木曽イベント (Kiso event)

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イベントの紹介

このイベントは、Ξ-粒子と原子核が“強い相互作用”によって束縛した状態(グザイハイパー核)であると、世界で初めて確認された事象です。このイベントは、発見のあった岐阜大学のある岐阜県を流れる木曽川にちなみ、木曽イベントと命名されました。KEK-PS E373実験の写真乾板の再解析によって、2013年6月に発見されました。

図は写真乾板に記録されたこのイベントの光学顕微鏡写真です。画面の上の方からやってきたΞ–粒子がA点で静止し、その場にあった原子核に吸収され、1番と2番のシングルラムダハイパー核が放出されました。このようにシングルラムダハイパー核が対になって生成する事象を「ツイン・シングルラムダハイパー核事象」と呼びます。

核種同定

まず向かって左側のシングルラムダハイパー核の娘粒子の3番に注目します。この飛跡は末端で2本の濃い飛跡を放出してT字型の形状をしています。これは「ハンマートラック」と呼ばれ、質量数8の原子核がBe8*を経由して2つのα粒子に崩壊したことを示します。この時点で3番の核種はHe8かLi8かB8に絞られました。また娘粒子の4番は、飛跡の濃さや、長さから換算されるエネルギーを考慮するとπ-粒子ではなく、電荷は+1以上と判断されました。

また右側のシングルラムダハイパー核は2つの荷電粒子に崩壊しているので、電荷は+2以上です。また、Ξ-粒子を吸収した乾板中の原子核はC12, N14, O16のどれか以外はほぼありえません。これらの条件を満たす全ての可能性について、運動学的に許容できる反応を選んだところ、この事象は次のような反応以外にありえないという事が分かりました。

A) Ξ + 14N  →  10ΛBe  + 5ΛHe.
B) 10ΛBe  →   8Li  + p  + n.
C) 5ΛHe  →  p  + d  + 2n, etc.
D) 8Li  →  8Be* (2+) + e + ν,  8Be* (2+) →  2α.

Ξ-粒子の束縛エネルギーの測定

ツイン・シングルラムダハイパー核事象では、Ξ-粒子と原子核の束縛エネルギー(BΞ-)を測定することが可能です。この場合、

  • 始状態のエネルギー: Ξ-粒子の質量 + 窒素14の質量 – BΞ-
  • 終状態のエネルギー: 生成した2つのシングルラムダハイパー核の質量と運動エネルギー

とし、これらを等式で結んでBΞ-を算出しました。

BΞ-は、10ΛBeが基底状態だった場合に最大となり 4.38 ± 0.25MeV、10ΛBeが励起状態だった場合に小さくなり、最小で 1.11 ± 0.25MeVであると求められました。Ξ-粒子と原子核は最初はクーロン力によって束縛し、徐々に低いエネルギーの軌道へと遷移していきますが、もしΞ-粒子と原子核の間の相互作用が斥力だった場合、BΞ-は3D軌道(主量子数3のD軌道)の 0.17MeV よりも大きくなることはありません。しかし測定されたBΞ-は3D軌道の値よりも優位に大きいことから、Ξ-粒子は“強い相互作用”による引力が働いたと判断されました。

物理学的な意義

このイベントは、Ξ-粒子とN14原子核が“強い相互作用”によって束縛した状態、すなわちグザイハイパー核と呼ぶべき状態が形成されたとわかりました。この事象で起こった事を改めて書き下すと、

Ξ + 14N  →  15ΞC  →  10ΛBe  + 5ΛHe.

となりました。

過去の実験において、ツイン・シングルラムダハイパー核事象はいくつか検出例がありましたが、反応の過程が決まらなかったり、BΞ-は3D軌道の値と同じだとみなせるような事象であったりと、Ξ-粒子と原子核の相互作用の定量的な評価はできませんでした。また、Ξ-と原子核の相互作用に関する実験データとしては、唯一、BNLでのAGS加速器による実験 E885 による引力的な傾向を示すデータがあるのみでした。しかしこの事象によって、Ξ粒子と原子核の相互作用が初めて定量的に求められました。

検出方法

この木曽イベントは“全面探査法(オーバーオールスキャン法)”という従来とは違う探索手法によって発見されたものです。従来の探索方法は“複合実験法(ハイブリッドエマルション法)”と呼ばれるもので、他の検出器の支援によってΞ-粒子が乾板に入射した場所を特定し、乾板の現像後これを顕微鏡下で追跡するというものです。いっぽう全面探査法は、写真乾板を顕微鏡で網羅的にスキャンし、ダブルハイパー核の作る枝分かれした飛跡を画像認識技術によって直接的に検出します。

“全面探査法”は、写真乾板の中に記録されていながらも未発見のまま残されている大量のダブルハイパー核事象を検出する為に開発されました。ダブルハイパー核事象は非常に稀であり、これを捉えるには写真乾板の枚数として千枚以上が必要です。この膨大な枚数の乾板中から顕微鏡サイズのダブルハイパー核事象を検出するには、複合実験法によって探索するべき場所に目星をつけ、顕微鏡での探索作業を最小限とすることが必須でした。しかし、複合実験法で検出できるΞ-粒子の割合は全体の1割程度と見積もられており、実は乾板の中には我々が見えている数の10倍相当のダブルハイパー核事象が記録されていると考えられます。これを検出するのが全面探査法で、永らく先人たちの夢でしたが、現代の画像認識技術を利用することで実現しました。

Nakazawa-Lab, Physics Department, Gifu University