長良イベント (Nagara event)

投稿論文: https://doi.org/10.1103/PhysRevLett.87.212502

イベントの紹介

このイベントは、世界で初めて核種の同定に成功したダブルラムダハイパー核事象で、陽子2つ、中性子2つ、Λ粒子2つからなる電荷2の原子核、6ΛΛHeの生成と崩壊を捉えたものです。KEK-PS E373実験の写真乾板の中から、2001年1月18日に大学院生の岩田陽助によって発見されました。このイベントは、発見のあった岐阜大学のある岐阜市を流れる長良川にちなみ、長良イベントと命名されました。


図は写真乾板に記録された長良イベントの光学顕微鏡写真です。図中のDH.とSH.と書いてあるのは、それぞれダブルラムダハイパー核とその崩壊で生成したシングルラムダハイパー核の飛跡です。左下に書かれている目盛りは10ミクロン相当で、DH.とSH.の飛跡は長さがわずか8~9ミクロンしかありません。これはヒトの赤血球とほぼ同じ大きさです。

この事象を引き起こしたのは画面右下の方角からやってきたΞ–粒子です。これは加速器ビーム反応で生成したΞ–粒子を乾板に入射させたもので、そのうちの1つを顕微鏡下で飛跡を追跡してきた末にここに辿り着きました。

Ξ–粒子の静止した場所にこのような3つの枝分かれを持つ飛跡の様子が確認されたことから、それぞれの分岐点は、(A)ダブルラムダハイパー核の生成点、(B)ダブルラムダハイパー核の崩壊点、(C)シングルラムダハイパー核の崩壊点であると判断できました。

核種同定

次に乾板に記録された情報から、どのような原子核が生成したのかを特定していきました。

まずC点での崩壊反応に注目します。5時の方角に放出された飛跡を顕微鏡下で追跡していくと、乾板の中を5.6mm、エネルギーを徐々に失いながら進んだのち、静止しているのが確認されました。いっぽう10時の方角の飛跡は、写真乾板の外に出てしまいましたが、そこに設置してあったシンチレーションファイバーブロックと呼ばれる検出器の中で止まっていて、π-(パイマイナス)ではなく、陽子かそれより重い粒子であることが分かりました。これら2本の飛跡を作った粒子の電荷を見積もると、両方とも+1であることが決定できました。なぜなら、SH核の崩壊で生じるエネルギーでは電荷が2以上の粒子をこれだけの距離飛ばすには不足しているからです。したがって、SHの飛跡は電荷が+2のHeのSH核であると決定されました。

次にB点の崩壊反応に注目します。10時の方角の点々からなる飛跡を顕微鏡下で追跡していくと、乾板の中を約13.7mm進んだのち、静止しているのが確認されました。その静止点では原子核が壊れた破片が確認されたことから、この粒子はマイナスの電荷を帯びており、プラスの電荷を持った原子核に吸収され、その結果原子核が壊れたという反応が起こったことが分かりました。そして、飛跡の濃さの移り変わりから、この粒子はπ–であると分かりました。

これらの情報をもとに、考えられるすべての原子核の組み合わせを列挙し、観測事実と辻褄の合う反応を選んだ所、次のような反応以外にありえないという事が分かりました。

A) Ξ + 12C  →  6ΛΛHe  + 3H + 4He.
B) 6ΛΛHe  →  5ΛHe + p + π–
C) 5ΛHe  →  H + H + neutron(s).

ダブルラムダハイパー核は、1960年代に1例、1991年に1例の検出の報告があり、岐阜大学のグループも1999年に1例検出しましたが、これらはどのような核種であるかということまで一意に決めることはできませんでした。いっぽうこの長良イベントは、 誰が見ても順を追って壊れる様子が判断できるほどはっきりと飛跡が記録されており、さらに運動学的な解析でも候補が1つに絞られ、核種を決めることができました。

質量測定

ダブルラムダハイパー核の崩壊事象から、その質量が計算できます。つまり、

  • 始状態のエネルギー: 6ΛΛHeの質量
  • 終状態のエネルギー: 5ΛHeの質量と運動エネルギー + pの質量と運動エネルギー + π-の質量と運動エネルギー

として、エネルギー保存則を適応します。生成した粒子の運動エネルギーは、飛跡の長さから求めます。こうして6ΛΛHeの質量が求まります。

またダブルラムダハイパー核の生成事象からも、エネルギー保存則によって等式を作ることが出来ます。つまり、

  • 始状態のエネルギー: Ξ-粒子の質量 + 炭素12の質量 – Ξ-粒子の束縛エネルギー
  • 終状態のエネルギー: 6ΛΛHeの質量と運動エネルギー + 3Hの質量と運動エネルギー + 4Heの質量と運動エネルギー

としてこれらを等号で結びます。

これら2種類の方法で求めた値を使って、“kinemaic fit”という計算を適用した結果、6ΛΛHeの質量が求められました。Ξ-粒子の束縛エネルギーは炭素原子におけるΞ-粒子の3D軌道(主量子数3のD軌道)の 0.13MeV を用いました。

物理学的な意義

測定された6ΛΛHeの質量から、Λ粒子の間に働く相互作用を評価しました。もしΛ粒子の間に相互作用が全く働かなければ、6ΛΛHeにおけるΛ粒子2個ぶんの束縛エネルギーは、5ΛHeにおけるΛの束縛エネルギー*2と変わりません。しかし実際は、6ΛΛHeの束縛エネルギーが 0.67 ± 0.17 MeV 増加していたため、Λ粒子同士に働く相互作用は弱い引力で、Λ粒子が1つの場合よりも2つあったほうがエネルギー的に低い準位になることがわかりました。こうして、それまで引力か斥力かすら不明であったΛ粒子同士の相互作用が、初めて定量的に求められました。

Nakazawa-Lab, Physics Department, Gifu University