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気になることば 第12集   バックナンバー   最新
19961125
■性、セイかショウか

 「いいえ、今は違います。今はただの習い性(せい)でございますね。 五十年も続けているうちに、身についてしまいました」(宮部みゆき『東京下町殺人暮色』 光文社文庫 191ぺ)
 小学生でも「性」をセイ(セー)と読む。では、なぜ振りがなが振られたか。それが気になった。

 もう一つの読み「ならいしょう」(習性)の可能性を絶つためということしか他に理由がない ように思う。ナライセイ。こういう語は普通使わない。ただし、「習い、性となる」 (『書経』。習慣がついに第二の天性になる)を約した可能性がある。長い慣用句は省略されて 使われることがある。ただし、それは「習い性(せい)とやらで、五十年も続けているうち に、〜」などと引用風になるのが普通のようにも思うのだが。文脈を尊重すれば、習慣が習性にまで 身に焼きついた「ならいしょう」がふさわしい。

 とすると単なる書き誤りか。振りがなは編集者(校正担当者も?)がつけ、作者は関わらない ということか。そういう関係はよく聞く。「ならいしょう」は『日本国語大辞典』になく、 『広辞苑』には「ならい」の子見出しででている。ただ、『日国大』では「ならい、せいとなる」 が「ならい」の子見出しである。振りがなをふった人は、そのような辞書を参照したのかもしれない。 ナライショウを知らない世代ならありうる。実は、私も30過ぎてから知った言葉だ。
19961126
■過剰なる丁寧さ

 テレビのCMを聞いていてどきっとした。
赤い羽根共同募金はお蔭様を持ちまして50周年を迎えました。
 そんなに丁寧に言わなくてもいいよ。百円しか募金したことないんだから。でも、浄財(?)を 受け取る立場からは、これくらい言ってもよいのかもしれない。しかし、CMにもお金がかかるはずだから それも募金からでているのかな。どうも品性がよくない想像ですね。

 これはやはり、「お蔭様で〜」と「お蔭を持ちまして〜」が混交したものだろう。 いつごろから言ったものだかわからないが、少なくとも9年ほどまえ、まだ私が仙台にいたころ、 過度に丁寧な物言いをする留学生が使っていた。いわゆる「サ入れ言葉」と同様の、つまり、丁寧 にしようという意識があずかっていよう。こういう傾向はだんだんみん な気がついてきているEssayへ

 一語一語の表現力自体が衰えてきているので、その分、多く使わないといけないのかもしれない。 こうなると、以前書いた荒俣宏の説第 8集「ことばの力」もあるいはと思わせるものがある。そういえば、以前、ことばのイン フレなどと唱えていた人がいたようにも思うが、同じような内容をさしてのことだろうか。
19961127
■「食べ」と「食い」

『月刊言語』11月号の「世相語散歩 WORDSPACE」で、「ラーメ ンのれんげ食べ/どんぶりのスプーン食べ」がある。最近の若い人たちの一 部に見られる食べ方だそうで、れんげに乗せてたべたり、箸ではなくスプー ンで食べたりすることだという。

 白状すると、この小見出しの意味が分からなかった。蓮華やスプーンが食 べられてなるものか、と思いながら本文に入って、やっと事態が飲み込めた 。

 最近では、こういうのも「〜食べ」になるのだなぁ。でもやっぱり(好ま しくないとされる)食べ方を表すのなら「〜食い」のほうが普通じゃないか 。「犬食い・いかもの食い・薬食い・悪物食い・踊り食い・入れ食い……」 といろいろ類例があることだし。ま、おじさんのひがみですが。

 「食う」では品がないので「食べる」を使ったのだろう。「蚊に食われる 」が「蚊に食べられる」になるよりは分かる。
19961128
■RとL 

 先日、信号待ちで並んでいると、前の冷蔵車のような車の扉に「MALUHACH I」と書いてあるのに気づいた。一瞬、ランチでも運ぶケータリングの車かと思った。 淡い緑とオレンジの二重線で書いてあったので目が慣れにくかったのだろう 。が、よくみればマルハチではないか。丸八真綿かなと思ったが確認は忘れた。

 ラ行音をローマ字で書くときには、R・rを使うことになっている。が、 ここではL。まぁ、個人的にはどっちでもよいと思っている。どうせ聞き分 けられないし、ローマ字変換もどっちでもよい。

 件の車、ホワイト地によい趣味の色合いで書かれた文字だけに、その会社 も相応にステータスもあるかと想像される。ならば、きちんとRを使いそう なものだが。なぜ、Lか。直交する直線二本で済む。Rなら曲線があるうえ に、二重線で書くので混乱するかもしれない。シンプル・イズ・ベスト。

 それはわかる。平仮名なんかひどいものだ。「のめぬあ」「にはほま」「 ゐゑるろ」はそれぞれ字形は似ているが、音までは似ていない(偶然の類似 はあろうが)。が、きちんと使えるのは小さい頃から叩き込まれているから だ。外国語用の文字を取り違えても仕方がない。

 で、もう一つのRとL。右と左。私、一瞬考えないと正解を出せないこと がある。長男には共通の傾向と聞いたことがあるが、諸兄はいかがか。
19961129
■「あんまん・にくまん」

 寒くなってきた。コンビニでもあんまん・にくまんのふかし機が置かれて湯気をたてて いる。

 さて、この「あんまん・にくまん」。気がつけば不思議なことばだ。それぞれ、 「餡饅頭・肉饅頭」の略なのだろうけれど、饅頭といえば普通は小豆餡と決まっている (もちろん、各種の餡があり、それがむしろ本来の姿であること、 小豆餡への定着過程など一応承知しているが、今は置く)。 だから、「にくまん」はさておくとしても「あんまん」の「あん」は余計ではないか。

 などということを、卒論の相談に来た女子学生に聞いてみた。19時が過ぎてからきたので少々意地悪を してやろうという目論見もなかったわけではない。するとなかなか抵抗する。「アンマンとマンジュー は違うものです。アンマンはふっくらしています。そのうえ、ニクマンと(語構成が)対になって いていいんだと思います」。まぁ、それはこちらも承知のうえで聞いているのだから驚くことも ないが、いやいや成長したなぁ。さすがに野林正路氏の構成意味論で美濃方言の調理加熱語彙体系を 描き出そうとするだけのことはあるわい、などと思ったことであった。

 で、「あんまん・にくまん」。普通、単語とは、ほかにいろいろなものがあるのにそれらをさしおいて 特定のもの(あるいは意味)と、それに対する名前(音連続)をイコールのものと仮構的に結び付ける ことで成立するものである(おいおい、なんだからしくもなくむずかしく なっちゃったなぁ)。したがって、目立てば目立つほどよい単語ということになる。が、アンマン は、たとえば饅頭があって、目立ちにくい。そこで、アンマンの場合は、彼女の いうようにニクマンと対になっているが、そのことで目立ちにくさを補強しているように見えないか。 単語単独では目立てないので応援を求めペアを組み、存在感を強調しているのだ。あるいは、より深く 語源を探究すればなにか別の解釈が出てくることは考えられるが、我々は、一般的には上のように 認知しているものと思われる。その辺が、私が気になった点ということになる。 
19961130
■なじまないことば

 30数年、日本語を使ってきても、なかなか口になじまない言葉というものがある。別に、子ギャル とかが使っている言葉ではなく、ごく普通の社会人が使う言葉でである。たとえば、形容詞+デス などが筆頭にあがる。理屈ではわかっ ているのだが、なんとなく、言いづらい言葉である。「口になじまない」とするゆえんである。

 また、「味わう」というのもやっかいだ。連用形や終止形は問題ないが、使役・打消はもうなじまない 。それぞれ「味わわせる・味わわない」となるのは頭ではわかっているが、つい「味あわせる・味あわ ない」と言いそうだ。たぶん、〜 aウという形式の五段活用動詞のなかで、〜ワウよりも〜アウとなる もの(競い合う・約し合う・込み合う・立ち会うなどなど)が極端に多いためかと思う。

 『広辞苑』CD ROM版によれば、アウ単独語・慣用句・古語を含めての数だが、〜アウは145例、 〜ワウは23例である。同じく『研究社英和和英中辞典』では〜アウは75例、〜ワウは4例が検索項目 としてあがってきた。
 2GB・SCSI3ハードディスクを導入。CD−ROMなどをコピーしたので、ちょっと遊んで しまいました(1GB分をDriveSpace3で約2倍に圧縮して割り当てています。 まえは、420MBを1GBまで圧縮してたもんなぁ。嬉シキコト限リ无シ!)
19961201
■なじまない辞典

 朝方、日が差していたのでふらふらと研究室にでようかと思ったが、寝ていた。起きてみたら 10センチも雪が積もっているではないか。引き返す勇気を発揮するとき。一日、家に籠もることにした。
 で、テレビをつければ松本清張原作『紐』(『黒い画集』より)をやっている。雪の日に松本清張とは 骨から冷えそうだが、嫌いではない。探偵役の生命保健調査部員の風間杜夫が、被害者の姉・渡辺えり子 の家で話している。珍しくなくなったが「奇(き)しくも」が聞けた。ふうん、と見ていると背景には 本棚が見える。『昭和史全記録』やカラオケの歌本とともに大修館書店『言語学大辞典』が目についた。

 平屋建ての二間、庭に面したガラス戸は木枠である。玄関も名ばかりで、形だけのあがりがまちがある くらいの借家である。『言語学大辞典』、一冊で三万円以上はする。私も私費では買ってない。この家は、 相当言語学に興味があるのだろうか。

 部屋の本といえば、今は亡き夏目雅子が出ていた『瀬戸内少年野球団』で、彼女の部屋に『テス』が あったのに気づいて、なるほどと納得したのを思い出した。あれは、10年前のやはり12月だった ろうか。
岡島昭浩さんの目についたことば       高本條治さんの耳より情報

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