私は『読書好日』を花園を歩くように読んだ。 順を追わず、あちらを見こちらを見した。 例えば、リラダンのフルネームがジャン=マリ=マチアス=フィリップ=オーギュスト=ド・ヴィリエ・ド・リラダンだなどというところでにこりとしたり、『忠臣蔵とは何か』に対する精緻な反駁が新聞に載った時の奇妙な感じが、《文芸評論であるなら、その内容の正否は問われるべきではなく》という言葉ですっきりしたりした。(北村薫『空飛ぶ馬』創元推理文庫)北村薫は、好きな作家の一人で、こういう部分がまた魅力のひとつらしい。 逆に、「本格推理小説!」など銘打たれて宣伝もされるので、血眼で伏線をさがすタイプの読者にはつきあいきれない部分かもしれない。 それはそれとしても、引用したような部分のすべてに膝を打ちつつ楽しめるのは、相当に本好き・文学好きなのだろう。私はもちろん落第である。
一九世紀半ば、フランスに、ルイ・ジョルジュ・モーリス・アドルフ・ロッシュ・アルベール・アベル・アントニオ・アレクサンドル・ノエ・ジャン・リュシアン・ダニエル・ウジューヌ・ジョゼフ=ル=ブラン・ジョゼフ・パーレム・トマ・トマ・トマ=トマ・ピエール=モーレル・バルテルミ・アルテュ・アルフォンス・ベルトラン・デュードネ・エマニュエル・ジョジュエ・ヴァンサン・リュック・ミシェル・ジュール=ド=ラ=プラーヌ・ジュール=バザン・ジュリオ・セザール・ジュリアンというダンス音楽の指揮者・作曲者がいたことを思い出した。この名の由来は、彼の父が属していたオーケストラのメンバー三六人が全員、名付け親になったために三六個のクリスチャン・ネームが並んだわけで、(井上ひさし「改名は三文の得」『日本の名随筆 別巻26 名前』作品社)フランス版寿限無だが、実在したところがすごい。 あるいは『ベルリッツの世界言葉百科』(でよかったかな)などをのぞくといろいろ見つかるのかもしれないが。
四番目(のあだ名−−佐藤注)は、小学校三年生くらいだったかと思う、かまぎっちょ。 かまきりをこどもたちはそう呼んだ。(中略)この部分を読んで思い出した。修士論文のなかでカマギッチョを扱ったことがあったのである。
おたまじゃくしだの、かまぎっちょだのと、なぜそういう名がついたのか、もとより私自身の姿や性癖からではあるが、五六十年前のシ墨東、いまの墨田区には、まだまだ田園風景がひろがっていて、子供のまわりには探さずともおたまはうじょうじょしていたし、かまぎっちょなど、すすきの株をたたけば、いくつでも飛びだす、という環境だった。(幸田文「あだ名」『日本の名随筆 別巻26 名前』作品社。「シ墨」は三水+墨)