翻訳文学目録』に出ているのを根拠としているんです」
「ああ、あれかね。それもシロトの浅ましさ。ちょっとこの本のうしろを見てごらん」(160ぺ)
と、全6冊本が先に、全4冊本が刊行されたことが知れてケリがつく。
さて、ゴチック部分。シロトは「素人」の意の業界用語らしいが、「浅ましさ」は「浅はかさ」ではないかと思う。2回出てくるので単なる間違いではなさそうだ。勘違いもありうるが、紀田さんだけにそう軽々に断じにくいものがある。たとえば、「本の素人は、ろくに経験もない(=題名や参考文献にたよって内容や事実を見逃しがちな)くせに、ちょっと珍しいものにすぐに飛びつく」なんていう意味が込められていたりするのかもしれない。と思って見返してもやはり「浅はかさ」でいいんじゃないかとも思う。
で、ちょっと調べてみると‥‥‥本日はこれぎりこれぎり。