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長良川河口堰につきましては、その運動に携わられた方々より、あらゆる資料を寄贈いただいていおります。古くは、昭和39年から43年にかけて河口堰を作ることを前提として、建設省の委託を受けて設けられた「木曽三川河口資源調査団」の報告書をはじめ、その後の、裁判記録・反対運動記録等を寄贈いただきました。その量・内容は厖大であり、資料の整理には、時間を要するものと思われます。
センターでは順次整理を進め、終わったものより公開をしていきます。

●小出良煕先生の裁判資料

小出先生は、長良川河口堰建設差止訴訟(昭和48年~53年)の弁護士を務められ、その際の裁判資料を寄贈していただきました。裁判の経緯につきましては、旧訴裁判経緯をご参照下さい。
又裁判の記録につきましては、長良川河口堰旧訴裁判経過に詳細を順次更新していきます。

整理のすんだ裁判資料

裁判証人証言調書

実際の法廷で、出頭した証人は何を述べたのか、調書によって再現していきます。書記官の記録をPDF化することも考えましたが、夫々の書記官に字の癖があり、読みづらいことと、今後に活用できる資料として考え、入力という形をとりそれをPDF化することとしました。調書は小出弁護士より寄贈されたものの他、村瀬惣一氏(新訴裁判の原告)より寄贈を受けたもの等が多数ありますので、PDF化が済みましたものより順次公開していきます。
個々の証言は、長良川河口堰旧訴裁判経過の証言者からも御覧いただけます。

PDF化済 裁判証人証言調書

河口堰工事が着工され、岐阜県下の漁協と桑名の赤須賀漁協と補償等の同意が取り付けられ行政も工事に障害がなくなったと思われていましたが、反対運動は、今年が正念場と色々な活動を繰り広げています。国会議員の方も視察に訪れたりし、河口堰の建設をストップして今の基準で環境アセスメントをすべきだとう意見も行政の側でも出ていた時期です。各団体の催すシンポジウム等 活動が最も盛んな時期だったといえるでしょう。 その時期の新聞記事を中心にまとめたものです。

この時期は河口ぜき建設差止訴訟(新訴)の時期で、工事は着工されていましたが、財)日本自然保護協会がその中間報告のかたちで、堰の建設に疑問を投げかけたり、政権与党の自民党のなかでも、反対を表明する議員もあらわれたりといった時期です。そのあたりの新聞記事を中心に要旨をまとめたものです。

8月の 財)日本自然保護協会の出した中間報告書は、世間に大きな波紋を呼びました。そして11月には 当時の環境庁長官の北川石松氏が、河口堰建設現場を視察し 環境庁としての見解を出すなど、政治の場においても大きな関心事となっていきました。しかし年末には、大蔵省は翌年度予算の大蔵原案で河口堰建設費用を満額認める決定をしました。環境面では問題があるとの指摘が多方面から上がる一方で、あくまで閣議決定事項として建設促進を図る霞ヶ関の攻防などを 当時の新聞・雑誌等の記事からまとめたものです。


1990年の年末に環境庁長官の見解がだされたことにより、河口堰の推進派・反対派がそれぞえ意見広告を掲載するなど活発な動きをみせています。その記事を読みすすめると、環境保護とはなんたるかの原点が読み取れるようです。