19970805
■「えてぼ」
わたしたちはいつの間にか、ロボットが握ったスシを寿司として認知してしまった。 その結果、エテボを赤貝と信じて食べるほど舌を退化させた。
小関智弘「懐かしい言葉『追い回し』」『'94年版ベスト・エッセイ集』文春文庫
貝の一種らしいことは明らか。赤貝に似ていることもわかる。
が、エテボというのは聞いたことがない。
そこで頭をひねりにひねって、サルボと置き換えてみた。
エテ公=猿からの連想だが、これなら辞書にもある。
広辞苑だと「アカガイに似る」とあるから、これできまりだ。
ただし「さるぼうがい」の形である。
日本大百科全書には語源説も紹介されていた。
「この赤い肉と毛状の殻皮との組合せからという説と、猿頬(片手桶(オケ))の形になぞらえたという説とがある。」という。
なるほど「猿の頬」ね。広辞苑は慎重なのか、漢字表記ものせてない。
仮名遣いのことも気になるのかな。
上の随筆のエテボは、やはり猿=エテ公の連想がからんでいた。
ただ、サルをエテ公というのは、私の語感だと、品のなさを感じる。
先生を先公というのと同じいかがわしさを感じる。
が、上の随筆の場合、エテボのいかがわしさゆえに、ふさわしい使い方だと思って感心した。
本物がいかがわしいものに取って代わるという文脈は、引用した部分からでも容易にわかる。
エテボは、ピッタリはまっている。
そんなにピッタリだと気になるのが、随筆の筆者が臨時に造語したものなのか、
それとも一部では使われてきた実績のある語なのかということ。
私としては、後者の可能性を祈りたい。
本物をたたえる人が、ニセモノを作ってまで文章にするというのは、ちょっと悲しいから。
19970806
■新企画「『津軽』への旅」
ネタがない。そこでこのサイトの新企画でもうちあげてみよう。
文学作品がポイントになっているので、「気になることば」で書いてもいいだろう。
今日、ひさしぶりに母の実家「三厩村」をgooで検索してみた。
津軽半島北端の村。『津軽海峡冬景色』でおなじみの龍飛岬を擁する。
青函トンネルは南隣の今別町から入るが、工事の中枢は龍飛にあり、
先進導坑(でよかったかな)もここから掘られた。高倉健主演『海峡』(でよかったよな。
忘却力が強くなった)でご存じの方もいるだろうか。
いまでも風力発電の中心地としてテレビなどで紹介される。
以前検索したときは、あまりビジュアルでない観光案内くらいしかなかったのだが、
今回は違う。なんと三厩村だけで300枚に及ぼうかという写真をのせた
サイト
(前川道博さん・東北芸術工科大学)に行き当たった。
圧倒的なパワーだ。
村全体は津軽海峡に面している。ほとんど山がちの土地。
本当にわずかな平地をへだて、あとは浜辺。それにそって国道が走る。
膨大な写真は、この国道沿いの風景を写したものだ。
つぎつぎに見ていく。知ってる知ってるの連続である。
義経寺(ぎけいじ)。ちょっとした山上にある。
衣川の戦いで討ち取られたはずの源義経が生き延びて建てたとかいう寺だ。
叔父(母の弟)の葬儀も、叔父の自宅のほか、ここで行なった。
厩石(マヤイシあるいはンマヤイシ)。
義経寺とは国道をはさんで海側にそびえる。義経が馬をつないだ石だ。
この石には穴が三つあいており、昔はそれぞれに馬が入ったという。
「三厩」の語源である。全高20〜30メートルほどはあろうか。石というよりは山の片割れである。
イカ焼き屋。厩石のとなりにある簡単なお店。
何をかくそう、私の叔母(母の弟の嫁)が営業・出勤する店だ。
あ、叔母が写ってる!(いかの生干し2)
隣の集落。ひょっとしてこの家は母の実家の隣の家ではなかったか‥‥
梨の木間(なしのきま)のトンネル。山が海に落ちこむところが数カ所ある。
そこにトンネルを掘り抜いたものだ。バスがやっと一台通れるだけの幅だが、
これ以上大きく掘ると、崩れる恐れがあるのだろう。
という具合で、竜飛岬あたりまで街道沿いに写真がつづく。きりがないのでここでやめよう。
ひさしぶりにWWWで興奮した(ちょっとオーバーかな)。
で、それがなぜ新企画につながるのか、だが、それを言うにはもっと書かなくちゃいけないことにきづいた。そこで今日はここでおしまいにします。
19970807
■新企画「『津軽』への旅」2
というわけで、久しぶりにWWWで興奮したのだが、一方で、私の記憶の底の底にある三厩村との違いに気づかされてしまう。
たとえば、昔の厩石は、山側には道路が走っていたが、反対側は海だった。三つの穴にもひたひたと海水が寄せていた。ところが、今は、海側に公園ができ、その外側に新道ができ、その外にやっと海がくる。公園と新道の分、埋め立てられたのだ。
梨の木間などにのこる狭いトンネルも、たしか、津軽十三洞とか言っていて、ちょっとした名所ではあった。
いまは数カ所をのこすのみ。
港も近代化して、駅近くの港にほぼ一括して停泊するようになった。
昔は各家のまん前の浜辺に引き上げたものだ。
それも、漁船にロープをわたし、浜に備えた糸巻の親玉みたいなやつで巻き取っていく。
もちろん、動力を使うのだが、小さい船なら糸巻の軸に穴をあけ、丸太を通して人力で巻き取った。
そうして海側には漁船が尻を並べる。山側は東北独特の板壁の家々がつづく。
国道はそのあいだを縫うようにはしるのだ。
漁船と国道とのあいだに丸太を2本立て、それらに丸太を何本かわたす。
そこにとれたてのイカを裂いたのをかけて干す。スルメづくりだ。
それがいくつもいくつも続く。さながら、イカのすだれである。
これはいまも少しはあるが、昔とはくらべものにならない。
そういえば、太宰治が「にわとり小屋」と称した船小屋もほとんど見られなくなった。
浜が狭い磯がちなところでは、海に柱を立て、浜から丸太をわたし、そこに板をならべ、
小屋を作る。
網だのガラスの浮きだのの、道具置き場だ。
小屋の真下は海だから、小さい船ならそのままつないでおける。
よくしたものである。必要な道具はただ下の船に落とせばいい。
子供ごころに、サンダーバードの秘密基地みたいだとおもった。
別に今の状況が悪いと言っているのではない。誰が悪いのでもないだろう。
少なくとも個人の単位で見た場合にはそうだろう。
ただちょっと寂しい、というところだろうか。ノスタルジーだ。
ま、それはともかく、記憶の底の津軽をWWW上で展開できないか。
空間を自由に行き来できるのだから、そろそろ時間も、ということになるか。
で、考えてみたら、父親の撮った1960年代の津軽の写真があることに気づいた。
それでページを作ってしまおう。が、私は国語学の教官。前川さんのようにはできない。
え〜い、太宰治の『津軽』にかこつけて作ってしまえ! と、無謀なことを考えたというわけ。
19970810
■「えびがに」
9日土曜日は岐阜をたち、埼玉の実家へ。14時にでてついたのは22時30分。
ちょっとかかりすぎである。中央高速の大月あたりで35キロの渋滞にはまってしまったのが効いた。東京近辺でいろいろ道を選べる東名高速の方が結局すいているようだ。
久しぶりに疲れた。
今日は葛飾区の水元公園へ行ってみた。東京外環を使って40分ほどで到着。
東京にもこんな自然公園が残っているのかとびっくりした。
ともかくセミがうるさいほど鳴いている。トンボも数多い。
湖と沼の中間くらいの池(?)では釣りもできるし、
それにそそぐ小川ではザリガニもとれる。
お決まりのカップルもそこそこいたが、さほどでもない。
よくみれば、茶髪カップルも見当たらない。また、子供たちもいないわけじゃないが、少ない。
落ちついた公園である。
ザリガニ取りをしている子供のバケツをのぞくと、そこそこ大きなアメリカザリガニがいる。おじさんたちのころはもっと大きいのがバケツ一杯とれたんだぞ、などと話しかけたくもなったが、あるひとりが「エビガニがとれた」などと言った。
その一言で満足してそのまま通りすぎることにした。
エビガニというのは私の子供のころから使っている言葉である。
アメリカザリガニだと、エビのような姿で、カニのようなはさみをもっている。
だからエビガニなのだろうと思う。
それが、現代の子供たちの口から出たのを聞いて、なんとなく安心したのである。
新方言なのかもしれないが、そのなかには、少なくない数の少年語みたいなものが含まれている。
「少年語」とは聞きなれないが、「幼児語」と似たような性格のものである。
ある一定の年齢時には(誰しも)使うが、成長するにつれて他の言い方に取って代わられるような言葉の一つである。と、別に学界で定義されたりしているのではなく、勝手に名付けたもの。もう少し汎用性をもたせて「年齢語」とか言ってみてもよい。
19970811
■幸せなあだ名
「ひまわりさん、昆虫を採集するコツは何ですか」と村の人に聞かれる。 私は決まって「事件捜査と一緒で、何度も根気よく同じ場所に通うことですよ」と答えることにしている。
佐々木茂美「ひまわりさん」『母の写真 '94年度ベスト・エッセイ集』文春文庫
筆者は村の駐在さん。そのあだ名が「ひまわりさん」である。
何だか農村ののどかな生活を思わせるような名だ。
が、その語源は、昆虫採集にせいをだす筆者をみて、
悪友たちが「暇あり」と名付けたのを、
子供たちが誤解して「ひまわりさん」と言いだしたものだという。
由来はどうあれ、ご本人が、このあだ名のせいもあってだろうか、親しまれているのはほほえましい。
で、この筆者をモデルにした推理小説もあるそうな(平野肇『昆虫巡査』)。
是非読んでみたいものである。
19970812
■「世に拗ねて」−−−誤用ぎりぎり6
理由をたずねると、以前に世に拗(す)ねて生きることが厭になり、死のうと思ったことがあったが、先生に生きることの尊さを諭され……
戸川幸夫「長谷川伸と蛇」『母の写真 '94年版ベスト・エッセイ集』文春文庫
ある種の動詞で助詞ニとヲとが入れ代わったりする変化はままみられる。
これもそのひとつということになるだろう。
手元の資料を検索しても、やはり「世ヲすねる」しか見当たらない。
それにしても94年版のベスト・エッセイ集はなかなかよい。
語学的な話題が比較的多いということもあるが、内容がおもしろい。
ひところ、作家とかエッセイストの文章ばかり載せたことがあったが、ふたたび、
一般の人々の作品が多く読めるようになった。いい傾向である。
ひごろ、エッセイストのエッセイほど面白くないものはない、などと放言しているものとしては諸手をあげて大歓迎である。
19970814
■小題三題
今日は、父が白内障の手術で入院する慈恵医大病院へ。一応、保証人なのでお供。
新館なので気持ちよい。休憩コーナーからは東京タワーや、妹の会社も見える。
看護婦さんたちも優しそうだし、安心安心。
入院患者に見せているパンフなどをぱらぱら。
ワープロで書き、イラストも配した簡単なもの。看護婦さんたちの手作りらしい。モットーもいくつか書かれている。
「病気を診るのではなく、病人を診る」、その言やよし。
「来て良かったと言われるために」。旅館じゃないんだから、そこまで書かなくても‥‥‥
「非難は階段で」(緊急時のマニュアルのうち)。そうそう、悪口は聞こえないところでね。
でも、ここなら入院してもいいと思ったことはたしか。茶化しも愛情表現。
帰りは池袋へ。母と妹が2時間ほどショッピングしたいという。
男の私がくっついていって面白いはずがない。
地下駐車場の入り口で落ち合うことにして散開。
とりあえず、西武の書籍館へ。地階で『日本の名随筆 別巻 辞書』をゲット。
つかれたら喫茶店でこれを読んでればいい。ついでに国語学の専門書をもとめて別フロアへ。
語学コーナーに『岩波講座 日本語』『朝鮮資料による日本語研究』がなぜか並んでいるほかは、随筆程度しかない。言語学コーナーもちょっとさびしい。
大分の友人から、加藤正信編『日本語の歴史地理構造』を大分の書店で見たとのメールが来ていたので、それをみたかったのだが。まだ、完成品を見てないので拙論がどんなふうになっているか確かめたかったのに。ああ、池袋にジュンク堂を!
しかし、漢字検定の問題集がどっと置いてあるのはびっくりした。
しっかりビジネスしていると見た。
地図をパラパラ。先日行った水元公園の位置を確かめる。
あの大きな池(沼?)は「小合溜(おあいだめ)」ということがわかる。
もとは下水処理用の汚穢溜だったかもしれない。
江戸の昔から水道が通じていたから、川にはどんどん流しただろうから。
岡島昭浩さんの
「目についたことば」
祝!再開
高本條治さんの
「耳より情報」
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