私も思わず田の中に跼って、稲株から勢よく吹き出た緑を撫でていた。稲を刈りとった後に、稲の余勢が芽を出して、十日ほどの間に十五センチも葉が伸びている。いま読み返せば、このくだり、少々興味深い。
「ヒコバエって言うんだってな」
「ああ、この地方でもそうですか。孫が生きるって書くんですよね」
孫生という字を当ててヒコバエと訓む。子供が米なので、その後から生れた葉は孫になるのだろう。中にはそれから短い秋の間に一人前に実を結ぶものもあるという。
*なお、人名などに「孫」字が使われる場合、ヒコと読むことがある。
安政年間(一八五四−一八六〇)に近海でマグロの大漁があって、江戸中マグロのダンピングが行なわれた。 これを見て、さる目先のきくすし屋が大量に安く仕入れ、醤油に漬けてにおいや色をごまかし(いわゆる「づけ」という代物)、安い握りのネタにして出したのが大いに当たり、マグロのすしも一応一人前に通用することとなった。なるほど、生食を基本とした場合、醤油にツケたヅケは、便宜的なごまかしだったとも言えるわけだ。 そんなヅケ発生の事情が、濁音として表されているのかもしれない。
『図説江戸時代食生活事典』雄山閣
ただし、大漁のためにヅケを作ったのは、文化八(1811)年にもあるようなので、本格的に調べるとなると、引用記事だけでは済まないようである。