ワープロを使った「カード取り」の実例

 

それぞれの引用の前についている記号と数字は、「それぞれの文献に与えた記号/引用箇所のページ」を示す。【 】で囲まれた部分は私の補足またはコメント。ちなみにここで使われた文献は以下の通りである。この資料はそれぞれの文献から集めた言葉を発表用に並べ替えたものだが、下の文献名をクリックすると、私が準備段階で作成した「カード取り」の書類そのものを見ることができる。

 

e1 板坂元『続考える技術・書く技術』(講談社現代新書、1977年)

e3 岡田寿彦『論文って,どんなもんだい[考える受験生のための論文入門]』(駿台文庫、1991年)

e4 板坂元『考える技術・書く技術』(講談社現代新書、1973年)

e5 野口悠紀雄『「超」発想法』(講談社、2000年)

c87 松岡正剛『知の編集術』(講談社現代新書、2000年)

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e3/11 論文とは、「問い」に対する「答」としての、自分の「考え」を述べ、その「考え」が読者によくわかるように「説明」を加えた文章である。

 

e3/11 「説明」とは、現実の他者あるいは想定された他者からの「問い」に対する「答」である。

 

e3/14 娘:「心に浮かんだこと」をそのまま書いちゃいけないの?

父:論文を書くのでなければ、それでもいっこうにかまわない。だが、論文を書くとなると、話は違ってくる。

 

e3/14 娘:「心に浮かんだこと」が「考え」になっていない場合って、どんな場合?

父:「心に浮かんだこと」が「問い」に対する「答」になっていない場合さ。

 

e3/58 父:書くのによさそうなことが心に浮かんでくるのを待っていてはだめだ。……自分で自分に「問い」を向けなければ、「意見」は生まれて来ない。自分の意見を書けない根本の原因は、自分に向ける「問い」を自分で「つくる」力が弱いということだ。

 

e3/78 娘:【環境問題についての自分の(優等生的な)論文について】……こういう答案は、自分でも、つまらないと思っちゃうわ。

父:どうしてだろう?

娘:自分の「考え」を書いてるって気がしないもの。「問い」に対する「答」を書いているには違いないけど、その「答」は、「自分の考え」じゃなくて「知識」にすぎないんだわ。

 

e3/78 父:「知識」でしかない、と君が言うのは、それが自分で「考える」ことをしながら身につけた「知識」じゃないからだろ?

 

e3/89 父:【娘が会話の中でふと述べたことについて】君はその知識を答案の中で述べると気が引ける?

娘:べつに。

父:気が引けることがないのは、その知識が「自分のもの」になってるからだよ。

 

e3/127 娘:そこまで「考える」ってのは、やっぱり相当しつこいわね。

父:しつこくなけりゃ、きちんと「考える」ことはできないよ。

 

e3/134 父:論文答案は、「知識」を述べるものではなく、自分の「考え」を述べるものだが、自分の「考え」を述べるのに「知識」が必要だというわけだ。

 

e4/68 わたくしは、勉強のつもりで読むときは、手もとにかならずダーマトグラフの黄色い芯のものを置いてからはじめる。……。要点と思うところ、感銘をうけたところは、その行をこの黄色のダーマトグラフで塗りつぶす。

【読むときは、自分の本なら鉛筆でバンバン印を付ける、他人の本ならポスト・イットをバンバン挟み込むというのがよいと思う。】

 

e4/69 必読の書といわれているものに、黄色いしるしをつけながら読んで、読み返すときにも再びしるしをつける、という作業をくり返すと、著者の論理のはこび方、修辞の特徴などがわかってくる。読み返しは、しばらく間をおいてからする方が、時間をおかずに読み返すよりも効果的である。

 

e4/70 【「カード取り」について】その本そのものを勉強することが目的だった場合は、全体をよく読み通して、黄色のしるしが出そろってからカードとりをはじめるべきだ、と思う。読みの通らないうちにカードとりをすると余分なものが混入してきてカードが使いものにならなくなるおそれがあるからだ。

 

e4/70 ただ、疑問箇所で図書館などで調べる必要があるものは、そのつどカードをとって、読み通さないうちでも調べをはじめた方がよい。

 

e4/88 ……わたくしはタテヨコが三インチ(約八センチメートル)・五インチ(約十三センチメートル)のカードを使っている。

【もちろんこれはカードでなくても、メモ帳でもノートでもパソコンのワープロ書類でもよいわけである。】

 

e4/89 ……黄色のカードは、短期戦用とわたくしは呼んでいる。ひと月か二月、せいぜい四ヵ月くらいで仕上げる仕事の場合に、このカードに自分の意見でも引用のための文句でも、目につき気がつくものは片っぱしから記入する。だから、使いたい比喩や警句もカードになるし、論文に書きいれる文の一節を書き込むことも、もちろんある。

 

e4/89 わたくしの経験からすると、ある程度このカードがたまってくるころには、本や論文の構想がまとまりかけているのが普通だ。どういう結論になるか見当のつかないままにカード書きをしていると、ジグソー・パズルのように、自然に自分の考えがまとまってくる。卒業論文やレポートなど書く人に、ぜひすすめたい方法である。

 

e1/32 まず、書くのが難しいということの原因から考えてみると、二つの段階があるようだ。第一は、情報の不足と、情報の整理の悪さ。第二は、集まった情報の扱い方の不手際である。

 

e1/29-30「うまく書こう」というような気持ちは、書く意欲を減退させることもある。むしろ、なりふりかまわずに書く気構えで、どんどん書いてみることからスタートすべきだ。

 

e1/29 日記などに、天候や一日の時間割を事務的に書きつけるだけではなく、一行でも二行でもよいから「自分はこう思う」という意見を書きつけることからはじめて、テレビや雑誌の意見を鵜呑みにしない自分の文そして自分の意見を表現するようにすれば、自然と抵抗力はついてくるものなのだ。

 

e1/44 要は、「変だ」「おもしろい」と感じたことを、その場かぎりで忘れないで、しつこく後で調べなおし考えなおしをする習慣をつけることだ。大半の疑問は、事典類で解決するものだが調べて見てもわからない問題が残る。それが、少しずつ解決するとともに、新たに問題が出てきて、常時百ぐらいたまっている。そういう状態がもっとも望ましい。

 

e1/73 さて、このカードの山ができたところで、また別なカード書きをはじめる。前のカードを情報カードと名づければ、第二のカード書きはアイディアカードとでも名づけてよかろう。

 

e1/73 情報カードをくりかえしくりかえしながめているうちに、ふっと自分の考えが浮かんでくる。あるいは面白い比喩に思いあたる。それをカードに書きこんで情報カードの中にどんどん追加していく。

【パソコンを使うなら、ワープロ書類にどんどん書き込みを増やしていく、ということになるはず。】

 

c87/104 ……自分なりに重点が拾えたら、これらを少しでもならべなおすことが大事だ。これは「関係づける」ということである。重点をそのまま放っておかないで、多少ともならべなおすこと、編集術ではそのことが重要になる。

 

e1/85 【カードの分類法はあらかじめ定めず、集まったカードを見ながら分類していく、ということを述べて】大事なことは、どういう風に分類するかであって、分類する棚が決まっているのなら、カードとりは筋肉労働になる。棚を見つけるためにわれわれはカードとりをするので、そこに知的な楽しみがあるのだ。

 

c87/46 ……編集でいちばん大事なことは、さまざまな事実や事態や現象を別々に放っておかないで、それらの「あいだ」にひそむ関係を発見することにある。そしてこれらをじっくりつなげていくことにある。

 

e5/252 本書が提唱している方法論は、煎じ詰めれば、つぎのようになる。

(A)「発想とは、誰も考えつかなかった独創的なものを考えだすこと」という思い込みをやめる。そして、「少なくとも出発点は、模倣でよい」と割り切る。

(B)とにかく始める。準備ができていなくともよい。全体構想がなくともよい。とにかく仕事に着手するのだ。仕事を始めさえすれば、そして、それについて考え続けさえすれば、アイディアはでてくる。

 


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