e1 板坂元『続考える技術・書く技術』(講談社現代新書、1977年)

より

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e1/32 まず、書くのが難しいということの原因から考えてみると、二つの段階があるようだ。第一は、情報の不足と、情報の整理の悪さ。第二は、集まった情報の扱い方の不手際である。

 

e1/28 書くことのもう一つのメリットは、外の人の書いたもののカラクリが見えてくることだ。マスコミのあの手この手が、次第に分かってくるようになる。つまり、実験動物のように簡単に刺激に反応するようなことがなくなってくるようになる。その意味でも、自分の中に抵抗力を養うために、書くことは大切なことなのだ。

 

e1/29 ピーター・エルボウという人が書いた『ライティング・ウイズアウト・ティーチャーズ』という本は、何でもよいからどんどん書くという練習法をすすめている。

 

e1/29-30「うまく書こう」というような気持ちは、書く意欲を減退させることもある。むしろ、なりふりかまわずに書く気構えで、どんどん書いてみることからスタートすべきだ。

 

e1/29 日記などに、天候や一日の時間割を事務的に書きつけるだけではなく、一行でも二行でもよいから「自分はこう思う」という意見を書きつけることからはじめて、テレビや雑誌の意見を鵜呑みにしない自分の文そして自分の意見を表現するようにすれば、自然と抵抗力はついてくるものなのだ。

 

e1/40 それにしても、現代の情報洪水は一人一人の個人にとって持てあますほどに多すぎる。それをどういう風にして処理していったらよいのか。私は三段階法というやり方で、あらゆる情報を三つに分けることにしている。

 

e1/40 まず第一は、一生かかって何かやってみたいと思う目的を作る。つまり定年になって現在の仕事から離れても、ずっとつづけていってやりとげたいこと。幸福になるとか、老後の安楽などといった抽象的なものでなく「オレのライフワークは、これだ」といった具体的なものを目的として設定するわけだ。

【長距離、ライフワーク、もちろんこれは複数あってよい】

 

e1/40 第二は、今から5年か6年のうちに実現したいこと、という目標を作る。本を一冊書こうというような仕事は、この第二の分類に入る。

【中距離、本の執筆】

 

e1/40 第三は、これから6ヵ月しか命がないとしたら、どれだけのことをやっておきたいかを考えて、目的を決める。

【短距離、半年の仕事】

 

e1/40 つまり、長距離・中距離、短距離の三つの目的を具体的に決めるわけである。

 

e1/108 扇谷【扇谷正造『現代文の書き方』(現代新書)】は文章にも3という数が大事だとして、

 どんな短い文章でも、けっきょくは、三分節よ。三分節、三分節が積み重なって長編小説になるの。

という宇野千代の言葉などを引いて、くわしく説明している。

 

e1/110 集合論の考えを使えば、すぐにこの七つは二つか三つのグループに分けることができる。そうすれば、三つに整理ができるはずだ。

 

e1/111 三分節の方法は、文を書く上の鉄則であるから、どんな短い文の場合もメモを作ってみて三からはみ出さないようにする。道を教えるときも、もちろん三分節でやるべきだし、読みやすく分かりやすい文を書くためには、たえず頭においておく必要がある。

 

e1/19 方丈というから三メートル四方の庵[いおり]で、法華経を読んで憂き世を達観しようとしたのが長明坊主【鴨長明】の時代だったが、二〇世紀では、狭い三畳一間の下宿の部屋(広さだけは、昔よりも縮小したようだ)で、大きなステレオを前に、ヘッドホーンをつけて世界から隔絶して音楽に我を忘れる。これが法悦境というわけだ。フォーク、ロック、クラシックと宗派教派はいろいろあるが、要するに、自分一人の世界にとじこもって、濁れる世を忘れようとする点、悟りの世界を求める仏僧の現代版なのだ。

【1977年の文章だが、今でも事情は変わっていない。さすがに三畳一間はないけど。】

 

e1/21 教育は、本来人間を保守的にするものだ。保守的というのは政治上の保守主義を意味するのではない。生活や文化の諸方面で、外からの刺戟に感覚的に反応しないのが保守的なのだ。

 

e1/27 今は上院議員になってしまったハヤカワが、若いころ主張してきた一般意味論は、政治や経済の宣伝にまどわされない方法を強調したものだった。その主著、『思考と行動における言語』は、今でもマスコミ地獄の中で抵抗力を失わないためには、良い教科書である。

 

e1/27 けれども、もっと抵抗力をつけるためには、書くことが手っとりばやい療法となる。自己をとりもどすだけでなく、隔絶された世界にとじこめられた境遇から、逆に世界に働きかけるためには、つまり参加するためには、積極的に自己を表現する方法が最良の方法である。

 

e1/29 作家の井上ひさしが、三日もペンをとらないと、そのあとで書くのがつらい、と述懐していたことがある。多作家に属する井上ひさしでも、休養すれば頭の筋肉がなまるのだ。

 

e1/43 つぎに、三段階法に馴れてきたら、大小さまざまの問題を百ぐらい持つようにする。

 

e1/44 要は、「変だ」「おもしろい」と感じたことを、その場かぎりで忘れないで、しつこく後で調べなおし考えなおしをする習慣をつけることだ。大半の疑問は、事典類で解決するものだが調べて見てもわからない問題が残る。それが、少しずつ解決するとともに、新たに問題が出てきて、常時百ぐらいたまっている。そういう状態がもっとも望ましい。

 

e1/73 さて、このカードの山ができたところで、また別なカード書きをはじめる。前のカードを情報カードと名づければ、第二のカード書きはアイディアカードとでも名づけてよかろう。

 

e1/73 情報カードをくりかえしくりかえしながめているうちに、ふっと自分の考えが浮かんでくる。あるいは面白い比喩に思いあたる。それをカードに書きこんで情報カードの中にどんどん追加していく。

 

e1/75 アウトラインなしに原稿を書くのは、地図なしに旅行するようなものである。けっきょくは回り道をしたりいきづまったりするのだから、アウトラインができるまでは原稿用紙に向かわない方がよい。

 

e1/85 【カードの分類法はあらかじめ定めず、集まったカードを見ながら分類していく、ということを述べて】大事なことは、どういう風に分類するかであって、分類する棚が決まっているのなら、カードとりは筋肉労働になる。棚を見つけるためにわれわれはカードとりをするので、そこに知的な楽しみがあるのだ。

 

e1/90 私は「日本の近代文学における立小便」というファイルを持っていて、カードをとっている。

 

e1/95 【集合論の効能を説いた後で】たとえば、近代文学の作家を下宿人と自宅通学生に分けてみるというのも、集合論の初歩の考え方から生まれる。

 

【意外な視点から集合に分けてみる。もちろん分け方はいくらでもある】

 

e1/180 失敗の本人が言うのはおかしいが、カードに写した文章でも原稿に書くときは、いちいちもういちど原典にあたるくらい慎重な態度が必要だ。