3月も後半、暖かくなってきました。
久しぶりに、図書館で文献をとってきました。
Webでダウンロードした方がはやいですが、
できないものは、地道に図書館でコピーします。
薄暗い書庫で、
欲しい文献の冊子をペラペラめくっていると、
ときどき、おっ、と気づく文献が、隣のページにあったりするので、
地道なコピーも捨てたものではありません。
昔(といっても80年代ですが)の文献をよく読むと、
役にたつのか、たたないのかわからない研究なのに、
徹底的に実験していて、先人達の実直さを思い知らされます。
今は、どこでも、何に使えるのかとか、
社会実装(いつからですか、この単語が流行り出したのは)とか、
成果を急ぐような研究ばかりで、出口がみえやすい研究がもてはやされます。
何が起きているのか、訳がわからないところから始まって、
どこに出口があるのかわからず、彷徨うところに、オリジナリティがあるのではないでしょうか。
文献中の先人達は、純粋な興味を推進力に研究していたような気がします。
きちんと、活字となって受け継がれていますし、
そんなことを、飄々とできる学者は格好いいなぁ、と思います。
いつも聴いているラジオで、
牙のない象の話をしていました。
象牙の密漁が多いモザンピークでは、牙のない象が増えているそうです。
象は、自ら、狙われないように、生き残るように、
牙を失うことで、進化(?)しているそうです。
象にとって、牙は、皮をはぎ、食べ物をとるために必要です。
自分が密猟者に狙われないように、牙を失っても、
結局のところ、象社会全体が衰弱へと向かってしまうということですね。
組織が残っていくためには、年上や先輩が、若い牙を守ることが大切なようです。
今日、グループから、3名が巣立っていきます。
彼らは、歴代で一番といっていいくらい、実験をし、
グループを盛り上げてくれました。
3名とも、素直で、穏やかですが、自分の牙をしっかりともっています。
社会で、大きく羽ばたいてほしいと思います。