ここ三・四年のあいだに、「日本近代文学」での展望をはじめとする研究動向や書評などで、国立大学の独立行政法人化を焦点とした大学改革や文学研究再編の動向に対する、多くは危惧の念をつづったものをしばしば私は目にしてきた。私が所属する教育学部に関していえば、免許法改正を受けた平成十二年度からの新規カリキュラムでは、国語教育講座(ちなみに「国語国文学科」からこの名称にかわったのは平成七年)の学生たちが履修すべき専門科目は、四〇単位から二〇単位へと軽減されている。教科・教職科目においても、教育学部生必修の「教科国語」が選択科目へと替わり、学生は国語専攻の学生であっても必ずしもこれを受講する必要はなくなった。このように専門科目の必須単位数が半減した段階で、すでに教育学部にあっては文学研究プロパーの立場というのはかなり肩身の狭いものになったといっていいだろう。
たとえば私個人のここ四年間ほどの事情を書くならば、専門科目およびゼミ以外に、「情報教育T」、全学共通教育の「フェミニズム文学論」、学校図書館司書課程の「読書と豊かな人間性」、そして教育学部の基礎科目「人権」(半期十五回のうち、二回のみ)を担当している。さらに校務として、平成十一年度より設置されたセクシュアルハラスメント相談窓口の相談員、岐阜大学および教育学部の公式WWWページのおのおのの管理委員会に加わっている(その他の教務・厚生関係については省く)。すでに文学研究と教育の関係について事前に熟考するいとまもなく、今現在自分がおかれた現実の中で、まさに走りながら自分にとっての文学研究と教育のコンセプトを構築していかざるをえないのが私自身の現実なのだ(しかしながら要所要所でのあるていど主体的な選択が可能だったこともあり、結果的にこれらは私にとってはなかなか有益な体験となった)。
「近代文学研究のこれからについて、どう考えていくか」という編集委員会より与えられた課題に沿って、以下この稿では、フェミニズムとインターネットにまつわる部分に絞りながら、以上のような場からみえてくる研究と教育、そして近現代文学研究という学問領域のアイデンティティについて考えてみたい。
まず先に述べたような「走りながら考えた」私の状況に対する、個人的な感慨からはじめよう。前者に関していえば、まず研究者としての自分が、全学のセクシュアル・ハラスメント相談窓口の相談員という現実の渦中に投げ込まれた(じつはこれは、相談員には必ず女性教官を入れるということでお鉢がまわってきたにすぎない)ことによって、私はこれまで理論として知っていたところの近代ジェンダー規範の構造性をいやおうなしに実感せざるをえなかった。おおむねは週刊誌ネタにはなりえぬとみなされる、しかしながらきわめて根深い性差別の実態は、絵に描いたような善玉・悪玉の物語のかたちで提示されるわけではないのだ。したがって窓口での聞き取りという場は、まさに語りの過程を通じて構築されるエイジェンシー、そしてそれに関与する聞き手の意味、なによりも経験の再定義とはその語りの相互作用を通じて行われていくものだというダイナミズムを、自分自身の主体を通して実感させられる場にほかならなかった。換言すれば、単なる日常の些事がやがて人権侵害の物語へと分節化され徐々にその相貌を明らかにするプロセスで、何度もきりきり舞いさせられた私は、いやおうなしに、出発点としての主体の問題に直面せざるをえなかったのだ。研究者としての私は、今悔恨とともに次のような思いを噛みしめる。もしも私が研究者として性差別のメカニズムをもっと理論的に明瞭に把握していれば、私は相談に訪れた相談者たちの感情と状況とを、その状況を変えうる立場にいる人間たちにもっと適切に伝えることができたはずである。つまりそのような特権的な場にいる彼らが依拠する近代的な性規範のフレームにひびを入らせるほどに現実のあり方を的確に分節しなおして提示すること、そしてそのための有効な武器として、その双方の交点に立つメタファーを見つけだすこと。要するに説得のための技術なのだが、これはみじめなくらいうまくいかなかった。これは研究者としてのわたしの怠慢にほかならなかったと真実思うし、またフェミニズムの理論と現実とはこのようなかたちで切り結ぶものと私は信じている。ともあれ、サバルタンをよそに探しに行く必要などないのだ。それは私たちの日常の中に在る。「人権」の講義は、以上のような反省をベースに、いかにして学生たちに女性の人権を理解させるかの試みでもあった(1)。
これに対し、全学共通教育での「フェミニズム文学論」では、それらの理論をできうるかぎり具体的なテキストに関連づける努力をした。ただし、講義の初回にはつねに”認識の準備体操”と称して、近代家族とはまったく異なるところの母系制社会の家族図とカナダの狩猟採取民のヘア・インディアンを例示した。前者は「父親」や単婚家族というあまりにも自明とされる概念をまさに脱構築するし、後者における男女間のジェンダーの差異の小ささは、逆に近代家族を支える性規範が時代と固有の社会条件に拘束された相対的なものであることを理解させるのに有効だからだ。この手順を踏んだうえで、日本文学にあっては古事記、万葉集、平安期の日記文学および物語、説話集、そして近代文学として漱石・太宰・芥川および現代作家の笙野頼子および、外国文学としてギリシャ悲劇、グリム童話、ヴィクトリア朝前後のイギリス女性作家などの文学テキストのうちの幾編かを、毎年交代で扱った。学生たちには歴史学者たちによる関口裕子ほか編『文学にみる日本女性の歴史』(吉川弘文館 平12)を参考文献として紹介したが、一見啓蒙的にみえながら、女性学の視点からの歴史研究成果をいかんなく生かしたこの書は、このような文化相対主義的な文学論をおこなうさいにはきわめて有用だった。もともとこの講義を受講する学生たちは農・工学部の男子学生がきわめて多く、彼らは文系講義の受講が単位上必須であるから来るのであって、最初から「文学」に興味のある学生などはほとんどいない。そのような彼らが講義を通して文学やあるいはフェミニズムに興味をもち、講義後の研究室に参考文献を求めて現れる瞬間は、教師冥利に尽きる。やはりフェミニズムの視点からの文化の相対化は、学生にとっても十分魅力的なようだ。
それにつけても、ジェンダーという語は、なぜ文学研究の領域では危険視されることもなく、こうもやすやすと流通していくのだろうか。その一方で、このことばを使うこと自体がその言説の場自体を相対化するような、リスクに充ちた場がいまだに多いことを私は考える。たとえば幼稚園教諭たちの場。そして小・中学校現場の教員室。だがすくなくともそこでは、ジェンダーという語はその場を軋ませることによって、近代自体を相対化するというフェミニズムのイデオロギー本来の機能をビビッドに生きている。それがなんの抵抗も受けずに軽々と流通している場合には、その場がその認識を受け入れている(もちろんこれ自体は、近現代文学研究という場における諸先輩の苦闘の、貴重な成果だ)ことを喜ぶよりは、論の書き手である自分が、そしてそのような論が流通する場自体が、その表象から何か本質的な部分を欠落させていないかをまず疑ってみるべきだろう。
さきの相談室に関する感想とも関わることだが、私自身は現在、フェミニズムの理念を、父権制と近代産業化社会とが、性別役割分業と家事労働の無償性の二点において共犯関係をもつことによって近代的なジェンダーが構築されるとするマルクス主義フェミニズム的な方向性によって、おおむね把握しつつある。この父権制と近代資本主義との共犯関係を支え、男女両性の目から女性搾取の状況を覆い隠すのが「愛の労働」(2)という巧妙な言説であり、近代的な女性差別の機構はまさにフーコー的な権力として、社会のすべての構成員に対し内在的な強制力をもつとともにその規制を再生産していくという点が重要だ。以下、私の印象に残ったいくつかのすぐれたジェンダー論をとりあげながら、近現代文学研究領域におけるフェミニズム理論と文学研究との関係性を概観してみたい。
阿木津英氏の「ヴァナキュラー・ジェンダー論としての折口信夫の女歌論」(「昭和文学研究」第41号、平12.9)は、なによりも、近代の市場主義経済・産業化社会での性別役割分業の本質を、女性性を「男性性の残余としてしか成立し得ない概念」へ追い落としそこに囲い込むことで、それまでの文化における性的差異を優劣へと編成替えし、男性をまさに特権的な存在として位置づける結果となったと明確に規定した点を評価したい。これを論の骨格とし折口の女歌論へと結合させる手腕はみごとであり、さきに私がふれたジェンダー用語を骨抜きするような傾向性についても、「男性性」や「女性性」という語が何の保留もなく使われ、結果的に「男女対等に衣服のように着脱できるジェンダーのイメージばかりが固定した」とする的確な批判が印象的だ。この手の論に対しては、なによりも阿木津氏の提示する女性性の定義自体がきわめて有効な反論たりえているといえよう。
これに付随して新フェミニズム批評の会編『『青鞜』を読む』(平10、学芸書林)への学会の反響にもふれておきたい。学会内では小平麻衣子氏の「ジェンダー批評とフェミニズムの危うい関係─近年のジェンダー研究書から」(「日本近代文学」第60集、平11.5)等、基本的に『『青鞜』を読む』の方法論を、本質主義的、あるいは女性の周辺領域への囲い込みということばによって批判する論調がめだったように思う。しかし、らいてうから無名の書き手にまで至る、男女の非対称性と不均衡およびそれを隠蔽するイデオロギー構造への覚醒のプロセスの検証についてはまったく触れることなく、『『青鞜』を読む』という研究書全体の姿勢をひとしなみに本質主義として単純に優劣に還元するような批判は、あまりにも図式的ではないか。「本質主義」の語は、ここではまるで破邪の護符だ。そこに対話は成り立つまい(3)。
一方、中川成美氏の『語りかける記憶─文学とジェンダー・スタディーズ』(平11、小沢書店)は、近代ジェンダー観の特質を、女性性(女性のいわゆる〈本質〉)をセクシュアリティに限定的に収束させている点、およびそのセクシュアリティ自体がインターコース(性交・性行為)に焦点化されている点へ着目する等、示唆的だった。同書中の最良の論が、「こわれゆく女─ジェンダー・イデオロギーとしての〈愛の言説〉」、「家族のセクシュアリティ─室生犀星『杏っ子』」、「性の二元主義を越えて─性意識の不均衡な構造」であることも多分ここから来ている。これもフーコー的な内在する抑圧の構造とともに、その抑圧がジェンダー規範によって弱者を再生産していく機構に触れながら、氏が男性としての彼の主体性の問題にも言及していることで、読者は、ジェンダー論的語彙における脱イデオロギー化などという空疎な現象はすくなくともここでは起こらないだろうことを信頼することができる。他方、ここで選択されるテキストにおけるモチーフとは、主としてセクシュアリティのベクトル内から見据えたところの過剰または逸脱の問題であって、そのベクトルからは独立して存在する「オバサン」の問題が死角にはまっているという印象も受けた。誤解を恐れず言うならば、それは男性研究者によるすぐれたジェンダー論に共通の盲点のようにも私は受け止めている(4)。
いうまでもなくオバサンの問題とは、『上野千鶴子が文学を社会学する』(平12、朝日新聞社)の中でもっとも印象的な、佐江衆一『黄落』論(「老人介護文学の誕生」)のコンセプトそのものである。オバサンとは、家事労働の無償性を隠蔽する「愛の労働」という言説がもはや有効耐用年数を超えてしまった地点で、むきだしになった女性簒奪と性差別の構造をみつめる人間だ。これは家族社会学の領域で春日キスヨ氏が主として介護の現場でのたんねんな聞き取りによってみごとに具体化した知見であったが、社会学者としての上野氏の独創は、『黄落』という文学テキスト全体を、以上のような社会学的な知見を表象するメタファーとして位置づけたという一点に集約されよう。
社会学が文学テキストをそのようにとりあげる(あるいは利用する)のは、社会学の立場からは妥当なことである。要はフィールドワークの場が現実から、文学テキスト内に再現された世界へと替わっただけなのだから(上野氏の論でとりあげられた文学作品が、おおむね写実主義的な作品であるのはそのためであろう)。だがもし文学研究者が、社会学や歴史学等の領域ですでに定説となった知見を用いて上野氏と同様の手法の論を出したとすれば、それは他領域の研究実績の一方通行的な簒奪といわれてもやむをえまい。だがそれが文学史やテキスト評価における新たな分節化を提出しえたとすれば、それは他領域の成果を建設的に援用した文学研究といえるだろう。その意味で、すでに多くの言及のなされている飯田祐子氏と平田由美氏の仕事とは、文学という制度そのものを分析し、文学概念におけるジェンダー構造を明らかにすることで逆に文学研究の立場を抜け出て、社会構造論にまで立ち至ったみごとなものであったといえよう。
だが一方で、あくまでも作家主体の問題を追い続ける方向性も存在する。そしてそれがたとえば深尾須磨子のような一筋縄ではいかない「女詩人」である場合、ジェンダー論は解析のさいのきわめて有効な武器となる。佐藤健一「ファシズムと女詩人」(『文学者の日記 8─長谷川時雨・深尾須磨子』平11、博文館新社)および藤本寿彦「深尾須磨子素描─『女詩人』の軌跡と欧州体験─」(同)、「深尾須磨子点描─両性具有の文学性─」(「昭和文学研究」第40集、平12.3)はその意味で、いくつかの留保はあるもののきわめて示唆的だった。のみならずダヌンツィオや未来派のマリネッティとファショの理念との深い親近性や、ムッソリーニの文化政策の哲学を知ると、その時代と社会とを正確に把握することが須磨子の戦後詩を読み解くコードを得るための基本条件だというあたりまえのことを、いまさらながら反省させられる。いずれの論も、寡婦にして同性愛者、女詩人を自らのアイデンティティとし、戦中の愛国詩から戦後の民主詩人への転換といった須磨子およびその詩の複雑なセクシュアリティを俎上に載せる方法論を語って、きわめて挑発的であった。
さて残されたスペースで、インターネットと文学研究について簡単に触れておきたい。
平成八年に勤務先でささやかなウェブページ(いわゆるホームページ)をアップしたところから私のインターネット経験は始まった。以後、ユーザーとしての様々な経験をとおし、現在の私は、やはりインターネットは研究者がチャレンジするだけの価値があると考えている。リスク管理やインフラ整備、現在のインターネットユーザーの若年層への偏りといった問題点を含めての考察は他の機会に譲り、ここではポイントだけ提示しておこう。
まずウェブページが従来の媒体と決定的に異なる点についてだ。インターネット上に公開されたページは、不特定多数に公表されたものとみなされ、多様にリンクされることでさらに情報価値が高まる、というのがネットワーク上の基本理念である(5)。換言すれば、ウェブページは単独で存在するべきものではなく、さまざまな人の手によって網の目のように多方向へ張り巡らされていくリンクの中に位置づけられたとき、はじめてその存在価値が生じる。これについて現在賛否両論あることは承知しているが、この点こそがこの新しいメディアの独創性であることだけはまちがいない(6)。
「多様なリンク」とはまさに自分自身が他者によってどう評価されているかを知る、つまり他者との出会いの瞬間でもある。どこからどのようにリンクされるか予測がつかない、という感覚は人によっては非常な恐怖感だろうが、おおむね研究者の出すコンテンツに関しては一般の人はそれほどの関心をもたないし、プライバシーに関するリスク管理さえしっかりやっておけばそれほどの恐怖を感じる必要もあるまい、というのが私の印象だ(このあたりについてすでにさまざまなウェブページを出している近現代文学研究者の方たちに、具体的にフォローしていただけるとありがたい)。むしろ、自分の論文やデータベースといったコンテンツをあらゆる場所からの参照が可能なオープンスペースに置くことから得られる利益の方が、大きいだろう。その利益とは、他領域の研究者(もちろんアマチュアも含む)からのアプローチである。それもおのおのが思いもかけないような方角からの複数のアプローチだ。これは事実上破綻しかかっている理系・文系といった枠組を軽々と飛び越え、まさに学際的interdisciplinaryな連携への端緒となりうる。もちろんそのためには、コンテンツの質となによりも個人としてのコミュニケーション能力が不可欠ではあり、また自己のページへの批判─これも建設的なものから、あきれるほどに低レベルのものまであらゆる段階がある─も含めたリスクの管理に関するあらゆる判断を、「自己責任」で引き受ける覚悟が不可欠であるのだが。
以上の原則をふまえると、昨今問題となっている他領域との共同による研究領域の再検討という問題に関して、インターネットがかなり親和性の高いメディアであることが了解されると思う。この問題に関していえば、日本近代文学会での平成十一年度および十二年度のシンポジウムが、他領域の研究者を交えての討論という点できわめて興味深いものだったことを思い出す。これは「日本近代文学」誌上に再録されているが、まさにそのままでウェブ上の第一級のコンテンツとなる。学会が独自のウェブページをもつことに関してはこれまでもいくつかの提言があったが、こういったコンテンツを学会が主体となって公開することについては、私も賛成だ。こういったページが公開されさまざまな場所にリンされ、そしてシンポジウムの常として議論が拡散したり時間切れで言い尽くせなかったような部分は、おのおののリンク先で議論され、それらが網の目のようにつながって一つのテーマに対するさまざまな関心のゆるやかな共同体がウェブ上に出現する。おおかたの時期尚早の叱声を覚悟の上でいうならば、このようなイメージは、今日文学研究がおかれた状況にあっては、きわめて挑発的であり魅力的なものではないだろうか。