[いつか晴れた日に(分別と多感)] [デビッド・コパーフィールド] [ハワーズ・エンド] [ダロウェイ夫人] [つぐない(贖罪)]
放送大学岐阜学習センター 平成21年度第1学期 面接授業  内田勝(岐阜大学地域科学部)
映画で読むイギリス小説 第2部 (2009年04月18日 11:10-12:35)
ディケンズ原作『デビッド・コパーフィールド』[前半]([後半]はこちら)
*参照したテレビドラマ:英国放送協会(BBC)制作『デビッド・コパーフィールド』(1999年)
引用文中の[…]は省略箇所、[ ]内の文字は原文のルビ、【 】内は私の補足です。
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[1]【19世紀イギリスの国民的大作家ディケンズは】なぜこのようにわが身に鞭打つようにして、がむしゃらに働かねばならなかったのか?[…]一番大きな、深い原因は、彼の精神の不安定にあったのではなかろうか? 貧乏の淵から自力で這い上がって、社会の階段のてっぺんまでたどりついた男の宿命かもしれない。[…]。いつも何か一生懸命に仕事をしていないと、あの子供の時の恐ろしい「貧乏」という怪物に追いつかれて、呑み込まれてしまうのではないか、そんな不安にさいなまれつづけた作家の内面生活は、「国民的大作家」というような表面的に晴れがましい人気や栄誉とはうらはらに、ひどく暗い荒涼たるものだった。(小池「ディケンズの生涯」p.28)

[2]本書が、小生の全著作の中で一番気に入っています。[…]子供に甘い多くの親の例に漏れず、小生にも心ひそかに可愛い子というものがあります。その子の名前はデイヴィッド・コパフィールドです。(ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド[1]』p.8、チャールズ・ディケンズ版[1867年]への序文より)

【『デイヴィッド・コパフィールド』は、荒涼たる内面を抱えた「自信のない大人」であるチャールズ・ディケンズが、自分の分身としてのデイヴィッドを「理想の大人」に育てて幸福な結末を迎えさせるまでの物語である。】

[3]ディケンズ Charles John Huffam Dickens(1812-70) イギリスの小説家。2月7日、海軍経理局勤務の下級官吏の長男として南イギリスの軍港ポーツマス郊外に生まれ、のちロンドンに移住した。父のジョンは好人物だが金に締まりがなく、借財の不払いで投獄されたこともある。そのためディケンズは少年時代から貧乏の苦しみをなめさせられ、学校にもほとんど通わせてもらえず、12歳から町工場に働きに出された。資本主義の勃興[ぼっこう]期にあった19世紀前半のイギリスの大都会では、繁栄の裏に恐ろしい貧困と非人道的な労働(年少者の酷使など)というひずみがみられた。こうした社会の矛盾、不正を肌で体験したディケンズは、貧乏の淵[ふち]から抜け出そうと自力で必死の努力を重ね、独学で勉強しながら15歳で弁護士事務所の下働き、翌年裁判所の速記者となり、やがて新聞記者となって議会の記事や、風俗の見聞スケッチを書くようになった。1833年に短編をある雑誌に投稿して採用されたのに力を得て、引き続き短編、小品などをあちこちの雑誌類に発表、これらを集めた『ボズのスケッチ集』が36年に出版されて、24歳の新進作家が華々しく文壇にデビューした。
 翌1837年に完結した長編小説『ピックウィック・ペーパーズ』は、4人(途中から5人)の人物が旅する先々で滑稽[こっけい]な事件を巻き起こすという単純な筋だが、その明るいユーモアで爆発的な人気をよび、次作『オリバー・トゥイスト』(1838)もベストセラーとなって、彼の作家的地位は確立した。その後イギリスとアメリカのあらゆる階層、年齢の読者からの声援にこたえて、『ニコラス・ニックルビー』(1838-39)、『骨董[こっとう]屋』(1840-41)、『バーナビー・ラッジ』(1841)、『クリスマス・キャロル』(1843)、『ドンビー父子』(1846-48)など、立て続けに長・中編を発表して文名は高まる一方であった。この高評の原因は、自らの体験で知った社会の下積み生活、その哀歓をリアルに描くとともに、世の不正と矛盾を勇敢に指摘し、しかもユーモアを交えながら批判したところにあった。事実、彼の小説の出現によって、年少者の虐待や裁判の非能率などが改められたほどである。
 1850年に完結した自伝的作品『デビッド・カパーフィールド』あたりから、作品の質がすこしずつ変わってきて、ディケンズ後期の特徴が顕著になってくる。次作『荒涼館』(1853)がそのよい例で、前期の作品のように1人の主人公の生い立ちや体験を中心に描くのではなく、かなり多くの人物群を中心に、社会の各層を広く見渡す、いわゆるパノラマ的社会小説に近くなってきた。作品のなかに立ちはだかる、個人の力ではついに改善しきれない社会の体制の壁を前にして、ディケンズ得意のユーモアもどこか苦々しい笑いに変わり、無力感、挫折[ざせつ]感が全編に漂うようになった。しかし創作力は依然として衰えず、工場ストライキを扱った『つらいご時世』(1854)、G・B・ショーによって「『資本論』よりも危険な書」と評された暗い社会小説『リトル・ドリット』(1855-57)、フランス革命を扱った『二都物語』(1859)、やや自伝的な『大いなる遺産』(1861)などの長編のほか、かなり多くの短編、随筆を書き、さらに雑誌の経営・編集、慈善事業への参加、素人[しろうと]演劇の上演、自作の公開朗読、各地への旅行と、休む暇のない精力的な活動が続いたために健康を損じたが、やめようとはしなかった。
 そのうえ58年には、20年以上連れ添い10人の子供を産んだ妻キャサリンと別居(性格があわないうえ、20歳そこそこの若い女優エレン・ターナンを愛人にもったためという。しかし世間の評判を気にして離婚はできず、愛人のこともひた隠しにしていた)するなど、精神的な苦労も重なり、70年6月9日、推理小説風の謎[なぞ]に満ちた『エドウィン・ドルードの謎』を未完成のまま世を去った。全世界、各階層の哀悼のなかで、文人最高の栄誉としてウェストミンスター寺院に葬られた。
 彼の小説は、一部からは読者に迎合した感傷的で低俗なものと非難されるが、人間味とユーモアに富む数々の登場人物は、永遠に忘れられない溌剌[はつらつ]さをもっており、死後1世紀を通じて各国語に翻訳されて、トルストイ、ドストエフスキーからカフカに至る崇拝者をもち、シェークスピアとともにイギリス文学を代表する作家と認められている。(小池滋「ディケンズ」『日本大百科全書』[小学館、無料オンライン百科『Yahoo!百科事典』<http://100.yahoo.co.jp/>より])

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[4]デイヴィッド・コパフィールドは、サフォーク州(イングランド北東部、北海に面する)のブランダーストンに生まれる。父は半年前に他界、その彼を可愛がっていた変わり者の伯母ベッツィ・トロットウッドは、自分の姓を継ぐ女子の誕生を確信していたのに生まれたのは男子、その「裏切り」に立腹して即刻立ち去ってしまう。ディヴィはやさしい母と、頼もしく献身的な乳母ペゴティ(その頬は赤いリンゴ、ディヴィを抱き締めればエプロンの背中のボタンが一斉にはじけ飛ぶ)の愛に浸って楽しく生い立つうち、口先巧みに女心を惑わす卑劣漢マードストンが登場して、若く美しい未亡人の母は再婚へ心が動く。(間「ディケンズ:David Copperfield:概要」)

[5]【小説の冒頭。第一章のタイトルは「ぼくは生まれる」である。】
ぼくが、自分の人生のヒーローってことに果たしてなれるのか、それともヒーローの座は別の人間に明け渡してしまうのか、それはこの本を読めば、おのずとお分かりだろう。人生の振り出しを、まず出生から始めるなら、ぼくはある金曜日の夜、十二時に生まれた(そう教えられ、そう信じてきたからだが)と書き記しておくことにしよう。時計が十二時を打ち始めるが早いか、おぎゃあと泣き始めたのだそうだ。(ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド[1]』p.13)

【デイヴィッドが生まれることになる日、彼を身ごもっている母クレアラは、亡き夫の伯母ベッツィ・トロットウッドが遠くから歩いてくるのを目にして、そのあまりに「濃い」キャラクターに怯える。】

[6]【ベッツィ伯母さんは】家までやってくると、まぎれもなくご本人である証明をもう一つして見せてくれた。伯母さんはめったに普通の人間のような振舞いはしないんだ、としょっちゅう父さんは漏らしていたからだ。そして今も呼鈴[よびりん]を鳴らすことはしないで、例のさっきの窓へとやってくると、鼻の頭を窓ガラスにぶちゃっと押しつけて、中を覗き込んだのだ。[…]。
 取り乱した母さんは椅子を離れ、その奥の部屋の隅へと隠れてしまった。ミス・ベッツィは、ゆっくりと怪訝[けげん]そうに部屋を見回していたが、南ドイツ産の木製時計についているサラセン人の自由自在に動く首のように、まず一方の側から始めてずっと目を移してゆき、とうとう母さんのところに辿[たど]り着いたのだった。すると、顔を怒[いか]らせて、人を自分の言いなりにすることに慣れた人間のように、行ってドアを開けなさい、と母さんに合図を送ったのだった。(ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド[1]』pp.20-2)

【ベッツィ伯母さんは、生まれてくる子が女の子と決めつけて、その子が幸せに育つよう面倒を見てやろうと言う。】

[7]「生まれた瞬間から、この女の子の後ろ楯になってやるつもりなの。[…]。だからお願いね、子供はベッツィ・トロットウッド・コパフィールドと付けてちょうだいな。こっちのベッツィ・トロットウッドには人生を踏み誤るなんてことがあってはならないの。可哀相に、一途[いちず]な想いがなぶりものにされてはならないの。きちんと育て上げて、そして信頼をおく値打ちもないような下らない人間に、心を委[ゆだ]ねてしまうなどということがないよう、きちんと護[まも]ってあげなくちゃいけないわ。その面倒はわたくしが引き受けなくちゃね」(ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド[1]』pp.28-9)

【実はベッツィ伯母さんの半生は、ここで彼女自身が否定している人生そのものだった。ベッツィは年下のだらしない色男に恋して結婚し、家庭内暴力を振るわれ、慰謝料を払って夫と別居したのだった。】

【生まれてくる女の子を自分の分身として、幸福な人生を歩ませようとするベッツィ伯母さんは、主人公デイヴィッドを自分の分身として幸福に育てようとする作家ディケンズの姿をそのまま反映している。】

【その日の深夜、待望の赤ん坊が生まれる。伯母さん(デイヴィッドには大伯母さん)はさっそく産科医に尋ねる。】

[8]「で、あの娘[こ]の具合はどうなの」[…]。
「失礼ですが」チリップ先生は返答した。「もうご存じかと思っていましたが、男のお子さんですよ」
 伯母さんは一言も口をきかずに、ボンネット帽のリボンを掴むと、チリップ先生の頭に一発お見舞いしようと狙いを定め、ボンネット帽を投げ飛ばす素振りを見せはしたものの、結局自分の頭の上にひん曲げて載っけると、ぷいと外へ出て行き、二度と再び戻ってくることはなかった。(ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド[1]』pp.40-1)

【デイヴィッドは自分の最初の記憶を語る。それは優しい母クレアラと健康的な乳母ペゴティーの姿だった。】

[9]茫漠とした幼児期を、はるか遠く振り返ってみると、まず目の前にはっきり浮かんでくるのは、綺麗な髪をして若々しい容姿の母さんと、容姿などあったもんじゃないし、目ん玉が真っ黒けだったから、目のあたり一面が黒ずむんじゃないかと思えるほどだったし、頬っぺたも腕もぱんぱんに固くて真っ赤だったから、小鳥だって、リンゴよりこっちの方をつっ突くんじゃないかな、と思ったペゴティーの姿だった。[…]。
 これは空想にすぎないのかもしれないが、みんなが想像している以上に、ぼくらの記憶というものは、たいてい、はるか幼い昔にまでさかのぼれるものだとぼくは思っているし、また、幼児の観察力というのも、多くの場合、すぐれて綿密であり、正確だと信じてもいる。(ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド[1]』pp.42-3)

【語り手デイヴィッドは、自分の人生に関してすさまじく鮮明な記憶を持っている。自分の過去の膨大な記憶のデータベースから、必要な挿話を瞬時にして検索して呼び出せる特殊能力を持ち合わせているのだ。】

【デイヴィッドは、過去の時点Aに起きたことが、数年後の別の時点Bに起きることの予兆になっていた、という語り方をすることが多い。記憶どうしが響き合ってつながるこの現象を、ある論者は「記憶のこだま」と呼んでいる。あるいはそれを「めぐりあう時間たち」と呼んでもいいいかもしれない。】

[10]一人称で語られているこの作品は、ディケンズの本格的な内面の——一時よくいわれていた「心理的」——小説である。記憶のこだまと予言による人生の形成、という点ではプルースト的な小説ともいえよう。その点では、見事な作品である。読者のわれわれはデイヴィッドが何らかの出来ごとに際して、必ず過去をふり返り、そこから自分の行手に関して何かを直観するところがあったか否かを自問するのを感じる。そしてときおり、その過去に彼を懸念、不安、あるいは悲哀に至らしめる兆しなり予感があった、ということになったときには、その構造が実に見事で、われわれは、それがディケンズの技巧の産物であることを忘れてしまうくらいである。(ウィルソン『ディケンズの世界』p.192)

[11]この意味で、ディケンズの小説の中で、社会的色彩の最も希薄な、最も内面的な『デイヴィッド・コパーフィールド』のほうが、逆説的に最も「リアル」である。それは、プルーストのマルセル(『失われた時を求めて』における語り手「私」の名前)の場合と同じように、D・C・(David Copperfield)が、C・D・(Charles Dickens)の現実と直接的につながっているからである。しかしそれにもまして、ディケンズの語り方の巧みさ、記憶のこだまとその意味についての、絶妙な芸術的手ぎわがあるからだ。この点に関する限り『デイヴィッド・コパーフィールド』は、『失われた時を求めて』と芸術的に匹敵するように思えるのである。(ウィルソン『ディケンズの世界』p.192)

【この小説に関しては結末のネタバレをしてもさほど支障はないように思われる。現在のデイヴィッドは小説家として成功し、金持ちになり、理想の女性と結婚して、幸福な人生を送っているのである。】

【「理想的な大人」となったデイヴィッドは、記憶のデータベースを繰りながら、自分がいかに数々の障害を乗り越えて現在の幸福をつかんだかを語っていく。この物語の面白さは、時空を超えて響きあう「記憶のこだま」の中で、デイヴィッドの幸福を妨げようとして障害を用意する「悪玉」たちや、デイヴィッドが幸福をつかむのを助けようと障害を取り除く「善玉」たちが、互いに干渉し合いながら主人公をハッピーエンドに導くまでの過程にこそある。】

【最初に現れる強大な「悪玉」は、デイヴィッドの母の再婚相手マードストン氏であり、「善玉」となるのは乳母ペゴティーの兄ペゴティー氏の周囲に集まる人びとである。】

[12]ディヴィ【デイヴィッド】はペゴティに連れられてヤーマスの浜辺へ。その兄ペゴティ氏の「ボートの家」で、かわいいエミリーや素朴な好青年ハムと楽しい数日を過ごす。エミリーもハムも海で父を失った孤児で、ペゴティ氏の義理の姪と甥、ことにエミリーは幼い恋の相手としてディヴィの心に残る。デイヴィッドが「我が家」に戻ってみると、義父として乗り込んできたマードストンと、続いてやって来たその姉ジェーンが家の実権を握り、母の影は薄れて陰鬱の気が家中を覆っている。独善的で、厳しく冷酷な義父の「教育的」鞭打ちに反抗し、その手に噛み付いたデイヴィッドはロンドン近郊のセイレム寄宿学校に送り出される。(間「ディケンズ:David Copperfield:概要」)

【幼いデイヴィッドは、漁師町ヤーマスの浜辺で古い船を住居として暮らすペゴティー氏たちの家にしばらく住むことになる。彼はこの家で、ペゴティー氏の姪にあたる孤児で美しい少女エミリーに出会い、淡い恋心を抱く。エミリーの夢は、いつか玉の輿に乗ってレディになることであった。】

[13]「君は立派な奥さま[レディ]になりたいのかい」ぼくは言った。
 エミリーはじっとぼくを見つめ、微笑[ほほえ]んでうなずいた。「そうよ」
「なりたくってたまらないわ。そうしたら、あたしたちみんな偉い人になれるもん。あたしも、伯父さん【ペゴティー氏】もハムもガミッジさんも。そうなれば、時化[しけ]になっても気にしなくたっていいもん」(ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド[1]』p.98)

[14]【向こう見ずなエミリーは、柵のない危険な桟橋を全速力で走る。】
【エミリーは】ぼくの横をすっと離れたかと思うと、ぼくらが立っていたところから張り出し、しかもかなり高い位置で深い海に突き出ている不揃いの板の上を、それも手すりも何もないのに、ぱっと軽やかに走っていった。[…]。果たしてぼくはエミリーを救ってあげるために手を挙げて押しとどめるべきだったのだろうか。[…]。[…]ぼくの眼の前であの朝、頭の上まですっぽり水に浸[つ]かってしまった方が、ちびのエミリーにはよかったのではないだろうか。[…]。
 これは先走りが過ぎたかもしれない。たぶん書き急ぎすぎだ。(ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド[1]』pp.99-101)

【もちろん語り手デイヴィッドは、エミリーがこれからどんな不幸な目に遭うかを知っている。彼の中ではすでに「記憶のこだま」が起きているのだ。この記憶がのちのどんな記憶と響き合うかを読者が知るのはずっと後のことである。】

【ヤーマスから故郷に帰ると、母は再婚していた。義父となったマードストンはデイヴィッドをいじめ抜く。】

[15]「デイヴィッド」ぎゅっと唇をすぼめて細くしながら、あの人は言った。「強情な馬か犬をおとなしくさせるのに、おれがどうすると、おまえは思う」
「さあ」
「ひっぱたく」
 いくぶん息を殺した小声であの人は答えはしたけれど、黙りこくっていても、息づかいの方はもっともっと速くなっていたと思う。
「縮み上がらせ、痛い目に遭わせてやるんだ。こいつは自分に言いきかせてるんだが、「あいつを黙らせてやる」ってね。それに体中の血という血を全部犠牲に流させたとしてもだ、そうしてやるんだ」(ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド[1]』pp.123-4)

[16]ミスター・マードストンはしっかりしていた。だから、周りの誰もミスター・マードストンほどしっかりしていてはならないのだ。周りの他の誰も絶対しっかりしていてはいけない。というのも、誰も彼もみんな、あの人のしっかり加減に屈しなくてはならないからだった。(ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド[1]』p.131)

【あるワイン商会の株による利子収入で暮らすマードストン姉弟は、かろうじてアッパー・ミドル・クラス(上流中産階級)に属するようである。表向き彼らはデイヴィッドに、自分たちの階級に見合った教養を与えようとする。】

【しかし実質的には、彼らの教育はデイヴィッドの優位に立って彼を支配するための手段だった。教科書をその場で渡して即座に暗唱させ、少しでもつっかえればこれ見よがしにこき下ろすのだ。見かねた母がデイヴィッドを憐れむ。】

[17]「ああ、デイヴィー、デイヴィー」
「おい、クレアラ」ミスター・マードストンは言う。「この子にはしっかりした態度をとりなさい。「ああ、デイヴィー、デイヴィー」なんて言っちゃだめだ。そりゃ、幼稚ってもんだよ。勉強が自分の頭に入っているのか、入っていないのか、だ」
「頭に入ってやしませんよ」マードストンの姉さんも高飛車に口をさしはさむ。
「どうやら頭に入っていないようですね」と母さんは言う。
「じゃあ、分かってるわよね、クレアラさん」マードストンの姉さんが言い返してくる。「本をもう一度渡して、頭に入れさせるのよ」(ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド[1]』pp.141-2)

【母クレアラや乳母ペゴティのような盲目的な愛情を否定し、厳格な規律を重んじるマードストンに、幼いデイヴィッドは激しく反発する。しかしこの小説が奇妙なのは、のちのちデイヴィッドは、自らマードストン的に厳格な規律を身に付けていくことで出世し、「理想の大人」に近づいていくことである。語り手デイヴィッドはそれを知っている。】

[18]行動する主体である青年デイヴィッドと、語る主体である成年デイヴィッドの視点のあいだにはつねにずれがあり、それがあるときは縮まり、あるときは広がって、二人の主体が一致したときに小説は終わる。そしてこの小説においては、正しい自己規律はつねに幼稚さと対比され、この幼稚さは不思議なことにセクシュアリティと結びついて排斥される。(村山「男と男のあいだ」pp.49-50)

【上の引用の「セクシュアリティ」という言葉を、「盲目的な愛情」とか「徹底的に可愛がること」とか言い換えてみたほうが分かりやすいかもしれない。誰かを盲目的に愛したり徹底的に可愛がることは「幼稚」であり、立派な大人になるためには否定されなければならない。その代わりに大人に必要なのは「厳格な規律」だということになる。】

【さらに「盲目的な愛情」は「多感」と言い換えられるかもしれない。とかく誰かを盲目的にベタベタと愛しがちな「多感」な感性を抑えて、「分別」によって自己規律を守り、階級のルールに従って生きることで、人は大人になる。】

【そこまで考えるなら、この小説もまた「分別と多感」の物語なのだ。】

【憂鬱な日々を送る幼いデイヴィッドの慰めになったのは、二階の小部屋に父親が残してくれた大量の小説本だった。だがある日マードストン式の「勉強」ができずに鞭でぶたれた時に彼の手に噛みついたデイヴィッドは、マードストンの知人が校長を務めるセーラム学園という寄宿学校に送られる。】

[19]セイレム校では無知で冷酷な校長クリークルのもとで怯えた日々を送るが、二人のユニークな友人に救いを見出だす。一人は良家の出で能力風貌ともに抜群ながら、下層の人々を軽視し、校内怖い者なしのスティアフォース。もう一人は鞭を食らって泣きながらも、ノートに骸骨の絵を描きまくって元気を取り戻す愉快なトラドルズ。二人ともデイヴィッドの人生に深く関わって行く。(間「ディケンズ:David Copperfield:概要」)

【デイヴィッドがスティアフォースに気に入られたきっかけは、デイヴィッドが彼に、スモレットの小説『ペリグリン・ピクル』(1751)を知っていると話したことである。】

[20]夜寝ようとすると、【スティアフォースが】君、あの本もってるのかい、と訊いてきたのだ。
 ぼくは、持っていませんと言って、どういう経緯で、あの本や前に触れた他の本をどれもこれも読むことになったのかを説明した。
「それで、君、読んだやつは憶えてるの」スティアフォースは言った。
 そりゃ、もちろん、とぼくは答えた。記憶力はいい方だし、だからちゃんと思い出せると思ったからだ。
「それじゃ、こうしようよ、コパフィールド君」スティアフォースは言った。「読んだやつを、おれに話してくれないか。夜は早くからは眠れやしないし、朝はどうも早くから目が醒めてしまうしね。なあ、話を一つずつ片づけようや。君の読んだ本で『千一夜物語』を、夜ごと欠かさずやっていくってのはどうだい」
 この取り決めに、ぼくは得意満面だったし、その日から早速、ぼくらは実行に移し始めた。独創的なぼくの解釈で話していくうちに、大好きな作家先生の作品に対して惨憺[さんたん]たる改竄[かいざん]行為をついつい働いてしまったが、今はこれをとても口にするに堪[た]えないし、その実態を知るのもこわい。けれども大好きな作品は心から一途にぼくが信じてきたものだし、話して聞かせたことも、ぼくが信じるかぎりで、このうえもなく純粋で熱心な話し方をしたからこそ、大いに威力を発揮したんだと思う。(ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド[1]』pp.236-7)

【注目すべきは、彼は自分が読んだ物語を、オリジナルに忠実というより自分の流儀で「改竄[かいざん]」して語っていることである。本で読んだ物語を「改竄」して語るデイヴィッドは、自分が体験した実人生の物語も「改竄」して語っているのではないだろうか?】

【そもそも作者ディケンズの自伝的要素が濃い『デイヴィッド・コパフィールド』という小説は、ディケンズが自分自身の実人生の物語を「改竄」して語った本だとも言えるのである。物語とは「現実の改竄」なのだ。】

[21]一人の作家が、作家である自分自身について深く考え、自己の起源と形成に関する物語を書こうとする時、自己を形づくっている重要な要素である「物語を書く」という行為の根源的な意味について考え、それを作品に具現することは多いにありうるだろう。(新野『小説の迷宮』p.109)

[22]【傲慢な不良だが友人には優しいスティアフォースは、デイヴィッドの憧れの男性となる。】
「おやすみ、コパフィールド君」スティアフォースは言った。「君の面倒はまかせとけ」
「どうもご親切に」感謝して、ぼくは答えた。「本当にありがとうございます」
「妹はいないのかい」あくびをしながら、スティアフォースは言った。
「いません」ぼくは答えた。
「それは残念だな」スティアフォースは言った。「君の妹なら、さぞ可愛くて、はにかみ屋で、ちっちゃくて目元の涼しい女の子だろうにね。そんな子と知り合いたいもんだな。おやすみ、コパフィールド君」
「おやすみなさい」ぼくは答えた。
 ベッドに入ってからも、あれこれスティアフォースのことを考えた。それからむっくり起き上がって、月明かりに照らされ、ハンサムな顔を上に向けて、自分の腕にゆったり頭を寄り掛からせて眠っているその姿を、しみじみ見つめていたのを思い出す。(ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド[1]』p.226)

[23]デイヴィッドとスティアフォースの関係は、露骨なセクシュアリティを少年どうしの友情のなかに拡散する身振りをみせていた。[…]。しかし立派な大人になるためにはこの子どもっぽさを棄てなければならないし、そうすれば自己のセクシュアリティを巧妙に隠蔽する手段も失ってしまうだろう。このどちらつかずの状態のなかにデイヴィッドの主体はとどまっている。(村山「男と男のあいだ」p.66)

【デイヴィッドにとって、憧れのスティアフォースを盲目的に愛してしまう気持ちをいかにして克服できるかが、彼自身にとっての「理想的な大人」になれるかどうかの分かれ目になる。】

[24]デイヴィッドの母クレアラは、マードストン姉弟の強引な家政独裁に気力体力尽き果てて間もなく他界。デイヴィッドは家計窮迫を理由に学校をひかされ、ロンドンの酒類輸入商「マードストン・グリンビィ」商会へ小僧に出される。(間「ディケンズ:David Copperfield:概要」)

[25]【マードストンにとって、クレアラが死んだ今、その連れ子デイヴィッドは邪魔な存在でしかない。】
「分かってると思うが、デイヴィッド、おれは金持じゃない。ともかく、今なら分かるな。おまえはこれまでにもうかなり教育は受けてきたよな。教育というやつは金がかかる。仮に金がかからないとしても、それに、おれに十分余裕があったってだ、おまえをこれ以上学校に行かせたところで、おれには、少しもためになるとは考えられん。おもえを待っているのは、世間との戦いだ。だから早く始めれば始めるほどいいんだ」(ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド[1]』p.385)

[26]【デイヴィッドの仕事は、リサイクルされてくる空壜の洗浄と再生だった。】
マードストン=グリンビー商会の商売は実にいろいろなお客を相手にしていたが、主力部門はワインと蒸留酒を郵便船に荷積みすることだった。それが主にどこへ向けたものだったかは今はもう忘れてしまったけれども、その中には東インド諸島と西インド諸島の両方へ船旅をしたものもあったように思う。結果、数えきれないほどの空壜[あきびん]が出てくるわけで、子供から大人まで男たちが数人、空壜を光に透かして調べてみて、欠陥のあるものは撥[は]ね、あとは水でゆすぎ洗浄する、という仕事に雇われていた。空壜が底をつくと、今度は中身の詰まった壜に糊[のり]でラベルを貼るか、コルクで栓をするか、コルクの上にシールで封をするか、それとも仕上がった壜を樽に詰めるかした。この作業が全部ぼくの仕事で、それに雇われていた子供たちの一人が、このぼくってわけだ。(ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド[1]』pp.390-1)

[27]【デイヴィッドは同僚となる労働者階級の子どもたちに引き合わされる。】
落ちぶれてこんな連中に引き込まれていったときの、心に秘めたぼくの辛い苦しみを言い表わせる言葉などない。これから毎日顔を突き合わせる連中と、もっと幸せだった子供時代の仲間——スティアフォースやトラドルズや他のみんなは言うまでもないが——とを較べてみたし、大きくなったら学識のある偉い人間になるんだという望みが、胸の中で無惨に打ちくだかれるのを感じた。今はもう希望の希の字もないんだという思い、自分の置かれた境遇への屈辱感、そして、これまで勉強し、考え、喜び、また想像力と競争心を奮い立たせてくれたものが、少しずつぼくの中からすうっと消えていって、もう二度と蘇ってくることはないんだと、幼な心に思い知ったときのみじめさ、こういったものが深く刻まれた記憶を、言葉に書き表わすことなんか到底できやしない。(ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド[1]』p.392)

【上の文章には作者ディケンズの体験が反映している。ディケンズは下級官吏の息子としてロウアー・ミドル・クラス(下流中産階級)に属していたが、浪費家の父が借金を重ねて一家が窮乏したため、12歳で靴墨工場の労働者となり、週給6〜7シリング(仮に1ポンド=1万円とすると3,000〜3,500円程度)で働くことになった。】

[28]彼の年頃の子供が生活のために働かなくてはならないというのは、決して珍しいことではなかった。[…]。しかし、ディケンズはそれまでいつも、自分がもっと上等なことをするように生れついていると信じており、肉体労働をする子供だとは思ってもみなかったのである。彼はこの経験にショックを受け、深く傷ついた。(ジェイムズ『図説 チャールズ・ディケンズ』p.21)

[29]万年家計窮迫のミコーバー氏の家に下宿し、長時間労働、空腹、無知で下賎な仲間、展望ゼロの絶望の日々を送るが、やがてミコーバー氏は負債者監獄に収容される。出獄後は再起を期して家族とともにプリマス(イングランド南東部)へ去る。(間「ディケンズ:David Copperfield:概要」)

【デイヴィッドはプリマスに去る大家のミコーバー氏に別れのあいさつに行く。禿頭で恰幅が良いミコーバー氏は、借金まみれでもいつも陽気だが、さすがにこの時ばかりはしんみりしている。】

[30]「この私は君よりも年をくっとるし、人生経験も積んだ人間だが——要するに、一般的に言えば金銭に困るってことでそれ相当に経験を積んだわけだ。今はだ、待てば海路の日和ありってことになるまで(今にもそうなるんじゃないかと待ち構えてはいるんだが)、アドヴァイスしかしてあげられないんだ。だが、私のアドヴァイスには耳を傾ける値打ちが山とあるからね、つまり——要するに、自分じゃそいつにさっぱり耳を傾けてこなかったばっかりに、それで」——それまで頭の天辺から顔じゅうすっかり笑みと喜びの色を浮かべていたミスター・ミコーバーが、ここにきて急に話すのをやめ、むずかしい顔を見せたのだが——「見てのとおりの情けないどん底野郎ってわけですよ」(ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド[1]』p.435)

[31]「アドヴァイスすることは、今日できることは決して明日に延ばしちゃいけないってことですね。[…]。もう一つの方のアドヴァイスはね、コパフィールド」ミスター・ミコーバーは言った。「いいかな、年収の方が二十ポンドで年支出が十九ポンド十九シリング六ペンスなら無事に終わるし、年収の方が二十ポンドなのに、年支出が二十ポンド六ペンスになれば無惨に終わるんだよ。花はしおれ、葉は枯れて、お天道[てんと]さまはこの荒れ果てて寒々とした情景に沈んでゆき、そして——そして要するに、永遠に地べたに這いつくばらされてしまうんだよ、ちょうど今の私みたいにね」(ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド[1]』pp.435-7)

[32]デイヴィッドは、底辺生活からの脱出を決意、ドーバーに住むと聞くただ一人の肉親、大伯母ベッツィ・トロットウッドを頼ってロンドンを発つ。脱出行早々に路銀を奪われたデイヴィッドは、[…]なき母の面影だけを支えに空腹を抱えて野宿を重ね、浮浪児同然のやつれ果てた姿で大伯母の家にたどり着く。(間「ディケンズ:David Copperfield:概要」)

[33]「あっちへお行き」首を横に振り、遠くからばさりとナイフで空[くう]を切る素振りをしてみせると、ミス・ベッツィは言った。「あっちへ行きなさい。ここは子供に用はないの」
 びくびくしながら様子をうかがっていると、伯母さんは庭の隅にとっとっとっと歩いていき、そこにかがみ込んで何か小さな根っこを掘り起こしているのだった。すると、ぼくはこれっぱかりの勇気もないくせに、ただもう自棄[やけ]のやんぱちの勢いで、すっと中に入っていって、かたわらに立つと、指一本で伯母さんにちょっと触れたのだった。
「あのう、ちょっといいですか」ぼくは話し始めた。
 伯母さんはぎくっとして見上げた。
「ちょっといいですか、伯母さん」
「ええっ」伯母さんは絶叫を放ったが、あれほど驚いた叫び声っていうものを、ぼくはついぞ聞いたためしがない。
「ちょっといいですか。ぼく、伯母さんの甥[おい]っ子なんです」
「あらまあ」伯母さんはこう言ったきり、庭の砂利道にぺたんと坐りこんでしまったのだ。(ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド[2]』pp.34-5)

[34]唖然としたベッツィ・トロットウッドも、同居する奇人ディックさんの助言でデイヴィッドの保護を決意する。彼女は、義父マードストンのデイヴィッド引取りの申し出を拒否、哀れな少年の親代わりとなる。デイヴィッドは、弁護士ウィックフィールド氏(大伯母の友人)の世話でカンタベリーにある、ストロング博士の学校へ通うことになる。「ウ」【ウィックフィールド】家に下宿したデイヴィッドは、早く母を亡くし幼い身で父の世話をする、賢く優しいアグネスと兄妹のように親しむ。(間「ディケンズ:David Copperfield:概要」)

[35]ミスター・ウィックフィールドが羽目板張りの壁の隅にあるドアをコツコツと叩くと、だいたいぼくと同じくらいの年齢[とし]の女の子がするりと現れて、ミスター・ウィックフィールドにキスをした。[…]。顔はすごく晴れやかで楽しそうなのに、落ち着いた雰囲気がそこからも全体からも醸[かも]し出されていたが——つまり穏やかで徳のある心の静けさだが——それは、ぼくがこれまで決して忘れたことはなかったし、これからも決して忘れられそうもないものだった。(ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド[2]』pp.114-5)

[36]ずっと後になってぼくを引っぱってくれることになる、すべてを善へと誘[いざな]うアグネスの力が、この時すでにぼくの胸に宿り始めていたらしい。ちびのエミリーのことは大好きで切なく想ってるけど、アグネスのことは切なくは想っていない——そう、そういう想いの寄せ方は全然していないんだ——そうではなくて、気がついてみると、アグネスのいるところどこにでも、善意だとか、平和だとか、真実だとかが満ちているといった感じがしたし、またずっと昔、教会で見た、彩色したステンド・グラスの柔らかな光が、常にアグネスや、その間近にいるときのぼくや、あたりのすべてのものに降り注いでいるといった感じがするのだ。(ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド[2]』p.138)

[37]一方「ウィックフィールド事務所」の書記ユライア・ヒープは、謙譲を装いつつ(「私は卑しい身分の出で一一」が口癖)、幸運なデイヴィッドヘの妬みに燃える。その手の不気味な冷たいヌルヌル、死んだ魚の肌触りは、握手したデイヴィッドをゾッとさせる。(間「ディケンズ:David Copperfield:概要」)

[38]「よーく分かっております。私ほどしがない人間は、世間にはまずおりますまい」ペコペコしながら、ユライア・ヒープは言った。「他所[よそ]さまはいざ知らず。母も所詮しがない人間です。私どもはしがない家に暮らしておりますが、コパフィールドの坊ちゃん、心からありがたいと存じております。[…]。ウィックフィールドさんのご好意により、私を年季契約で雇い入れてくださったことを、どんなにありがたかったと存じておりますことか」[…]。
「じゃあ、たぶん、いつかウィックフィールドさんの法律事務所を共同でやるんだね」愛想よくしようとばかり、ぼくは言った。[…]。
「まさか、滅相もないことです、コパフィールドの坊ちゃん」首を横に振りながら、ユライアは言った。「私はしがない人間ですから、そんなことはとてもとても」(ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド[2]』pp.144-6)

[39]十七歳で学業を終えたデイヴィッドは、職業決定の前に世情見聞の旅に出る。昔の学友スティアフォースに偶然出会い、誘われて彼の家を訪ね、誇り高き彼の母および激しい情熱で彼を愛する従姉妹のダートル嬢に会う。その口元には昔スティアフォースが癇癪を起こして刃物を投げ付けた傷跡がみられ、彼の性質に潜む残酷さを物語るが、彼女は彼の気紛れな愛情に甘んじている。
 デイヴィッドは彼をヤーマスに誘い、ともにペゴティ家を訪ねる。スティアフォースは成長したエミリーの美しさに惹かれ、エミリーもまた、ハムとの結婚ま近いにも拘らず、彼の誘惑に乗って家出を決意する。まだ人生経験未熟なデイヴィッドは親友の心に潜む強烈な自我の主張と下層の人々を踏みにじって省みない非情さを知らない。(間「ディケンズ:David Copperfield:概要」)

【玉の輿に乗って裕福なレディになることを夢見つつも、船大工のハムとの結婚が間近いエミリーは、デイヴィッドから裕福なアッパー・ミドル・クラスの紳士スティアフォースを紹介される。】

[40]エミリーはどうしようもなくうろたえ、やたらおどおどしていた——が、スティアフォースが実に優しく丁寧に話しかけると、じきにほっとひと安心したようだった。[…]。
 いや実際、エミリーはその晩ほとんど何もしゃべらずにおり、ただじっと見つめ、耳を傾けていたが、顔は生き生きとし、とても素敵だった。[…]。
「いやあ、ぞくっとくる、ちょっとした美人じゃないか」ぼくの腕を取って、スティアフォースは言った。「うん、面白い家だし、みなさん、面白いな。ああいった方たちとご一緒できて、実に新鮮な気分だよ」
「それにぼくらはついてますよね」ぼくは答えた。「着いたらちょうど、結婚が決まって、その幸せの場を目の当たりに見るってことになったんですから[…]。」
「あの娘[こ]には、ちょっと相手として鈍くさくないか」スティアフォースは言った。
 ハムに対しても、あの人たちみんなに対しても、スティアフォースは実に温かい接し方をしていたので、この思いもかけず冷やかな返答に、ぼくはぎょっとした。(ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド[2]』pp.343-6)

[41]【エミリーは婚約者ハムの前で泣きじゃくる。】
「どうしてあたしって、いつもこうなのかしら。本当は、どんなにも感謝して、あなたをちゃんと幸せにしてあげることだけ考えなきゃいけないっていうのに」
「いつだって、そうしてくれてるさ」ハムは言った。「ほら、君を見てると幸せなんだ。一日じゅう君のことを思って幸せなんだよ」
「いいえ、それだけじゃだめよ」エミリーは叫んだ。「それはあなたがいい人だからなの。あたしはそうじゃないんだから。ああ、ねえ、あなただって、もっと別の女[ひと]を好きになっていたら、ずっと幸せになれたんじゃないかしら——このあたしなんかより、しっかりしてて、もっと立派な女[ひと]、あなたにすっかり夢中で、あたしみたいにうぬぼれが強くて気まぐれじゃない女[ひと]とならね」(ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド[2]』pp.402-3)

[42]デイヴィッドは法律事務習得のため「スペンロー・ジョーキンズ」法律事務所に入る。たまたまロンドンに来たアグネスが、悪影響への懸念から、スティアフォースとの交際を避けるようデイヴィッドに忠告。また彼女は、ユライアが、アル中で耄碌気味の父ウィックフィールド氏の弱み【に】付け込んで共同経営権を得ようと企んでいる旨を告げ、デイヴィッドの不安を募らせる。ユライアに直接会ったデイヴィッドは、アグネスとの結婚をも視野に入れた彼のおぞましい野望を知り、憤激と憎悪に身を震わせる。(間「ディケンズ:David Copperfield:概要」)

[43]「いえ、そのことですがね、コパフィールドの坊ちゃん」ユライアは言った。「実は、失礼とは存じますが、折り入ってお聞きいただきたい内緒の話なのでございますよ。[…]。母はしがない身の出ですし、わが家は清貧といっても、なにぶん見すぼらしいわけですけれども、アグネスさまの面影は[…]、もう何年もこの胸に深く秘めたままでおりました。ああ、コパフィールドの坊ちゃん、アグネスさまのことなら、それが仮にお歩きになって地面であっても、この私は限りなく純粋な愛をこめて、慈しむのでございますから」。
 真っ赤に燃えた火かき棒を暖炉からむんずと?んで、あいつを突き刺してやりたいと、たしかに狂乱まがいのことをぼくは思い描いた気がする。[…]アグネスの面影の方は、よりにもよってあんな赤毛の化け物ごときの思い入れのために、手垢をベタベタとつけられたことで、ぼくの心に残り、くらくらとめまいさえ覚えたのだが、見れば、この男、その卑しい魂が体を蝕[むしば]んででもいるかのように、相変らず全身をくねくねとよじらせて坐っているのだった。(ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド[3]』pp.48-9)

[44]「蛇のように身をくねらせて」近づいてくるユーライアがあれほど嫌われるのは、彼が語り手の分身、しかし階級的に下落した分身として、デイヴィッドの上昇志向をグロテスクに想起させるからだ。(村山「男と男のあいだ」p.62)

[45]【そんなある日、デイヴィッドは雇い主スペンロウ氏の家に招かれ、彼の娘ドーラに紹介される。】
「コパフィールド君、娘のドーラだよ[…]。」間違いなく、声の主はミスター・スペンロウだったというのに、そうとは気づかなかった。いや、それにどっちみち、誰の声だろうとどうでもよかったんだ。一瞬にして、もうこれまでだった。ぼくの運命は決まった。虜[とりこ]になり、奴隷になった。それこそ憑[つ]かれたように、ぼくはドーラ・スペンロウに恋をした。
 ドーラはこの世のものではなかった。妖精、空気の精、それとも何と言ったらいいものか——誰も見たことがないけれども、みんながぜひ見てみたいと思うようなものだった。たちまちのうちに、ぼくは恋の底なし沼に呑み込まれてしまった。(ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド[3]』pp.68-70)

(『デビッド・コパーフィールド』[後半]に続く)
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【引用した文献】
●チャールズ・ディケンズ作、石塚裕子訳『デイヴィッド・コパフィールド』全5巻(岩波文庫、2002-3年)[原著1850年]

●アンガス・ウィルソン著、松村昌家訳『ディケンズの世界』(英宝社、1979年)[原著1970年]
●小池滋「ディケンズの生涯」西條隆雄ほか編著『ディケンズ鑑賞大事典』(南雲堂、2007年)15-35ページ
●エリザベス・ジェイムズ著、高橋裕子訳『図説 チャールズ・ディケンズ』(ミュージアム図書、2006年)[原著2004年]
●新野緑『小説の迷宮——ディケンズ後期小説を読む』(研究社、2002年)
●間二郎「ディケンズ:David Copperfield:概要」ディケンズ・フェロウシップ日本支部ウェブサイトより <http://www.dickens.jp/archive/dc/dc-outline.html>
●村山敏勝「男と男のあいだ——『デイヴィッド・コパフィールド』のセクシュアリティ」『(見えない)欲望へ向けて——クィア批評との対話』(人文書院、2005年)48-66ページ

(『デビッド・コパーフィールド』[後半]はこちら)
(c) Masaru Uchida 2009
ファイル公開日: 2009-4-22 ファイル更新日:2012-9-15(リンク先のアドレス変更に伴うリンク修正)
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