気になることば
80集
一覧
分類
| 「ことばとがめ」に見えるものもあるかもしれませんが、背後にある「人間と言語の関わり方」に力点を置いています。 |
|
20010531
■使用の辞書と理解の辞書のはざまで
見知らぬ漢字や熟語が出てきたとき、漢字の形から読み方が分かる辞書がほしくなる。現代なら漢和辞典の出番ですが、江戸時代だったら倭玉篇がありました。ただ、漢字一つのときの読みしか分からず、珍しい読みも載っています。ありていに言えば、漢籍・漢文を読み、理解するための辞書でした。
漢字が二字・三字の熟字はどうするか。めずらしい読みよりも代表的な読みが知りたい。当時の常用書体であった行書草書で引ければ、なおよい…… そうした要請に応えようとしたのが、『扁引重宝字考選』(安永3年刊。左の画像。こちらも)だったようです。
倭玉篇を使うには、きちんとした漢字の知識が必要でした。ことに部首では悩まされたのではと思います。ところが、『扁引重宝字考選』はおおざっぱ。左の画像の「田部」の注には「スベテ文字ニ田ノ形ノ有レハ此部ニ有」とあります。田・里・黒・思・野・異などが、みんな入ってしまうんですね。間口が広いので、とっかかりやすい(ただ、その反動で欠点もありますが)。
実は、画像をかかげた私の本は、『扁引重宝字考選』と『大広益字尽重宝記綱目』(寛延2年刊)を合冊したものです。こちらは、漢字を書くときに、読み(と意味)から漢字を見つけるもの。現存書すべてが合冊本ではないようですが、出版(営業?)のありかたを見る気がして、面白い存在です。
さて、その私蔵本。もとの表紙・題簽は無くなったらしく、後から手書きの題簽が付けられています。題して『字引編目(?)両用節用集』。言葉の選び方にちょっと疑問も感じますが、もちろん、現代とは違う、当時の受け取り方が反映しているからかもしれません。ともあれ、読みからも形からも漢字が引けるよ、ということでしょう。「どう? なかなかいい名前、付けたでしょう?」と問いかけられてる気がして、ちょっと微笑ましくなります。
あるいは元の題簽も、そういう題だったのかな?
20010528
■句読点、和式と洋式のはざまで
出勤してメールボックスをみたら、内閣府大臣官房政府広報室と差出人が印刷された封筒が入ってました。速達です。おおやけの機関からの郵便物というのは、いまだにどきっとします。いえ、悪いことはしていませんが、なんとなく。
それにしても内閣府。総理大臣から「長年のホームページの運営、低予算にたえて、よくがんばった! 感激した! おめでとう!!」とのメッセージとか感状がはいっているのかな、などと思いながら開封しました。すると、『日本の勲章・褒章』と題された小冊子が! 勲章の数々をフルカラー写真でアート紙に印刷したもの。なかなかにきれいです。しかし、まだまだまだまだ、そんなものに縁のある年齢ではないし、業績もありません。
封筒に残った一枚の紙をみると、「栄典制度の在り方に関する有識者アンケート調査の御協力のお願い」と題されてました。「無作為に抽出した3,000人」の一人になったので、協力して下さい、というものでした。
実は、もう一冊小冊子が入っていました。こちらは『栄典制度の在り方に関する論点の整理』と題されたもの。都合、二冊の小冊子が送られて来たわけです。双方とも横書き。
さて、気づいたことが一つ。『日本の勲章・褒章』の句読点は「,。」で、たしか文部省時代に決められた(といっても内規でしたか?)和洋折衷式なのですが、『栄典制度の在り方〜』の方は「、。」で和式でした。
めくじらを立てる気は、さらさらありませんが、統一されてはいないようですね。私の職場でもそうですから、別段、どうということもない。内閣府でもそうなんだ、と思った程度です。ただ、『日本の勲章・褒章』は本格的な印刷で、どこに出してもはずかしくないようなものになっています。『栄典制度の在り方〜』はプリンタ出力そのままで、いかにも会議資料というおもむき。これも、一種の「晴」と「褻」の違いでしょうか。
20010515
■イロハと五十音のはざまで2
左図は、『ポケット いろは辞典』(昭和6)です。と、一応、言っておけるのですが、少々厄介。「ポケット……」の名は、表紙・背・扉にあるのですが、左図の書名とだいぶ違いますね。また、編者も、奥書では弘盛堂編輯部となっています。いろいろな出版社が出来ては、経営に失敗した…… そうした繰り返しがあったのかもしれません。が、それはさておき。
『ペン字三体 新式 いろは辞典』では、イロハ引きと五十音引きとが混交していたわけですが、そう例はないだろうと思っていたのです。ところが、左の『ポケット』でも、同じようになっていますね。となると、これまた少々厄介。
こういった、あまり有名どころではない出版社からだされた、あるいは、日用の簡便さを主体にした辞書などでは、イロハ引きと五十音引きの混交が多く見られたのではないかと疑われます。もちろん、五十音引きで通しているものも多くあるわけですが。
それにしても、いよいよ分からなくなってきます。
20010515
■イロハと五十音のはざまで
左図は、『ペン字三体 新式 いろは辞典』(昭和4年刊)の冒頭です。現在でも、この種の、ペン字書体付きの国語辞書は書店にならんでいますね。私の実家にも、一冊、かなり長いことありましたので、こういう本を見るとちょっとなつかしくなります。
「い」からはじまっているので、イロハ順ということになります。が、しかし……
1段目は「い」だけの語が並んでいるのでよいのですが、2段目は3拍・4拍の語です。「いあい・いあく・いあん・いいえ・いゝつけ・いゝぬけ」となっているのをみれば、これはイロハ順ではありませんね。そう、五十音順なんです。
でも、なぜこういう風になるんでしょうね。もし、イロハ順が当時でも好まれたのなら、すべてイロハ順で通せばよさそうなものです。もちろん、逆に五十音順で通すこともありうるはずですし。両方混ざっているのが、なんとも不思議です。これも「イロハから五十音への過渡的現象」「一歩ずつの近代化」と言えなくもないのですが、どうでしょうか。ルールは単純な方がよい、ということなら、やはり一本化の方がよいのでは。
実は、必要な語を、五十音順の辞書から抜きだして、最初の仮名だけでイロハ順に並べたのか。その必要性は、ネタ本をさとらせないためだったとか。妙なかんぐりをしてしまいます。
20010513
■丁と頁のはざまで2
前々回の『新撰日本節用』(明治26年刊)は、袋綴じなのにページ数を記していたこと、その数字を「丁」と呼んでいたことが面白かったのでした。単に変なのではなく、ページ数表記は新しいもの、「丁」で呼ぶのは従来のものですから、一つずつ新しくなっている。となれば、あってもおかしくないものです。近世的表記から近現代的表記にいたる過程では。
ならば、現代に近いほどページ表示で「頁」と読むはず……
左図は、『昭和/いろは字典』(昭和3年刊)です。見てのとおり、袋綴じで、紙単位で数字が振られています。もちろん、これはこれで正格なのですが、すでに明治の『新撰日本節用』でページ単位に振っているのですから、逆行とも言えますね。
う〜ん、いろいろあるのねぇ、と思ったのも束の間、目次を見てびっくり仰天。なんと、「頁」ではないですか! どうして実際の丁付けが江戸時代的なのに、「丁」と呼ばないのか…… 不思議で不思議でたまりませんでした。
が、冷静に考えると、これも近世から近現代への過程では、あってもおかしくないものですね。つまり、「丁」の代わりに新しい「頁」を使っただけで、丁付けは江戸時代のままということです。『新撰日本節用』のありようと正反対の行き方なので、幻惑され、仰天したのでした。
でも、昭和になってもこういう齟齬があるとは。ちょっとひっかかりますね。しかし、これは、私が昭和生まれだからかもしれません。
20010512
■縦書きと横書きのはざまで
さて、予告していた『新撰日本節用』の目次ですが、さきに掲げた画像で、「ち」の上の丁数(実はページ数ですが)に御注目。右から「百〇六丁」とあります。いわゆる一行一字の縦書きです。が、しかし。
縦書きの一種なら、右から「百六丁」で済むはずです。でも、「〇」が入ってる! 西洋風の表記法「106丁」との混淆があったと考えられます。同じ例は、左図のように他に二カ所ありました。単なる間違いではなく、確信的なのです。
やはり「一行一字の縦書き」とはいえ、「(右からの)横書き」という意識も、どこかにあったのでしょう。少なくとも、そう考えれば、「〇」が入る理由は理解しやすい。
さて、これで実際にその丁(実はページ)が「百〇六」とあれば、なお面白いのですが、さすがに、本当の縦書きだと「〇」は入らないようです。
とすれば、いよいよ右からの「百〇六」「四百〇二」は、一行一字の縦書きが、(右からの)横書きと捉えられることがあった証明のように思えますが、果たして。
20010511
■丁と頁のはざまで
先日、ちょっと古書の整理をしていて、気づいたことがあったので、御報告をかねて。
左は明治26年刊行の『新撰日本節用』という辞書です。注目点は左の「日本節用」と書いてある部分。当時、まだ袋綴じだったのですね。で、その袋の輪の部分を広げてみたものです。
「日本節用」の下には、右に「い一二」、左に「い二」とあります。これは当時の節用集と呼ばれるタイプの辞書では普通のことなのですが、単語のはじまりの仮名とその数で配列されていたことを示しています。袋綴じの輪の右部分は「〈い〉ではじまる仮名一文字の語」と「同じく仮名二文字の語」があり、左部分には「同じく仮名二文字の語」だけがある、ということを示しています。
さらにその下。右左にそれぞれ「一」「二」とあるのが、面白い。
え? ページを示したのじゃないかって? はい、そうなんです。まさにその通りなんです。が、しかし、この本ではこの数字で表しているものをページとは呼んでいないのが面白いんですね。
目次の一部をかかげました。「初丁/い」などとあることから分かるように、ページ単位で振られた数字を「丁」と呼んでいるのですね。これは、まさに江戸時代と明治時代の出会いというか、過渡期的現象でしょう。
江戸時代の袋綴じの本でも紙に数字を振っていましたが、それはページ単位ではなく紙単位でした。袋綴じの紙は、折ろうと折るまいと一枚の紙には変わりありませんね。その辺から紙を単位に数字を振っていました*。それを数えるときに「丁」を使ったのです。さらにその中は、折り目より右を「表」、左を「裏」と呼びました。
* 本来の由来としては中国書籍などがあるのでしょうか。ところが、明治になると洋装の本がかなり出回るようになって、数字の付け方をそちらに近づけて、ページ単位に数字を振るようになったのでしょう。が、数える単位(助数詞)は江戸時代までと同じまま…… 『新撰日本節用』のページ単位丁付け(?)には、そういう経緯がありそうです。
当時の袋綴じの本(といっても、私のまわりにあるのは辞書ばかりですが)には、同様のことが結構あります。と、あれこれ見ていたら、もっと面白いことが……
実は、二つめの画像にも、別の面白いことがあります。それは次の機会に。
*必ずしもことばだけが話題の中心になっているとはかぎりません。
">
ことばにも関心がおあり。