[いつか晴れた日に(分別と多感)] [デビッド・コパーフィールド] [ハワーズ・エンド] [ダロウェイ夫人] [つぐない(贖罪)]
放送大学岐阜学習センター 平成21年度第1学期 面接授業  内田勝(岐阜大学地域科学部)
映画で読むイギリス小説 第4部 (2009年04月18日 15:15-16:40)
フォースター原作『ハワーズ・エンド』
*参照した映画:ジェームズ・アイヴォリー監督『ハワーズ・エンド』(日本公開1992年)
引用文中の[…]は省略箇所、[ ]内の文字は原文のルビ、【 】内は私の補足です。
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[1]作家になることを決意した彼【フォースター】が選び取った主題は、人と人はどこまで理解しあえるか、ということだったとぼくは考える。フォースターの文学は結局そこに尽きると言えるだろう。
 彼の文学には多くの対立軸がある。人々は自らの個性で生きかたを決める前に属性によってある程度までふるまいを規定されている。階級、貧富、知性と俗物性、植民地と本国、男性がことを決める社会で女性であること、同性愛者、等々。こういう属性が人と人の理解の障害となる。人種・民族・文化の違いも人と人の間に立ちはだかる。これらに由来する悲劇喜劇を彼は、すでに完成の域に達していたイギリス文学の小説の技法を縦横に駆使して書いた。(フォースター『ハワーズ・エンド』p.490、池澤夏樹「解説」より)

[2]一九一〇年のフォースターの『ハワーズ・エンド』は[…]、「ジェントルマン階級」——つまりアッパー・ミドル・クラス【上流中産階級】——そして「ジェントルマン階級のふりをせざるをえない人々」——ロウアー・ミドル・クラス【下流中産階級】の事務員[クラーク]を扱っている。[…]『ハワーズ・エンド』は、アッパー・ミドル・クラスが描く、上昇志向のロウアー・ミドル・クラスの若者の肖像であると同時に、その若者に対するアッパー・ミドル・クラスの人々の反応をも描いたものである。(新井『階級にとりつかれた人びと』p.122)

[3]フォースター Edward Morgan Forster(1879-1970) イギリスの小説家、評論家。1月1日、ロンドンの福音[ふくいん]派の一派で富裕なクラパム派の名家につながる建築家の子として生まれた。ケンブリッジ大学に学んだが、のちに「ブルームズベリー・グループ」を形成する人々と交わり、因習化して自由を拘束するばかりのキリスト教を棄[す]て、人間の多面的才能を養うことを理想とする異教的なギリシア文化にひかれた。卒業後イタリア、ギリシアなどを旅行、短編集『天国行きの馬車』(1911)、『サイレンの物語』(1920)に収められた初期の作品の想を得た。想像力に欠けるイギリス中産階級の因習的な人生観を打破する異教的・神秘的経験を描いたもの。長編の処女作『天使も踏むを恐れるところ』(1905)では、奔放なイタリア文化と抑制されたイギリス文化を対比させ、多分に自伝的な『果てしなき旅』(1907)とふたたびイタリア体験を織り込んだ『眺めのいい部屋』(1908)でも、当時の中産階級の人生観を批判する自然児を登場させて新鮮な衝撃を与えた。続く大作『ハワーズ・エンド邸』(1910)では自由主義的だが観念的で階級意識の強い文化と実務的・功利的な文化をそれぞれ代表する二家族が対立から結合に至る過程を描き、長い沈黙をへて代表作『インドへの道』(1924)では、インドでの生活体験をもとに、異文化間の相互理解のむずかしさを描いた。これらの作品には、現世での人間相互の理解の困難に絶望しながらも、神秘的経験に媒介される理解の可能性が暗示されている。その現代文化批判には友人D・H・ローレンスと根本で通じるものがあるが、フォースターは理念の極で過激な批判を下す反面、現実の極で積極的な愛よりも妥協的な寛容を説いて尊敬を集めた。こうした思想を展開し、その根本としての言論の自由を擁護した時事的評論の数々は『アビンジャー・ハーヴェスト』(1936)、『民主主義に万歳二唱』(1951)に収められている。1970年6月7日没。死後出版の同性愛小説『モーリス』(1971)は世の人々を驚かせた。(小野寺健「フォースター」『日本大百科全書』[小学館、無料オンライン百科『Yahoo!百科事典』<http://100.yahoo.co.jp/>より])

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[4]「ただ結びつけることさえすれば……」(フォースター『ハワーズ・エンド』p.4、巻頭のエピグラフ[題辞])

[5]『ハワーズ・エンド』のテーマは、「散文と情熱を結び合わせよ」ということであり、そしてこの小説は、これを結び合わせるのがいかに絶望的に困難かということを描いた作品である。(トリリング『E. M. フォースター』p.159)

[6]『ハワーズ・エンド』の基本の構図は、異なる資質を持つ二人の人物の衝突と和解である。一方にはシュレーゲル家のマーガレットがおり、もう一方にはウィルコックス家の当主ヘンリー・ウィルコックスがいる。(フォースター『ハワーズ・エンド』p.493、池澤夏樹「解説」より)

【大企業の経営者ヘンリー・ウィルコックスは極端に現実主義的(「散文」的)な男性であり、裕福な独身女性マーガレットは極端に理想主義的(「情熱」的=「詩」的)な女性である。眼の前の現実世界しか見ていない人間と、現実の彼方にある理想の世界ばかり夢想している人間。】

[7]これほど離れた二人を結びつけることができるだろうか、というのが作者が引き受けた課題。ロマンティックな狂乱の恋と破綻ではなく、異質の二人の間に静かな永続的な愛は可能か。(フォースター『ハワーズ・エンド』p.493、池澤夏樹「解説」より)

[8]【両家の対立には、帝国主義の列強として敵対関係にあったイギリスとドイツの対立も反映されている。】
これはマーガレット・シュレーゲルという半ばドイツ人の血が混じったイギリス人女性を中心に据えて、人と人の間の理解はいかにして成りたつかを描こうとした小説である。[…]。
 もうすぐ三十歳というマーガレット【29歳】がいて、ずっと若い妹のヘレン【21歳】がいて、二人ともまだ独身、それにティビー【16歳】という勉学中の弟。父母とはすでに死別しているが、食べるに困らないだけの資産が遺された。それにジュリー・マントという名の粗忽な叔母さんがいて、この人のふるまいで読者はこの話が基本的にコメディーであることを知る。
 この一家が旅行先のドイツでウィルコックスという家族と行き来するようになって、やがてマーガレットと当主の夫人のルース【51歳】が特に親しくなる。年回りからいえばルースはマーガレットよりずっと上なのだが、この二人は生まれつき魂が引き合うような仲であるらしい。[…]。
 しかし、シュレーゲル家とウィルコックス家の間には共通するものがほとんどない。文化が違うと言ってもいい。マーガレットたちは教養のある知識人だけれども、ウィルコックス氏【ヘンリー・ウィルコックス】は実業家であり、収入の多い地位に自力で登ってきたと信じていて、その自信に支えられている。二人の息子【チャールスとポール】と一人の娘【イヴィー】にも同じような実質的な生きかたを教える。
 だから本来ならばこの二つの家族はたとえ出会っても、互いを異人種と見なしてすれ違うはずだったのだが、そこにいろいろな偶然が重なって、行き違いを孕んだまま何かと行き来することになる。(池澤「エーヴェリーさんのマジック」)

[9]【小説の冒頭。いきなり作者のつぶやきから入るところが面白い。】
 まず、ヘレンがその姉に宛てた何通かの手紙から始めたらどうだろうか。

ハワーズ・エンドにて 火曜日  
 メッグ
 わたしたちが考えていたこととは大違いで、古くて小さくてなんとも感じがいい、赤煉瓦の家。今の人数だけでもういっぱいで、ポール(これが若いほうの息子)が明日着いたら、どういうことになるのか解らない。玄関の右が食堂、左が応接間で、玄関も一部屋になっていてそこから別な戸を開けると、トンネルのような階段があって二階に行ける。二階には寝部屋が三つ、その上の三階に屋根裏の部屋が三つ。それがこの家の全部ではないけれど、目に留まるのはそれだけ。——前庭から見ると、窓が九つ。
 それから庭と牧場の境に、家に向かって左側に、家に少し被[かぶ]さって大きな楡[にれ]の木が一本生えている。その木がすっかり好きになってしまいました。(フォースター『ハワーズ・エンド』p.5)

【ヘレン・シュレーゲルが姉のマーガレット(愛称メッグ)に手紙を書いている。シュレーゲル姉妹はドイツを旅行中にウィルコックス夫妻と知り合い、夫妻は姉妹を、ロンドンにほど近い田舎にある彼らの屋敷「ハワーズ・エンド」に招待したのだ。姉が所用のため妹だけが行くことになったのだが、ヘレンはイングランドの美しい田園風景の中に建つこの「古くて小さくてなんとも感じがいい、赤煉瓦の家」がいたく気に入ってしまう。】

[10]【優雅なウィルコックス夫人は、ハワーズ・エンドを取り巻く自然の木々や草花をこよなく愛する。】
今から少しばかり前に窓から見たら、ウィルコックス夫人がもう庭に出ていました。ここの庭がほんとうに好きのようで、それで時どき、あんな疲れた顔つきになるのだと思います。さっきは大きな赤い罌粟[けし]の花が咲くのを眺めていて、そのうちに芝生から、ここからも右側の隅がやっと見える牧場のほうへ行きました。まだ露で濡れている芝の上を夫人はその服の長い裾を引き摺っていって、それから乾し草を作るために昨日刈った草を両手で持って戻ってきました。(フォースター『ハワーズ・エンド』pp.6-7)

【都会で暮らすことが多い実業家のウィルコックス氏や息子のチャールスは、ハワーズ・エンドで育った夫人とは違って、「枯れ草熱」(牧草の花粉症)に悩まされてくしゃみばかりしている。花粉症でないヘレンがそれを面白がる。】

[11]そのうちにクロケーの球を打つ音が聞こえてきて、また窓から覗くと、チャールス・ウィルコックス【ウィルコックス家の長男】が練習しているのでした。ここの人たちは運動ならばなんでも熱心です。そのうちに、くしゃみを始めて、やめなければならなくなり、その次にまた、球を打つ音がしたのは、今度はウィルコックス氏で、これもそのうちにくしゃみを始めて練習はやめ。(フォースター『ハワーズ・エンド』p.7)

[12]【3通目の短い手紙】
ハワーズ・エンドにて 日曜日
 メッグ
 あなたがなんというか知らないけれど、ここの人たちの若いほうの息子で、水曜日にここに着いたばかりのポールとわたしが愛し合う仲になりました。(フォースター『ハワーズ・エンド』p.9)

【分別を備えて慎重に行動する姉のマーガレットと、つねにその場の情熱にまかせて衝動的に行動する妹のヘレンは、どこかオースティンの『分別と多感』に出てくるエリナーとマリアンの姉妹を思わせる。】

【マーガレットは、お節介焼きのジュリー叔母さんに相談し、叔母さんがハワーズ・エンドに様子を見に行くことになる。ところが叔母さんが出かけたのと入れ違いに、ヘレンからポールとの秘密の婚約を解消したという電報が届く。そうとは知らぬジュリー叔母さんがハワーズ・エンドに現われて、ウィルコックス家は大騒ぎになってしまう。】

【そもそも「ウィルコックス家」という存在自体に憧れたヘレンは、たまたま現われた次男のポールと楡の木陰で抱き合ってキスをして、彼を愛しているような気になってしまったのだった。翌朝たちまち後悔して婚約を取りやめたのだが、ポールを誘惑したと疑われたヘレンは叔母さんとともにロンドンへ逃げ帰り、両家の交際は途絶えてしまう。】

【ところが事件から数カ月後、偶然にもマーガレットたちが暮らすロンドンの家の向かいの高層住宅に、ウィルコックス家が引っ越してくる。初めは互いを警戒していた両家だったが、やがてマーガレットは、どこか浮世離れしていて優美な高貴さを漂わせるウィルコックス夫人(ルース・ウィルコックス)と特に親しくなる。】

【マーガレットとウィルコックス夫人は一緒にクリスマスの買い物に出かける。マーガレットは、いま住んでいるロンドンの借家は自分たちが育った家だが、地価の高騰を受けて家主が高層住宅に建て替えたがっているので、数年後に契約が切れたら出て行かなければならないと言う。するとウィルコックス夫人は珍しく激しい口調で憤慨する。】

[13]「あなたたちのお家から、あなたたちのお父様のお家から、出て行かされるなんて、——そんなことってあるでしょうか。死ぬよりももっとひどいことです。わたしだったら、もし、——お可哀そうに。もし文明というのが、人に自分が生まれた部屋で死ぬことを許さないものなら、文明のほうがどうかしているんです。[…]。ハワーズ・エンドも一度壊されかけて、そうしたらわたしは死んでしまっただろうと思います」(フォースター『ハワーズ・エンド』pp.114-5)

[14]「これからわたしといっしょにハワーズ・エンドまでいらっしゃいませんか」と夫人はそれまでと同じ烈しい調子でいった。「わたしはあなたにあの家をお見せしたいんです。まだあなたはごらんになったことがないでしょう。あなたはどんなことでも実によく言い表すことがおできになるから、あなたがなんとおっしゃるか伺いたいんです」(フォースター『ハワーズ・エンド』p.115)

【二人はキングズ・クロス駅で北へ向かう汽車に乗ろうとするが、偶然ヨークシャー旅行を早めに切り上げて帰ってきたウィルコックス氏と娘にばったり出会う。夫人はロンドンの家に戻らざるを得ず、マーガレットはハワーズ・エンドに行く機会を失う。しかもその直後、夫人は重い病に倒れて入院し、そのまま亡くなってしまうのだった。】

[15]【葬式の後、夫人が遺言として夫に宛てた手紙を見て、ウィルコックス家の人々は驚愕する。】
チャールスは[…]例の手紙を朗読した。「お母様の筆蹟のもので、これがお父様に宛てた封筒に入って封がしてあった。『ハワーズ・エンドはシュレーゲルさん(マーガレット)に遺したいと思います』と書いてあって、署名も日付もない」(フォースター『ハワーズ・エンド』p.133)

[16]【ウィルコックス家の長男チャールスとその妻ドリーがこの件を語り合う。】
「【マーガレット・シュレーゲルは】恐らく、もうこのことを知っているんじゃないかな。——お母様から聞いているはずだ。あれは病院に二度か三度行っている。われわれの出方を見ているんじゃないかな」
「なんていやな女なんでしょう」そしてやっと元気を取り戻したドリーは、「わたしたちを追いだしにもうここに向かってくる途中なんじゃないかしら」といった。(フォースター『ハワーズ・エンド』p.138)

[17]むしろここで作者が出てきて問題の注釈をすべきである。ウィルコックス家の人たちは彼らの家をマーガレットに提供すべきだったろうか。わたしはそうは思わない。手紙の文面が伝える願いはあまりに根拠が薄弱であり、それは法律上の手続きを踏まず、故人が病気になっているときに、その少し前に急に親しくなった人間に対する友情から生じたものであり、またそれは故人のそれまでの意向にだけでなくて、ウィルコックス家の人たちが故人の性格を理解していたかぎりでは、その性格にも反していた。といっても、故人の性質をどの程度家族のものが理解していたかは別である。彼らにとってはハワーズ・エンドというのは一軒の家で、それが故人にとっては一つの精神であり、故人がその精神的な後継者を求めていたことは彼らに解るはずがなかった。[…]彼らが必要なだけ話し合った後に、手紙を破いて食堂の炉に投げこんだのは間違っていなくて、実際的な質の道徳家は彼らに無罪の判決をくだしていいのである。[…]。一つだけ、動かせない事実が残っているので、それはウィルコックス家の人たちが一人の人間の願いを無視したということである。彼らに一人の女が死ぬ前に、「こうして」といったのであり、それに対して彼らは、「いやだ」と答えたのだった。(フォースター『ハワーズ・エンド』pp.135-6)

【『ハワーズ・エンド』には、理想家のシュレーゲル姉妹と実務家のウィルコックス家との対立の他に、もう一つ重要な対立が描かれており、それはシュレーゲル姉妹と若い保険会社事務員レオナード(レナード)・バストとの奇妙な友情という形で現われる。ここで描かれているのは、シュレーゲル姉妹に代表される「アッパー・ミドル・クラス」(上流中産階級)と、レオナードに代表される「ロウアー・ミドル・クラス」(下流中産階級)との対立である。】

[18]【マーガレットがジュリー叔母さんと語り合っている。】
「わたしは世界の魂そのものが経済的なものではないか、一番恐ろしいのは愛情のなさではなくて金のなさではないかと思い始めたんです。[…]ヘレンやわたしは人のことをとやかく言いたくなるとき、わたしたちはそういう【お金の】島の上にいて、他の人たちの大部分は海の水面の下にいるんだっていうことを考えなければならないんです。貧乏な人たちは自分が愛したい人たちの所まで行けないし、もう愛さなくなった人たちから離れることもできないんですから。[…]。わたしは毎年、六百ポンドの上に立っていて、ヘレンもそうだし、ティビーはそのうちに八百ポンドの上に立って、それが海の中に崩れて行くたびに新たに、それもその海から、補給されるんです。そしてわたしたちが考えることはみんな、年収六百ポンドの人間の考えで、いうこともそうです。」(フォースター『ハワーズ・エンド』pp.82-3)

【「アッパー・ミドル・クラス」であるシュレーゲル家の利子収入を見る限り、1910年当時のポンドの貨幣価値が、100年前の『分別と多感』(1811年)の時代(1ポンドがほぼ1万円)とほとんど変わっていないことがうかがえる。】

[19]19世紀後半、肉体労働の従事者(労働者階級)ではないが、既成のミドル・クラスの範疇に収めにくい職業層が次第に増えてきて、20世紀に入ってその増加傾向がさらに強まる。職種でいえば、店員、事務職員、小店主、自営の職人といった層で、これが「ロウワー・ミドル(下層中流階級)」と呼ばれる人たちである。これらの職業の従事者の多くは、熟練労働者よりも収入が低かった。1909年の調査によると、会社事務員や銀行事務員で二人に一人は週給30シリング(1.5ポンド)を少し上回る額で、炭鉱労働者とそう変わらない収入だった。しかも、労働者階級よりも出費がかさんだ。
 もっとも、収入だけが階級の決め手にはならないという[…]言葉がここでも当てはまる。[…]。工場や炭坑に務める「ブルーカラー」よりも店や会社に勤める「ホワイトカラー」のほうが、「まっとう」で、「清潔」で、「将来性」があるとみなされたのである。そのようにして、労働者階級との線引きを図ったわけであるが、他方でアッパー・ミドル層からは、労働者階級と大差ない「下層」とみなされた。その差異がもたらす心理的抑圧を具現した人物として、E・M・フォースターの小説『ハワーズ・エンド』(1910)に登場するレナード・バストの名をあげておいていいだろう。(川端「『ウィガン波止場』から見たイギリス」p.30)

[20]その若い男、レオナード・バストは紳士の身分の中でも一番端に当たる所にいた。彼は奈落に落ちてはいなかったが、それが見えていて、それまでに自分が知っているものがそこに落ちてそれきりになったことが幾度もあった。彼は自分が貧乏であることを知っていて、それをはっきり人に言いはしても、そのために自分が金持ちに劣っているなどということを死んでも認めはしないのだった。[…]。彼がもう何百年か前のもっと色彩に富んだ文明の下に生きていたならば、彼には【小作農や使用人といった】あるはっきりした身分があり、それと彼の収入は釣り合っていたはずだった。しかし彼の時代に民主主義の天使が現われて、その皮の翼で各階級を蔽い、「すべての人間は平等である、——少なくとも、【紳士の象徴としての】傘を持っているものは」と宣言したので、彼は頼りになるものがまったく何もなくて民主主義の声も聞こえてこない奈落に落ちないでいるために、自分が紳士であるということにしがみついていなければならなかった。(フォースター『ハワーズ・エンド』pp.62-3)

[21]【レナード・】バーストはジェントルマンのようにこうもり傘を持ち歩き、教養を高めるために、音楽会にでかける。ところがそこでたまたま隣に座っていたヘレンが、彼のこうもり傘を自分のと間違えて持って帰ってしまう。紳士階級に必死でしがみついているロウアー・ミドル・クラスのバーストにとって、紳士階級の象徴であるこうもり傘が、同じミドル・クラスでありながら、こちらは間違いなく紳士階級に属するアッパー・ミドル・クラスのヘレンによって奪われてしまうのである。(新井『階級にとりつかれた人びと』p.124)

[22]【レオナードはマーガレットたちの芸術談義を聞きながら、激しい劣等感と嫉妬にさいなまれる。】
マーガレットがいっていることはどれもこれも、若い男の頭から小鳥の群れのように飛び去っていくだけだった。もしこんなぐあいに話をすることができたなら、世界は彼のものだった。もし自分にも教養があって、外国の人間の名前を正確に発音し、見聞が広くて、どんな問題を持ちだされてもすぐにそれに答えられたら、と彼は思った。しかしそういうことができるようになるまでは何年もかかり、昼の食事に一時間と、晩になって疲れ切ってからの何時間かがあるだけでは、子供の頃から本を読んでばかりいた余裕がある女たちに追いつける見込みは彼にはなかった。ほんとうのところは、自分もいろいろな名前を知っていて、モネやドビュッシーのことも聞いたことがあるような気がするのだったが、困るのは、彼にはそれを使って利いたふうなことをいうことができず、会場から持って行かれた傘のことが忘れられないことだった。(フォースター『ハワーズ・エンド』p.54)

[23]こうしてバースト【21歳】はヘレンとマーガレットの姉妹と知り合うことになる。彼はある保険会社の事務員という典型的なロウアー・ミドル・クラスであり、妻のジャッキー【33歳】と二人で暮らしている。(新井『階級にとりつかれた人びと』p.124)

[24]【レオナードが晩の食事の用意をしながら、妻のジャッキーに語る。】
「わたしは文学や芸術の教養を身につけて視野を広くすることを考えているんだ。例えば、きみが入ってきたときにわたしはラスキンの『ヴェニスの石』を読んでいたんだよ。わたしはそれを自慢していっているんじゃなくて、わたしがどういう人間かきみにも解ってもらいたいからなんだ。今日の古典音楽をわたしはほんとうに楽しむことができた」
 レオナードが何をいっても、ジャッキーはまったく無関心で、晩の食事の用意ができたときにようやく彼女は、「でも、わたしを愛しているのね」と言いながら寝室から出てきた。
 食事は、レオナードが湯に溶かした固形スープで始まった。次が缶詰の牛の舌[タン]で、これは上にジェリーが少しのり、下に黄色い脂がたくさんついている斑[まだら]の肉の円い塊で、最後に、レオナードが前に水に溶かして置いた別な固形の食糧でパイナップルの味がするジェリーが出た。(フォースター『ハワーズ・エンド』p.73)

[25]一人になったバーストは、音楽についてのマーガレットとヘレンの会話を思い出す。そして自分がどれほどがんばっても、たとえ一日一〇時間本を読んだとしても、決して彼らのようにはなれないことを悟るのである。(新井『階級にとりつかれた人びと』pp.125-6)

【それから2年以上経ったある時レオナードは、イングランドの美しい自然を描いた哲学的なエッセイで知られる作家リチャード・ジェフリーズ(1848-87)たちの本を読んで感動し、自分も「大地に戻る」ために自然と触れあうことにする。彼は土曜日の午後に地下鉄で郊外へ行き、そのまま森の中を夜通し歩き回ったのだ。シュレーゲル姉妹は、レオナードのこうした無茶な情熱にあふれた「冒険」の話を聞いて感心し、レオナードに本気で関心を持ち始める。】

【姉妹は仲間との討論会で、レオナードのように知識欲にあふれる若者がちゃんと教養を身につけられる社会基盤を作るにはどうすればよいかを考える。マーガレットは、とりあえず彼らに必要なのは金[かね]だ、と主張する。】

[26]「緯[よこいと]がなんだろうと、現金が文明の経[たていと]なんです。わたしたちは金というものについてわたしたちの想像力を働かせなければならなくて、それは金が、——世界で二番目に大事なものだからなんです。だれもがその金については黙って知らん顔をしていて、はっきりと考えようとしない。——勿論、経済学というものがありますけれど、だれも自分の収入についてはっきり考えるということをしなくて、独自の思想が十中八九は独自の生活を許す収入の結果だということを認めたがらない。大事なのはお金なんですよ」(フォースター『ハワーズ・エンド』p.175)

[27]【討論会のあと、ヘレンがマーガレットに尋ねる。】
「あなたはお金が世界の経[たていと]だっていったでしょう」
「ええ」
「それじゃ緯[よこいと]はなんなの」
「何かは人によるでしょう」とマーガレットは答えた。「何かお金じゃないものということしかできないんじゃないかしら」
「例えば、夜、歩くこと」
「恐らくね」[…]。
「あなたの場合は」
「今のウィッカム・プレースの家から出て行かなければならなくなったら、わたしにとってはあの家のような気がしてきた。ウィルコックスさんの奥さんにとっては確かにハワーズ・エンドだった」(フォースター『ハワーズ・エンド』p.178)

【そのとき姉妹はウィルコックス家の当主ヘンリー・ウィルコックス氏とばったり再会する。マーガレットはレオナードの件について彼にアドバイスを求め、レオナードがポーフィリオン火災保険会社の事務員であることを教える。】

[28]「一つだけということがあるとすれば、あなたたちのその若いお友だちというのは、なるべく早くポーフィリオンから出たほうがいいということです」
「なぜですか」とマーガレットが聞いた。
 ウィルコックス氏は声を低くして、「これはここだけの話ですがね」といった。「あの会社はクリスマスまでに管財人の手に移ります。破産するんですよ」[…]。
 ヘレンは、「わたしは保険会社が駄目になることはないんだと思っていましたけれど」といった。「そういうときは他の会社が出てきて助けてくれるんじゃないんですか」
「あなたは再保険のことを考えていらっしゃるんでしょう」とウィルコックス氏は穏やかな口調でいった。「ところが、それがポーフィリオンの弱点なんで、他の会社よりも安い保険料でやろうとした後で小さな火事が何度もあって再保険の契約が取れないでいるんです。そうなれば、他の会社は動きませんからね」(フォースター『ハワーズ・エンド』pp.184-5)

【ヘレンはポーフィリオンが危機的状況にあることをレオナードに教える。一方マーガレットはヘンリー・ウィルコックス氏と何度か会って話すうち、ヘンリーが自分に好意を持っていることに気づく。やがてシュレーゲル家がロンドンの家を明け渡す日が近づくと、ヘンリーは自分がロンドンに持っている家をお貸しできるので見に来てほしいと言ってマーガレットを呼び寄せ、彼女に求婚する。ヘレンは反対するが、結局マーガレットはヘンリーと婚約する。】

[29]彼女は若くも、たいして金持ちでもないのに、すでに一人前の地位にある男が彼女のことをまじめに考えるというのは驚くべきことだった。マーガレットはだれもいないウィッカム・プレースの家で美しい絵や読みがいがある本に取り囲まれて家計の帳面をつけながら、夜の空気に情熱の波が打っていて、それが自分の心に打ち寄せて砕けるのを感じた。マーガレットは首を振り、自分がやっていることに注意を集中させようとしたが、それができなかった。[…]ウィルコックス氏が彼女を愛しているという考えが、彼を愛して返す気持ちが生じるのに先立ってマーガレットを圧倒した。[…]。ウィルコックス夫人の幽霊がそこにそうしているマーガレットの辺りを絶えずさまよい、それは喜んで迎えていい幽霊で、マーガレットに少しの敵意も示さずに彼女を見守っているように思われた。(フォースター『ハワーズ・エンド』pp.231-3)

[30]【マーガレットは、自分とヘンリーとの結婚を反対するヘレンに、経済発展がなければ文化も栄えないと語る。】
「もしウィルコックス家の人たちのようなのが英国で何千年も働いて死んで行かなかったら、わたしたちがここに無事にこうして休んでいることだってできはしなかったでしょう。そうすればわたしたち、文学に興味を持ったりしているものを運ぶ汽車もなければ、汽船もなくて、畑さえもなかったかも知れない。[…]。わたしの収入は収入として受け取って、それを保証してくれている人たちを見下すのがわたしにはますますいやになってきた」(フォースター『ハワーズ・エンド』p.244)

[31]【「ただ結びつけることさえすれば……」】
【ヘンリーと始めて接吻をした】翌朝、マーガレットはことにやさしくその未来の主人を迎えた。相手はもう成熟した人間だったが、まだわれわれのうちにある散文と詩を虹の橋で結びつける仕事を彼がするのをマーガレットに手伝うことができるかも知れなかった。その橋がなければわれわれは半ば修道僧、半ば獣の無意味な断片で、一個の人間になっていない離ればなれの橋板と桁[けた]にすぎないのである。[…]。ただ結びつけることさえすれば、というのが彼女が説きたいことの全部だった。ただ詩と散文を結びつけることさえすれば、そのいずれもが光を発し、人間的な愛はその頂点に達することになる。もう断片的に生きるのはやめて、結びつけさえすれば、人間のうちに孤立してしか生きて行けない獣も、修道僧も死ぬのである。(フォースター『ハワーズ・エンド』pp.260-1)

【「散文/詩」あるいは「獣(けもの)/修道僧」という言葉で表される二項対立は、「現実/理想」、「肉体(からだ)/精神(あたま)」、「欲望/理性」、「商売/芸術」、「イギリス的な実利主義/ドイツ的な教養主義」、「ヘンリー・ウィルコックスのような男/マーガレット・シュレーゲルのような女」といった、さまざまな対立を象徴している。】

【なお上の吉田健一訳で「散文と詩」と訳された語句は、直訳すれば「散文(prose)と情熱(passion)」である。】

【レオナード・バストは、ポーフィリオン火災保険会社を辞めて給料の安いデムスター銀行に転職する。マーガレットがヘンリーにそのことを話すと、ヘンリーは、その後状況が変わって、今ではポーフィリオンの経営は安定しているはずだと言い出す。怒ったヘレンはヘンリーに食ってかかる。】

[32]「つまり、バストさんはそれならばやめなくてもよかったんですね」
「そう、やめなくてよかったんですよ」
「——そしてよそにもっとずっと安い月給で雇われなくてもよかったんですね」
「月給が前よりも減ったといってきただけなんだから」とマーガレットは雲行きが険悪になってきたのを感じて訂正した。
「あんなに貧乏な人の場合は、少しでも収入が減るのは大変なことだろうと思うんです。あの人に非常な迷惑をかけたことになります」
 ウィルコックス氏は[…]ヘレンがそういったので、「それはどういうことですか。わたしに責任があるとおっしゃるんですか」と開きなおらずにはいられなかった。[…]。
「それは、その人は気の毒だと思います。しかしそれは、そういうこともあるっていうことじゃないんですか。それが人生の戦いっていうものの一部じゃないでしょうか」(フォースター『ハワーズ・エンド』p.266)

[33]【「帝国西アフリカゴム会社」という世界的な大企業の経営者としてヘンリーが語る。英国が経済発展を続けるためには、市場原理による淘汰の過程でレオナードのような犠牲者が多少出てもしかたがない、という考え方。】
「とにかく、貧乏な人間は貧乏なんで、気の毒には思うけれど、それはただそういうものなんです。どうしても文明というものが発達を続ければ、どこかに犠牲者が出るんで、それに対してだれかに個人的な責任があるなんていうことはないんですよ。あなたも、わたしも、わたしにあの会社【ポーフィリオン】が困っているといったものも、それをその人にいったものも、あるいはポーフィリオンの重役たちも、その人の月給が減ったことに対して責任があるわけじゃないんです。一人の犠牲者が出たんで、それはだれにもどうにもならないことなんですよ。第一、それがその程度の犠牲でよかったっていうこともある」
 ヘレンは怒りを抑えるのでからだが震えだしていた。[…]。
「いつでも貧富の差というものはあって、[…]文明というのは個人的なものを超えた大きな力によって形成されているんで」とそこで彼はどこか得意げな声色になり、それが彼が個人的なものを抹殺するときの印だった。「貧富の差を除くことはできないんです。それになんといっても」とそこで彼は今度は何かに敬意を表する声色になった。「文明が全体としては向上の道を辿っていることを否定することはできないんですから」(フォースター『ハワーズ・エンド』p.268)

【レオナードが就職した銀行ではリストラが行われ、彼は解雇されてしまう。怒りに駆られたヘレンは、田舎で行われたヘンリー・ウィルコックスの娘の結婚式に、レオナード・バストとその妻を連れて現われる。ヘレンはマーガレットに怒りをぶつける。】

[34]「バストさんが失業しているんですよ。銀行を首になったの。あの人はもう駄目なのよ。わたしたち、上流階級のものがあの人を駄目にして、それであなたはそれが人生の戦いだとかなんとかいうんでしょう。飢え死にしかけていて、奥さんは病気になっている。飢え死にしかけているのよ[…]。わたしはもう不正というものが我慢できなくなった。わたしたちがほうって置くことを神様がしてくださるとかいうことの嘘を暴いてみせる」(フォースター『ハワーズ・エンド』p.313)

[35]【レオナードはマーガレットに窮状を訴える。もはやかつての文学青年の面影は見るべくもない。】
「わたしに仕事を見つけることはもうできないんです。もしわたしが金持ちだったならば、一つの仕事に失敗したら別の仕事が始められますが、わたしにはそれができない。わたしは一つの所に納まっていて、そこから出てきてしまった。わたしはある会社で保険のある一部の仕事を月給がもらえる程度によくやることができたんで、ただそれだけなんです。こうなれば、詩なんてなんでもなくて、もしわたしがいう意味が解っていただけるならば、金もなんの役にも立たないんです。もし二十歳を越した男が一度、失業すれば、その男はもう駄目なんですよ。わたしは他のものにそれが起こるのを何度も見ています。初めのうちは友だちも金を貸してくれますが、しまいには崖っ縁から落ちるんです。どうにもならないことで、そういう仕組みになっているんです。そういう金持ちと貧乏人の違いがなくなるってことはないんです」(フォースター『ハワーズ・エンド』p.317)

【この結婚式でレオナードの妻のジャッキーがヘンリーと出会ったとき、恐るべき事実が明らかになる。なんとジャッキーは、十年前にはヘンリーの情婦だったのだ。マーガレットが悪意を持ってわざと自分とジャッキーを引き合わせたと誤解したヘンリーは、レオナードへの援助を拒み、マーガレットとの婚約を取り消すと言い出す。ヘンリーがルース・ウィルコックスを裏切って愛人を作っていたことに深く傷ついたマーガレットだったが、「分別」のあるマーガレットはヘンリー本人とよく話し合った上で彼を許し、二人の婚約破棄は撤回される。】

【ヘンリーの娘の結婚式のあと、ヘンリーに対する怒りの治まらないヘレンは、自分の財産から五千ポンドという巨額の金をレオナードと妻に渡すように手配して、ドイツに旅行に行ったまま行方をくらませてしまう。(利子収入が毎年六百ポンドのヘレンは、当時の利率が三パーセントであることを考えると二万ポンドの資産を持っていたわけで、五千ポンドという金額は実に全財産の四分の一にあたる。)レオナードは五千ポンドの受け取りを拒否し、家賃を滞納して立ち退かされたあと、やはり行方が分からなくなる。】

【マーガレットは、初めてハワーズ・エンドを訪れ、誰もいないはずの屋敷で不思議な老女に出会う。】

[36]フォースターはイギリス文学の正統的な作家であるから基本的にはリアリズムを尊重して話を進めるけれども、しかし本当に大事なところではマジックを用いる。実はそこが最も彼の小説の魅力的なところなのだ。[…]。『ハワーズ・エンド』で最も美しいマジックを演じるのはエーヴェリー夫人という人物である。ハワーズ・エンドのすぐ近くに住んでいて、ルースの幼なじみで、住む者がなくなった家の管理を任されている。(池澤「エーヴェリーさんのマジック」)

[37]マーガレットは階段のほうへ行く戸を開けた。そうすると太鼓のような音が一時に彼女の耳を襲って、一人の背が高い、口を半ば開いて顔になんの表情も示さない年取った女が階段を降りてきて、およそあっさりと、「あなたがルース・ウィルコックスじゃないかと思って」といった。
 マーガレットは、「わたしがあの、——ウィルコックスさんの——」と思わず吃[ども]りがちになった。「いえ、似ていると思っただけですよ、勿論。あなたの歩き方が同じだもんで。ではまた」そういってその女は雨の中に出て行った。(フォースター『ハワーズ・エンド』p.281)

【マーガレットとヘンリーは結婚する。シュレーゲル家のロンドンの家は家主に明け渡すことになり、ヘレンたちの荷物は、次の家が決まるまでハワーズ・エンドに箱詰めのまま置いておくことになる。ところがエーヴェリー夫人は、なぜか勝手に梱包を解き、家具や本を並べてしまう。マーガレットの父が持っていたドイツの軍刀もきちんと飾られる。まるでハワーズ・エンドがマーガレットの家であるかのように。当然ウィルコックス家の人々は激怒する。】

【一方、八か月もの間行方を明かさず、手紙で連絡してくるだけのヘレンを心配したマーガレットは、次第にヘレンが心を病み始めているのではないかと疑い始める。ヘレンはすでにロンドンに戻ってきているにもかかわらず、マーガレットには手紙で「家にあったものが今どこにあるのか知らせてください。その中の本が一冊か二冊欲しくて、後はあなたのものにみんななさってかまいません」と言ってよこすだけで、決して姉に会おうとはしない。】

【マーガレットは、なんとかヘレンに会って、場合によっては入院させる手だてはないものかとヘンリーに相談する。】

[38]「ちょっと黙っていて」彼は立ち上がって、一心に考え始めた。もうそれまでの愛想よく主人役を勤めている人間はどこかに行ってしまい、その代わりに、ギリシアやアフリカであくどい金儲けをやり、現地人から何本かのジンと引き換えに森林を手に入れた男が現われた。「そうだ」と彼はしまいにいった。「なんでもないよ。わたしにお任せなさい。ハワーズ・エンドにくるようにいえばいいんだ」
「くるようにって」
「本を取りにだよ。自分で荷物を開けて欲しいっていうんだ。そしてあなたがそこでヘレンに会えばいい。[…]勿論、あなたが行くってことはいわないで置くのさ。そしてあすこで荷物を見ているときにあなたが入ってくるんだ。それでヘレンがどうもないなら結構さ。と同時に、車もそこまできているんだから、医者の所まで連れて行くのも造作はない」(フォースター『ハワーズ・エンド』p.396)

【ヘレン捕獲作戦が実行される。彼女が重い神経衰弱であった場合に備えて近くに医師を待機させたまま、マーガレットはヘレンのいるハワーズ・エンドに乗り込む。しかしヘレンの姿を見てマーガレットは驚愕する。ヘレンは妊娠していたのだ。】

【マーガレットはヘレンを医師に引き渡すことを拒み、その日はヘレンとともにハワーズ・エンドに泊まろうとする。しかし体面を気にするヘンリーは、醜聞にまみれたヘレンをハワーズ・エンドに泊めることを許そうとしない。ついに堪忍袋の緒が切れたマーガレットは、ヘンリーを面と向かって激しく非難する。】

[39]【ヘンリーの台詞】「わたしは自分の子供のことや、死んだわたしの愛する妻のことも考えなければならない。悪いけれど、妹さんがあの家からすぐに出て行くようにしてもらいたい」[…]。
「もうそんな話はやめましょう。[…]今度のことの結びつき方を解らせてあげる。あなたには妾があって、それをわたしは許して上げた。そしてわたしの妹の、妹に情人ができて、あなたは妹をあなたの家から追いだそうとしていらっしゃる。その二つは別々のことなんですか。そういうのは馬鹿で偽善的で、軽蔑すべきことじゃありませんか。一人の男がいて、妻が生きている間は侮辱し、死ねば愛する妻といってもったいぶったことを並べる。その男は一人の女を玩具にして、それから捨ててその女のために他の男たちにその将来を棒に振らせる。そして碌でもない忠告を人にして、その責任は自分にはないという。あなたはそういう男じゃありませんか。[…]それがあなたに解らないのはあなたがものごとを結びつけて考えることができないからなんです。[…]。だれもあなたにあなたが頭が悪いこと、許しがたいほど、頭が悪いということをいったことがないんです。あなたのような人間は後悔も口実に使うんですから、後悔しなくてもいい。ただ、ヘレンがしたことはわたしもしたのだと自分に言い聞かせなさい」(フォースター『ハワーズ・エンド』pp.434-5)

[40]それは自分の夫に対してだけでなしに、夫のような何千、何万という男に向かって発せられた言葉であり、商業的な時代の到来とともにその幹部に相当する人間の内面の暗闇に対する抗議だった。ヘンリーがマーガレットなしの生活を始めることになっても、彼女は謝ったりしてはならなかった。ヘンリーは一人の男に突きつけられることの中でも当否が明確なことについてものごとを結びつけて考えることを拒否していて、それならば二人の愛がそのために挫折するほかなかった。(フォースター『ハワーズ・エンド』p.467)

【マーガレットは離婚を決意し、イギリスを捨ててヘレンとともにドイツで暮らそうと思う。】

【ヘレンはマーガレットに、妊娠に至った経緯を語り出す。赤ん坊の父親はレオナード・バストなのだった。ウィルコックス家の娘の結婚式に押しかけた日の夜、冒険と美を愛する優れた人間でありながら、くだらない金持ちによって一生を台無しにされたレオナードに、「多感」なヘレンは強烈な魅力を感じ、つい一夜を共にしてしまったのだ。】

[41]【二人が一夜を過ごすことになる直前、レオナードがヘレンに、差し押さえに遭った経験を語る。】
「仕事さえあれば、——何か決まった仕事が。そうすれば前のようなひどいことにはなりません。わたしは前のように本を大事に思ったりしなくなったんです。[…]。前はずいぶん妙なことを考えたり、いったりしましたが、そんなのがなんでもないことを知るには執達吏に一度家に入ってこられるのにかぎります。そいつがわたしのラスキンやスティヴンソンをいじくっているのを見て、わたしはほんとうの人生というものがそこにある思いをしましたし、その人生はあまりいいものじゃありません。あなたのお蔭で本は戻ってきましたけれど、もう二度と本がわたしにとって今までのようなものになることはなくて、森の中で一晩過ごすのをいいことだと思うこともないだろうという気がします」
「なぜですか」とヘレンが窓を開けながら聞いた。
「お金がなければならないということが解ったからです」(フォースター『ハワーズ・エンド』p.333)

[42]レオナードは絶対的にその生涯を台なしにされたのであり、ヘレンには彼が世界から切り離されてそこにいる一人の男のように思われた。それは冒険と美に惹[ひ]かれ、独立して生活することを望む一人の本ものの男で、彼を破滅に導いた運命よりももっときらびやかな姿をして人生の道を行くことができたはずなのだった。[…]。彼女と運命の犠牲になったレオナードが現実ではない世界に二人きりでいるようで、[…]三十分間ばかりの間、彼女はレオナードを絶対的に愛した。(フォースター『ハワーズ・エンド』p.447)

[43]そもそもアッパー・ミドル・クラスの女性が結婚もしないで出産するというだけでも大きなスキャンダルなのに、そのうえ、相手がロウアー・ミドル・クラスの、既婚の男だということで、大騒ぎになる。特にマーガレットの夫の息子であるチャールズは、家名に傷がつく、と猛烈に怒り、バーストが近くに来たら殴り倒してやるといきまく。(新井『階級にとりつかれた人びと』p.127)

【一方、ヘレンと一夜を共にしてしまったレオナードは、ヘレンが身ごもったことも知らないまま、その後ずっと罪の意識にさいなまれ続ける。】

[44]翌朝になると、ヘレンはもういなかった。彼女が残して行った置き手紙はやさしくて錯乱した調子のもので[…]それがレオナードにとってはひどい苦痛の種になった。[…]。ヘレンの才能や社会的な地位を思うと、レオナードは道で会った最初の人間に彼が打ち殺されても仕方がないのだという気がした。(フォースター『ハワーズ・エンド』p.447)

【ヘレンが提供しようとした五千ポンドを拒んだレオナードは、それまで音信不通だった自分の家族たちに手紙で窮状を訴えて金をせびりながら、八か月の間食いつなぐ。】

[45]レオナードは、自分とジャッキーが飢え死にすることは【ロウアー・ミドル・クラスとしての体面を保ちたい】彼の一家にとって非常な痛手になるので、自分たちはけっして飢え死にしないでいられるのだということを知った。いったい、社会というものは家を基礎にできていて、利口なならずものはそのことを無制限に利用することができる。【自分と家族の】どっちも相手に対して少しも温かい感情を持たずに、こうして何ポンドも、何ポンドもの金がレオナードの所に送られてきた。[…]兄の所に手紙をだして、返事がこなかったとき、彼はまた、手紙を書いて自分とジャッキーと二人で兄がいる村まで歩いて行くといってやった。彼は脅迫するつもりでそう書いたのではなかったが、兄から為替が来て、それからはこれも彼が生活する方法の一つになった。[…]。もしレオナードが結婚していなかったならば、彼はけっして人から金を無心したりしなくて、ただ生命の火が消えるのに任せて死んでいったはずだった。[…]彼はジャッキーを養わねばならず、彼女が少しばかりお洒落[しゃれ]をし、彼女に合った食べものが食べられるために人間がすることでないことをし続けた。(フォースター『ハワーズ・エンド』pp.448-50)

[46]【レオナードは身も心もボロボロになっていく。】
一番ひどいのは、彼が朝になって目を覚ましたときだった。どうかすると、彼は初めのうちは明るい気持ちでいて、やがて何か重荷が彼にのしかかり、頭を働かせたくてもそれが思うように行かないのが感じられてくるのだった。あるいは小さな焼鏝[やきごて]が彼のからだのほうぼうを焼き、あるいは剣が彼を突き刺した。彼は胸に手を当てて寝台の端に腰を降ろし、「どうしよう。わたしはどうしたらいいのだろう」と呻[うめ]いた。その苦しみを和らげるものは何もなくて、彼は自分が犯した罪から遠ざかって行くことはできても、今度はその罪が彼の魂に移ってきてそこで育った。(フォースター『ハワーズ・エンド』p.446)

【罪の意識に苦しみ続け、疲れ切って混乱したレオナードは、せめてマーガレットに自分の罪を洗いざらい告白することで、少しでも楽になれるのではないかと考えるようになる。どうにかマーガレットの居所を突きとめたレオナードは、彼女がヘレンとともにハワーズ・エンドに泊まった次の日の早朝、はるばるハワーズ・エンドまでやって来る。駅から屋敷まで、イングランドの美しい田園風景の中を歩きながら、英国と世界の将来について哲学的な思索をめぐらすレオナードは、かつてロンドン郊外の夜の森をさまよった「冒険」を再現している。だがこの朝ハワーズ・エンドには、ウィルコックス家の家名に泥を塗ったヘレンに怒り狂ったチャールスが、自動車で駆けつけるところだった。】

[47]一台の自動車がレオナードを通り過ぎた。それに乗っていたのは【農民とは】別の型の、やはり自然に優遇されている人間で、これが帝国主義者である。この人種も健康で、そのうえに絶えず動きまわり、いずれは世界を自分のものにするつもりでいる。これも農民と同様に多産で、やはり健康な血をその子孫に伝え、その国の美徳を海外まで持って行くこの人種を超自由農民と呼びたい気もする。しかしこの帝国主義者というのは自分がそう思っているようなもの、また、人が考えているようなものとは違って、破壊者であり、やがては国際主義【コスモポリタニズム、おそらく今日の「グローバリゼーション」に近い意味の言葉】を招き、その望みがかなえられることがもしあっても、この人種のものになる世界は灰色をした世界なのである。(フォースター『ハワーズ・エンド』pp.456-7)

[48]家に近づくに従って、レオナードは何も考えなくなった。[…]彼がいうことは、「奥様、わたしは悪いことをしました」ということであるのを彼は知っていたが、その朝以来、それが意味を失い、彼はむしろすばらしい冒険をしに出かけてきた感じになっていた。
 彼は庭に入って行って、そこに止めてあった自動車に寄りかかって一息つき、戸が開いていたので中に入った。[…]。だれか彼が知らない男が、「ここにきていたのか。ありそうなことだ。これから死ぬ思いをさせてやる」といった。
「奥様、わたしは悪いことをしました」とレオナードはいった。
 男が彼のカラーを掴んで、「なんでもいいから棒を持ってきてくれ」と叫んだ。そして女たちの悲鳴が聞こえて、一本の非常によく光る棒が彼に向かって落ちてきて、彼はそれが落ちた所ではなくて心臓に痛みを感じた。それとともに本が雨になって彼の上に降ってきて、もうそれきりだった。(フォースター『ハワーズ・エンド』pp.457-8)

【チャールスはたまたま飾ってあったマーガレットの父の軍刀を掴むと、軍刀の刃のない部分で力任せにレオナードを打ち据えたのだった。心臓が弱っていたレオナードは、そのショックで心臓麻痺を起こして死んでしまう。倒れるとき彼は本棚に縋り、死にゆくレオナードの体の上にマーガレットたちの本が雨のように降り注ぐ。】

[49]レナードは打撲のためではなく心臓発作のために死に、倒れるときに書棚をつかみ、書棚が倒れ、死んだレナードの上に本が雪崩のように落ちてくる——彼の人生にあれほど多くを約束し、あれほどわずかしか与えなかった本である。(トリリング『E. M. フォースター』p.182)

[50]こうしてバーストはあっけなく最期をとげる。堂々と戦ったわけでもなく、剣に倒れたわけでもない。自分で本棚をひっくり返し、文字どおり「本に埋もれて」死ぬのである。これはバーストが自分の階級を超えようとしたことがもたらした悲劇なのであるが、同時に、彼のような上昇志向の階級を生み出した社会が生んだ悲劇でもある。教育がいきわたり、どの階級でも本が読めるようになり、余暇も増え、交通機関も発達して運賃も安くなった。それ以前ならば社交的な接点などないはずの人々が、音楽会で隣り合わせに座ることが可能となった社会。そこでアッパー・ミドル・クラスに近づこうとする人々の哀れで無駄な努力、そしてそれがもたらす悲劇をフォースターは、アッパー・ミドル・クラスの作家という立場で描いているのである。(新井『階級にとりつかれた人びと』p.128)

[51]【チャールスは過失致死罪で起訴され、三年の禁固刑を言い渡される。】
それでヘンリーの要塞が崩れ去った。彼は自分の妻のほかはだれにも会わなくなって、判決の後で彼はマーガレットの所に足を引きずって行き、自分をなんとかしてくれと頼んだ。マーガレットは一番やりやすいと思われる方法を選んで、彼を休養させにハワーズ・エンドに連れて行った。(フォースター『ハワーズ・エンド』p.471)

【結局、マーガレットはハワーズ・エンドに留まって夫のヘンリーと妹のヘレンを看病し続けることになり、やがてヘレンはそこでレオナードの赤ん坊を産む。】

【1年後、ウィルコックス家の家族会議が開かれる。ヘンリーはマーガレットに金をいっさい遺さない代わりに、ハワーズ・エンドをマーガレットに遺すことに決める。マーガレットはそれを自分の甥であるヘレンの息子(レオナードの息子)に遺すことに決めている。】

【マーガレットたちアッパー・ミドル・クラス(上流中産階級)の暮らしに憧れていたロウアー・ミドル・クラス(下流中産階級)のレオナードは、結果的に自分の子どもに、アッパー・ミドル・クラスの象徴であるハワーズ・エンドを受け継がせることになった。】

【家族会議の後、チャールスの妻のドリーはヘンリーに、「お母様がマーガレットにハワーズ・エンドをお残しになって、それがやはりマーガレットのものになるって不思議ですね」と言って去っていく。】

[52]【小説の結末。ヘレンもヘレンの赤ん坊も花粉症ではなく、ハワーズ・エンドの牧場で近所の農園の子どもと遊んでいる。家族会議を終えたマーガレットが、ドリーの言葉の意味についてヘンリーに尋ねる。】
[…]やがて彼女は、「ねえ、ヘンリー、ウィルコックス夫人がわたしにハワーズ・エンドを残してくださったっていうのはどういうことなの」と聞いた。
「それはね」と彼は静かに答えた。「ずいぶん古い話なんだ。ルースが病気になってあなたに非常に親切にしてもらったものだから、あなたに何かお返しがしたくて、あまり頭もはっきりしていなくて、紙にハワーズ・エンドと書いたんだよ。わたしはよく考えて、明らかにまじめに取るべきものではなかったから、それに従わないことにしたんだが、あなたがそのうちにわたしにとってどれだけのものになるか、そのときは思ってもみなかった」
 マーガレットは黙っていた。何かが彼女の奥底で揺れて、彼女は身震いした。
「わたしが間違っていたとは思わないだろうね」と彼は屈[かが]んで聞いた。
「ええ、何も間違ったことなんかなかった」
 庭のほうで笑い声が聞こえた。「戻ってきたらしい」とヘンリーはいって、笑顔になってマーガレットを押しやった。ヘレンが片手に自分の子を抱き、片手でトム【近所の農園の子ども】の手を引いてその暗い部屋の中に駆けこんできた。だれも黙っていられなくする嬉しそうな叫び声があがった。
「草刈りがすんだのよ」とヘレンが急[せ]きこんでいった。「大きな牧場の。全部終わるまで見ていたの。こんなに草が取れたことってないんですって」(フォースター『ハワーズ・エンド』p.483)

[53]彼【ヘレンとレオナードの子ども】は階級なき社会のシンボルであるだけではない。干し草畑で忙しく働く労働者たちのなかで楽しそうに遊ぶ彼は、マーガレットのより良き生活への手掛かりだった「ただ結びあわせよ!」のシンボルでもある。(トリリング『E. M. フォースター』p.183)

【ヘレンが産んだ赤ん坊は、アッパー・ミドル・クラスとロウアー・ミドル・クラス両方の血統を引き継ぐだけではない。この子はイギリスの帝国主義的侵略を背景に資本を蓄積した企業家を義理の伯父として、古いドイツ経由の教養主義・理想主義に基づく芸術・文化を重視する教育を受け、自然と調和して生きる伝統的なイングランドの農民たちの中で育てられることになる。この小説に登場したさまざまな要素が、この子の成長を通して結び合わさるのだ。】

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【引用した文献】

●E・M・フォースター作、吉田健一訳『ハワーズ・エンド』(河出書房新社[池沢夏樹=個人編集 世界文学全集 I-07]、2008年)[原著1910年]

●新井潤美『階級にとりつかれた人びと——英国ミドル・クラスの生活と意見』(中公新書、2001年)
●池澤夏樹「エーヴェリーさんのマジック」E・M・フォースター『ハワーズ・エンド』別刷月報(河出書房新社[池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 I-07]、2008年)
●川端康雄「『ウィガン波止場』から見たイギリス——『階級』という厄介なもの」武藤浩史ほか編『愛と戦いのイギリス文化史 1900-1950年』(慶應義塾大学出版会、2007年)23-36ページ
●ライオネル・トリリング著、中野康司訳『E. M. フォースター』(みすず書房、1997年)[原著1943-67年]

(c) Masaru Uchida 2009
ファイル公開日: 2009-4-22
[いつか晴れた日に(分別と多感)] [デビッド・コパーフィールド] [ハワーズ・エンド] [ダロウェイ夫人] [つぐない(贖罪)]
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