蟷螂(かまきり)へのコメント−−−−−言語地理学入門
この地図の面白さは、語形そのものにあります。
揖斐川と長良川に挟まれた付近に、黒ベタの記号が集中しています。これらは「拝む」
に由来する語形で、全国各地に散在します。蟷螂をつまんでみると前足を合わせるような
動作をします。それが拝んでいるように見えるので、名付けられたようです。
地図上の語形の歴史を考えるのが、言語地理学です。では、この地図で一番古い語形は
なんでしょうか。一応、北と西に黒ベタ系の語形があり、そのあいだにカマキリ
があります。もともは黒ベタの語形があったところに、カマキリが新たに
入ってきたので、このような分布になったのでしょう。両端に同じ語があり、
その間を別の語形がうめているとき、両端の語が古く、間にある語形が新しい
と考えるわけです。
ところが、黒ベタ系同士の新旧は、ちょっと分かりません。そこで、語形そのものを手
がかりに考えてみます。長い語形を短くするのはよくあることなので、一番長い語形を
最初のものと仮定してみます。
一番古いのは?
そうすると、オガマナトーサンが最初に来ます。これは「拝まな通さん」という語源が
あるようです。この逆(対偶)は「拝んだら通す」なので、オガンダラ系とも関係が深い。
もっといえば、この二つの新旧は判断できない、ということです。それにしても
「拝まな通さん、拝んだら通す」とは童歌のようですね。昔はそのような遊び歌が
あったのかも知れません。
オガマナトーサン系の展開
オガンダラ系もそれなりにバリエーションを生み出しますが、もっと面白いのはオガマナ
トーサン系です。
まず、オガナマトノサマという何だかわけの分からない語形が生まれます。
これは、「拝まな通さん」という語源が忘れられていくときに生まれたので
しょう。「オガ何とかとか、何とかサンとか言ってたなぁ。そのあいだにマ
とかナとかトが入ってたようだ。〜サンなら人かも知れない。それなら〜サマ
とも言える。ええぃっ」とばかりに、記憶にある音の断片を手がかりに、
新たに語源解釈を行って生まれのだと考えられます。
これとは別に出てきたものがオガマでしょう。これは長いオガマナトーサンの後ろ
半分を省略したものです。オモチアソビがオモチャソビになってオモチャ(玩具)になったのと同じ
理屈です。こういう省略ができるのも「拝まな通さん」という語源が忘れられ
ようとしていたことが考えられます。
さらにオガマからオマ(ン)マへと変化したのでしょう。この変化は、
オガマという音の連続より、オマ(ン)マ(御飯)という音の連続の方が
呼びなれているために起こるのでしょう。言葉を発するときには、発音を
担当する口・舌・鼻・声帯・肺やそれらの周囲の筋肉などと脳のあいだで
、「こう動け、そこはまだ動くな、よし行け!」などの命令が飛び交って
います。やはり、言い慣れた発音の方がしやすいことになります。そこで、オマ(ン)マ
になってしまったのでしょう。このような現象を類音牽引と言います。
*あるいは、蟷螂の卵からの連想もはたらいている
かもしれません。
小さな卵がたくさん集まって木の枝などに付いてますが、よく見れば、ごはん粒が
固まっているように見えないこともないからです。
言語(単語)は、それを使う人々の間で、音連続と意味とを無理矢理むすびつけ、
それを約束事として使っているものです。だから、言語が変化するということは、
古い約束を破棄して、新しい約束を結び直すことになります。これは非常に
労力のかかることです。たとえば、友人何人かで遊びにいくのに、どこかに集合する
約束をする、何かの都合でそれを変更する、全員に変更を知らせなければなら
ない‥‥‥ これが一人や二人ならまだいいのですが、10人100人となったら
どうでしょうか。
だから、言葉はもともと変化したがらない、という性格を持っているとも言えます。
それが変化するのですから、たった一つの理由だけでは、なかなか変化しません。
いくつかの理由・原因が重ならないと変化など起こりにくいとも考えられるのです。
ところが、オマ(ン)マは、ちょっと不便な語形です。蟷螂も
表すし、御飯も表すからです。御飯を口に運びながら、蟷螂を思い出すという
のはあまり気持ちのよいものではありません。このように同音語になったために
不都合が生じることを同音衝突といいます。この現象は、同音異義語
だけれど不快感をともなう場合と、同音類義語になった場合とにあらわれます。
そこで、蟷螂だけを表すようなはっきりした語形が必要になりました。それが、
ツメマガリ・ツメマワリでしょう。なぜ、そう言えるのか。長良川と
揖斐川に挟まれた地域で、JR東海道線の南北に注目してください。
オマ(ン)マ(●)とツメマガリ・ツメマワリ(□)が並んでいるところが
あります。これは、同じ人が回答してくれたものだからです。
それにしても、ツメマガリという語形なら、御飯には爪はないから、曲がろう
が折れていようがまったく無関係になります。また、蟷螂は、足の先が曲がって
いるようにもみえます。そのものズバリの特徴を名前にしたので、ずいぶん
はっきりした言い方になりました。このような命名のしかたは、同音衝突を
治療するするときによく見られます。
まとめ−−−人間と言葉の関係をみる言語地理学
以上、蟷螂の地図の説明をしてきました。その内容のほとんどは、
言葉に対して、人間がどのように感じ、処置してきたか、人間はどのように
言葉をあやつっているのか、そのときにどんなことが人間の頭のなかでは
行われているのか、ということです。
このように、言葉の歴史を考えるということは、単に言葉を順番に
並べるだけのものではありません。言葉を使う人間の頭の働きや、
心理まで考える必要のあるものです。そして、そのことで、よりよく
言葉というものが分かっていくのだと思います。