気になることば 84集 一覧(ミニナビ) 分類 | 「ことばとがめ」に見えるものもあるかもしれませんが、背後にある「人間と言語の関わり方」に力点を置いています。 |
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20011228
■今年の成果
2001年も押し詰まってきました。そこで、今年の節用集購買記録を。
ベタ記号は1つが2冊、ヌキ記号は1冊です。以前にも書きましたが、とりあえず一と月に一冊はめぐり合いたいな、と思っています。すると、2001年は、2年分の収穫があった、8年ぶりの好記録ということになります。
相変わらず通信販売が多く、ネット経由・古書展・直接がほぼ同じ割合い。いただきもの1冊。
ただ、質の問題は気になるところ。書名の変遷を見極めるということをはじめたので、保存状態は二の次で買ったものも少なくないのです。また、よんどころない事情で既蔵のものを買うこともありました。従来どおりに買っていたら半分くらいというところでしょうか。
21世紀初めの年なんだから、景気がいいことにしておきましょう。保存スペースの問題もあるので、ちょっと整理のし時かな、とも思っていますけれど。
それではよいお年を!
京都以外の地域にお住まいの方には、少々わかりづらい疑問かと思うが、京都に生まれ育った男の多くは、京都弁をつかうのを、いったんやめる時期がおとずれるのである。
子どものときは、もちろん誰もが併記で京都弁をつかう。が、中学生になるころ──声変りを経験するころになると、関西弁のイントネーションは残っても、京都特有の言葉を捨てるようになる。
玉木正之「京都弁というもの」。日本エッセイスト・クラブ編『'97年版ベスト・エッセイ集』文春文庫
私は、京都の出身でもないし、共通語とほとんど同じような話し方の地方で生まれ育ったので、ちょっとこの感じが分からない。
ただ、小学校の高学年から中学生のころには、それまで使っていた言葉を捨てたような気もします。
ズルコミ → ワリコミ
エビガニ → ザリガニ
エボ → イボ(疣。でもエボは遊び仲間から注入?)
そういうのと一緒でしょうか。言ってしまえば、言葉の上での脱子ども化。それだと分かる部分もあることになります。あるいは、「京都弁は女性らしい方言」との印象があって、使わなくなるのかな。
その線かもしれませんね。いま、原文が手元にないので……
20011220
■「置き去りバルブ」
こんな話を読んだことがある。書名は、まだ思い出せない。
いまとなっては細々と営業を続ける都電だが、それがまだ市電と通称されていたころのことである。運転手控室にいつも置きっぱなしにされていたバルブ(バルブ開閉ハンドル?)があったという。人呼んで「置き去りバルブ」。
三田車庫でのことである。青電車・赤電車もとっくに運行を終えた午前2時。夜な夜な、異様なきしみ音とともに「連れてけぇ、連れてけぇ」と声がしはじめ、47回繰り返したところで、ふっつりと静かになるという。この時期、そう、12月14日から一七日(いちしちにち)のあいだのことなのだが、さすがに運転手たちも気味悪がったという。それにしても妙な話である。というのは……
……(汗)
ああ、我ながらしょうもな。
要するに「置き去りバルブ」という言葉が運転手の間で使われていて、いつも置き去りにされるから、という非常に分かりやすい語源なのですが、さらに語源をたずねると auxiliary valve (補助バルブ) に行き当たる、という話を読んだことがあるんです。が、どこに書いてあったか思い出せない。どなたかご存じありませんか…… と、これだけ書いたのでは、すぐ終わってしまうので、変なことを書いてしまいました。
「大山、ゲッセン、ドン」(On your mark、Get set、Bang!)と似ている話なので、あるいは外山滋比古氏のエッセイだったか、との印象もあるのですが。あるいは年刊の『ベスト・エッセイ集』だったか。書名・筆者名まで忘れているくらいですから、話の細かい部分も違いがあるかと思います(もちろん、「連れてけぇ」なんて言いません)。
ご存じの方、心当たりのある方、どうか御教示くださいませ。
20011201
■とんと落とせば
古本屋の目録で『大極節用国家鼎宝三行綱目』(元禄3年ごろ刊)というのを注文しました。きれいな本ではないとの注がありました。その分、安くなっているので文句を言う筋合いではありません。が、少しでもきれいなものをと思うのは、人情のしからしむるところ。
ほとんどすべて裏打ちされてるのはいいとして、その紙が硬いのか糊がきついのか、ちょっとごわつき気味でした。こうなると、閉じたときに隣り合った丁がこすれてしまいがちです。丁寧に扱わないと。
刊記(奥付)もないので、なにか年代の手がかりになるものはないかとあちこち見ていると、こんないたずら書きがありました。
「此(ノ)節用トント落トセバ他人(ひと)ノモノ。返シテクレヨ、心アル人」。
印刷の古びかたよりは新しいようなので、たぶん、補修した人が書いたのでしょう。
こういうのを見ると、なんだか嬉しくなってしまいますね。「思い」が感じられる気がして。この書き込みのために、手放しがたい気にさせます。
新宮誕生の日に。
20011106
■「多層建て」
建物ではありません。列車のこと。2階建てなら、つとに近鉄のビスタカーが有名。JRでも東海道線で見たことがあるし、東北・北陸新幹線にもある。が、それらではなくて。
図書館に十数誌の雑誌が新たに入ることになり、ちょっと見てきました。ぱっと目についたのが、『鉄道ジャーナル』の12月号。表紙には「多層立て列車と分割併合の現場」の文字が踊ってました。覗いてみると、異なる愛称の列車を連結して運行することを「多層建て」というようです。
ちょっと大げさだなと思いました。正直な話。「多層」と言っても、せいぜい2本止まりだろうと思って。
ところが、3本という例もあるのですね。九州の方ならお馴染みなのかもしれませんが、博多発の「みどり」「ハウステンボス」「かもめ」がそう。こちら(えきから時刻表。鹿児島本線)だと、季節運行になりますが、たしかに10・11・15時は3本を1本にするようです。2本併結はあたりまえ。
これなら「多層」でもよいかな、と思った次第です。ただ、前述の2階建て車両とは紛れないのか、心配しますが、「列車」と「車両」だからよいのかな。
『鉄道ジャーナル』の「◆列車追跡シリーズ」は「最後のリニューアル485系特急 しらさぎ 38年目の晴れ姿」。そうなんです。やっと変わってくれました(泣)。
考えてみると「しらさぎ」の通るルートは結構変化があるのかも。特に岐阜・福井間。結構、忙しいですよ。金華山上の岐阜城を後にして、大垣からは山沿いの東海道線北線(正式名称知らず。マピオン)を通ります。普通・快速は垂井経由。関が原以西は、今須・柏原・醒井(マピオン)など中山道の宿場町がちらっと見られる。柏原から急に北上しますが、前方に伊吹山がどっしりと構えます。雪化粧の冬はまさに圧巻! 米原では方向転換のためシートをくるっとまわすという体験も。見知らぬ人とのコミュニケーションが楽しめます。米原を出ると左手に琵琶湖を見、余呉湖の真横(マピオン)を抜けます。羽衣伝説の神秘の湖。背景は賤ヶ岳。この間にデッド・セクションが。何やら物騒ですが、電流の交流・直流を切り換えるための無送電区間です。夜通るときは真っ暗。しかも、今のうち(Daisuke Oyamatsu さん)。そして、敦賀の前後がクライマックス。ループトンネルあり、長大な北陸トンネルあり(マピオン)。
太平洋側から日本海側に抜けるコースなので、冬場は景色が劇的に変わります。なかなか楽しめる区間ではないでしょうか…… ということを福井大学での学会のまえに書いておけばよかったと、さきほど気づきました。お粗末。
20011104
■「水押(みよし)」まわり
石井謙治著『和船I』(法政大学出版局 1995)の巻末に「付録・用語解説」があります。その「水押(みよし)」の項目にひかれました。「水押」とは、和船・弁才(べざい)船の最先端部の部材です。波を切りわける部分。
水押(みよし) 「によし」(荷吉・女首・女子・子丑)ともいわれる船首材で、下端を「航」に切組み、水平より約六十度立ててとりつける。
ああ、想像力が喚起される。
まず「水押」が語源を正しく反映したものなら、本来は「みおし」です。波を切りわける部分ですから、大変分かりやすい、的確な語源です。なお、「みよし」は「みおし」からの派生でしょう。渡り音の発生によるもので、「見合い」を「みやい」と発音することがあるのと同じで、よくある変化。
ただ、水を「み」とだけいうのは、なんとも古めかしい。ずいぶん前からあった語のようです。そういう古さのある命名は、時代が下るにつれて不自然というか、分かりにくくなっていきます。それが、語源を新たに解釈する契機になります。
まず、「みよし」から「によし」になるのがそれでしょう。「荷吉」との語源解釈が働いて変化したと一応考えられます。縁起をかつごうという意図が背景にあるでしょう。廻船(貨物船)に関わる人なら思いつきやすい用字です。
ただ、「みよし」から「によし」への変化は、「歯磨(はにが)き」をも想起させます。岡山の例だったわけですが、弁才船は、瀬戸内で生まれ発展したそうですから、ミ→ニの変化を、方言上の変化規則にゆだねる線も考えられるところです(ただ、どこの方言でもmとnの交替はありそうです。もちろん、規則的にすべての単語にということではなく)。
このように二つの道筋が考えられる「によし」ですが、これからさらに種々の宛字がおこなわれます。「にょし」とも発音されることがあったのか、「女子」という宛字が生まれました。それからさらに発想して「女首」。もちろん、細さに注目して語源をたどったのでしょう。「しゅ」が直音「し」として発音されたり、書かれたりする例も脳裏をよぎります。いわゆる「直しすぎ」が働いてるかも。
「子丑」は分かりませんが、出帆すれば方角は常に気になるところ。身近な用字で済ませたのでしょう。また、「子丑」を字ごとに発音すれば「ねうし」になります。そういう発音もあったのでしょうが、発音「にょし」(「にょうし」ならより可)の仮名書きを考えてもいい。正規の仮名遣いはともかく「ねうし」との表記もありうるからです。それを切りわけ、それぞれに漢字を宛てて「子丑」になった可能性があるということです。
もちろん「子丑寅卯辰巳……」と続く、よく口の端にのぼる音連続の存在も気になるところ。一種の類音牽引がおこったという線です。ただ、一つ注意しておくと、似ていればなんでも牽引されて同じ発音になるというのは早計です。やはり「より言い慣れている」という条件が必須です。機械的な適用は危険。
今回は和船・海事特集でしょうか。
20011101
■えー加減にしなさーい!
ちょっと行きがかりがあって、漂流譚や和船のことを調べています。以前、論文(?)で『南瓢記』を使ってから、ぼちぼち見てはいたのですが、少し集中して。で、『漂民帰郷録』という漂流記に、ちょっと面白い記述があったので紹介します。
海事史研究の泰斗・石井謙治氏の「天徳丸台湾漂流記」(『海事史研究』21 1973)によるものです。文化6(1809)年11月21日、1400石積み菱垣廻船・天徳丸が遭難、台湾に漂着します。瀬戸内人と台湾の役人のやりとりが、スゴイ。もちろん、漢字による筆談です。現代語訳しましたが、ちょっと分からないところもあるので、参考程度にて。
天皇の御名を聞いてきましたが、何度も「存じません」と答えました。が、知らないはずはなかろうとの素振りなので、相談して「何でもいいから答えとこ」と決めました。仲間の善蔵が持っていた節用集をみて「人皇八十一代 安徳天皇」と答えました。すると役人が、仲間の膝をつついて笑いだしました。「なんだ、知ってて言わなかったな?」という風です。
日本天子の御名尋候得共、何レも存不申旨、再応報候得共、答申候。然共知らぬ事ハ有間敷与弥尋様子ニ付、何れも申合、何とニ而も答可申哉と申合、船子芸州善蔵節用集を持参、人皇八十一代安徳天皇与答申候所、船子之膝ヲ突候而段々之役人中笑ひ居申候、是右之通存居候而頓不申哉と申様子与相見へ申候。
あんたら、平安末期の人間か!
こんどは、「天皇の名を知ってるのだから、将軍の名も知らないわけないよな?」というので、「二度と来るところじゃないし、ウソでもいいやん」とばかりに、「小松内大臣清盛」と答えました。
また将軍之御名ヲ問候ニ付、又前之通再応尋候而天子の御名ヲ存候者将軍之名を不存事有間敷与申候付、又々申合、何とニても答可申、二度参候所ニ而無之、虚言ニ而も不苦与申合、小松内大臣清盛与答申候。
うっ。安徳天皇に平清盛で合わせるとは、やりますね。小池田マヤ(晴天時報)に教えてあげたい。
また、「各々の官位は?」と言うので「官はございません」と答えました。すると「天皇・将軍の名を知る者が無官のはずがない」というので「無官大夫敦盛」と答えました。
又船子共銘々之官ハ何与申官名ぞと尋候ニ付、官ハなき者ニ御座候与答候所、天子・将軍之名を知候者官なきものニてハ有間敷与申候ニ付、何れも無官大夫教盛与答申候。
「無官」から連想して、悲劇のヒーロー平敦盛ですか。時代もぴったり。見事なボケです。
そして「お前たちは誰の子孫か」と尋ねるので、これまた、「日本人は天照大神の子孫やろ?」と相談し、「天照大神宮です」と答えたら、納得したようでした。こんな答え方でもよかったのでしょうか。
又其方共ハいかなる者之子孫そと尋候ニ付、何も申合、日本人ハ 天照大神御末と申事ゆへ天照大神宮之子孫と申候所、ウナツキ合点之体ニ而右答方宜事ニ候哉(下略)
漂着先で、ボケの返答。なんとも堂に入った胆のすわりかたです。第二次世界大戦で、イギリスの貴族がドイツの攻撃をジョークでじっと耐え、やがて反撃の指揮官になるという映画を見たことがありますが、それに通ずるものを感じます。
しかし、ちゃんと帰れるかどうか分からないのに…… 私だったら、べらべらと本当のことを話してしまうところです。それにしても「こんな答え方でもよかったのでしょうか」って? えー加減にしなさーい!
この漂民、「作った」んじゃないでしょうねぇ?