c87 松岡正剛『知の編集術』(講談社現代新書、2000年)

より

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c87/38

私は二十一世紀は「方法の時代」になるだろうと考えている。ここで「方法」といっているのは、「主題の時代」ではないという意味だ。

 

c87/39

つまりどのような主題が大事かは、だいたいわかってきて、ずらりと列挙できているにもかかわらず、それだけではけっしてうまくはいかなかったのである。それゆえ、おそらく問題は「主題」にあるのではない。きっと、問題の解決の糸口はいくつもの主題を結びつける「あいだ」にあって、その「あいだ」を見出す「方法」こそが大事になっているはずなのだ。

 

c87/46

……編集でいちばん大事なことは、さまざまな事実や事態や現象を別々に放っておかないで、それらの「あいだ」にひそむ関係を発見することにある。そしてこれらをじっくりつなげていくことにある。

 

c87/78-79

……「リンゴ」には、たとえば「エデンの園のリンゴ」や「アップル・コンピュータ」や「ニュートンのリンゴのエピソード」や「美空ひばりのリンゴ追分」や「並木路子のリンゴの唄」や、また、さまざまな個人的な思い出などがふくまれるのだから、「リンゴ」をひとつの情報素材として、これをきっかけに自由にイメージの翼を広げてみようというのが、エディティングの基本的な発想になる。つまり、そこ(ある情報)にひそむイメージの種子をふくらませて解釈を動かしていくこと、それがエディティングの起動なのである。

 

c87/79

動かない知識や止まっている思想というものは、それは情報ではない。そういう情報は死んでいる。知識や思想を動かしているとき、そこに編集がある。

 

c87/93

要約とは、何かの必要な情報を絞りこみながら、その情報がもっている特徴をできるだけ簡潔に浮き出させることである。そのために切り捨てる情報と選びとる情報とがはっきりしてこなければならない。【情報の「地」と「図」について言えば】「図」に強い編集だ。

 

c87/93

一方、連想は、その情報によってどんな情報がさらによびおこされるのか、そのイメージの範囲をできるかぎり広げていくことをいう。「地」を広げていって「図」を変えていく編集である。

 

c87/95

……本を読んだり、人の話を聞いたり、あるいは行動をおこすときにも要約法と連想法は連動して活躍をする。

 たとえば、読書は要約法と連想法の組み合わせで成り立っている。要約できなければ読書にならないし、連想がおきなければ読書はつまらない。どちらが強いかによって読後感がおおいに変わってくる。

 

c87/103

……キーノート・エディティング【要約編集】をするには、まずは重点をちゃんとあげておくことが必要だ。それにはノートをとってみてもいいし、カードにメモを書いてもいい。本を読んで重点を拾うなら重要だと思った箇所に線を引いておいてもよい……。

 けれども、何を重点とするかなどということには〝正解〟はない。編集は自分がやりやすいように、自分がその中に入っていきやすいようにやることだ。

 

c87/104

……自分なりに重点が拾えたら、これらを少しでもならべなおすことが大事だ。これは「関係づける」ということである。重点をそのまま放っておかないで、多少ともならべなおすこと、編集術ではそのことが重要になる。

 

c87/148

テキスト編集の編集術の訓練としては、たとえば自分で適当な長さの文章を書き、これをさまざまな文献や事典類によって補っていくというエクササイズ……、あるいは、自分が好きな引用文だけで自分の文章を構成してみるエクササイズなどをしてみるとよいだろう。

 

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【物語の構造。「文学基礎セミナーII」で使え。⇒大塚英志や中条省平と組み合わせろ。】

 

c87/218

ジョージ・ルーカスの定番プロット

 ここで、すこしだけだが、物語構造の秘密の一端にふれておくことにする。スクリプトもプロットも熟練すればするほどうまくなるが、ジョージ・ルーカスのように、どんな映画もひとつの定番的スクリプトしかつかわないという作家もいるからだ。

 

c87/219-20【直前の引用の続き】

 ルーカスのばあいは、彼が大学時代に教わった神話学者ジョセフ・キャンベルの英雄伝説の構造を下敷きにしている。それは、次のようなものである。

 

(1)「原郷からの旅立ち」主人公がある必要に迫られて故郷を離れる。ただし、まだ真の目的はわからない。このとき、その主人公に加わる者がいて、たいていは連れ立つチームになる(『西遊記』の孫悟空たちや桃太郎のキジたちのように)。

(2)「困難との遭遇」旅はなかなか容易には進まない。艱難辛苦が待っていて、その都度クリアーしなければならない。このとき必ず意外な者が助ける。または意外な者(みすぼらしい姿、変な意味の言葉)が助言を与える(ヨーダのように)。

(3)「目的の察知」自分が探していたものに気がつく。それはひょんなきっかけで知らされる「失ったもの」や「知らなかったもの」である。探していたものは、たいていは「父」であり、「母」であり、「宝物」であり、または「真の敵」である(桃太郎の宝物のように、スーパーマンのクリスタルのように、ダースベイダーの武器のように)。

(4)「彼方での闘争」かくて敵地や遠方の土地での決戦が始まる。そしてきわどいところで勝利や成果をあげる。彼方での闘争は勝手がわからないという特性がある。それをクリアーしたとき、ついに求めていた目的と出会う。そして、それが意外な真実の打ち明けにつながる(ダースベイダーが実は父だったように)。

(5)「彼方からの帰還」その地で勝利や成果を収めた主人公は必ずその地にとどまることを勧められる。が、それをふりきって帰還する。これが『スター・ウォーズ』の「リターン」にあたる。オデュッセイアにもイザナギにも浦島太郎にも、この「リターン」がある。そして帰還を応援したために犠牲になる者も出る。

 

c87/220【直前の引用の続き】

 だいたい、こういうふうになっている。『スター・ウォーズ』三部作を思い出してもらえば、ほぼぴったりと構造があてはまっていることがわかるとおもう。が、これは『スター・ウォーズ』だけではなく、すべてのルーカス・フィルムの作品に共通する物語構造なのである。

 

c87/220【直前の引用の続き】

 のみならず、この構造は世界の英雄伝説の大半にあてはまる。いろいろ思い出してもらうとわかるとおもう。