年 |
月日 |
事件 |
1797 |
8.30 |
(0歳)メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン、ロンドンに生まれる。父は急進的な思想家ウィリアム・ゴドウィン、母はフェミニズム運動の活動家メアリー・ウルストンクラフトである。 |
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9.10 |
メアリーの母、メアリー・ウルストンクラフト、分娩後の出血がもとで死亡。 |
1801 |
12.21 |
(4歳)父、ウィリアム・ゴドウィン、メアリー・ジェイン・クレアモントと再婚。継母の連れ子であったジェインは後にクレアと改名してクレア・クレアモントとなる。 |
1814 |
7.28 |
(16歳)妻のある詩人パーシー・ビッシ・シェリーと駆け落ち。クレア・クレアモントも行動を共にする。 |
1815 |
2.22 |
(17歳)女児を出産。未熟児であった。 |
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3.6 |
その女児が死亡。 |
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3.19 |
この日の日記には次のようにある。「赤ちゃんが生き返った夢をみた。赤ちゃんは冷たくなっていただけだから、私たちが暖炉の前でさすってあげたら、生き返った」 |
1816 |
1.24 |
(18歳)男児を出産。ウィリアムと命名。 |
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5.3 |
パーシーおよびクレアと共にスイスへ出発。10日後にジュネーブ着、当地で詩人のバイロン卿および彼の侍医であったポリドリ医師と合流。 |
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6.15-16 |
おそらくこのころ、バイロン卿が「我々ひとりひとりが幽霊話を書いてみるのはどうだ」と提案、ポリドリ医師の『吸血鬼』およびメアリーの『フランケンシュタイン』が誕生するきっかけを作る。【なおこの逸話は、メアリー・シェリーを主人公にしたケン・ラッセル監督の映画『ゴシック』(1986)で悪夢的に描かれている。】 |
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7.24 |
日記に「わたしのお話を書く」とあり、『フランケンシュタイン』への初の言及とされている。 |
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10.9 |
(19歳)メアリーの異父姉(メアリー・ウルストンクラフトの娘)で親友だったファニー・イムレー、自殺。 |
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12.5 |
この日付の手紙に「フランケンシュタインの第4章を書き終えました」とある。 |
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12.6-9 |
亡き母メアリー・ウルストンクラフトの主著『女性の権利の擁護』を読む。 |
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12.10 |
パーシー・ビッシ・シェリーの妻ハリエット、ロンドンのハイド・パークにあるサーペンタイン池で入水自殺。 |
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12.30 |
パーシー・ビッシ・シェリーとロンドンで正式に結婚、メアリー・シェリーとなる。 |
1817 |
9.2 |
(20歳)女児を出産。クララと命名。『フランケンシュタイン』はこの子を妊娠しているときに書かれていた。 |
1818 |
1. |
『フランケンシュタイン』を匿名で出版。怪物に最初に殺される幼児の名はウィリアム。 |
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9.24 |
(21歳)娘のクララが死亡。 |
1819 |
6.7 |
息子のウィリアムが死亡。 |
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11.12 |
(22歳)男児を出産。パーシー・フロレンスと命名。メアリーが産んだ子で成人するまで生き延びたのは彼ひとりである。 |
1822 |
6.16 |
(24歳)流産の際に死にかける。 |
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7.8 |
パーシー・ビッシ・シェリー、乗っていたヨットが転覆して溺死。 |
1831 |
10.15 |
(34歳)『フランケンシュタイン』第三版への序文を書き、その中で『フランケンシュタイン』の成立事情を語る。 |
1836 |
4.7 |
(38歳)父、ウィリアム・ゴドウィンが死亡。 |
1851 |
2.1 |
(54歳)メアリー・シェリー、ロンドンで死亡。 |
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