199708018
■ユニーク標識展覧会
実家での休暇も今日が最後。
関東の盆休み後半は、大陸性高気圧の南下のため9−10月なみの涼しさ。
ああ、明日には岐阜までもどらねばならない。
今年の夏休みをふりかえれば、これといった収穫がなかった。古本も論文も。
こうなれば残り2週間あまりを寝て暮らそうか。秋に期するのである。
などと虚無感におそわれながら、『JAF MATE』4月号をながめていたら、標記のコーナーにたどりついた。読者からの写真とコメントで構成されている。なかなか面白い。
ホーキを守ろう(北海道某所)
と書かれた看板。「法規〜」だろう。かたわらに箒も立っている。
サンライズバス/降車場/のりば(東京都某所)
経費節減のためか、「サンライズバス/のりば」はどのバス停でも使えるよう、
あらかじめペイントしてある。「降車場」はバス停名。ううううむ。悩む。
心にブーレキ安全運転(北海道興部(おこっぺ)町)
オホーツク海に臨む町。やはりここはシラビーム方言とのかかわりがあるとみたい。
単なる誤りではなくて、長音が意識にのぼりにくいという背景がある気がする。
どこが違ってるかわからない人もいますか。私も一瞬わからなかった。
一字一字音読してください。
199708021
■「こさえる」
彼が好みそうな料理を試しにつくってみた。 よくできたと思うものは、神崎が千賀子の部屋にやってきたとき、もう一度こさえて披露することにしていた。
宮部みゆき「返事はいらない」『返事はいらない』新潮文庫
「うちは、お金はあるんです。 ですが道恵に持たせるときりがありませんので、財布のヒモはこちらで握っておりました。 でも、大きな借金をこさえられてしまったら、払ってやるしかありませんでしょう」
同「裏切らないで」同。
コシラエルから転じた語。
私はもう使わない。親の世代の人たちが使っていたようには思う。
というわけで乏しい語感をしぼりだしてみると、複雑なものや大げさな道具などを使ってつくる場合には使えない。
かといって、ぞんざいに作ってもいけない。
「丹精をこめる」ほどではなくともなにがしかの丁寧さがともなう気がする。
その点、料理はピッタリ。それが借金に転用された二つめ例では自嘲の響きがあるように感じる。
あるいは、ちょっと踏み込んで、「こさえる」主体にとっては手慣れた行為でつくれるというふうにみた方がいいか。
一つめの例なら、「試し」のときは「つくってみた」が、「もう一度」のときは「こさえて」が共起するのは鮮やか。
手慣れたまではいかないかも知れないが、一度は経験があるのだから「試しに」とはだいぶちがう。
借金の場合も、引用部分からも道恵の荒っぽい金遣いは常習性のものと知れるし。
それにしても、このことば、生きていたんだなぁ。
宮部は東京深川の生まれ。それが関係しているんだろう。同い年なので地理的条件のほうが効いていると思うのだが。
199708022
■「なにがし」−−−誤用ぎりぎり7
その夜、夕飯がすんでみんなのんびりしているとき、また「手相」なるものの話しになった。俺にはさっぱり理解できないが、糸ちゃんがあれだけ夢中になっているのだから、なにがし面白いものなのだろう。
宮部みゆき「手のひらの森の下で」。雨の会編『ミステリーが好き』講談社文庫
やっぱり「なにがしか」じゃないだろうか。なぜ「か」がとれたのか。それが気になる。
まぁ、ちょっと古い言い回しだろうから、ひごろ使いなれないためにちょっと間違ったんじゃないかと思う。ただし、これは必要条件。十分条件はなんだろう。
やっぱり、名詞・代名詞の「なにがし」だろうか。こちらも古いいいまわしだが、「なにがしか」よりも耳にしたり目にしたりする率は高いかもしれない。
ただ、副詞的な用法は、多分、ないと思う。
とすると、引用例は、「なにがしか」の用法と「なにがし」の語形が結びついたことになる。とりあえず、類音牽引のひとつとしておきましょうか。
やっぱり、でも、同情はします。
引用文は地の文だが、実は、ちょっと分別くさい飼い犬の視点で書かれている。
そうなるとちょっと古めの言い方をさせたくなろうというもの。
筆がすべって(こういうときも使っていいのかな)しまったのだろう。
なんせ宮部もまだ若いんだから。
そう、若いんです。なんてたって私と同年生まれ(しつこいか ^_^;。前日分参照)。ここで強調しないで何としよう。
199708023
■「棲むタナが違う」
二人を「二十歳も年齢差のある夫婦だ」と見るひとは、まずいまい。赤の他人だと思うだろう。 魚で言えば、棲(す)んでいるタナが違うという感じだった。
宮部みゆき「返事はいらない」『返事はいらない』新潮文庫
考えてみれば、(あの人とあのひとは、棲んでいるタナが違うね)というセリフも、神崎が好んで使う言い回しだった。 同
というわけで、若い宮部は(二重にしつこい?)ときどき古い、あるいは、私の知らなかった表現を使う。
この例もその一つのようである。いくつか辞書などを見てみたが、慣用句的でもあるせいか、でてなかった。
このタナは「棚」かしら。「大陸棚」というのもあるので。「店」だとやはり人間様のことになるだろう(「大家と店子は親子も同然」の「店」です)。
多分、東京下町の言い方なのだろう。こういう表現を類聚するのもいまのうちかもしれない。
ただ、なかなか集めにくいかもしれないし、いままでにもまとめられていないように思う。
東京の下町語彙は秋永一枝氏あたりがカード化しているようにも思ったが、
同様のことを全方言でやるとなるとほんとうにおおごとだ。
方言慣用句辞典。だれかつくってくれませんかねぇ。
199708024
■改訂?
「あのねえ、クイズ」
「うん」
「あっぱい、いっぱい、うっぱい、えっぱい、−−次、何だ」
これもまたセクシャル・ハラスメントであろうか。ははあん、と思う。 幼稚園で流行(はや)っているな。小さい時には、大人のうろたえるようなことを、 しつこくいっては喜ぶ時期というのがあるものである。
−−だがねえ、トコちゃん、私をからかうのは十五年ばかり早いのだよ。
白い歯を見せながら期待をこめて答えを待っている《彼氏》を見、 この子もいつかは大人になるのだと思うと不思議な気がする。 私は腰をかがめトコちゃんの目を見詰めながら、ゆっくりといった。
「−−しっぱい」
トコちゃんは世にも無念そうな顔をした。 (北村薫『秋の花』創元推理文庫)
太字部分、たしか単行本のときには「かっぱい」だったと思う。これもまた改訂であろうか。
ははあん、と思う。読者が入れ知恵したのかもしれませんね。
「かっぱい」では、トコちゃんの意図をくじくことにはなるが、意味のない言葉。
「しっぱい」なら、トコちゃんの意図をくじくことはもちろん、有意味なことばだし、
その意味がまさに「失敗」なのだからこれ以上の言葉はない。
「無念そうな」に「世にも」を重ねるのも生きてくる。
ひょっとすると増刷分の単行本も「しっぱい」になっているかもしれない。
引用部分は中略しようと思ったが、あえてそのままにした。
こういう、筋にまったく関係ない部分で主人公「私」の思惟を盛り込むのが北村流と見たので、紹介もかねて。
読み慣れていないとダレと感じるが、慣れてしまえば主人公の存在感というか実在感といおうか、
人物造形の成功例として見えてくる。
先日来、話題にしている宮部みゆきはあまりやらない。
そのため、文章作法としては、北村の方が一枚上手と評価している。ただ、もっと作品を書いていただきたい。
「単行本」「文庫本」で思い出した。
先日、名古屋テレビだったか、東海テレビだったかで、自社アナウンサー主演の番組をやっていた。そのときに文庫本を片手に「この単行本が愛読書でした」のようなことを言っていた。文庫本を「単行本」と言ってしまうのはかなり以前にも聞いたことがある。結構、多いのでしょうね。しかし、どこでどう混線してしまったのでしょうか。
199708025
■「原型師」
『トゥナイトII』でフィギュアまわりを追っていた。全然わからない世界。
フィギュアというのを私なりに言い換えれば、人間を主としたリアルな三次元模型としかいえない。
アニメなどの登場人物などのものが大人気らしい。
『新世紀エウ゛ァン・ゲリオン』(うっ、「下痢音」と変換した)のやつなんかは引っ張りだこのようだ。
で、その原型というか体型を作る人を「原型師」と呼ぶそうな。
原型をそのまま飾る人もいれば、着色して楽しむ向きもあるとか。
なんだかオタクっぽいなぁと思う反面、自分の仕事もそんなものかも知れないと思い返す。原型であるアイディアを、論文という形に仕上げていく。あたかも着色するかのようだ。
ということは、論文の原型師もいてわるくないかも。だれかいませんか。
見事に着色しまっせ。
理系などではチーム研究が進んでいるから、すでにそういう状況かもしれない。
『ノーベル賞の決闘』(岩波・同時代ライブラリー)なんかを見ると、その辺がよくわかる。
『トゥナイトII』で、原型師を追っていくときのBGMが『ベン・ケイシー』のテーマ。おちゃめなスタッフがいるらしい。
そういえば、むかし、柴田武先生が、旅先のホテルで「ブロータースさまからお電話がありました」というメモを受け取ったとか話されていた。
もちろん、これはグロータース神父のこと。ヤコブソン流にいえば、調音点を境界とした前後の共鳴腔の体積比の違いが、[b]と[g]の違いとして聞こえることになるんだろう。でも、やっぱり、似てるものは似てるよね。
だったら、同じ破裂音の[d]になる例もあるんだろうか。ぱっと浮かんで来ないけど。ねむいからかしら。
199708026
■「タナが違う」「AGURI」
23日の「棲むタナが違う」について藤井俊博さんから御意見をいただきました。
8月23日の「気になることば」で「棲むタナが違う」という言葉を取り上げておられましたが、これは釣りなどで 使う用語であると思います。 水面に近い所、中層、そして水底などの層を表すか、あるいは、水底そのものを表すかどちらかだと思います。 「タナをとる」という言葉もあって、水深を測るという意味か、あるいは魚のいる深さを探るという意味の言葉であったと思います。 (下略)
とのことでした。ことばをみる世界が広がりました。ありがとうございます。
釣り方面をさぐってみることにします。
以前、NHKの『あぐり』でAGRIと母音の抜けた表示になっていることについてふれた。
最近、たまたま見ていたら、回想シーンでエイスケさんが「アグリのあとにカルチャーをつけるとアグリカルチャー=
農業になるんだよ」のようなことを言っていた。
これが影響してるんだろうか。
そういえばエイスケさんの小説集も出版されましたね。
岡島昭浩さんの
「目についたことば」
高本條治さんの
「耳より情報」
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