『小公子』第一回本文
10111213141516『小公子』の部屋||ホーム

『小公子』初出本文のHTML化について

○方針
1)原姿をとどめるように配慮した。このため、底本の誤字・誤植などもそのままとした。 一方で、傍線・傍点などの類は復元できなかった。
2)原則として新字旧仮名とした。また、新旧の対立のない字でも適宜現在通用のものに 直したものがある(例、歿→没 附→付)。ただし、この基準は今後変更する可能性があ る。
3)底本では原則として段落分けのための改行・字下げはない。が、ブラウザでの読み取 り速度を上げるため、一文ごとに改行をいれた。
4)当分のあいだ、ルビを付さない本文のみを掲げることとし、準備が整い次第、ルビつ き本文を提供して行きたい。

○作業の流れ
1)荒い入力を佐藤が行い、プリントアウトした。
2)それに、古市久美子(96年3月卒業)が初出本文と校訂を行った。
3)佐藤と古市でHTML化した。



小公子       若松しづ子

第一回(上)

セドリツクには誰(たれ)も云ふて聞せる人が有ませんかつたから、何も知らないでゐた のでした。
おとつさんは、イギリス人だつたと云ふこと丈は、おつかさんに聞ゐて、知つてゐました が、おとつさんの没し たのは、極く少さいうちでしたから、よく記臆して居ませんで、たゞ大きな人で、眼が浅 黄色で、頬髯が長くつ て、時々肩へ乗せて坐敷中を連れ廻られたことの面白かつたこと丈しか、ハツキリとは記 臆てゐませんかつた。
おとつさんがおなくなりなさつてからは、おつかさんに余りおとつさんのことを云ぬ方が 好と云ことは子供ごヽ ろにも分りました。
おとつさんの御病気の時、セドリツクは他処へ遣られてゐて、帰つて来た時には、モウ何 も彼もおしまいになつ てゐて、大層お煩なすつたおつかさんも漸く窓の側の椅子に起き直つて入つしやる頃でし たが、其時おつかさん のお顔はまだ青ざめてゐて、奇麗なお顔の笑靨がスツカリなくなつて、お眼は大きく、悲 しそうで、そしておめ しは真ツ黒な喪服でした。

かあさま、とうさまはモウよくなつて?。

と、セドリツクが云ましたら、つかまつたおつかさんの腕が震へましたから、チゞレ髪の 頭を挙げて、おつかさ んのお顔を見ると、何だか泣度様な心持がして来升た、それからまた、

かあさま、おとうさまはモウよくおなんなすつたの?。

と同じことを云つて見ると、どういふ訳か、急におつかさんの頚に両手を廻して、幾度も \/キスをして、そし ておつかさんの頬に、自分の軟かな頬を推当て上なければ、ならなくなり升たから、その 通りして上ると、おつ かさんが、モウ\/決して離ないといふ様に、シツカリセドリツクをつかまへて、セドリ ツクの肩に自分の顔を 推当て、声を吝まずにお泣なさい升た。

ソウだよ、モウよくお成りなすつたよ、モウスツ‥‥スツカリよくおなりなのだよ、ダガ ネ、おまへとわたしは 、モウふたり切になつてしまつたのだよ、ふたり切で、モウ外に何人もいないのだよ。

と曇り声に云れて、セドリツクは幼な心の中に、アノ大きな、立派な、年若なおとつさん は、モウお帰りなさる ことがないのだといふことが、合点が行ました。
他のことでよく聞く通り、おとつさんはお死になすつたのだろうと分りはしたものヽ、ど ふいふ不思議な訳で、 こふ悲敷有様になつたのか、ハツキリと会得が出来ませんかつた、自分がおとつさんのこ とを云ひ出せば、おつ かさんはいつもお泣なさるから、コレハ余り度々云ないほうが好いのだろう、いふまゐと 内々心に定めて、そう して、暖室炉のまへや、窓の側に、ヂツト黙つて坐つて入つしやる様な時には、打遣つて 置てはいけないといふ ことも分りました。
おつかさんと自分の知人といふは、極く僅かなので、人に云せれば大層淋敷生涯を送てゐ たのですが、セドリツ クは、少し大きくなつて、なぜ人が尋ねて来ないといふ訳が分る迄は、淋敷ことも知りま せんかつた。
大きくなつてから、おつかさんは孤子で、おとつさんがお嫁にお貰なさるまでは、此広い 世界にタツタ一人で、 身寄も何もなかつたのだと始めて知りました。
おつかさんは、大層な御器量好しで其時分ある金持の婦人の介添になつて入つした処が、 其婦人といふが意地悪 な人で、ある日のこと、カプテン、ヱロルといつて、後にセドリツクのおとつさんになつ た人が、丁度その家へ 来合せてゐた時、何かことがあつた末、おつかさんが睫毛に露を持たせながら、急いで二 階へお上りなさる処を 、其お方が御覧なすつて、可愛らしく、あどけなく、痿れかへつた其姿を忘れることが出 来ず、色々不思議なこ とが有て、互に心を知合ひ、愛し合つて、とう\/婚姻をなさる様になつたのでした。
さて此婚姻に付ては、さま\゛/の人にわるく思われたのでしたが、其中で、一番に腹を たてたのはカプテン、 ヱロルの爺さまで、是は英国に住んでゐて、お金の沢山ある豪儀な華族さまでしたが、癇 癪持で、アメリカとア メリカ人が大のお嫌でした。
此方は、カプテン、ヱロルの上に、二人の息子をお持でしたが、英国の法律で、家に属す る爵位も財産も、何も 彼も、皆長男が受継で、若し長男が死ねば、次男が跡を譲り受ることに諚つて居り升たか ら、此お方は大家に生 れはしたものヽ、三男のことで、ひどく有福になる見込はありませんかつた。
然るに、カプテン、ヱロルは、二人の兄たちの生れ付ぬ天才美質を備て居升た、美麗なる 其容貌、屈強なる其姿 、生々したる其笑、華やかななる其音声、其大胆で、慈悲深きこと、人に接て柔順なる挙 動は、多くの者の敬愛 を一身に集ました。
さて二人の兄は、是に反して外貌も美しくなく、何の才も持ず、心に美質を備ても居ませ んかつた故、イヽトン なる邸内に在ても人に怡ばれす、大学に修学する折も、学問は大嫌で、其処に居間只時日 を無益に消費する計で 、朋友もろくに出来ませんかつた。
父なる侯爵殿は此二人の息子には非常に失望し、失望のみならず常々大層迷惑の体でした 。
自身の世を譲る嫡子は先祖の家名に光沢を添へぬ耳か、男らしく、凛然敷性質は一も備へ ず、只自身の欲を恣ま ヽにし、つかひ払ふことを知つてゐる計りで、世に何の益なき人物でした。
然るに産も位もなかるべき末子が、他の二人に欠て居る伎倆も、徳も、美貌も、兼備へて 居るとは、此人にとつ て如何にも残念千万のことどもでした。
時としては巍々たる其位爵、壮麗なる産業に付属す可き美質をば、他に与へずして独り占 したる此若年が、反つ て父の心には憎くなりました。
併しまた傲慢頑固なる其心の底には、此末子を大に寵愛せずに居られず、二つの情は互ひ に戦つて居ましたが、 或る時此忌々しさが癇癪となつてムカ\/と、外に発し俄かに三男を米国へ旅行に遣はし ました。
是は二人の放蕩不頼な息子の挙動に困じ果て、末子に比較しては腹を立てるから、末子を 暫く遠ざけて見よふと 思付たからでした。
然るに六月たヽぬ内にはや淋しさを感じ始めまして、密かに末子の顔が見たくなり、直ぐ 文通して帰国を命じま した。
其手紙と引違つて着したカプテン、ヱロルの書状に米国で出逢ふたある妙齢の婦人のこと と是と婚姻する決心を したことが書て有ました、侯爵殿が此手紙を読まれた時は夫こそ立腹でした。
生来癇癪持では有升たが、此時程其癇癪をひどく起したことは無い位ひでしたから手紙の 来た時丁度居合せた給 事が其時の様子を見て御前はヒヨツト卒中でもお発しはなさらぬかと心配した程でした。
凡そ一時間も猛虎の如くに哮り立ち、其あげくに、一通の端書をカプテン、ヱロルに認め 遣はし、以後邸に近寄 ることは一切ならぬ、又親兄弟にも文通を禁ずる、今後如何様なる暮しを為すとも何処に 果てやうとも、一向か まはぬ、ドリンコウトの家よりは永遠に切離したものと見做して、父の存命中は、何の補 助もせぬものと心得よ 、と申送りました。
カプテン、ヱロルは此手紙を一読して愁歎に堪ませんかつた。
此人は故郷も懐かしく、自身の生れた美麗な家も至つて恋しく、癇癪ある老父にも親しん で居つて、是まで父が 色々失望したことを気の毒におもふて居りましたが、此文通があつてからは最早親子の間 に何の好みもないとい ふことを泣々覚悟致しました。
始はどうしよふかと方向に迷ひ升た。
是迄の育ちが育でしたから働て活計を立ることには慣ず、事務上の経験も有ませんかつた が、併し勇気も決断力 も充分でしたから先陸軍士官の株を売却してしまい、様々の困丹の末漸くニユーヨウクの 都会で、勤め先を見つ け、間もなく婚姻を致し升た。
偖大英国某侯爵家の若殿とも云れる身分が、斯く落ぶれての生計は昔しに比らべて非常な 懸隔でしたが、併しま だ年は若く、世の中の面白みも多いのでしたから、勉励せば何事か成らざらんと、頻りに 前途を楽しんで居り升 た。
住居といふは物静かな町のちんまりした家で、そこで男子が一人生れてからは質素ながら 物事総べて珍らしく、 愉快でしたから、只余りの愛らしさに思ず思を寄せ、其人にも愛されて人の介添といふ身 分のものを妻にしたの を後悔したことはたゞの一度もありませんかつた。
此婦人といふは、如何にも愛らしい人物でしたから、生れた男子も両親によく似て居りま して、此通り偏卑な安 つぽい家居に生れたには似ず、其果報は誰にも劣らぬほどでした。
第一、此子は、いつも壮健でしたから誰にも面倒を掛ませんかつた。
第二に気立が柔和で誠に可愛らしい子でしたから、人毎に嬉しがられました。
第三に器量の好いことは画に書た様で、頭には赤子によくある禿の様なもの少しもなく、 生れた時から軟かくつ て細い金色の髪が沢山で、六ケ月たつ中にくる\/と可愛らしくちゞれました、眼は大き く茶色の方で、睫毛は 長く、顔は極く愛嬌ある質でした、筋骨は珍しく逞しい方で、八ケ月たつと、急に歩く様 になり升た。
其上大層人なつこく、小さい手車に乗つて、市街を運動して居る時分、誰でも近寄つてあ やす者があれば、例の 茶勝な眼で、ヂツトまじめに見つめるかと思ふと、直ぐ可愛らしく笑ひかけて、雑作もな くお近付になつてしま いました。
此通りゆえ、此物静な町の中で、此子を見て、あやすのを楽しみにせぬものとては、一人 もなく、向ふ角の万屋 の亭主で、世に癇癪持とはあの人と云はれる位の人まで、此子には眼がないのでした。
(以上、『女学雑誌』第二二七号)



小公子            若松しづ子

   第一回(下)

段々月日が経つに随つて、奇麗に可愛らしくなりましたが、稍成人して、短かい着物を着 、大きな帽子を冠り、 少さな車を引つぱつて、姆と外を歩いてゐる処は実に見物で、よく往来の人の足を止めま した。
姆が家へ帰つては、今日馬車へ乗つた貴婦人が、坊ッちやまを見るとつて、態々馬を止め させ、坊ッちやまに言 葉をおかけなさいましたよ、そうして、坊ッちやまが臆面なく、先ッからのお友だちかな んかの様にお話しを遊 ばすので、大層嬉しがつて行ましたよ、などとセドリツクの母に話すことは度々でした。
殆んど不思議と迄に思はるヽ程の、此子の愛矯は、多分、少しも恐気なく、極く気軽に人 に懐く処ろに在るので すが、これは生れ付、人を信ずる質で、人を思ひ遣る親切な心の中に自分も愉快に、人も 愉快にし度と思ふ天性 に起るものと、思はれます。
それで、人の気を見てとることが大層早い方でしたが、是は両親が互に相愛し、相思もひ 、相庇ひ、相譲る処を 見習つて、自然と其風に感染したものと見え升。
家に在つては、不親切らしい、無礼な言葉を一言も聞たことはなく、いつも寵愛され、柔 和く取扱かわれ升たか ら、其幼な心の中に、親切気と温和な情が充ち満ちて居り升た。
例へば、父親が母に対して、極物和らかな言葉を用ゐるのを自然と聞覚へて、自身にも其 真似をする様になり、 又父が母親を庇ひ、保護するのを見ては、自分も母の為に気遣ふ様になり升た。
それ故、父がモー帰らないことになつて、母がそれを悲しんでゐる塩梅を見てとると同時 に、サアこれからは、 自分が一処懸命に慰なければならないのだといふことを覚悟して、其心持になり升た。
まだ年は行ず、赤ん坊の様なものでしたが、母の膝へ攀登つて、キスをして、、ちゞれ頭 を母の頚へすり寄せる 時や、自分のおもちやや絵草紙を持つて来て見せたり、長い倚子の上に横になつてゐる母 の側へソツトゐ寄つて 、猫の様にまるくなる様な時でも、必ず其心持が有つたのでした。
年の行かぬ身には、為す術も知りませんかつたから、出来る丈のことをしてゐたのでした が、自分のおもふより は、結句充分の慰めが出来たのでした。
いつか母が、旧くからゐる雇女のメレといふのに、「アノ、メレや、あの子は、子供心に わたしを慰める積りで ゐるのだよ、キツトそふだろうよ、時々可愛いヽ、不審そうな顔付をして、気の毒そうに 、わたしを見て居ると 思ふと、側へ来て、わたしに甘へつくとか、何か見せるとかするもの、ほんとうに成人の 様な処があるから、今 度気を付て御覧よ」と云つたこともありました。
一つ宛年を重ねる中に、此子の如何にも可愛いヽ風采が大層に人を嬉しがらせました。
母にとつては、此上もない好いお合手で、母は外に朋友を求めぬ位でした。
それ故散歩するも、話しするも、遊ぶも、皆一処でした。
極く少さい時から、本を読むことを習つて、少し読める様になつてから、夜暖室炉の前の 毛皮の上に横になつて は、さま\゛/のものを声高に読々しました。
其読ものヽ中には、子供の悦ぶ談話もあり、時々は成人の読そうな書物も稀には新聞も有 ました。
そうして、さういふ折には大層妙なことをいふので、奥さまが面白そうにお笑ひなさる声 をメレが台所で聞々し ました。
それをまたメレが万やの亭主にこふ云つてはなしました、

ほんとうに、だれだつて笑はずにゐられやしませんよ、あんな愛くるしひ様子をして、妙 なことをお言なさるの だものを、マア聞ておくんなさい、此間大統領さまの撰挙があつた跡で、台処へ来て、両 手をポツケツトへ突つ 込んで、火の前へお立なすつた処は、丸で絵にでも書度様でしたがネ、何をおいひなさる かと思へば、マアこう なんですよ、メレや、僕は共和党だよ、かあさまもそうなんだよ、おまへもそうかへ?、 とおつしやるから、わ たしが、イヽへ\/、どふいたしまして、メレは民権党の堅まりですよ。といふと、それ は\/気の毒そうな顔 付をして、そうかへ、それは大変だよ、国が亡びるよ、民権党はいけないんだから。とい つてそれからといふも のは、わたしを共和党にするとつて、毎日の様に議論にお出なさるじやありませんか。

メレは此子が大好で、そうしていつも大自慢でした。
元セドリツクの誕生の頃から居るので、主人がなくなつてよりは、お三どんも、小間遣も 、児守も、何も彼も一 人で兼て居升た。
此女はセドリツクの文優で屈強な体つきと愛らしひ様子振が自慢なので、殊に額の辺に波 打つて、肩へ垂れかヽ つて、一層の愛嬌を添へる艶かな頭髪が大自慢でした。
それ故、朝は早く起き、夜は夜なべまでして、セドリツクの小裁の着物の仕立や、修繕を 手伝ました。

サウサ、あれが本当の品とでもいふのだらうよ、大家の坊様だつて、うちのの様な器量や 、推出しの好のは、ほ んとうにありやしない、奥さまの旧いおめしを直して、拵らへたのだけれど、アノ黒びろ うどの服を着て、外を 歩るいてゐらつしやろうもんなら、どんな男だつて、女だつて、子供だつて、ほんとうに 振り返つて見ないもん なんかないから、丸で華族様の若様の様だ。

と人に云々しました。
セドリツクは自分が若様のやうだか、様でないか知りませんかつた。
全体若さまといふものがどんなものかといふことさへ、知らないのでした。
自分の一番の友だちといふは、角の万やの亭主で、音に聞えた癇癪持でしたが、セドリツ ク丈には一度も怒つた ことがないといふ評判でした。
名はホッブスといひましたが、セドリツクは此人を大層尊敬してゐまして、彼の人は余程 の金持で、エライ人物 だと思つてゐました。
なぜかといふと、其人の店先には、杏子、無花菓、密柑、ビスケツトと、種々雑多の品物 が並べてある上に、馬 と荷車が置てあつたからです。
セドリツクは、牛乳やも、麺包やも、林檎やのおばあさんも好でしたが、中で此ホッブス といふ人ほど好な人は なく、例へば毎日逢に行つて、対ひ会つては、其時\/の事をいつまでも話てゐたといふ 丈でも、どの位懇意だ つたといふことが分ります。
二人が寄れば、いつも話しが尽なかつたといふことは、実に不思議な様でした。
先七月四日の独立祭の事などです、独立祭の話しが始まれば、実に切がない様でしたが、 ホッブスは英人といへ ば大の反対で、或る時革命の話をすつかりセドリツクにして聞せましたが、其中には、敵 の姦悪、身方の勇士の 功名などに付て、随分異様に聞える愛国的の談話が雑つてゐました、其の上独立の宣告文 まで言つて聞せました 。
セドリツクが此話を聞てゐる間は、眼が光り、頬が赤くなり、髪がビタ\/に汗になるほ ど、一処懸命でして、 家へ帰つて、母に話をするのを、御膳の済まで待てない位でした。
セドリツクが政事のことに注意する様になつたのは、全たく最初、ホッブスの仕込の故で あつたのでした。
さて、ホッブス氏は、新聞を読のが大好でしたから、ワシントン府にある事柄などは、い つも精しく話して聞か せました。
それでセドリツクはコウ\/で、大統領が義務を尽してゐることの、又コウだから義務を 尽さないのだといふ話 しをも、感服して聞てゐました。
一度撰挙があつたときなどは、セドリツクは大層夢中になり、何でも豪勢なもんだと思ひ 、自分とホッブス爺さ んがゐなければ随分国の安危にも関らうかといふ威勢でしたが、ホツブスがある時セドリ ツクを連れて、たいま つの行列を見に行ましたが、行列の人の中には、其時ガス灯の側に立つてゐる、肥つてヅ ングリとした人の肩車 に乗られた少さな奇麗な男子が大声に万歳を呼ながら高く帽子を振つてゐたことのあるの を記臆して居ましよう 、忘れないでしよう、夫がセドリツクです。
丁度此撰挙騒の直ぐ跡で、セドリツクの七歳と八歳の間の頃でしたが、此子の生涯に大変 動を起した一大事があ りました、然してまた丁度此日にホツブス氏が英国や、英国女王の話をしてゐて、米国に は例のない貴族といふ ものの講釈をして、大層烈敷ことを云ひ、殊に侯爵とか伯爵とかいふものに対して、非常 に憤ほつてゐましたが 、跡で思ひ合すれば、此日は実に不思議なことでした。
其日は朝から大層暑くつて、セドリツクが友だちと一処に兵隊の真似をして遊んでゐて、 恐ろしく熱しましたか ら休息しようと思つて、ホツブスの店へ這つて行きましたらホツブスは折節朝廷の儀式の 図のやうなものが這つ てゐるロンドンのある絵入新聞を読んで大そう、すさまじい顔をしてゐ升したが、

よしいまの中、さんざ高上りをして、下々の人を踏つけるが好い、今に見ろ、踏つけた人 たちに、イヤといふほ ど飛し挙られるから(是は暴徒、ダイナマイトの類を云ふ)わしのいふことに間違はない 、みんな眼を開て見て ゐろ。

と言ました。
セドリツクは此時いつもの通り、高い倚子にチヨンボリ腰かけて、ホツブスに敬礼を表す る為、帽子を後ろへ推 遣り、両手をポツケツトの中へ突込んでゐましたが、ホツブス氏に向ひて、かふ尋ねまし た、

おぢさんは、侯爵だの、伯爵だのといふ人、たんと知るノ?

ホツブスは少し腹立気味に、

そんな奴知つてゐてたまるものかよ、わしの店へでも這つて見るが好い、どうしてやるか 。
弱いものいぢめをする圧制貴族め、こヽらの明箱へなんぞ腰をかけさせてたまるものか? 。

と四方を睨へながら大威張に自説を陳て、汗でポツ\/と湯気だつ額を、拭てゐました。
セドリツクは訳は分ぬながら、どふか不仕合らしく聞る其侯伯たちが、ひどく気の毒にな り、

おぢさん、夫れは何にも知らないもんだから、侯爵なんぞになるんでせう?。

といひました。
スルト、ホッブスが、

どふして\/、大威張りなのさ、ナニ生れ付ての分らずやなんだ、不埒千万な奴等だ。

と話の真最中に、下女のメレが顔を出しました。
セドリツクはお砂糖でも買に来たのかと思ひましたが、そうでもなく、何かビツクリした といふ様子で、少し面 色が変つてゐました、
 坊ッちやま、お帰りなさいよ、かあさまが御用ですよ、と云ました。
セドリツクは彼の高い倚子から滑り降り、

ソウカへ、かあさんと一処にどつかへ行のかへ?

おぢさんさよなら、又来ますよ。
と云つてメレと一処に出かけ升たが、メレが肝がつぶれて、物がいへないといふ面付で、 自分をヂツト見てゐる のを、何故かと思ひ、引ッ切なしに首を振つてゐるのに不審をうちました。
 メレや、どふしたんだへ?あついのかへ?。と尋ました。

イヽへ、ですがね、どふも不思議なことになつて来たと思つてゐるんです。

 ナニカへ、かあさんがひなたへ出て、頭痛がなさるのかへ?と心配そうにきヽました。
併し、そうでもなかつたのでした。
うちへ帰つて見ると、戸の外に小馬車が留めてあつて、誰か小坐敷におつかさんと話しを してゐたものがありま した。
メレは二階へと自分を急がせて、白茶フラネルの余処行の着物に華なへコ帯を〆させて髪 のもつれを櫛て呉れま した。
メレは口の中で、

へン、華族だつて、上ッ方だつて、しよふがあるもんカ、侯爵だとへ、マアとんでもない ‥‥‥

とぶつ\/言つてゐました。
セドリツクは何だか不思儀でたまりませんが、母の処へ行つたら、何ごとも話して貰われ ると信じ、メレが頻り に不束らしく口小言を云つてゐるのを、黙つて聞てゐて、何も尋ねませんかつた。
さて仕度も済んで、下へ走り下り、坐敷へ這り升と、背の高い、優しげな、鋭敏らしい、 年とつた紳士が、安楽 倚子に腰かけてゐて、其側に母が是も少し面の色を変へて、坐つてゐましたが、見れば眼 には涙が溜つていた様 でした。

オヤ、セデーかへ‥‥‥

と声をたて、走り寄り、両方の腕で子供をかヽへ、キスをした様子が、何か驚いたことか 、心配なことでもあり そうでした。
丈の高い紳士は倚子を離れ、彼の鋭い眼で、セドリツクを眺め、眺めながら、痩せた頬を 骨つぽい手で撫てゐま したが、先づ満足せぬでもないといふ面付でした。
やがて緩々した調子で、
 サヤウカ、そんなら、これがフォントルロイ殿で御坐るか、と云ひました。
(以上、『女学雑誌』第二二八号)


10111213141516『小公子』の部屋||ホーム