19970716
■「民間」の活力
われわれ言語学のほうでは、こういう語源に対して、「民間語源(folketymology)」の名を与えている。この訳語の「民間語源」には、「いかがわしい」「信用できない」といった言外の意味が伴う。「民間療法」がいかがわしい療法であったり、官に対して民間は「信用できない」存在だという評価が一部にあるからである。
柴田武「「ことばの旅」のウラ・オモテ」〜『ユリイカ』臨時増刊 青土社 1984・11
この「民間語源」というのも、たしか柴田の作ったことばである。
それを柴田が否定しているのだから自己矛盾なのだが、逆にいえばそれまではもっとひどい状況だった。
「語源俗解」などという鼻持ちならない用語が使われていたから。
学者さまが下々にむかって「汝の考えは誤りぞよ」とふんぞりかえっている図が目に浮かぶ。
柴田でなくともカチンとくる。
その現象としては、学問的には正しくない語源解釈ということ。
「足をズボンと入れるからズボンだ」「ちょっと着るからチョッキ」などがその典型。
しかし、そういった語源があるからこそ、使いなれない外来語だって広まった。
この言葉を使えと無言の圧力が加わったとき−−孫が使っている、娘まで使いだした、
となりの旦那も。知らないとはもう言えない−−こういった語源解釈が生まれやすいのではないか。
そのおかげでどれだけの言葉が使われるようになっただろう。
そのようなポジティブな面に注目するとき、「語源俗解」では伝えられないものがある。
そこで「民間語源」が登場した。つぎに「使用者語源」が生まれ、
上のエッセイでは「当事者語源」という用語を提唱している。
「民間」には、15年前に柴田が指摘したいかがわしさが、いまでもつきまとっているかもしれない。
一方では、短い間でずいぶん変わったとも思う。
このところ、どうも民間でない側の旗色が悪いからだ。
干拓とか河口堰とかダム建設の停滞とか、あれとかこれとかそれとか。
民間で懸命にリストラをしているのに、公務員は何だ、という声もある。
民間活力導入などともてはやされてもいる。民間の方が歩が良くなってきているようだ。
昨日予告(?)した「連発」のきざしが早くも現れたか……
NHK『オモシロ学問人生』に米川明彦登場。ともあれ、理系中心と思っていた番組に、人文学系からの登場は喜ばしい。エンディングでは案内役の酒井ゆきえさんが「ヨネピーってかなりイケてるぅ」と。
サトピーはいかれてます。季節がら湿気でね。
19970717
■橋本進吉の主語観
「鐘が鳴る」の「鐘が」も、「鳴る」では何が鳴るか漠然としてゐるのを委(くわ)しく定めるもので、 やはり、修飾語ではないかといふ論が出るかも知れません。これは誠に道理であります。 実をいへば、私も、主語と客語、補語との間に、下の語に係る関係に於(おい)て根本的の相違があるとは考へないのであります。
橋本進吉『改制新文典別記 口語篇』「修飾語」
小池清治『現代日本語文法入門』(ちくま学芸文庫)を読んでいたらこんな引用があった。
文法からは遠ざかっていたので知らずに過ごしてしまったのだろうが、やっぱりびっくりする。
小池も「学校文法、文節文法の理論を支える橋本進吉の文章とは信じ難い」と書いている。
日本語に主語がない(=主語と呼ぶにふさわしい性格の要素がない)と言われて久しい。
本多勝一『日本語の作文技術』にも書いてあるくらいだ。
英語やフランス語などなどでは、主語の人称や単数複数の変化が動詞の形を決定する(ことが多い)。
必ずと言っていいほど一文中に存在する(英語やフランス語を自在にあやつれるほどではないので、ほんとうは違うのかもしれない。だとしても、文中に主語が存在する確率は日本語とは比べものにならないほど高いだろう)。
こういう一種のアクの強さは日本語の主語と呼ばれているものにはない。
だから、日本語には(主語らしい)主語がない、ということになる。
そうだそうだという主語否定派と、いやそんなことはないという主語容認派とがいる。
で、どちらかというと私は主語否定派なのだが、否定しおおせて何かある、である。
学生に伝えなければいけないのは、主語の有無ではないように思う。
それはまた明日。もう寝よう。(~O~)(-.-)(_ _) クー
19970718
■主語性から学ぶこと
で、主語の有無から何を教えるかだが、やっぱり、考え方とかものの見方ということになる。
どんな現象を目の前にしても一歩下がって眺めたい、背後にある連関を見ていきたい。
少し具体的にいうと、諸説をあさることは大事だが、振り回されないということになるか。
当たり前のことだけれど、神ならぬ身の上、私には、いつもできるわけではない。
だから自戒でもある。
で、主語の有無の場合だと、否定派・容認派の説き方を比較してみる。
否定派は、どんどん押してくる。欧州語のようには行くまい、と。
容認派もそれは分かっているので、違う面から立証しようとする。
いきおい、弁護の色合いを帯びてくる。
その典型的なものは、他の現象から立証しようという論法だ。
つまり、主語の候補になる要素は他の要素とはちょっと違うんですよ、と主張することになる。
たとえば、「文末の敬語は〈主語〉目当てだ」というもの。
たしかに、「平木先生が、梅沢先生を倉橋先生にご紹介した。」なら文句なく、〈主語〉が優位だ。
しかし、すべての日本語の文が、敬語で終わるわけではない。
厳しくいえば、敬語がない文ならこの説明はできない。それに非情の主語はどうするのか……
言おうとすればいくらでも条件のそろっていない例が挙げられる。やっぱり、弁護色はぬぐえない。
だいたいこの手のものが多い。
というか、上の論はまだまともな部類である。
おそろしくアドホックな〈説明〉が大まじめでされることもある。
が、とりあえず、少しは違いがあるようだから、気に掛けておくことにしよう。
とすると、日本語での主語(主語性)は、あるとは言い切れないけれど、まったくないとも言い切れない、あたりに落ちつくことになる。
0か1かで言えば、0.2くらいは主語性があるかもしれない、ということになるか。
こういう捉え方を、学生はなかなかしてくれない。
手順としては、ある現象(の解釈)の両極端をおさえること、
自分としての結論をどのあたりに置くかを決めること、
そのために「両極端」の性格を熟知しておくこと、になるのだが。
当面は類例のストックを増やし続ける必要があるようだ。
19970719
■「寿限無」の疑問
最近、いろいろなタイプの文庫がでてくるので嬉しい。なんせ場所を取らないし、安い。
また、大型版辞典の縮刷版も好き。理由は同じである。柏書房の一連のやつは専門でもないのに5・6冊買ってしまった。そのくせ白川静『字通』などは買ってない。もっと早く縮刷版を出してくれなくちゃ。
で、文庫で辞典となると、それはそれは嬉しい。で、先日、矢野誠一『落語手帳』(講談社+α文庫)を店頭で見つけるなり、買ってしまった。「手帳」とは言い条、500ページ以上ある。
事典の仲間にいれていいだろう。1200円。満足まんぞく。
落語といえば以前から不思議に思っていたのが『寿限無』。あの長い長い名前、噺では「寿限無寿限無、五劫のすり切れ、海砂利水魚の水行末‥‥‥」と「すりきれ」としか聞こえない。
ところが、解説書などでは「すり切れず」と書いてあることがある。
『広辞苑』は「すり切れ(ず)」とあってうまい。
それにしてもなぜこうなるのか。
で、この『手帳』には次のように書いてあった。
五劫の一劫は、方四十里の大石を三年に一度天女が羽衣の袖でなで、この石がすり減ったときとされている。「五劫のすり切れず」は、「すり切れ」と客にきこえなくてはいけない。
なるほど。噺家は「すり切れず」と頭に入れておいて、話すときは「すり切れ」と言うのだろう。
でもなんでそんなことをするのか。語調か。長い名前をリズミカルに言わないと噺がだれるし。
でも、「ごこーのすーりきれ」と言っているから「ごこーのすりきれず」で拍数だけは合わせられるはずだが‥‥‥むむむむ、ちょっとわからない。
芸事には、こんな秘伝みたいなものはけっこうあるらしい。和歌の読み方を記した古い書物には、たとえば「ふ」とあるのを「フともムとも聞こえぬ(る?)ように読む」なんて書いてあったりするそうだ。
19970720
■「員弁」−−ドライブは国語学?
昨日は研究会。会場の三重大学まで車でいくので、ちょとしたドライブになる。
電車でいけば楽だし、本も読めるのは分かっているが、乗り換えや接続が面倒。
愛車* にもそろそろロングドライブをさせなくては。
それに、気温は33度くらいになるらしいが、空気は乾いていて過ごしやすい。
絶好のドライブ日和というわけなのだ。
* 「丘の上のカリーナ」SE。略してオカリナ。曲線的なデザインなので確かにそれっぽい。
長良川の豊かな水を左手に見ながらひたすら南下。建物がないというのはなんと晴々することか。ついでに信号がないのもいい。たまに交差点のある橋もあるが、新しいのはほとんど立体交差。
ただただ走るのみ。爽快爽快。
三重県多度への道に折れる。長良川と別れてすぐ揖斐川を渡る。
この川こそ、関西アクセントの東限。すぐ東隣に長良川、その東隣りが木曽川。
さしもの関西アクセントもここで区切られたというのが実感できる。
ついで桑名への道を南下。
と、「→員弁」という標識を発見。読みはInabe。
ははぁん、『男信』ね。(なましな。東条義門〈1786-1843〉著)
古い音読みの撥音にはmとnがあり、それらに母音を付けたもので地名を表記することがあった。
713年に「好き字」で地名表記しなさい、との詔勅がでたことがきっかけである。
シナノなら「信」のn撥音にaをつけて「信濃」に、ナニワなら「難」にiをつけて「難波」となった。
書名になったナマシナ→「男信」(『和名類聚抄』所掲。上野国利根郡?)は、mn双方に適用した例になる。
で、イナベ→員弁もその例なのだろうと思ったわけ。いま自宅からなので未確認ですが。
桑名東インターから東名阪に入り、30分走って料金所をでる。
「↑亀山」の標識を右手に伊勢道へ。
亀山といえば、服部四郎(文化勲章をもらった言語学者)の故郷じゃなかったかしら。
さきのアクセント境界線も、学術的には彼が発見した。
15分ほどで津インター。津市街に向かう。
と、今度は「→谷川士清旧宅」の標識。士清(ことすが。1709-76)は大部の国語辞典『和訓栞』を編纂した国学者である。
というわけで、会場につくまえから国語学してるわたしだった。(3時7分改稿)
19970721
■桃栗外伝
以前、「桃栗三年柿八年」の後につづく言葉について触れてみました。
その後も気がつけばメモしています。
そのなかには、ちょっと脱線したものもあって、それはそれで面白そうだなぁと思いました。
で、ちょっと紹介してみます。
桃栗三年柿八年人の命は五十年。夢の浮世にさ丶のであそべ(『役者評判蚰蜒』)
これは江戸時代の歌舞伎評判記というジャンルのものから。俗謡でしょうかね。
「さ丶のであそべ」は「酒飲んで遊べ」でしょう。『閑吟集』にでもありそうな感じです。
ヱヽ残念々々、桃栗ざん年柿八年、俺は無念で出兼ねる(山東京伝『人間一生胸算用』)
これもやはり江戸時代の黄表紙と呼ばれる大人向け絵本からです。 こんな風におちゃらけることがよくあります。
桃栗三年柿八年、九年面壁十年の苦界、有情非情のもの、苦(うさ)かたる蛇のなきはなし。 (京伝『三千歳成云[虫冉]蛇』)
これも黄表紙から。「面壁九年」は達磨。「苦界」は女郎の世界をいいます。 身を落として10年ということでしょう。で、これに似たのが現代でも使われることがあるんですね。
桃栗三年柿八年達磨は九年。ヒグラシの声をじっと聴いているような気分で国会をしよう。(『朝日新聞』「素粒子」'93.8.6 夕刊 )
顔も上品になった、と自民某氏が渡辺外相に。桃栗3年柿8年達磨9年ミッチー68年。(同。'92.1.31 夕刊)
桃栗3年柿8年達磨9年議会100年と言いたいが、国会のいまだ熟さざる、悟らざるを嘆く。(同。'90.11.28 夕刊)
桃栗3年柿8年達磨9年俺一生の心と河清100年民の嘆きを知れ、政務次官もけられた渡辺派。(同。'90.3.1 夕刊)
どうやら『朝日新聞』はこのフレーズが好きなようです。
岡島昭浩さんの
「目についたことば」
高本條治さんの
「耳より情報」
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