せんずるところ【詮ずる所】ああでもないこうでもないといろいろ考えてみた、その結論(としては)。要するに。自由闊達の名に恥じないが、文末の「その結論」「とがめる表現」などには辞典の語釈らしさがかぎとれる。 が、次のはそれもない。
【嘘をつけ!】嘘をつくならついてみろ、お前のつく嘘の限界などは当方にはすっかりわかっているのだぞ、という意味で相手の言い分をとがめる表現。
【今に見ろ】現在は自分をばかにしているが、その考えのまちがっていることは将来すぐ分かるだろう。続いて新鮮編社会部。『新明解』の面目躍如(?)といったところか。
【それ見たことか】以前自分の言ったことを無視しなければよかった、と思い知ったことだろう。
じっしゃかい【実社会】実際の社会。[美化・様式化されたものとは違って複雑で、虚偽と欺瞞とが充満し、毎日が試練の連続であると言える、きびしい社会を指す]本日はこれ切りこれ切り。
せけんち【−−(世間)知】おとなとして世の中をうまく渡って行く上での判断と身の処し方。[正直ばかりでは通用しないとか、世の中には裏が有るとか、事を成功させるためは根回しや付け届けが必要であるとかの、学校では教えてくれない種類の常識を指す]
ぜんしょ【善処】うまく処理すること。[政治家の用語としては、さし当たってはなんの処置もしないことの表現に用いられる]
のうり【能吏】役所の内部から見れば有能と認められる、腕ききの役人。
ことばのいずみ【ことばの泉】百科事彙を兼ねた国語辞書。五冊。落合直文編。一八九八〜九九年(明治三一〜三二) 刊。ほかに補遺一冊、一九○八年刊。芳賀矢一が改修して「言泉」。とある。うううむ。明治三十一年の奥付はどの奥付なのか。よくみれば「ことばの泉奥付 /はよりをまで」とある。つまりは第五冊目の奥付を全体の奥付にしたらしいのだが、『広辞苑』の(明治三一〜三二)は気になる。が、3000円とのことなので、買ってしまいました。しめしめ。
[小公子](略)英国のドリンコート侯爵の遺児セドリックは、母がアメリカ人というだけで侯爵家を継ぐことができなかったが、母の死後、ドリンコート家に引取られ、強情で驕慢な祖父の老侯爵とともに暮らすようになる。(以下略)これだけで3点誤りがある。
1)セドリックの父は侯爵になっていない。これは、アメリカ人の奥さんと勝手に結婚したのが、老侯爵の怒りに触れたため。こんな杜撰な紹介をよく書けるものだ。いや、杜撰の域を超えている。学者と活字には用心しなければいけない。
2)したがって、セドリックが「母がアメリカ人というだけで」云々というのも不可。
3)「母の死後」とあるが、『小公子』の最後までセドッリクの母は生きている!これは、セドリックの父の死後、とあるべきところ。
われら一同、現代語辞典の規範たらんとする抱負を以て、本書を編したり。乞ふ読者、微衷を汲み取らんことを(3版27刷)これ、4版になると「汲み取られんことを」と敬語形に改まります。愛くるしいですね。もっとすごいのもありました。次の二つをよく比べてください。私のミスタイプではありません(ただし、細かい記号などは省きました)。
ろうば[老婆]年をとり過ぎて、年輪の古さだけが目に立つ婦人。⇒老女 ←→老爺(ロウヤ)[−−心]不必要なまでに人の事について気をつかい、世話をやくこと。(3版27刷・1984年3月20日)「老婆」の語釈がないんです。思い切ってますね。たしか遠藤枝織さんだったかの差別的用語の摘発運動か何かで「老婆」が取りざたされていたので、それへの対策だったのではないかと思っていますが。
ろうば[老婆][−−心]不必要なまでに人の事について気をつかい、世話をやくこと。(小型版3版21刷・1985年10月1日)
たとえは、いまはだれでも「熱燗」はアツカンだが、父の世代は「アツガン」だった。字引きでも『大言海』まではガンである。おやおや熱燗よ、おまえもか。
VB はとても素晴らしいプログラム開発言語で、拙者もたいへん重宝しております。(M.O氏。同梱他ファイルに2例あり)氏名はイニシャルにした。ソフト名も示さないでおく(関心のある方はお知らせください。また、そんなことをする必要はない、詳報せよとのご意見があれば佐藤まで)。この例は、二つのソフト分かれるが、開発者は同一人。したがって、まだまだ「拙者」は市民権を獲得していないようである。
下記一覧に載せたうちの最初の3枚の壁紙は、オンラインマガジンであるうっぱち屋マガジン第13号「今号のうっぱち屋ソフト」のコーナーに載ったものの中から、拙者のお気に入りのものを集めました。(M.O氏)
また、後半の2つの壁紙は拙者の作ったものです。(同)